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夕食会・午餐会感想レポート

2019年2月夕食会「帝国ホテルのおもてなしの心」

夕食会・午餐会感想レポート

2月12日夕食会

今もって迎賓館

2月の夕食会で、定保英弥帝国ホテル社長のご講演「帝国ホテルのおもてなしの心」を拝聴した。一般消費者として帝国ホテルの経営戦略に興味があった。帝国ホテルは、東京、大阪、上高地の3つ、或いは特殊な上高地を除けば2つの直営ホテルに経営資源を集中している。国内外73か所のオークラホテルや21か所のニューオータニとは異なる経営戦略だ。
定保社長は、明治政府の肝いりで「日本の迎賓館」として、宮内省の20%出資により鹿鳴館に隣接して1890年=明治23年に開業して以来の帝国ホテルの歴史を詳述された。
定保社長は、ブランドを支える要素は、①設備などのハードウェア、②サービスの仕組みや組織などのソフトウェア、③人柄、語学力、技能などから成るヒューマンウェア であり、それらが三位一体となったホテルがベストだと言われた。特に③について、「おもてなし」は現場から生まれるとも。例として、ハウスキーパーの発想で、出立した宿泊客の忘れ物がある可能性を考え「紙屑はもう1泊」させることにしたと。ドアマンの発案で来客がタクシーに支払う際に1万円札では不便な場合に備え、5千円札と千円札を両替用に持って置くことにしたと。また電話オペレータは、「笑顔を声で届ける」ために交換台に手鏡を置くようにしたとか。また社内表彰を得た例では、ドアマンがホテル外周のゴミ拾い、ルームサービス係が飲食物を届けてドアを閉めた後にドアに向かって一礼して去る、などの例示をされた。
帝国ホテルは今後とも、民間外交の担い手として、日本の価値・魅力・おもてなしの心を発信していくと、講演を結ばれた。

ふと気づいた。言及されなかったコストや価格も最大のサービス要素ではないのか。東京在住の私は、帝国ホテル東京には仕事で行く程度で泊まったことはないが、上高地帝国ホテルには泊まる。但し毎夏行くには高価だ。今は支払いに困る訳ではないが、人生の大半を貧しく過ごした私は習い性となって、サービスと価格をトレードオフしてしまう。だから真っ先に手を挙げて質問させて頂いた。「帝国ホテルのサービスは立派だが高い。価格を気にするような人は想定客層ではないのか?」と。定保社長は当たり障りなく「会員になって頂ければお得な価格もあります」と答えられた。そうか、やはり帝国ホテルは最高のおもてなしを提供する迎賓館なのだ。そのための設備・組織・人材を擁し、高価格にも拘わらず好業績を維持できる客層を掴んでいる。だから価格も規模も優先事項ではない。そういう独特のホテルがあってよいし、あることが日本の国益に叶う。そう思った。

(東大・工 松下 重悳)


東京の大手ホテルには何かにつけ出かけるが、オークラ、ニューオータニ、アカプリ(営業終了)を越えて、立地条件も含めて帝国ホテルを利用する回数は多かったので、社長の講演と聞いて嬉々として出かけた。感想レポートの趣旨に反するかも知れないが、帝国ホテルだけではなく観光についていて、小論を書きたい。
帝国ホテルと言えば、村上料理長が有名であり、また犬丸父子が顔になっていたが、彼らの話はさほど聞かれなかった。
営業畑を歩いてマネージメントに徹してこられたので、他宿泊所のご経験を語られなかったのは当然かも知れないが、「どこか他のホテルの現場経験で学ばれてよいと思われたことはなかったか」について質問してみたかった。
私は京都市内のホテルで結婚式を挙げた際の忘れられない思い出がある。「牧師が式開始時間になっても待てど暮らせど現れない。」従業員が慌てていたので、結果的に私自身が親族とホテルと仕切ってその場を[しの]いだのだが、「夕食を何でも食べて下さい、スウィートを用意しました」とのお詫びと恩恵に預かり笑い話だった。
帝国ホテルのヒューマンウェアのピカイチは従業員が帝国ホテルの理念を理解した上で、それぞれが自由な発想で自ら良いと信じることに取り組むことに尽きる(例は紹介された)。自分が完璧だと思うところから、客は徐々に退[]いていく。お客や従業員からの意見を謙虚に聞いて、管理者が自己を磨くのがフェッショナルである。オリパラまでの現在は、政府の観光立国のため、特に大都市圏において、宿舎不足になり民泊の力を借りたいが各種の反対のために簡単にいかないようである。OP以降は、日本とっても宿泊業界はあぐらをかいていれば、厳しい時期に戻るだろう。鍵は、誰にも(外国人はおろか地元の人にも)知られていない観光を徹底的に見いだすことと「おもてなし」である。観光は当然として、人とのコミュニケーション及び緊急時対応である。これは観光業界だけで出来ることではなく日本を挙げた運動に盛り上げることに尽きる。これまでの観光は「遺産」だった。質問者の「これまでの経験のなかで、お客さん(日本人/異国)で変わったと気づかれたことはないか」との問は興味深かった。帝国ホテルだからレベルの高い客だけのはずだが、「要望が厳しくなった。要望の中にこれからの可能性を見いだす。」という話題であれれば微笑だったかも知れない。「論語とそろばん」で商人道や人の生き方を説き、私も尊敬する渋沢栄一翁が帝国ホテルの設立に関与していたことに期待したい。

(東大・工 上林 匡)