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夕食会・午餐会感想レポート

平成29年3月夕食会「人工知能最前線~人間はAIとどう付き合っていくべきか」

夕食会・午餐会感想レポート

3月10日夕食会

松原先生のご講演は大変明快で、新たな知見を広めることができた。講演の冒頭で、人間のような知性を持った人工物を作ることが目標と伺った。そこで人間の知性とは何かと考えてみた。それは、言語を操る能力ではないか。人間を人間たらしめているものは、他の何物でもなく言語能力である。私たちの日々の活動は言語に支えられている。朝起きてテレビのニュースを聞く。出勤して取引先とメールをする。会議で妙案をひねり出す。全て言語に支えられた活動である。人間の思考や知的活動は、言語に左右されているのである。

人間と最も近い種といわれている類人猿でも、人間のように言語を操ることはできない。研究者によって数値に多少の差はあるが、チンパンジーと人間のDNAは99%一致するそうだ。そのチンパンジーでさえ、人間のような言語能力は持たない。彼らが使える文はせいぜい2~3語からなる単純な構造の文だけであり、人間の産出する複雑な構文には到底及ばない。また、チンパンジーは「バナナ」「水」といった物質名詞は理解できても、「愛」「健康」といった抽象名詞の理解は困難である。このことは、チンパンジーと人間の言語能力の差を、単に口腔から喉頭部にかけての解剖学的な構造の差に帰すことができないことを示している。

さて、AIは人間のような言語能力を習得することができるのだろうか。講演での将棋ソフトのお話では、AIはプロ棋士の打つ手に点数をつけ、最も点数の高い手を選ぶことで強くなっていくとのことであった。言語の場合、かつて人間の話した文というビッグデータのなかの山のような用例から、最も状況に近い用例を選択し、産出することになるだろう。例えば「鍋でカレーを温める」「鍋でカレーを煮る」は両方言えるが、「風呂で体を温める」とは言えても「風呂で体を煮る」とは言わない。「煮る」という動詞と共起しやすい名詞のデータを参照して選べば、このような間違いは防げる。このレベルの言語運用能力であれば、現在Siriなどに搭載されているAIも持っている。

しかし、言語が今のところ人間に特有の能力であるということは、人間の「心」の問題を避けては通れないということである。例えばパーティでドレスを「素敵なドレスですね」と言われると人は喜ぶが、町内の清掃活動中に作業着を「素敵なドレスですね」と言われると複雑な気持ちになるだろう。実際、人間の言語活動はこのような皮肉やお世辞、または嘘など、その場の状況や、人の心によって解釈が変わってくる表現も多いものである。このことは、単純にビッグデータから用例を取り出すだけでは、人間と同様に言語を運用することは難しいということを示している。AIが人間の知性を持つようになるには、人間の言語能力、果ては心の問題にまで踏み込む必要があるように、今回の講演を通して感じた。

(東大・学術修 福永絵梨)


本日、松原先生の「人工知能最前線」の講話を拝聴させていただき、日頃関心を持っていた人工知能(AI)について大いに啓発され、理解が深まりました。人工知能の歴史から始まって将棋や囲碁、小説創作に至る最近の話題まで、非常に要領の良いご説明で、最後まで興味深く聴かせていただきました。

最近のAIの著しい進展には、AI自身がビックデータをもとに深層学習していく(deep learning)が関わっていて、自動運転など今後多くの分野で進展が期待されるとのことでした。そして、2045年にはAIの(総合的)能力が人間を追い越すという予測まであるということです。確かにAIは、将棋や囲碁のプロ棋士を破って、この分野での開発の終了宣言までしました。しかし、これはプロ棋士のプライドを傷つけたかもしれませんが、必ずしも人間の知力がAIに負けたわけではないと思います。対局に要する棋士の知力、体力の消耗を考えると、疲れを知らないAIとの戦いは、むしろ車と100メートルランナーとの競争に近いかもしれません。

本日の講話では演算や言語など、人間の能力でもいわゆる左脳にかかる話題が多く取り上げられましたが、情緒性をつかさどるといわれる右脳の分野にかかる能力はあまり取り上げられませんでした。この能力もビックデータを含む深層学習で、AIは人間の能力を追い越し、我々を感動させる絵画や音楽を提供してくれるのでしょうか。2045年にAIが追い越すと予測された人間の(総合的)能力とはどこまでの能力を含んでいるのでしょうか。

本日のお話にもありましたAIが小説を書くにあたっても、肝心のストーリーは人間が与えているということでした。2045年にAIが、自発的にストーリーを考えて小説を書くという意欲を持つとしたら、この30年足らずの間に飛躍的な進歩がなければなりません。創造性とは何なのか、どうして生まれるのか。本日の講話で例として挙げられた将棋の新手にしても「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というたぐい(ビックデータ)の中から生まれたもののようにも見え、本来の意味での創造性を発揮したと言えるかどうか。創造性とか意欲などにかかる人間の能力は、前頭葉とか右脳と左脳の連携とか、脳科学の分野の研究にかかわっている部分が多いと思います。

講話の冒頭で、「AIには明確な定義がない、知能を定義することがAIの最終目標と言える」と言われました。「2045年問題」も、人間の(総合的)能力と大上段に構えないで、演算能力は人間を越えましたとか、言語学習能力が追い越そうとしていますなど、人間の能力を個別に考えてそれぞれの追い越し度合いを測定していく方が実際的ではないでしょうか。

(東大・法 諏訪 茂)


2045年問題というのは、1956年に人工知能と名付けられた物質がこの世に出現して以来、1世紀経たずしてAIが人間の能力を超えるのではないかと言われていることを指すらしい。SF小説では、早くから知性をもったロボットが人間に反乱を起こすとか、人間とロボットの恋愛とか空想の世界が広がっている。
人間の科学的探究心、欲望は限りがない。それが人間の人間たる所以であるが、つい邪悪な心をもった人間が、邪悪な記憶を植え付けたロボットを作り上げたらどういうことになるか空恐ろしくなってしまう。

AIの発展により税理士、会計士などは職業としてなくなる様なことも言われている。また不正会計をAIにより発見できる様にするとも伝えられるが、その裏をかくAIが作られればその競争は限りがない。

さらに産業の在り方を根本から変える可能性とかも言われている。今までそれしかないと思われていたものが突然見向きもされなくなる。かって我々も日常的に計算の道具として使用した算盤が、電卓になりパソコンに代わったように。今後素材に製品にその流れは各方面でより速くより大きくなるだろう。

少子高齢化、労働力減少、社会保障費の増大、国家財政における債務の限りない増大など将来への憂いが尽きない中、次世代、次々世代の人々にはどのような世界が待っているのか?しかし今までもそうであったようにきっと人間の英知は、自分たちが作り出した道具であるAIをうまく使いこなしてのりきってくれるに違いない。またそのような使用ルールを作っていかなければならない。

講演頂いた松原仁氏が作り上げたいと話された「鉄腕アトム」が、是非実現し、自分の在り方に悩みながらも、大空を飛びながら正義の心をもって前へ前へと突き進んでいってくれることを願っている。

(北大・教育 牛島 康明)