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夕食会・午餐会感想レポート

平成28年3月夕食会「 メディアと政治の間 」

夕食会・午餐会感想レポート

3月10日夕食会

濱田氏のお話は、良く組み立てられていて、大変教えられるものが多くありました。ただ、「政治的に公平である」件に関しては、現在ホットな状況であるだけに、もう少し深く広い考え方があってもよいのでは、と思います。その理由を記します。

1.クローズアップ現代(NHK)の国谷キャスターの降板について、菅官房長官の発言を批判的に論じたことが原因と見られていること。

2.大分以前にも、安倍晋三首相は故中川元通産相とはかって、放送局に規制を求めたことがある。

3.今内閣は、テレビ朝日やTBSの政権批判的放送局を忌避しているとの見方が広まっている。

4.3・11の被災直後の原子力発電所の状況の報道については、NHKはずっと東大塚村教授、東工大、阪大等の原子力工学の教授等、“権威と目される学者”を相次いで登場させ、「特に問題のある状況ではない」と発言させてきた。3日目か4日目に水蒸気爆発が起き、物理を学んだ者なら、誰もメルトダウンが始まったと分る状況でも、被災直後はずっと同じ主旨の発信をし続けた。

5.従軍慰安婦の問題は、軍が関与した資料はなかったとする政府報道は、敗戦時に軍当局(指導部)が、資料を徹底的に廃棄焼却せよという命令を出し、処分した事実を隠している。(多くの本に書かれている)

私は、行政側の都合に合わせた見解が正しくない場合、それを批判する報道を偏っていると排除することは健全な日本の発展を阻害することであり、その要素はなくすべきと考えます。(トランプ候補 ル・ペン党首)

(東大・工、大島 直樹)


本日は「メディアと政治の間」というテーマで、久しぶりに脳を活性化させるお話を伺うことが出来ました。講話の中で強調されていた「異論との格闘」が社会に強靭さや柔軟性、創造性を確保させるとのご指摘は、全く同感であります。

若い世代の利用メディアがテレビからネットに重点を移していて、ネットの特性から彼らの意見が極端に偏りがちになっているとのご指摘がありました。異論を許さないという風潮がネット社会で増幅されるとしたら、社会にとって大きなマイナスであります。学校教育の場でディベートの励行などにより「異論と格闘」することの意義を早いうちから学ばせておくことが必要であると思います。

放送法第4条第2号(政治的公平)についての議論も興味深く聴かせていただきました。放送事業者は番組編成にあたってこの条文により政治的に公平であることを求められておりますが、世の中の空気が微妙に動いていく中で、公平である規準も動いていきますから、厳密な意味で言えば「公平」を確保することは不可能に近いと考えられます。その上、政治的に公平であることの一次的な判定は条文上放送事業者が行うこととなっていますが、この条文が規範性を持つとしたら実質的な判定者は放送事業者に対して処分権を持つ主務大臣(政府)にあると言っても過言ではありません。換言すればこの規定の存在自体が、放送事業者の番組編成に抑制的に働いていると考えられます。「異論と格闘」することの意義を強調する意味では、放送メディアがこの規定にプレッシャーを感じて、下手に自己規制するよりももっと自由に番組編成させた方が良いように思います。その意味で、この条文は(少なくともこの条項は)ない方が良いと考えられます。自由に番組を編成させた結果、極端に偏向したものができるかもしれませんが、むしろこういった「異論と格闘」し、淘汰していく過程で社会の強靭さとか柔軟性が築かれていくのではないでしょうか。

(東大・法、諏訪 茂)