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夕食会・午餐会感想レポート

平成29年3月午餐会  「ゆがめられた関西像」

夕食会・午餐会感想レポート

3月21日午餐会

初めから自分のことで申し訳ないが、私は小学校が大阪で中学校から東京なので二つの文化圏で育ったことになる。生まれは旧租借地の大連で引揚後に住んだ大阪では標準語を話すといってイジメに遭い東京へ越してからは大阪弁だとからかわれた。よくいえばバイリンガルだが当時はそういう言葉もなく、東京言葉に合わせよう努力した。講師がボストンで英語のスピーチなのに関西出身と見破られて別に英語に関西なまりはない筈と仰ったが、駒場の平井啓之先生のフランス語の授業は京都弁と評判だった。数年前に日仏会館で小林善彦先生とお話しする機会があった時にそう申し上げたら「それはお気の毒でした」といわれたので間違っていないと思う。天国の平井先生ご免なさい。

谷崎潤一郎が大阪の女性についていったことは大阪でも船場の上品な階層が移り住んだ芦屋あたりの話で私の経験でも最初に住んだ河内に近いところと次に引越した船場周辺では全く違ってそこではイジメられることもなかった。同じ大阪でも随分と違うところがある。今でもこの時に通った小学校の同期会には毎回出席するほど愛着がある。

「ゆがめられた」と講師が思われる関西像をテレビと野球を主なテーマとして大変面白いお話をして頂いたが、その歴史的、経済的背景にまで及んで講師の博識多才ぶりが伺えて多いに楽しませて頂いた。しかし、両方の文化圏を経験したものから見るとお言葉を返すようで失礼だが「関西像」は必ずしもゆがめられてはいないように思う。関西についてはそれはそれでいいところがあると思う。講師もいいとか悪いとか言ってはおられる訳ではないが、こういう見方もあるという点で二つの文化圏があるということはいいことだと思う。関西人自身がこのような関西像を楽しんでいるのではないかと思う。それは別に自虐的という訳ではなく本当に楽しんでいると思われる節がある。

大阪の地盤沈下とか東京一極集中とか言われるが二つの極が元気なことが重要だと思う。前回のオリンピックの時に「東京はオリンピックで頑張ってもろて関西は阪神・南海の日本シリーズでええやないか」という人が大阪には沢山いたがこれからもそういうノリで関西に頑張って欲しい。

(東大・理 京極浩史)


著書「京都ぎらい」で「京都に生まれながら京都嫌い」と言っている井上章一氏がどんな話をされるのかと興味深かった。京都に限定しない、関西人一般に関する話だったが、東京の人間である小生にとっては期待に違わず面白かった。

冒頭、先輩からハーバード大学の日本語教師を募集する掲示板で、「東京近郊の正しい日本語を話す人」という但し書きの話を聞いてハーバード大学が嫌いになったと、先ず聴衆を笑わせた。井上氏は勤務先の国際日本文化研究センターの代表としてそのハーバード大学で英語の挨拶をする羽目になる。挨拶の後で、日本のご婦人に「関西の方ですか」と訊かれて、「英語まで関西訛りになっていたのか」と一瞬ギクッとする。しかしどうやら、関西人特有の笑いを取ろうとするサービス精神を見抜かれたようだったと解説。

関西で行われる学会などでも、面白いことが言えないのでと冒頭に断りを入れる人がいる。関西では笑いを取ることが期待されている雰囲気がある。何故関西人はそうなったのか。大阪のテレビ局が原因ではないかと、井上氏は考える。第二キー局の面子があって、東京製作の番組をそのまま流すのを潔しとせず、自社制作をする。しかし予算が限られているので高いギャラは払えず、街の素人を活用することを考えた。勿論事前に笑いが取れるような素人を選んでおくのである。これを40年も続けて関西人の情操教育をした結果、「大阪のおばちゃん」が普遍的になったのだろうと言うものである。大いにあり得ることだと思った。

テレビの影響の例として「101回目のプロポーズ」という平成3年からフジテレビ系で放映されたテレビ番組がある。これは武田鉄矢演ずる建設管理会社の万年係長が浅野温子演ずる結婚式の当日に事故死した元婚約者のことが忘れられない女性を追いかける話。万年係長はピアノを練習して彼女の元婚約者が弾いていた「ショパンのエチュード」を彼女の前で弾いてみせる。この番組の影響で街のピアノ教室におっさん達が押し寄せたと言う。木村拓哉と山口智子が演じた「ロングバケーション」は丁度逆バージョンのテレビドラマだったが、女性がピアノ教室に押し寄せたと言うことはない。既に子供の頃に自分の能力を悟っていたのだろうか。

大阪のスポーツ新聞の一面には、報知新聞以外は必ず阪神タイガースの記事が載っている。所が1962年に15年振りに優勝を決めた10月3日の対広島戦の甲子園球場はガラガラだった。普通は4万人は入るのに2万人しかいなかった。所が10日前の対巨人戦の甲子園球場は満員だった。確かに阪神ファンは少なくないが、巨人ファンも多いことが分かった。

「大阪のおばちゃん」は関西人のもともとの伝統だと思っていたが、テレビの影響と言う可能性の話を聴いて、まさに目から鱗の思いだった。面白くも興味深い講演だった。

(東大・工 加藤忠郎)


「京都ぎらい」で読者を虜にした井上先生は話も面白い。

関西人だからか「つかみ」から上手い。いや講演会の内容が正にそれでした。関西人がなぜ笑いをとる習性が身についているのか、阪神タイガースがなぜ大阪で人気なのか、日頃だれも気にかけない当たり前に思っていることに焦点を当て、過去を辿って見直してみる。それらを自らの体験も(笑いのネタにして)交え、独特の間合いで語られる。「トラキチ」はそんなに昔からいないし、関西のおばちゃんのイメージと実態は、ほんのここ数十年程のテレビというマスメディアによって作り上げられた。

風が吹けば桶屋が儲かるではないが、関西のTV局は製作費が少ないが準キー局としてのプライドがある→自主製作番組が多くなる→金のかかるタレントは使えない→面白い「素人」を使う。この循環により、普通の人でさえ教育されてタレント化する。笑いをとろうとする。こんな自分に誰がしたと井上先生は語る。

先生の議論は史実を冷静に分析して進められる。しかし、一般的には俎上に載せるのは憚れる事までも取り上げられる。そのエネルギーはどこからくるのですかという主旨の質問に対して、先生は「それしか出来ないからとかトランプかも知れない」と言ってかわされます。

今回も、井上先生は関西人だからと言う訳ではないのですが、期待に応えて軽妙な語り口で私たちの常識を覆す考察を示していただきました。

(東北大・工 森田元志)