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夕食会・午餐会感想レポート

平成29年9月午餐会「クローン文化財~法隆寺金堂壁画・釈迦三尊像の再現」

夕食会・午餐会感想レポート

9月20日午餐会

本日の午餐会には「クローン文化財」という耳慣れない言葉が気になって、軽い気持ちで講話を拝聴しようと参加したのですが、最初から最後まで興味深く聴かせていただきました。冒頭、スクリーンの前に置かれたゴッホやフェルメールなどのお馴染みの作品について「これは全く本物と同じです」と言われ、これらのものについては、講話終了後、直接触られて質感などを確かめられて構いませんと述べられました。「全く本物と同じである」ということは、絵の具の材料はもとより、キャンバス、筆使いなどすべての面で本物と同じである、つまり本物と違っている点を検証可能な指標で指摘できないということでありましょう。これに対しては原作の作者が作品に対して注ぎ込んだ「神韻」のような精神的な要素までは写し取れないわけだから「本物とは違う」という見方もあるかもしれません。しかし、ここでこれ以上真贋論争に踏み込むのは本筋に外れます。

講師の宮廻正明先生は、これらの作品について模写や複製(コピー)といったものを超越しているという意味を込めて「クローン文化財」と名付けられました。「クローン文化財」の製作にあたっては、原画の画像データの科学的分析や最新のデジタル技術、伝統的な模写の技法など、門外漢の私には想像を絶するような尽力があったものと推察されます。「クローン文化財」には二つのタイプがあるように思います。まず原画が現存し、そこから可能な限りのデータが収集出来て、完璧な「クローン文化財」ができた場合です。このタイプのものは講師が示唆されたように、原画の展示に期間制限のかかっている展覧会などで期間経過後も「代役」として役立ち得るし、教育的効果も大きいと考えられます。

もう一つは、法隆寺の金堂の壁画やバーミヤンの天井壁画など現物が失われ、写真などが残っている場合です。これに対しても考えられる限りの考証と綿密な技法で「クローン文化財」が生み出されます。これはある意味で最後に現存していた時よりも、現物の描かれた当時の原画に近くなります。原画の描かれた当時の感動を新たに覚えさせるという意味で、これは新しい価値の創出です。「クローン文化財」には、原画に触発された新たな創造物といってもよいほどの価値があります。その意味で「クローン文化財」というネーミングは、生物の遺伝子を連想させてあまり美的ではないような気がしました。

本日ご案内のありました「シルクロード特別企画展―素心伝心」――「クローン文化財 失われた刻の再生」は是非とも観賞させていただきたいと思っています。法隆寺の金堂壁画と釈迦三尊像、バーミヤンの天井壁画などを見てどのような感動を覚えるか、飛鳥時代の貴人やシルクロードを旅した人たちがどのような感興を覚えたかを想像しながら見てみたいと思っています。開催を今から楽しみにしております。

(東大・法 諏訪 茂)


当日「今後香りをどう取り入れるか」という質問をさせていただきました。作品のクローン化に「触覚」まで触れられましたので、誘われるかのように、夢遊病者のように、嗅覚まで踏み込んだ次第です。しかし、まだ何か要を得ない感じが残っておりますので、あらためてここにまとめさせていただきます。先生からの改めてのご返事を希望するものではむろんございません。むしろご出席の会員の皆様からのご叱責を頂戴できればと思います。

質問の背景についてすこし述べさせていただきます。

私たちは、明治以降の効率的近代化策での「視聴覚教育」を受けて育ちました。触覚・嗅覚・味覚教育は二の次、三の次で、学士会会員の皆様にもこれらは知の対照ではなく、計数化できない感覚の分野として映っているかもしれません。同時に、全人的教育という言葉も使われてきました。全人的というからには触覚・嗅覚・味覚面を等閑視することはできません。テレビで観る外国旅行も充たされず、実際に行ってみたくなります。現地の匂いを嗅ぎ、風を感じてみたくなるのです。居酒屋にも足を運ばなければおいしさの実感は得られません。

ところで、シャネル5番といった世界に冠たる名香水を創った人たちには一人として大学卒業生はいません。皆、父親の姿を見て育った、独力で調香を学んだ、好きで進んだという人ばかりです。何やら名料理人にも似るところがあります。ピカソの作品にもギラギラと脂ぎった「人間臭」がぷんぷんしています。こういった人たちの「触嗅味」感覚は自然でいて、健康で、全人的です。

触嗅味教育には社会がそれに価値観を置き、受け入れる雰囲気が必要です。量的分析力よりも感覚的分析力に頼る香水は世界に受け入れられていますが、日本の生産量はその2%にすぎません。 そんな背景を背負って、ものを考えておりましたら、冒頭の質問になった次第です。芸術作品についても、やはり、全人的ならぬ、全物(ぶつ)的存在としてのクローンができないものか、それへのアプローチの一つとして、また触嗅味感覚の一つとして「今後香りをどう取り入れるか」という発想で質問させていただきました。

触発されるお話し、ありがとうございました。先生の今後のご活躍を祈念します。

私の方も、何やら、「香りで観る絵画」(仮称)のような1冊をまとめてみたくなりました。夢遊病から覚め次第、取り掛かってみたいと思っております。

(東大・文 相良 嘉美)


まかり間違えば贋作造り、刑法犯になるところを技術も然ることながら実物以上の価値を付加して事業の域にまで達せられた宮廻先生のお話は誠に示唆に富むものであった。技術的には最新のITを駆使して画像処理をし、そのハードもソフトも院生などと自作されているようで、更に日本画家としても数々の受賞歴があり、そのマルチ・タレントぶりには敬服するばかりである。

お話で特に興味を引いたのはタリバーンが爆破したバーミヤンの石窟寺院や焼失した法隆寺の金堂壁画を再現し、更に損傷時点でも欠けていた部分まで復元されていることである。また、遺言で門外不出のフリーア美術館のようなところでも修復の機会にクローン化のデータを取られていると伺ったので日本で見る機会が出来ることを期待したい。米国では遺言状厳守でうっかり出すと裁判で負けるが遺言の時点でまさかクローンまでは想定してなかっただろうから何とか見られるようになると有り難い。 ボストン美術館のスポールディングコレクションのように公開禁止の遺言付きのもでもクローンで見られるなら大変喜ばしい。公開禁止のお陰で色彩が製作当初と同じという利点もあるそうで、国内の展覧会でも途中で入替えがあってがっかりすることが多いが長期展示は劣化を招くので止むを得ないとしてもクローンで補えば助かると思う。また、折角遠路遥々訪問しても貸し出し中に当たって失望することもままあるがこれもクローンがあれば想像で補えるかも知れない。

特許4559524もこのご時世なので検索してすぐに見ることが出来たが中国深圳の近くには大芬村という複製画の一大生産拠点があるので油断は出来ない。宮廻先生のことだから多分抜かりはないと思うが3Dプリンターを使うという方法もカバーする必要があるのではないか。

実物を超越する価値を齎す想像復元では左右対称像の活用などここでも逆転の発想と言うべきか大変面白い考え方が見られる。熊本城二の丸御殿が復旧された直後に秀頼を迎えるために造営したという昭君の間の想像復元を見たことがあるが京都の職人さんの手になる障壁画は誠に見事であった。宮廻先生の場合はもう少し科学的な復元であるが、東京藝術大学美術館で開催中のシルクロード特別企画展「素心伝心」-クローン文化財 失われた刻の再生-は是非拝見したいと思っている。特に釈迦三尊像の光背の火焔飾りを想像復元されているのを見てみたい。匂いまで復元(?)か創造されているようでこれは一寸行き過ぎではないかとも思うが頂いた招待券を使って実際に見て、匂いを嗅いでから感想を述べるべきと思う。

(東大・理 京極 浩史)


9月20日、宮廻氏の「クローン文化財」についての講演を聴き、以下に美術史的観点から感想を記してみたいと思います。

歴史的にも貴重な文化財を安全に保存し、次代に受け渡すことは、どの世代にも課せられた重要な責務であります。一方、その文化財を公開・展示することで、その時代に生まれ合わせた人々は人類の遺産を鑑賞し、美を享受することが出来ます。公開・展示すれば、光と空気にさらされ、損傷の危険が常にありますが、安全保存に徹して公開しなければ、一般の人々にとっては文化財が存在しないのと同じことになります。「保存」と「公開」は、いつの世も矛盾をはらんだ悩ましい問題です。このたびの宮廻氏の提案による「クローン文化財」構想は、それを解決する一つの手段であることは認めますが、何かそこに一種の“危うさ”を私は感じます。

どの美術品も、人間の手によって創られたものです。作品の奥には、作者の想いと技が込められています。背景には時代があり、思想、宗教、暮らしがあり、美意識があります。それらを背負った人間が、そのすべてを筆先、あるいは鑿先にこめて創り上げた唯一無二の原作だからこその美的かつ歴史的な意義と意味があります。

私も、長い間、美術の出版に携わり、美術書を編集し、観賞用の複製作品を世に送り出してきました。その折、最も重視したのは、色とか風合いとかを原作に出来るだけ近づけながらも、原作とは違うものであるという意識でした。たとえば、寸法です。決して同じ寸法にはせず、データを照合すれば、直ちに複製であることが判明するようにしました。また、複製であることを示すため、印章があれば、「複製」という字を加え、裏面には印刷で、発行元と複製という字を入れることにしました。これは原作者および原作への敬意であり、万一にも原作と紛れたり、悪用されることを未然に防ぐためです。

今回の講演を聴きながら、人間のクローンの持つ危うさと共通するものを感じました。人間の尊厳、原作の尊厳。これは最後まで徹底して尊重し、守らなければならないものです。「本物」と「そっくりさん」は厳然と分けなければなりません。そっくりさんの制作に没入するあまり、峻別の意識が希薄になることが懸念されます。展示や販売の時点で、「複製」の明記を義務付ける必要があると思います。損傷した文化財の復元も、ひとつ間違えると歴史を誤り、美を損ないます。また、寺の本尊は拝むもので、触るものではありません。ゴッホの絵も触って鑑賞するものではありません。たとえクローンでも、みだりに触ることで文化財への敬意が薄れると落書きが増えます。

近い未来のある日、アムステルダムのゴッホ美術館が、保存のためゴッホの代表作を全部複製にして展示しましたので、ぜひご来館ください、と発表したら、皆さんは高い飛行機代を払い、12時間もかけてゴッホ美術館に行きますか?

(東大・文 谷岡 清)