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夕食会・午餐会感想レポート

2020年12月夕食会「新型コロナウィルス蔓延下における在宅医療」

夕食会・午餐会感想レポート

12月10日夕食会

今回講演の前に講師の養老・糸井氏との対談本各1冊を読み、高齢者の8割が病院で死を迎える現状下、執刀医の役割を終えたと自覚した講師が、生活保護を含めた低所得者対象の在宅医療という実に困難な現場に身を置き、死と向き合われていることに深い感銘を受けました。

講演では在宅医療の中での尾籠な話を含め、患者の様子が説明されました。スライド写真の中の高齢者の本当に穏やかな表情には救いを見ることが出来ました。認知症・アルコール依存症の高齢者をこれ迄身近で多く見て来た小生の理解などは「表層的」であると痛感しました。

死を穢れとして忌み、表に出したくない、隠したいという住民感情から反対運動が起きた須磨の「看取りの家」と同様のことは全国どの地域でも起こり得るものの、高齢化の一層の進行により国全体が「看取りの家」となり行く将来を国民はいずれ受け止めなければなりません。

生死一如という観点から言えば、延命治療も納得の行く自然死も同じと思われますが、コロナ禍の中での在宅医療とは結局患者や家族との中長期に亙る信頼関係に尽きており、入院等の措置を含めその選択はやはり専門家たる医師にお任せするのが最も適切であると思われます。

質疑で65歳の出席者が老後の心構えにつき助言を求めたのに対し、まだ若いので後20年経ってからで良いとのお話には同年輩の小生も意を強くしました。鷗外先生のエピソードには触れられませんでしたが、先生の小倉時代の部下軍医の一人であった祖父のことを思い出しました。

(東大・法 古川 宏)


小堀鷗一郎先生は、在宅診療医師として、患者のみならずその親族、すなわち妻、子、孫、はては家主までの関係を調整しつつ、ケースに応じた適切な診療を行い、死というものを実感しつつ、その経験を述べられた。医者としての、真摯な態度には感銘を受けた。

そこで、「死」というものを、人は、日頃から、もっと考えるべきだとして、高校生に対して、「どこで死にたいか。」という質問を投げかけられたのであろう。「患者は死を自覚せよ」と著書の中で述べておられるのと一致する。

老齢の患者の立場から、この問題を考えてみるとどうだろうか。

医師は、いろいろな患者のケースを経験できるので、担当する患者の状況を見て、その患者にふさわしい措置をとることができる。ただし、それは、名医にして可能なことではないかと、老齢の患者は考える。在宅診療医の中には老人ホームなど団体を受け持って報酬を稼ぎ、難しくなると病院に任せる医者もあるという。

人は、事故か、癌か、などいかなる過程で「死」を迎えるかは選択できない。重篤な状況になって、はじめて死を身近に感じるが、それでも、医者は病気を治すべきものだと思い「死の自覚」を遠ざけてしまう。その場合、患者は医者を選択できない。たまたまの担当医に任せるしかないのである。名医は何人も居る、とのお話であったが、それを探して診察を受けるのは、現実無理ではないか。

医者の目から見た「死」と、患者からの「死」の概念は違うのではないか。医師から見れば患者の死は、多くの症例の一つであるが、患者の死は、自分の死、ただ一つである。

このように考えて、小堀先生のお話を、自分なりに敷衍して解釈すると、医は究極、人を死から救うことはできないのだから、それを踏まえて、自分の死についての考えをまとめておくべきである、という結論を得た。

自分が老齢であるから、このような結論になったが、若い人たちには、また、別の死生観があると思う。

(東大・経 五十嵐信之)


先生のお話は、BSで拝聴していたが、より深い話が伺えることを期待して参加した。先生は東大医学部で学ばれ、現在は在宅医療における看取りを使命とされておられる。

ヒトは生体の仕組み上、病気、怪我や老化により一定寿命により必然的に亡くなる運命にある(アンチエイジングや不老不死は高齢者の泡沫(うたかた)の夢か?)。希望として病にかかったとしても、「慣れ親しんだ自宅」で最後を迎えたいと思う人が多いはずだが、現在は数が逆転し、急病により救急車で運ばれたまま、薬石効なく病院で亡くなる人が圧倒的に多数になっている事実。そうなるのは病院や医師側の願いだけではなく、家庭から死者を出したくないという市民側の要求や社会の変化も大きいとおっしゃった。死を人生の完成ではなく、仏教を曲解した「穢れ」の発想か?死者を出した家と世間に示されることを嫌う人が増えているという。以前は自殺、殺人、事故死が発生した住宅は心理的瑕疵(事故)物件として不動産売却告知義務対象になっていたが、今や自然死もその対象になっているのか?在宅死が圧倒的に多かった時代には、死者が出た家に忌中札が貼られ、町内を上げて弔いの準備をし、死者を悼むことが近隣住民の非日常の活動になった。

私の父も長らく脳梗塞後の不具合で自宅にて母の手厚い介護を受けており、私も赴任地からの帰宅に努め、俄(にわか)介護をし、父を労りつつ何か言いたいことがないかと言葉を交わすように務めたが、肺炎を患い自宅近郊の総合病院へ結局移送された。胃瘻(いろう)をしておりまだ暫くゆとりがありそうなので、暇を見つけて病院の父を見舞おうと思っていた矢先、携帯電話に母から父の肺炎が悪化して病院で亡くなったとの連絡が入った。そのときには、頭が真白になり、葬儀等の準備や親戚等への連絡、葬儀社への連絡等で、気を紛らわした記憶がある。

在宅医療で多くの死者を看取った先生によれば、病院の医師に関しては「自分の死」に関する本人の受け止めなどの思いや家族との関係についての教育は十分とは言えないとのこと。むしろ看護師教育の方により中身のある教育がなされているかもしれないと。「灘高から理Ⅲそして医師へ」という教育では、真に死について理解した教育はなされないかもしれないとは先生の率直な感想か?

歳を伝えて「自宅で最後を迎えたいと思う人が本来多数のはずだが、先生のような在宅医のネットワークがない多くの我が国地域において、その希望を叶えるための方途はないものか?」と問う私の質問に答えて、「それを考え始めるにはまだ20年早いと前置かれたあと、それをこれからも考え続けてほしい」とおっしゃったような気がする。年相応にうっかりミスも増えてきた私であるが、それをカバーしつつ自己満足でも社会に貢献して亡くなりたいという生き方は人生を全うしたと言えるか先生に問いたい。

(東大・工 上林 匡)


1.はじめに
初の夕食会参加でしたが、大変有意義な夕べを過ごさせて戴きました。食事もおいしく(特に、和風デザートが見た目が可愛く、また美味でした。)、隣席の方(15年の大先輩)と名札のファースト・ネームの読み方を巡って、ささやかな漢字談議ができ、楽しかったです。

2.小堀医師のお話し
すべてがご経験に基づくリアルな内容であり、統計や論文だけでは到底得られないものばかりで、大変感銘を受けました。私事ですが自分自身も遠方の郷里の両親を看取り、存命中は施設探し、入居した短期施設の異動で認知症の方々を垣間見る機会が多くあり、身につまされる思いでした。以下、特に印象的だった内容です。

(1)コロナ下では、それまで通っていたデイサービス、ホームステイも行かなく(行けなく?)なり、従ってAOLの低下が大きい、という現状ご報告。

(2)終末期に近い本人は実は、「自宅で亡くなりたい。」という願望なのに、家族が「家から死人を出したくない。」と、どうしても病院に送り出したがる。任された医師も「医師の倫理上、助けるのが絶対命題!」と延命治療に努め、濃厚治療が長く続くことが多い。
私の父の場合も、最後の短期入院は、検査・検査~やっと治療となり、今思うと、長くて何度もの待ち時間が本人を苦しめただけだったか?と、悔やまれます。

(3)日本医師会報掲載論文の表題が、「生かす医療から死なせる医療へ」→「命を永らえる医療から命を終えるための医療へ」→「在宅に於ける患者の看取り-死を怖れず、死にあこがれず」と変遷せざるを得なかった経緯。

(4)(Q&Aの中で)「自宅で人生を終わりたい。」という多くの患者さんの希望を叶え  るためには、「家族の想いを変える」、これが第一の課題。これができれば、医師の意識も変化していく。看護師が受けている「死の教育」は、医師にも必要である。

3.長谷川和夫「ぼくもやっと認知症のことが分かった」2020刊行
世界初の認知症マーカーの考案者である長谷川医師が、95歳にして自ら認知症罹患を公に表明したことを語った本です。夕食会の少し前に読み、小堀先生の講話と併せ、良いタイミングでした。自分も早や来年は70歳、果たして「“ホンマの老人”になる覚悟がお前にはあるのか?!」と問われている思いでおります。

(東北大・法 大関 一)


小堀鷗一郎博士による「新型コロナウィルス蔓延下における在宅医療」と題する講演は、自発的な訪問診療を重ねた経験を元にしたもので、問題の本質を的確に捉え、様々な事例についてご説明をいただいた。日本では1950年時、病院で死を迎える人の割合が全体の8%に過ぎず、現在は78.4%に増加したが、その多くが自宅で死を迎える事を望んでいるという事実は、考えさせられるものであった。

筆者の知己で、白寿を迎え百歳に達しようとしている米国アリゾナ州Lake Havasu に在住のアメリカ人男性は、病室がガラス張りで一流ホテルのスィートルームのような部屋に入院しており、家族も泊まれるようになっているようにも思われた。快適に過ごされていても、さすがに、見舞いを終えた奥様が帰宅される際には、実に厳しく悲しそうな表情をされており、コンピューター通信による家族との会話も必要なように思われた。

このような病室を用意している病院は、日本にはどれくらいあるのかとの質問に対し、聖路加病院にはあるであろうとのご回答をいただいた。しかし、最後は家に帰りたいと思う人も、かなりいるものと思われ、このような病室の拡充と増加には、然るべき調査研究に基づいたポリシーのようなものが必要であろうと思われた。

終盤に、若く経験の浅い医師に対する苦言を呈されたが、教育上の課題として、患者の診療にあたって医学的知見を適用するには、法律を杓子定規のように当てはめ、決定論的に判断する手法を補完するものとして、遷移領域や複数の病気に晒されている患者に対しては、確率論的な手法などの適用も益々必要になってきているのではないかとの私見に対し、質疑応答セッション後、謝意を表していただいた事は予期せぬものであったが、同博士の研究者かつ教育者としての確固たる理念と信念を感じさせるものでもあり、敬意を表したい。また、総合医療の為の教育も益々重要性を増しているように感じられた次第である。

(京大・工・工博 本田 博)