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夕食会・午餐会感想レポート

平成27年6月夕食会「進化生物学からみた少子化~ヒトだけがなぜ特殊なのか」

夕食会・午餐会感想レポート

6月10日夕食会

本日の長谷川眞理子講師のお話は、少子化問題という奥の深い課題を考えるうえで刺激的で、大変有意義でした。ヒトという霊長類をとった場合、その食料採集に最適な人口密度は1.5人/㎢とされていますが、現在ではその規模は44人/㎢まで膨れ上がっているということでした。これはヒトが穀物という自給可能な食糧を手に入れたことにもよるのでしょうが、他方でおおぜいのヒトの活動によって地球の環境汚染も生じていることから、グローバルな視点から見る限り少子化の傾向というのは、必ずしも悪いこととは言えないようにも思えます。

ただ、少子化の問題は国家や民族、文化の問題が絡んでくると、複雑で厄介になります。私は少子化の問題を放置すると、社会保障制度はおろか日本語や日本文化の継承にも影響すると思い、その行方を憂慮していました。本日のお話を聴いて、この問題は子供の産めない男性があれこれ抽象的に考えるよりも、100パーセント女性の側に立って考えることから始めるべきだと感じました。若い女性が今後とも「自己投資」や配偶者選びに多くの時間とコストをかける傾向は今後も続くことでしょう。こういう流れを前提にしながら、いかに若い女性の「子供を持つ満足度」を引き上げていくことができるのか、適切な情報を提供しつつ(本日お話のあった女性の妊娠力は22歳がピークで、35歳から急激に減少することなど)、知恵をしぼっていくより仕方ないのでしょう。

(東大・法、諏訪 茂)


日本の少子化にも関心があったし、「生物学」と言う言葉にも惹かれて講演を聴きに行くことにした。始めに生物学的な見地からの動物の繁殖に関する摂理が語られた。生活史戦略で大事なのはトレードオフ。すべてを満たす最大化というのはできない。多産にしたら多死になるし、少産にしたら少死になる。ネズミのように子供のサイズが小さい動物は多産、多死型であり、象のように子供のサイズが大きい動物は少産、少死型である。チンパンジーは出産すると6年くらいは発情期がなく、育児に専念する。ヒト以外の他の霊長類は閉経すると、やがて寿命が尽きるが、ヒトは産み終っても長く生きる。早めに閉経して自分は出産しないで下の世代の育児の面倒を見た方が生物的な繁殖率が高くなるからか(おばあさん仮説)。

発情期がないヒトはその気になれば毎年でも子供をつくることが出来るが、ヒトは生物的本能だけでなく社会的な納得性で行動するので、近代は、国内でも海外でも、先進国でも開発途上国でも持ちたい子供の数は2人がピークだと言う。それは、子供を持つ満足感は子供の数とともに鈍化してサチュレートするが、子供を持つことのコスト感は子供の数とともに指数カーブ的に跳ね上がる。二つの曲線の間隔(実質満足感)が一番多い子供の数が「2人」だと言うのである。

日本では終戦直後(昭和22年)まで合計特殊出生数(一人の女性が一生に産む子供の平均数)は5人だったがその後急激に減少し、1955年(昭和30年)からずっと2人台を維持していた。1990年(平成2年)代から2人を切り、「少子化」問題として騒がれるようになった。

ヨーロッパでは日本よりずっと前から減少し始めていた。発展途上国でも1970年(昭和45年)代以降は押し並べて出生率は減少している。終戦直後の現象は、日本でも夫婦が持ちたい子供の数はヨーロッパのように少なかったと思われ、優生保護法により、持ちたい子供の数を実現するために一気に減り始めたと推定される。1970年(昭和45年)代も現在もアンケート調査で20代の女性で持ちたい子供の数、30代の女性で持ちたい子供の数の調査結果は殆ど一緒で、時代が変わっても変化がない。

結局、晩婚化、非婚が少子化の最大要因だという。晩婚化、非婚への対策はフランスの成功例の良いところを真似て、子供を産んだ方が得になるように国が育児コストを軽減する施策をとり、シングルマザーも福祉面で正規の婚姻の場合に比べて劣らないようにする等が考えられる。ヒトは生物的本能だけでなく社会的な納得性で行動するので、子供を沢山産むことが多くの人の社会的共通認識になるように持って行く良い知恵がないものだろうか。

(東大・工、加藤 忠郎)