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夕食会・午餐会感想レポート

平成29年7月夕食会「続々見つかる『第二の地球』候補―地球外生命発見への期待―」

夕食会・午餐会感想レポート

7月10日夕食会

テレビでもよく見かける国立天文台の渡部潤一国立天文台副台長の講演があり、迷わず申し込んだ。私もそうであったように、かつての天文少年少女が、聴衆にはたくさんみえていただろう。魅力的な話は、聞き手の思考を触発する。潤一少年はどのようにして会津で夢を育まれたのだろうか?「江戸時代はわが国の天文学のレベルは高い。その中で唯一残っている会津藩校日新館の天文台跡は、現在は登れるが世界遺産になれば近づけませんよ」という言葉には、「このレベルまで来たよ」という潤一少年の矜持が感じられた。

テーマの「続々見つかる『第二の地球』候補―地球外生命発見への期待」にはテレビ番組程度の予備知識はあったが、太陽系内でも現在のロケットで何十年もかかる中で、研究者は、果たして系外の「地球」までどのような手段で、いつ頃、何年くらいかかって、我々人間の同胞を生きて連れて行ってくれるだろうかと夢を膨らませた。「天文学者は知的系外生物の存在が明らかとなれば、必ずや接触を試みようとするだろう」と我が意を得たりとしつつ、「交流に必要な手段(言語等)の彼我の差違をどのように克服するかは大きな課題となる(スターウォ-ズ等を防ぐために質の高い外交は必須)」と次のフェーズを予期しておられるような回答をされた。地球史は人類史だけでも多様な宗教対立や個人の思考の歪みによる紛争、それ以外を含めても生存競争の中で戦ってきたことを示しているが、悠久の宇宙との交流はロマンに溢れるものとなるだろうか?

宇宙空間には超新星爆発の結果、生命体構成に必須の材料である水を含む各種元素が満ちあふれているので、理論的に系外の「地球」に知的生物が存在する確率は相当高いというのが天文学者の見立てである。一方、生物学者は逆にそれほど高くないという論理構成をしているようである。双方の考え方をなるほどと思いつつ、天文学者に軍配をあげたくなる。生物の存在を確認出来る可能性があると言う口径30mの望遠鏡をハワイに作るプロジェクトTMTにわが国も参加しているとのことである。今世紀中に、ハレー彗星が再度地球に近づく天文ショーが見られるとのことである。そこまで心身共に健康寿命を維持したいと感じた方は私だけではなかったであろう。星を見ることは現実的に生きることに繋がるようである。私の少年時代の星空を思い浮かべても、都会生活は大切なものを失っていると感じる。

先生のレベルの日本人天文学者は他にどれくらいいらっしゃいますかと、失礼を顧みず閉会後に尋ねた。天文学の知識だけではなく、ユーモアに溢れる話を、一般の人々に対しても出来る、心優しい科学者はそれほど多くはないであろうと、はにかみを含んだ自信あるお答えぶりから感じられた。

(東大・工 上林 匡)


渡部潤一先生は、夜空を見上げて星を眺める「星空浴」を提唱されている。ただぼんやり眺めるだけでも癒されるが、北斗七星や、オリオン座などわかりやすい星座でも見つけた時はうれしいものだ。また登山をして夜空に浮かぶ無数の星を見上げる時も何とも言えない感動に包まれる。古代より人間は、星空を眺め観測し神話やロマンを語ってきた。また太陽や星の動きにより時刻を定め、未来を予測する術や、自分の進む地理的方向を求めてきた。やがてそれは、自然科学の一分野である近代天文学へと発展していった。

SF小説や映画の世界では、空想は無限に広がり現実より数百年先に進んでいるが、科学の世界ではどこまで解明されているのか。私自身は恒星、惑星、衛星について知る程度のレベルだが、渡部先生のユーモアあふれるお話や「のぞき込む画面に光る筋雲に思い到らぬ未知の振る舞い」などご自身の和歌をご披露されるなど幅広い見識に引き込まれた。

「第二の地球はあるか」「地球以外に生命は存在するか」などの問いに対し、チリのアタカマ砂漠に建設した巨大電波望遠鏡や、ハワイのマウナケア山頂に建設中の超大型光学式赤外線望遠鏡などにより現実の解答を得ようとしているらしい。

渡部先生の故郷会津では、江戸時代より水戸、薩摩と並んで藩校で暦学を教えていたそうで、科学する心を青少年たちに植え付けてきた伝統が脈々と流れていることを知った。また先生は、小学生のころにジャコビニ流星群の観察会に行ったが、流星はただの一つも見られず、天文学は天体の様々なことが予測できると思っていたのに、偉い先生たちでもわからないことがあると気づいた時に、自分でもできるフロンティアがここにはあると思えて、天文学への道を志したそうだ。幼くしてそういう発想ができることが非凡だと思う。世界が違うが、最近脚光を浴びている将棋の藤井聡太プロにも通ずるものを感じた。

近代日本天文学の父と言われ、東京帝国大学理科大学付属東京天文台(現国立天文台)初代台長の寺尾寿博士は、フランスに留学し、日本近代洋画の父と呼ばれた黒田清輝と親交があったとのことだが、科学のみならず芸術の域にも深い関心を示す心の余裕、豊かさを渡部先生にも見ることができた。

最後の、UFOを見たという人は日頃あまり空を見上げない人で、自分はUFOを見たことがないという話もいかにも天体の専門家という感じで興味深かった。

講演終了後、学士会館を出て夜空を見上げたら3個の輝く星を見つけることができた。

今後も意識して夜空を見上げてみよう。

(北大・教育 牛島 康明)


「宇宙生命の発見は、もはや時間の問題となっている。」という渡部潤一講師の断言が印象的であった。

最古の学問の一つである天文学は、各時代における人類に最新の世界像を与え続けてきた。

観測や理論的考察を通じて、地球が宇宙の中心でないこと、それどころか太陽という恒星もそれが属する天の川銀河も、宇宙の中ではありふれた天体にすぎないことが判明してきた。こうした宇宙認識の拡大は、人類の自己認識という点では、宇宙における自らの位置付けの脱中心化、すなわち自己相対化の漸進的な深化過程であったとも言えよう。

1995年以降の多種多様な系外惑星(太陽系の外の惑星)の大量発見、さらに本講演の主題である「第二の地球」候補(その環境や大きさが地球と似た惑星)もその中に数多く含まれていることの認識も、人類の自己相対化の過程の一つであろう。ただ、こうした地球類似惑星の大量観測は、単に未知の天体の発見にとどまらず、「そこに生命が存在するか?」という問いを必然的に伴う。この問いに対して、渡部講師は、本稿冒頭の一文のように断定し、地球外生命の存在がありふれたものであるとの認識を示した。

もし、この断言どおり、今後、地球外生命が続々と発見されるとしたら、それらは地球型の生命と似たものなのか?それともを全く異なるタイプの生命なのか?いずれにせよ、地球生命を含む、より普遍的な生命概念が形成されていくこととなり、人類の自己相対化がもっと拡大することになるだろう。
では更に進んで、発見されるはずの地球外生命の中で、「知性を持つ例が多いのか、という問いの答えは全くの未知数である。」という見解を講師は示すと同時に、「天文学者は楽観論に立って、野心的に地球外知的文明探査を進めている。」とも述べた。

宇宙を支配する自然法則が普遍的だとしても、宇宙各所に散在するかもしれない異種の知性も、地球上の人類と同じように、その法則を理解するのか?あるいは人類が持っている数学や物理学とは全く異なるタイプの知というものが存在するのか?こうした問いに関連して、上述の生命概念の場合と同様、地球型の(人類の)知性を含む、より普遍的な知性概念が形成されていくとしたら、人類の自己相対化は、もっともっと拡大することになるだろう。また、知性概念の探究ということでは、本年(2017年)3月の学士会夕食会での講演(講師:松原仁氏)でのテーマであったAI研究と重なるところが多いはずであり、この点でも、今後の研究の進展が楽しみである。

なお、本講演と同じ月に発行された『現代思想』(青土社)2017年7月号が「宇宙のフロンティア : 系外惑星・地球外生命・宇宙倫理…」という特集を組んでいる。天文学関係だけでなく、生物学、哲学、人類学といった領域の研究者の論考や対談が載っていて、このテーマが幅広い学問分野の関心対象であることが感じられる。

(名大・文、三輪 忠義)