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夕食会・午餐会感想レポート

2019年9月夕食会「『知の体力』と『問う力』」

夕食会・午餐会感想レポート

9月10日夕食会

科学者であり歌人である永田和宏氏のお話を興味深く聞かせていただきました。いや歌人であり科学者とお呼びしたほうがいいのでしょうか。

永田先生は、企業人としての体験もあり、その後研究者、歌人として素晴らしい人生を送られている方だと思いました。人は生活するために、社会の中で自分の人生を形作っていくために仕事をします。また多くの人は、最初は与えられた仕事に取組み、やがて自分なりにテーマを作り、組織の中でより自由になりたいがためにもがいていきます。その道程で趣味というべきものを見つけ、取り組み、人生に彩と幸福感を求めていきます。先生は京大在学中に歌を始められたそうですが、歌が先生の人生をより深く、より広く、より色彩感のあるものにしたかというより人生そのものにしたということは想像に難くないことだと思います。

先生は、人はいかに問いを持ち続けられるかで学習、研究の深度が違ってくるとも語られました。また好奇心を持って他人の仕事に興味を持てるか否かで、確かにその人の人間としてのあるいは職業人としての幅は違ってくるでしょう。正解のない課題に淡々とあるいは敢然と取り組んで、解を求めて行動し、自分なりにあるいは大多数の合意のもとに解としていきます。

私は、歌や俳句の類は全くの門外漢なので語ることはできません。ただ私なりに思うことを述べさせていただければ、歌はこだわりのない心の自由さがないと難しいもののように感じます。自然や人を観察することによって心に感じることを言葉で一定のルールに従って素直に表現することでしょうか。言葉の使い方、選び方で、歌の巧拙が決まると思いますが、その作品が人の心に響くかどうかは別問題の様な気がします。人に感動を与えるまではなくとも、うならせるような作品というのはやはり相当な修練がないとできないものと考えます。先生も最初は師について真摯に学ばれたのでしょう。やはり知に対するリスペクトだけは何時まで経っても忘れてはならないと再認識致しました。

先生は、当たり前のこと、教えられたことは正しいかを、問い直すことの大切さも述べられました。これは社会で、職場で、学校で、地域社会で、家庭で様々な場合に当てはまることだと思います。様々な事象に疑問を持ち、問い直し、対処策を作り、考えを声に出し世に問うてみる勇気を持たなくてはならいし、特に大人にはそういう責任があると思います。またそういう疑問を大切にし、尊重する社会を築くことを常に心がけていなければならないと思います。

(北大・教育 牛島康明)


講師は、京大で教授し、現在も「京産大タンパク質動態研究所長」を勤める一方、歌人でも名をなされた「文理両刀遣い」の研究者。「知の体力」というご著書が、全国の多くの大学入試で採用をされたことから、教育論でも一家言を持っておられる。

現在の「初等中等教育」と「大学教育」違いの本質から話しを始められた。前者は「正解があり、それにたどり着くため知識を習得しそれを応用する能力を育成する」ことを目標とする。後者は、「ひょっとして答えがないかも知れない問題に取り組むこと」だと看破された。おっしゃるとおり「社会は答えがない問題の塊のようなもの」という言葉は私が社会人になって以来の実感だ。

「大学は高校の延長でよいか」という先生の問いに係わる経験に入学早々悩んだ。高校時代はそれなりに「秀才」だった私は「大学の授業の一部」(数学)が意味不明になった時期があり、準登校拒否に陥った。従って、先生の考えを全面的に受け入れることには若干の抵抗がないわけではない。私は自分で最初から考えなおし、要求されるレベルまで追いつくことで状況を脱した。人によっては、そのまま奈落に落ち込む人もいるだろう。重要なのは、学生の可能性の状況を教師が知り、教師又はティーチングアシスタント的な方が、適切なアドバイスをすることが理想。それでどう行動するかは本人の判断。アクティブラーニングはそこから始まる。

「学びて思わざればすなわちくらし、思いて学ばざれはすなわち危うし」は大学と共に、人生100年時代の学びの基本だ。講義を聴いても何も質問しないとうことは、考えていないということ。考えていて、その思考を深めようとしないということは考えつくせてないということ。

講義の基本は「質問を考えながら聴くこと」と先生がおっしゃったので、私は話しの本質を聞き漏らさないようにしつつ、一方、質問事項を考えた。よい質問をすることは講義にも貢献するが、容易ではない。

しようとした愚問は「先生は短歌の道に進まれた。一方俳句という形式の短い詩がわが国はあるが、それを選択することはありえなかったか?」というものだった。愚問と言ったのは、俳句をそれなりしている家内にその話をしたところ、「俳句と短歌の相違は人の気持ちの表現の違い」と一蹴。夫人と先生の短歌のやり取りをうかがって、ある程度理解した。

「質問を考えながら講義を聴くことが重要として、質問は愚問でも良いか。」ということが私の疑問。

(東大・工 上林 匡)