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夕食会・午餐会感想レポート

2019年4月夕食会「劇団四季の現状と課題~演劇業界で生き抜くための組織づくり~」

夕食会・午餐会感想レポート

4月10日夕食会

浅利慶太氏に見込まれただけの方であって、吉田社長はよどみなく演題を表現し切られた。

私は妹の薦めもあり、学生時代に「四季の会」の会員になり、「キャッツ」、「ファントム・ジ・オペラ」等「四季」の演劇を見て、結果的にミュージカルにはまった。ニューヨーク赴任の休暇時には、ブロードウェイミュージカルに加えて、メトロポリタンオペラも思いきり楽しんだ。

講演の中で印象に残ったのは、「芸術が東京一極集中であってはいけない」という言葉だった。少子社会の危機が迫っている中で、「四季」の戦略は演劇の展開等も含めてこの思想に拠っているようだ。

私は京都府の日本海側の舞鶴という町で生まれ育ち、東京で学生生活と社会人時代を過ごして、現在に至っている。他地域から来られた郷里の知人夫人の言葉に愕然としたことがある。「舞鶴の人は、とても優しくいい町だと思うが、難を言えば、文化がない」と言うことだ。社交辞令で町を誉めているが、地域の致命的欠陥を言いあてたものだ。郷里は「古今伝授」で知られた細川幽斎を始祖の城主に仰ぐとともに、地政学的位置づけから軍港、造船業等で栄え、結果としてシベリア抑留からの引き揚げの町として知られたが、幼少期以降はただの田舎町に過ぎず、高校時代には一刻も早くここから抜け出したいという町だった。その理由が「文化がない」との言葉に象徴される。大人達はそれなりに活動し楽しんでいたのだろうが、確かに町には「さしたる美術館」もなく、高校時代には城山三郎氏から聴講態度を一喝されるというように文化と向学心とは凡そ縁遠い町だった。京都府ではあるが、京都市内に行くにはやや遠く、他地域の人から「京都っていいですね」と明らかに勘違いしておられると思われことがとしばしばだった。「文化がない」という言葉は「貴方には教養がない」と言われていることと同義かもしれない。

社長からは、「四季」の社会活動として、全国の小学生を対象とした①発声法の教育、②心の劇場「子どもにわかりやすいミュージカル上演」を四季の資源を用いて無料で行われていること、そしてそれらのために、自前の研修センターも作っておられるとのことだった。

「「四季」のミュージカルが行われたことがない町に、どうしたら来ていただけるか?」という質問をさせていただいた。答えは、北海道の離島の礼文島にも行ったことがある。その基本条件は「小さくてもいいが四季のミュージカルを演じることが出来る施設がある。」とのことだった。個別に御挨拶したおり、「本番のミュージカルだけではなく、リハーサルも見学させていただくと嬉しいのだが」と言ったところ、「そういう講演もしたことがある」との誠実なお答えだった。

(東大・工 上林 匡)