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夕食会・午餐会感想レポート

平成21年11月夕食会「認知症の理解と援助」

夕食会・午餐会感想レポート

11月10日夕食会

妻にアルツハイマー型認知症診断となる海馬傍回萎縮がかなり見られると診断されて、はや一ヶ月がたちます。ちょうど目にした、学士会夕食会・杉山先生の「認知症の理解と援助」には、実利を期待して参加いたしました。
妻の症状はまだ脳の記憶障害にとどまっていますが、素人の私でもやがて来る記憶以外の機能障害が心配でなりません。むしろこれから何が発生するのか、無知であるからこそ恐怖が迫ってきます。
我が家の蓄えは定年後にはじめたベンチャー企業経営につぎ込んでしまい、年金収入しか老後の資金はありません。現在は出来るだけ妻と起居を共にし、毎日職場に連れて行っております。家計はすべて、炊事も半分は私が担当するようにいたしました。国内にとどまらず海外旅行にも、大半が私の言い分が通る招待講演が主ですので、妻を連れていっています。医師の御指導にも、妻に刺激を与え続けることがいいと聞いていますので、そうしているのです。
記憶力低下だけですと、こうした対策だけで接触する他の方々の寛容さえあれば、何とか生活を続けることができます。しかし、記憶力低下の後にはどんな障害が出現するのでしょうか。専門の介護を必要とするのでしょうか。施設への入所が必要でしょうか。そのための経済負担はいかばかりでしょうか? 心配はとどまるところがありません。
夕食会では、出席者の多くの方は72歳の私と少なくとも同年輩か、それ以上の年齢に見えました。最後の質問では想像していた通り、近親者に同病患者をお持ちの方が見られました。一方、講師の杉山先生は活動最盛期の面影で、聴衆者の大半よりお若くお見受けいたしました。
救いは、お話が明るい雰囲気に終始し、時折皆様の爆笑をさそったことであります。本来は暗い話題であったのに、杉山先生は話題を明るい側面からとらえ、我々の多くの者にとって避けられないことであるのなら、これを明るく取り組めるようにと御配慮くださったのでしょう。なんという救いであったことでしょう。
昔、私の友人が血液癌にかかりました。お見舞いに行くたびに病気が進行していきました。当時は患者への告知はなされない頃でした。一方、私達は病名を知っていました。つらかったことは患者の、「不思議なんだよなあ。もうそろそろ良くなっていかなきゃならないのに、ちっとも良くならない」とのつぶやきを聞くことでした。返事のしようがありませんでした。しかし患者に本当の死期が近づいたころは、意識がなくなっておりました。私は、病の末期には意識不明になることはひとつの救いであると確信いたしました。
杉山先生のお言葉で私にとってもっとも大切であったことは、アルツハイマー病患者最後の障害は思考能力の消失であって、もはや悩んだり恐れたりすることはないということでした。人間に脳死というものがあり、現代では心臓停止に変わって生命終了の決定因子とされていますが、アルツハイマー病とは徐々に脳死が進行していく病気なのですということでした。
私もいずれ死を迎えるわけでその瞬間どのような恐怖にとらわれるかが心配ですが、妻に関するかぎり、こうした心配が存在しないことは何よりの救いです。これを教えてくださった杉山先生、有難うございました。

(東大・工博・工、軽部 規夫)