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夕食会・午餐会感想レポート

平成28年4月午餐会  「『真田丸』の謎~真田信繁は名将か愚将か」

夕食会・午餐会感想レポート

4月20日午餐会

NHK大河ドラマについて歴史的に何か補足説明を戴けるかと言った程度の軽い気持ちで参加したが、目から鱗が落ちるような話も色々聞かせて戴いた。

まず冒頭、4月14日(木)から始まり現在継続中の九州の地震との関連で、熊本城の幾つかの箇所について震災前と震災後の映像比較をして下さり、天守に相当するような高い石垣に乗っている飯田丸五階櫓のように、ベタ基礎の上に木造で建てるなど、国宝として極力残ったものに手を加えない形で復元したことが、結果的に震災の程度を酷くしたとのご説明もあった。他の地方の史跡保存について、熊本の経験を活かすべきとの思いを深めた。

さて、本題の“「真田丸」の謎~信繁は名将か愚将か”について、大坂城と真田丸の位置関係などにつき軍事的側面からの分析並びに上田城との比較などを詳細にご説明戴き、真田信繁が上田城から学んだことが非常にうまく応用されていることが良く理解できた。

また、いわゆる「馬出し」(城の戦闘用出入り口)を設置するという築城の考え方がイギリスなどに於いても共通したものが存在するといった説明が頭に残った。

今回のお話は築城の考え方という切り口からであったが、真田信繁が名将として語り継がれてしかるべき人物であることは間違いないと確信した。

最後に、我々の頭に幼いころから刻み込まれていた“真田幸村”というのは本名でなく、江戸時代に講談などで語る時に、徳川に歯向かった人間のことを“真田信繁”という本名で語り継ぐことが憚られて、“真田幸村”と言っていたものが伝説的に残ったものだとの話にも多少の驚きをもって聴かせて戴いた。

(京大・経、鶴谷 緑平)