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夕食会・午餐会感想レポート

平成30年2月午餐会「二・二六事件における一般兵士―大衆軍隊の出現の意味」

夕食会・午餐会感想レポート

2月20日午餐会

ご紹介の中にもあったと思うが三谷先生のお書きになったものには普通の人には気がつかないハッとさせらるところがある。このご講演でも天皇機関説の否定は事実上の改憲、合法的無血クーデターと言われたのには大変驚いた。言われてみればその通りであるがそう断言されるまでは気がつかないものである。天皇機関説を否定したがために二・二六事件収拾のための奉勅命令を巡って疑義が呈されたということも新鮮な感じがした。天皇機関説を攻撃するために教育勅語に国務大臣の副署がないことが根拠として使われたと三谷先生の近著である「日本の近代とは何であったかー問題史的考察」(岩波新書、2017年)に書かれているがこれも普通にはなかなか気がつきにくいことと素人の私には思われる。全ての勅語には国務大臣の副署があるから天皇は機関と見て差し支えないという天皇機関説に対し教育勅語は天皇が単独で天皇の親書として出しているのであるから機関ではないということで攻撃のタネにされたらしい。

本講演の主題である二・二六事件についても佐官が中心であった張作霖爆殺、満州事変から尉官中心の大衆化した軍隊に変化しており、陸大の教育を受けた軍のエリートではないために逆に奉勅命令に対しても素朴な疑問を呈したのではないかと考えられる。反乱軍に対する呼び名についても「戦時警備隊の一部」から「麹町地区警備隊」、「三宅坂付近占拠部隊」、さらに「叛乱部隊」と変遷したことはこの講演で初めて認識させられた。ご指摘を受けるまでは気がつかなかったもので改めて三谷先生の緻密な分析に感心させられた。

軍旗についても満洲国皇帝の来日の際に侍従武官長と天皇の間で論争があったというようなことも初めて教えられた。先の大戦では軍旗信奉のためいかに多くの兵士が犠牲になったかを考えると「機能的合理化を追求する」大衆軍隊にしては不合理な取り扱いであったと思わざるを得ない。軍旗信仰は日本陸軍固有のものとはいえないとのことであるがボロボロになって房だけが残った軍旗でも天皇から連隊に直接下賜されたものとして扱われなければならなかったのは日本陸軍に特徴的なことだったのではないだろうか。

一般兵士の特徴として直属の中隊長の命令に従うのが最重要でそれ以上の権威には従う必要はないとの認識だったそうであるがこういう意識構造が先の戦争で多くの無駄な犠牲者を生んだこととは無関係ではあるまい。それは戦争の現場での中隊長は部下を無駄に死なせないものが部下に一番人気があり、いざという時には中隊長のために犠牲になって働くという戦争の矛盾した一面に通じるものがあると思われる。

最後に一つ、先に挙げた「日本の近代とは何であったか」で気付かされた問題の一つであるが、旅順にあった関東都督府について非常に詳しく述べられ、関東軍と満鉄が同じ植民地機関の都督府の元にあったのが関東軍と関東州庁に別れたことがのちの関東軍の引き起こした諸問題の遠因ということであった。実は今年のセンター試験の日本史Bでこれに関する問題として旅順に現存する当時の関東都督府の写真とともに出題された。

私はこの関東州租借地の大連で生まれ育ったのでこの地域の問題に関心が強く写真に見覚えがあって興味を持ったが同時にほとんどの人が知らず、機関としても短期間しか存在せず、建物としても知られていないのに「何故今時こんな問題が」と不思議に思った。しかし、この本を読んで問題の重要さに気付かされ、出題者も先生の「日本の近代とは何であったか」を読んで触発されて出題に及んだのではないかと密かに思っている。

(東大・理 京極 浩史)


三谷先生は、冒頭、手元の原稿から離れ、2.26事件直前の2.20衆院総選挙から話を始められた。与党・立憲政友会が大敗し、若手中隊長クラスが焦ったらしい。その4年前は政友会が絶対過半数で大勝。その時、通説で歴代内閣も依ってきた「天皇機関説」を切り捨て、徹底的に美濃部教授を弾圧。当時のマスコミは、「合法無敵のクーデター」と批判論陣を張った。内閣は余勢をかって、次の総選挙で「統帥権干犯問題」をメインに闘おうとしたが、世論はこれを無視。結果、政友会は大敗を喫し、無産政党の伸長、そして「不法無敵のクーデター」2.26事件勃発に繋がったとの見解を示された。現在への警鐘か。歴史的実証事実に裏付けられる、小さな一つの世論として、その芽を育てていくかどうか、聴衆である我々自身に託されたのではないだろうか。

2.26事件は「軍隊の大衆化」の観点からエポックメーキングとの先生の指摘は興味深い。将官(連隊長)→佐官(大隊長)→尉官(中隊長)と、指揮権の下方委譲が中国戦線拡大などの影響から、この時期急激に進んだとの分析。しかし、日本社会は、名目的権力と世俗的権力の分離が大昔から顕著な特徴とするものもある。戦後米軍が、旧日本軍を分析し、現場の中隊長クラス以下の屈強ぶりが目を見張るのに対し、大本営はじめトップエリートは他国に見劣りすると見た。私も海外コンサルティング企業に日本企業診断を依頼した際、米軍分析と同様、現場のチームワークの優秀ぶりの一方、本社機能の弱さが特徴との指摘を受けた。2.26事件前後で激変したものもあろうが、「軍隊の大衆化」関連の諸現象は、日本社会の底流にある一貫したトレンドで、日本人の体質化した特徴のようにも感じる。

三谷先生は「軍隊の大衆化」に関し、「戦陣訓」への人気作家の積極的協力の例を挙げられ、当時「軍隊の大衆化」が大きな軍の懸念であり、かつ、検討事項であったと話された。戦前・戦中の史実に基づく半藤一利氏等の著作によれば、長引く中国大陸での戦闘に厭戦気分が蔓延し、ジャーナリズム、作家、画家等を巻き込んだ国民運動化が戦略上の大課題であったと聞く。戦争記事が拡販に貢献すると経営重視の立場に舵を切った朝日新聞の社論会議、従軍記者・画家・作家の積極的な参加等、社会の空気感が変わると、「空気を読む」ことに長けた我々日本人は雪崩を打って、負け戦覚悟で太平洋戦争に突き進んでいった。ホロコーストにも「普通の人々」の10~20%が拒否し、それを中隊長も認めたドイツと我々との相違は、この辺りにあるのかもしれない。「大衆」の空気に敏感で、「大衆」になることを自ら求める傾向の強い我々日本人には、西欧社会にはないセーフガード(安全弁措置)が必要なのかもしれない。

三谷先生の「軍隊の大衆化」に関する次の研究発表に大きな期待を寄せたい。

(東大・法 安村 幸夫)


様々な視点から掘り下げられ、研究対象となって来た二・二六事件の背景・要因としての大衆軍隊という切り口は御教示の通りと考えます。陸軍の用箋に推敲を重ねた跡のある大臣告示の草案は生々しさを感じました。

事件の際、ラジオが群集心理的発動を抑えるために使われたという長谷川如是閑の指摘は、その後の戦争遂行に寄与したメディアの側面、更に今日の事件・事故報道に通ずる与論操作の可能性を予見したことになります。

「普通の人びと」である一般兵士を駆り立てたものは、軍組織による思想教育を含め、当時は良しとされた戦前の体制から来るもので、現在の尺度では無知に見える言動でも安易に批評するのは慎むべきかも知れません。

建軍以来、乃木希典の軍旗紛失事件の例を出す迄もなく、連隊旗という判り易いシンボルに多くの将兵は忠誠と親しみを感じたのではないでしょうか。軍旗信仰を示す「ローマ帝国衰亡史」の一節は興味深く感じます。

事件が早期終結した反面、粛軍・統制強化につながり遂には全面的戦争への道を歩むこととなりました。質疑にありました首謀者の思い通りに事が運んだ場合であっても、結末は同じであったものと小生には思われます。

ポーランドにおけるホロコーストに加わったドイツの一般隊員に関する資料内容は先生よりのメッセージと重く受け止めます。人類の教訓は国籍の違いを超えて、今に活かすべきものであることは言う迄もありません。

毎年この時期には必ず事件絡みのことが報道されます。事件の32年後、大学紛争の最中に、本郷へと向かう当時の法学部長がタクシーの運転手から事件に参加したと聞いたという本講演でのこぼれ話が心に残りました。

余談ではありますが、山本「権兵衛」の読み方は条約中の本人のローマ字サインから「ごんのひょうえ」でなく「ごんべえ」が正しいと指摘された先生の講義(本郷)を思い出しました。今後の御健勝をお祈り申し上げます。

(東大・法 古川 宏)


1 三谷先生のお話を伺っている際、二・二六事件を惹起した部隊の一つに、落語家の柳家小さん(五代目)が一般兵士の一人として所属し、後になって同氏がその際の経験を語っていたことを思い出しました。事件の最中に落語を一席演じたが、兵士からの笑いはなかった由。今回の先生の資料により、小さん師匠を含め、事件の前年12月若しくはその年の1月に入隊した初年兵が一般兵士の四分の三を占めていることを初めて知り、軍隊というものの「若さ」を実感しました。

2 また、三谷先生が、一般兵士の特徴として、「事件に関し全くといってよいほど罪の意識がなか った」ことに言及され、彼らは「中隊長の命令以上の行動基準は持たなかった」と説明されまし た時、これは、軍隊(軍人)ばかりでなく、官庁(官吏)ひいては一般の組織(構成員)にも当ては まるのではないかと思いました。軍隊と同様、一般の組織においても、構成員は上司の命令な いし指示に従って行動するのですが、最末端の構成員にとって、組織上の上司は複層的に存 在する(複数いる)ものの、最終的には直近の上司の命令ないし指示に従って日々職務を遂行 しているのが普通ではないでしょうか。かつて、官庁において、「正当性」の意識ではなく、狭い 意味の「合法性」の意識を前面に出して、自らの行為を説明する人を見かけることが度々ありま した。

3 組織の規律として「命令は上から下へ、責任は下から上へ」ということを誰かに教えていただい たことがあります。この規律は一方通行的のようにみえますが、官吏の世界では、明治の昔か ら、上からの命令に対して「意見を述べることができる」とされていました(当初の国家公務員法 も同様)。いわゆる“風通し”を良くして、組織の決定の「正当性」を高めることを意図したものと 思われます。逆に、軍隊では、三谷先生が仰るように、二・二六事件の前後から「組織の機能 的合理化を追求する」姿が国民の前に(国民の中にというべきか)現れてきたということでしょう か。

以上、組織と組織内の構成員との関係について、三谷先生の今回の講演を拝聴しつつ、私の経験に照らし合わせながら考えましたことを申し述べました。

(東大・法 小髙 章)