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夕食会・午餐会感想レポート

2020年2月夕食会「地球と人類社会の未来に貢献する『知の協創の世界拠点』へ~今こそ大学の出番~」

夕食会・午餐会感想レポート

4月10日夕食会

東大五神総長の講演をうかがった。総長には一昨年同期卒業同窓会にお見え頂き、また愚息が総長と同じ私立武蔵高の出身と言うこともあり、密かな期待感を持って眺めていた。任期が6年と長期であることも踏まえ、2年前の小スピーチを各方面に展開されておられる様子が幅広く語られた。私の講演聴講は、座長を引き受けられた総務省主催の5Gの我が国の今後の戦略の動きをうかがうところにあった。更には5Gの次世代に我が国として情報通信の世界で何を目指しているかも伺えればと期待して。

現在我が国は「地方創生」のかけ声とは裏腹に、東京への一極集中の傾向は止まる様相を示さず地域で何を発信してもそのエネルギーを吸収する「ブラックホール」と化した東京に吸収される。かく言う私も卒業以来、公務員として地方勤務は経験し各地で意欲的な試みをしておられる方々に意欲と勇気をいただいていたものの、結果的には東京での安穏とした暮らしを貪り地域への貢献はこのところ何も出来ていなかった。

話の中で目を引いたのはDFFT(Data Free Flow with Trust)研究会の主催だった。サイバー空間と物理空間の一体化を目指す「グローバル・コモンズ」を目指すとのこと。「コモンズの悲劇」は環境破壊の要因として有名な警句だが、私見を申し上げれば現在の情報空間のコモンズとは、咀嚼しきれない情報の氾濫により市民の考える力の崩壊が進んでいるのではないかと感じる。総長は2年前の入学式の式辞で新入生に「新聞を読んでますか?」と問われた。振り返ってみれば、我が家族も確かにネットニュースを眺めてはいるが未読の新聞はたまる一方で、お世辞にも新聞を読んでいるとは言えない。あえて自己批判を承知で新聞界に携わる方々に提言すれば、紙の新聞の一部にもMEDEIAとしての自覚に欠けるところがあるのではないかということ。私が新聞社のデスクならば、だれでもテレビやネットで知っている事柄を記載するのでなく、記者が社会の状況に触れて感じたことを自分の言葉で表現し、読者につながろうとすることではないか。その意味で社説やコラムは紙の新聞記者の表現の場、読者に考えさせる場として古新聞でも丹念に読んでいる。

OECD加盟国高校生レベルの考える力を測るPISAという3年おきに行われる調査で我が国の「読解力」の順位が下がったことが一頃話題になった。「考える能力」は受験にとって大切なことは言うに及ばないが、それよりも日々のコミュニケーションのために欠かすことが出来ないツールである。相手が何を言いたいかをその表情だけでなく、言っている言葉から考えることがこれからの日本人には求められる。いずこも少子高齢化社会になっているだから一層。東大総長として我が国地域に貢献できることは、情報通信ネットワークを強靱にして、地方自身が持つデータの有効活用に貢献できることとのメッセージをいただいたと理解した。

(東大・工 上林 匡)


五神真東大総長の講演は、知のプロフェッショナルとして人類社会に如何に貢献してゆくかという使命を持つ東京大学の現在の活動状況についてであった。

英国の教育専門紙が発表する世界大学ランキングでは、東大は36位で、日本の大学は100位以内には2校しか入っていないとのこと。いつの間にか中国やシンガポールなどに順位やランクイン数で後塵を拝すこととなってしまった。バブル崩壊後の日本の低迷が様々な方面で見られることに改めて驚かされる。

こうした状況下であるからこそ、知識集約型社会がもたらす未来に向けて、日本の大学は走り続けなければならない。少子高齢化の進展により日本のGDPは2050年には世界8位となり、インドネシアやブラジルの後に位置するであろうといわれている。

もはや大学は、国を頼るばかりでなく大学が持つ資産を有効活用し、研究を支える財源の多様化を模索しながら独自の経営を図らなければ世界の中で存在感を発揮できない。五神先生はその先頭に立たれている訳で、大学の運営責任者ではなく今や経営責任者というべき存在だと思う。

日本の産業は、繊維、造船、半導体、鉄鋼と次々と主役の座を他国に奪われてしまった。先端技術の特許出願数でも、中国の台頭は大きく、日本は中米に水をあけられているという現実がある。

環境問題と格差社会という人類が今日すでに抱える課題をSDGsという目標に沿って解決すべく世界に先駆けた新学術分野、融合領域の創出に向け活躍できる人材を育て、研究を深化させていく東大を始めとした諸大学の役割と期待は大きい。

(北大・教育 牛島康明)