遷移金属触媒のマジカルパワーについて
根岸英一
(パデュー大学特別教授)

No.890(平成23年9月)号

要 約

有機合成の究極の目的は、炭素と炭素を自在に繫げることである。今までは限られた範囲でしかできなかったが、遷移金属触媒を用いたクロスカップリングによって、非常に幅広い範囲で簡単に行えるようになり、この分野に革命をもたらした。

若き日に抱いた夢や着眼点に触れつつ、根岸カップリング発見までの道のりを述べるとともに、遷移金属触媒の驚異的な力を紹介する。

グリーン・ケミストリーとは~YES(ES)!

まず、最近よく耳にする「グリーン・ケミストリー」という言葉の説明から入りたいと思います。大まかにまとめると、「化学物質による環境汚染を防止し、人体や生態系への影響を最小限に抑えることを目的とした化学」となりますが、私なりに「YES!」と定義してみました。

まず、Y。これは、in high Yields(高い生産性)を表しています。有機合成の際、原料からできるだけ多くの生成物を作りたい、ということです。

次に、E。これは、Efficiently(効率よく)です。化学合成では、手順が増えるほど最終的な生成物の量は減少していくので、効率性が重要です。

次に、S。これは、Selectively(選択的に)です。化学化合物には、同じ分子式でありながら構造式が異なる「異性体」が存在する場合があります。異性体には、シス・トランス異性体、立体異性体、回転異性体、光学異性体などがあります。光学異性体は構造が右手と左手のように対称的であるにもかかわらず、生体内等の不斉空間で性質が全く異なる異性体です。例えば、サリドマイドは優れた睡眠薬ですが、その光学異性体には催奇形性があり薬害を引き起こします。日本の野依良治先生は不要な光学異性体を排し正しい型だけを選択的に合成する方法(不斉合成)を実現し、アメリカのシャープレス博士、ノールズ博士とともに二〇〇一年にノーベル化学賞を受賞されました。

以上のY、E、Sを合わせると、オバマ流に「YES」になりますが、実はあと二つあります。

まず、E。Economically(経済的に)です。有機化合物が世の中に貢献するためには、コスト面で生成が経済的でなければなりません。

次に、S。Safely(安全に)です。サリドマイドのような薬禍を再び起こさないために安全性は必須です。

本当はもうひとつYESを作りたかったのですが、Yを思いつかず、ESとなりました。合わせて、「YES(ES)!」です。私は有機化学合成の実験の際、常にこの「YES(ES)!」を意識してきました。

グリーン・ケミストリーに即した有機化学合成とは

従来の化学者は、人間の体や動植物などあらゆる有機化合物を構成している一一個の元素1)に、いくつかの金属元素を加えて、約二〇個の元素だけを用いて有機化学合成をしてきました。ディールス・アルダー反応など、その最たる例です。

しかし有機化学合成とは、本来、周期表(図1)にある約一一〇個の元素全てを使用してよいゲームです。ただしこれをグリーン・ケミストリーに即して行おうとすると、約一一〇個の元素全てが使える訳ではなくなります。

図1

まず安全性の問題から、放射性元素二六個と毒性のある元素約七個程を取り除く必要があります。次に反応性のない不活性元素五個も除きます。そうすると、約七〇個の元素が、「使っていい元素」として残ります。

私はこれら約七〇個(金属元素五八個+非金属元素一一個)の元素全てを使おうと発想しました。有機合成に二〇個しか使わなかった時代からすれば、手数が格段に多くなりますが、私はこれでも少なすぎると思っていました。

レゴゲーム・アプローチで有機化学合成に挑む

一九六〇年、本格的に有機化学の勉強をし直すためにペンシルベニア大学に留学した際、私は有機合成の実験が苦手でした。何とか実験をうまくできないものかと考えた時、はたと思いついたのがレゴブロックでした。

有機化合物には様々な基がくっついています。炭素の基に限っても、芳香族のアリール類、オレフィン類(炭素の二重結合を含む基)、アセチレン類(炭素の三重結合を含む基)、ベンジル類、アリル類、プロパギル類、アルキル類、アシル類等、だいたい一〇種類位のグループに分類されています。私はこれらの有機基をレゴブロックに見立てました。そして、「二つの有機化合物を反応させた時、どんな有機基同士でもレゴブロックのように簡単に繫ぎ合わせることができれば、どんな有機化合物も意のままに合成できるようになる」と〝若気の至り〟で考えました。

有機基同士を繫ぐとは、片方の有機基を構成する炭素原子のうちの一つともう片方の有機基を構成する炭素原子のうちの一つを結合させることです。つまり、有機基同士を自在に繫げるとは、C-C Bond(炭素―炭素の結合)を自在に作ることです。

炭素の結合には単結合、二重結合、三重結合の三通りありますが、このうち炭素の単結合によって二種類の異なる化合物を結び付ける反応を「クロスカップリング」と呼びます。

当時、一般的だったクロスカップリング反応は、「Li(リチウム)やNaなどの有機アルカリ金属や、Mgを含んだ有機金属化合物を用いて、炭素の多重結合部分に触媒なしで反応を起こす」パターンでした。代表的なものはグリニャール試薬と呼ばれる有機マグネシウムハロゲン化物です。ただしこの方法では、合成できる範囲は非常に限定的でした。有機合成の世界は非常に複雑で難しく、英語でいう、esoteric(深遠な、奥義のある)世界と思われていました。

ちなみに、グリニャールは有機金属化学の分野で初めてノーベル賞を受賞しました。一九一二年のことですので、来年、一〇〇年祭を開催しようと考えています。

金属を利用することがポイント

一九五〇年代半ば以来、のちに私の恩師となるブラウン先生2)は、B(ホウ素)が有機合成に非常に役に立つことを示されました。そこで私はペンシルベニア大で博士号取得後、帝人を退職し、先生のおられたパデュー大学を研究先として選択し、有機金属研究にのめり込んでいきました。

クロスカップリング反応は歴史上様々なパターンが登場しましたが3)、実は、材料に有機金属化合物を用いるだけでなく、触媒にも金属を用いることがポイントです。

そこでクロスカップリング反応を、「有機金属化合物(この化合物内の金属をαとする)と、有機ハロゲン化合物を、金属触媒(金属βとする)の下で反応させる」パターンに限定しますと、金属αと金属βの組み合わせを考えればよいことになります。使って良い金属元素が五八個とすると、五八×五八のバイナリー・コンビネーション、つまり、約三三〇〇から三四〇〇通りの組み合わせが考えられます。これは算術の魔術というか、非常に手数が増えて、先程の七〇どころではありません。実験するには充分な手数だと思いました。

そして私は五八個の金属元素のうち、MgやLiやNaやZn(亜鉛)など、昔からよく有機合成に用いられてきた典型金属(二一個)だけでなく、それまでほとんど利用されることのなかった遷移金属をも視野に入れようと考えました。

どの金属の組み合わせでクロスカップリングをすれば、有機基と有機基をレゴのように自在に繫げられるか。二つの元素の組み合わせを用いた反応は以前からありましたが、組み合わせの中から系統的に良いものを見つけていこうという発想をもってアプローチしたのは私が最初かもしれません。私は冗談に、“Two is Better than One!”といったものでした。

五〇年たった現在、Pd(パラジウム)を触媒とする根岸カップリングによって、最も広範囲にわたり高い選択性をもって簡単に有機合成ができるようになりました。私は五〇年前の〝若気の至り〟を思い出しては、「わが意を得たり」と少し得意な気持になります。

副産物ができることの重要性

金属がポイントとなる理由についてお話する前に、副産物ができることの重要性についてお話します。

ある金属触媒の下、「有機基A―金属M」という有機金属化合物と、「有機基B―ハロゲンX」という有機ハロゲン化合物のクロスカップリングに成功したとします。この時、「有機基A―有機基B」という目的の有機化合物ができるだけでなく、「金属M―ハロゲンX」(MX)という副産物もできてしまいます。

今日、グリーン・ケミストリーの旗を振る人々は、「副産物ができるのは環境に宜しくない」と主張してクロスカップリングに難色を示します。もちろん副産物ができないに越したことはないのですが、仮に副産物ができても、狙った有機化合物ができるのであれば、副産物はできないが有機化合物も思うようにできないよりは、はるかにいいのです。

さらに、副産物MXができるからこそ、クロスカップリング反応は非常に広範囲に応用可能になった、ともいえます。何故かというと、電気陰性度の高い「ハロゲンX」は、電気陰性度の低い「金属M」と反応して、反応全体を熱力学的に進行しやすくします4)

昨年、鈴木章先生や私とともにノーベル化学賞を受賞されましたヘック先生は、一九七二年、「炭素の二重結合を持つ有機化合物と、芳香族ハロゲン化物を、触媒Pdの下で反応させる」クロスカップリング(溝呂木・ヘック反応)を報告しました。この反応では金属の代りに水素が使われるので、「ヘック反応は、グリーン・ケミストリーに適っている」と言われています。しかし応用範囲が極めて限られていること、異性体を含む混合物ができる場合が多いこと等々の問題があり、私は全体として「レス・グリーンだ」と思っています。しかし、総合的により優れているケースも時にあり、そんな場合には優先的に使われるべきでしょう。

何故、クロスカップリングに金属を使うのか

有機合成に使って良い金属には、二一個の典型金属、二三個のdブロック遷移金属、一四個のfブロック遷移金属があることは先に述べました。本日特にお話したいのは、dブロック遷移金属です。化学をやっていない方々に、これがいかに多彩に働くかを判ってもらうのが今日の講演の趣旨です。

さて金属とは何でしょうか。化学的にいうと「電子の欠乏している」種、つまり、「酸として働く」ということです。金属とは、「電子が欠乏しているが故に、化学的に活性」な種ともいえます。ちなみに電子が全く欠乏していない種のことを不活性元素と呼びます。不活性元素は、福井謙一先生の提唱されたフロンティア軌道理論にあるように、一番外側に八個の電子があります。遷移金属の場合は別ですが、八電子あると「二、二、二、二」と四方全部に壁ができるため、化学反応は起こりません5)

ところが、一番外側の電子が欠乏して七個以下である場合、隙間風があちこちから入ってくる状態なため、それを防ごうと他の化合物等の持つ電子を引き入れ、結合していきます。よって金属を使うと反応が非常に強く促進されることになります。

化学反応では二つのことが重要です。一つは、反応を熱力学的に「下り坂」にするということです。反応の全過程が下り坂であれば、その方向に化学反応は進みます。しかし、もう一つ重要なことは、反応速度論に関することです。大体の化学反応には「上り坂」が存在します。つまり、反応の進行過程で外から活性化エネルギーを与える必要がでてくるのですが、坂が低ければ越えやすく、坂が高ければ越えにくくなります。dブロック遷移金属を触媒として加えると、加えない場合に比べて、上り坂が格段に低くなります。例えば、根岸カップリングの代表的組み合わせは「Znの有機化合物と触媒Pd」ですが、加熱しなくても反応がよく進みます。

金属触媒は分極を最小限に抑える

電子の二つ足りないルイス酸「A」と、電子の不足していないルイス塩基「B」があるとします。「B」が「A」に電子対を供給し始めた状態を考えます。そのまま「A」が電子対を引っ張り込んで、バチンと結合してくれるか、というとそうはいきません。

「A」も「B」も仮に最初は中性だとすると、電子はマイナスなので、「A」は電子対を受け取り始めることによってマイナスになり、「B」は電子対を与え始めることによってプラスになります。「A」がマイナス化していくと、受け取りつつあった電子対を逆に押し返そうとします。一方、「B」はプラス化していくと、与えつつあった電子対を引き戻しに掛かります。このように電子対が移りだすと、それと同じくらいの大きさで反発の作用が発生し、活性化エネルギーを大きくしてしまいます。ところが、有機金属試薬に少なくとも一つずつ、空の軌道と電子の豊富な軌道6)があると、一つの金属原子が酸と塩基の両方の役目を果たしてお互いに方向が反対の分極を誘引し、全体として、望ましくない分極を最小限にとめられるので活性化エネルギーが極めて低い状態で反応が進むことになります。これが金属触媒の一つの原理です。

電子が二つ欠けているものに、例えばカルベン(CH2)があります。カルベンはオレフィン等の他の化合物との間で二つのエネルギーレベルで二プラス二、つまり合計四電子をやり取りする反応を起こしますが、その際にも分極を最小限にして反応が進みます。dブロック遷移金属は、バレンスシェル(valence shell)内に、一つ又は複数個の空の軌道とnon-bondingな電子対を同時に持ち得るため、ちょうどカルベンのように振る舞います。しかも一般的にカルベンよりもはるかに熱的に安定で扱いが楽です。これらの特徴から私は、dブロック遷移金属のことを“Super-Carbenoidal”と呼んでいます。

クロスカップリングの歴史

「有機金属化合物(この化合物内の金属をαとする)と、有機ハロゲン化合物を、金属触媒(金属βとする)の下で反応させる」パターンのクロスカップリングは、一九七〇年代に金属の組み合わせ(α、β)を様々に試みる形で飛躍的に進歩しました。

最初に登場するのが、一九七二年、玉尾皓平先生、熊田誠先生、コリュー先生による研究です。有機金属化合物にMgを、触媒にNiを用いました。Mgの化合物を用いたのは、グリニャール試薬が有機マグネシウムハロゲン化物であることからの発想でしょう。

そして、一九七五年から七六年にかけて、村橋俊一先生、石川延男先生、フォバーク先生と私の研究室が、触媒にPdを用いました7)。しかし、私ども以外は、先の研究と同様に、有機金属化合物としてMgやLiの化合物を使用しました。MgやLiでは反応性が強すぎて応用範囲が非常に限定的になってしまいます。今回、玉尾先生、村橋先生がノーベル賞選考から外れた理由はそのあたりにあるのかもしれません。非常に惜しく残念なことだと思います。しかし、両先生とも疑いもなく偉大な先駆者であることに違いありません。

一九七六年から七八年にかけて、「有機金属化合物にMg、触媒にNi」という従来の枠組みを乗り越えたのは、私が最初ではないかと自負しています。

私は金属の組み合わせ(α、β)を考える際、常に周期律表を念頭に置きました。周期律表の縦の集合は「族」と呼ばれ、多くの場合、同一族に属する元素は特性が非常に似かよっています。そこで有機化合物に入れる金属を探す際も、触媒とする金属を探す際も、常に周期律表とにらめっこで実験を進めました。

私にはドン・キホーテ的なところがあり、従来の組み合わせとは全然違う発想をしました。B(ホウ素)を専門とする恩師ブラウン先生に倣い、Bの有機化合物を触媒Cu(銅)の下で反応させようと取り組みました8)。しかし失敗ばかり。そこで玉尾先生に倣い、触媒をNiに置き換えてみましたが、これも失敗。そこで今度は、周期律表でBの下にあるAl(アルミニウム)の有機化合物を触媒Niで試したところ、ついに成功に至りました。私にとって最初の大発見となりました。一九七六年のことです。

根岸カップリングの二つのプロセス

一九七六年に成功したこの実験は、次の二つの重要な工程から成り立っています。

①炭素の多重結合に金属を付加する
               ~エレメント・メタレーション

まず、クロスカップリングの材料の一つである有機金属化合物を、金属をAlにして作りました。実験では、アセチレン類に、Alの水素化合物を付加反応させました。ヒドロアルミネーションという反応です。三重結合を構成していた二つの炭素が二重結合になるかわりに、それぞれ水素とAlと単結合します。ほぼ一〇〇%の選択性でAlと水素は炭素結合の同じ側に結合し9)、異性体が発生しませんでした。

Alと結合した方の炭素原子は、次のクロスカップリング過程でAlと手を切り、他の有機化合物と結合します。ですから金属の有機化合物を合成するのは、「クロスカップリングさせたい炭素原子」の目印とするため、ともいえます10)

ところで、炭素の多重結合に付加するのがB(ホウ素)の水素化合物である時、ヒドロボレーションといいます11)。私の恩師ブラウン先生はこのヒドロボレーションの研究でノーベル賞を受賞されました。

ちょっと脱線するようですが、福井謙一先生の「フロンティア軌道理論」を用いてヒドロボレーションについて簡単に説明させて下さい。図2は、デュワーのシナジスティック・ボンディング12)に基いた図です。オレフィンには、π軌道と、空のπ*軌道の二つがあります。π軌道からBの空の軌道へ電子対が供与されています。一方、オレフィンの空のπ*軌道へは、Bと水素の軌道から電子対が逆供与されています(矢印)。その様子が描かれています。

図2

この供与と逆供与の話は、先程、金属触媒でした説明と一緒です。これによって分極が抑えられるので、ものすごい速さで反応が進み、かつ一〇〇%シス選択性でBと水素が炭素結合の同じ側に結合した「有機ホウ素化合物」が生成されます。

このエレメント・メタレーションの過程で、「結合の際に、電子の供与と逆供与が同時に起こるタイプの付加反応」を選ぶと、ほぼ一〇〇%選択性でシス付加が起きます(つまり異性体が全くできないということです)。これが根岸カップリングの高い選択性を支えているのは、言うまでもありません。

ちなみに鈴木章先生は私と同じブラウン先生門下ですが、このヒドロボレーションで生成された有機ホウ素化合物を材料に、触媒Pdを加える「鈴木カップリング」を広く開発され、ノーベル賞を受賞されました。

②遷移金属を触媒としたクロスカップリング

さて、実験の前半で作った有機アルミニウム化合物を、触媒Niの下で有機ハロゲン化物と反応させたところ、クロスカップリングに成功しました。

成功に気を良くした私は欲張り癖を出し、「触媒をNiにしたら成功した。では周期律表でNiの下にあるPdや、更にその下にあるPt(白金)ではどうか」「Alの有機化合物で成功したのだから、他の金属を含む有機化合物はどうか」と考え始めました。

詳しくは次の節で述べますが、まず触媒としてPdが際立って優れていることを突き止めました。私が今回ノーベル賞を受賞した最大のポイントも、dブロック遷移金属、特にこのPdの魔術的な触媒作用が広く認められたからでしょう。

その後、触媒Pdの下で、組み合わせる相手をAl以外に広げ、一〇種類以上の金属の有機化合物について網羅的に実験しました。その結果、Al、Zn、Zr(ジルコニウム)、Bの有機化合物で成功しました。BとPdを用いて高収率かつ高選的に生成物が得られた最初の報告となりました。これらは、グリニャール試薬で用いられているMgの有機化合物よりも優れていました。

特にZnの有機化合物と触媒Pdの相性は素晴らしく、世間ではこの組み合わせこそ根岸カップリングだと思われているようです。

一九七七年、七八年には、小杉正紀先生、右田俊彦先生、スティレ先生が、Sn(スズ)の有機化合物を用いてクロスカップリングを成功させました。ただし私は、「毒であるスズはグリーン・ケミストリーに反するので、特別な場合以外は使用するべきではない」と思っております。

一九七九年、鈴木章先生がBの有機化合物と触媒Pdによるクロスカップリングの開発を始め、今では根岸カップリングとともに広く使われています。

遷移金属触媒のマジカルパワー(高い選択性)

一九七六年の話に戻ります。Alの有機化合物と触媒Niでクロスカップリングに成功した私は、まず触媒をPdやPtに変えてみました。すると、Ptではあまり反応がありませんでしたが、PdではNiと同じような結果が得られました。この時点では、「Niの方がはるかに安い。同じ結果なら、レアメタルで非常に高価なPdを触媒に利用することはない」とも思いました。

しかし同じ年、オレフィンを二つ結合させる実験を行っていた時、触媒Niの下では選択性が九五%以上であったのに対し、触媒Pdの下では選択性が九九%以上でした。つまり、立体異性体などがほぼ一〇〇%に近い形で排除されました。Pdが触媒として圧倒的に優れていることに気付いた最初の瞬間でした。

遷移金属触媒のマジカルパワー(高い触媒回転数)

TONとは、turnover numberの略語で、「ある触媒反応において触媒が不活性化するまでに何回使用できるか」という触媒回転数を表します。ただし収率13)が低くてもよいとすると、いくらでもTONは上がるので、収率七〇%以上を目安としています。Pdは驚くことに一〇〇万回以上繰り返して使えます。高価とされるPdですが、仮に一モル一〇〇万円したとしても、目的とする生成物一モル当たり一円で済むということです。実際にはもっと多く、一〇億回以上使用できる様々なケースがあることが判ってきました。非常に高い効率性で、経済的といえます。

昨年夏、製薬会社の人とお話した際、「根岸カップリングは主に薬の開発の初期段階で用いられています」と言われました。「何故、初期段階なのですか」と尋ねたところ、「Pdには少し毒性があるので、最終段階で使って、万が一、一〇ppm(一〇万分の一)でもPdが残ると、毒性も残る可能性があるからです」とのことでした。しかし一〇億回も廻るのなら、毒性の問題はほとんど全くなくなります。

遷移金属触媒のマジカルパワー(有機合成の革命)

炭素と炭素を自在に繫ぎ、思い通りの有機化合物を合成する。グリニャール試薬の時代には非常に狭い範囲でしかできなかったクロスカップリングによる有機合成が、触媒としてdブロック遷移金属を僅かに加えるだけで、非常に広い範囲で可能になりました。有機合成の世界を根底から変えたと言ってくれる人もいます。おそらく今後二~三世紀の間は、Pdを触媒として用いるクロスカップリングが、最も広範囲で利用できる炭素―炭素一重結合生成反応として使われると思われます。

根岸カップリングの幅広い応用性

根岸カップリングは、現在、液晶などの工業分野でも応用されていますが、何より多いのは医薬品や農薬の開発分野です。

例えば、「アンホテリシンB」という抗真菌薬があります。免疫が落ちると人にもカビが生えます。それを抑える薬です。

図3をご覧下さい。炭素の三重結合部分を壊す形で、根岸カップリングによって他の有機基や分子をくっつけています。これを、「付加反応を設定する」と言います。次々に付加反応を設定しても、根岸カップリングを用いれば、狙い通りの場所と方向に、必要な有機基や分子を結合させることができます。

図3

昔はこのような複雑な有機合成の工程は、大変な時間と労力を要したものですが、根岸カップリングによって、九八%以上の高い選択性で異性体の生成を排除しながら、非常に簡単に行えるようになりました。

現在、「コエンザイムQ10」も、根岸クロスカップリングによる工業化が試みられています。うまくいくかどうかは判りませんが、合成法として本当に素晴らしいと自負しています。

クロスカップリング反応以外にも、私は野依先生がご専門とされている不斉合成の分野に関心を持ってきました。また、人工光合成の分野でも、遷移金属の触媒反応は寄与していけると考えています。私は今後、これらの分野にも挑戦していきたいと思います。

(注)
1)水素(H)・炭素(C)・窒素(N)・酸素(O)・リン(P)・硫黄(S)・セレニウム(Se)。ハロゲンと呼ばれる第17族元素~フッ素(F)・塩素(Cl)・ 臭素(Br)・ヨウ素(I)の一一種類。
2)ブラウン先生はホウ素化学の大家で、ともにノーベル賞を受賞した鈴木章氏の恩師でもある。
3)他に、触媒を用いないグリニャール試薬や、有機金属化合物を用いない「溝呂木・ヘック反応」などがある。
4)化学の言葉で表現するなら、副産物の生成のしやすさが化学反応全体を下り坂にするので、サーモダイナミカリーに非常に望ましい、ということになる。
5)八電子あるものをオクテットという。不活性元素はオクテットである。ルイス理論でいうと、「オクテットは安定」となる。
6)filled non-bonding orbitalのこと。
7)触媒にPdを使った先例には、一九六五年の「辻トロスト反応」、一九七一年の溝呂木勉先生と一九七二年のヘック先生の「溝呂木・ヘック反応」がある。
8)二〇世紀初頭、ウルマン反応など、銅を用いたカップリング反応が報告された。また、一九六〇年代に銅を触媒として利用しようという気運が一時期に高まった。
9)シス付加という。
10)クロスカップリングのもう一つの材料である有機ハロゲン化合物においても、ハロゲン原子と単結合している炭素が「クロスカップリングさせる場所」である。
11)炭素の多重結合に炭素金属結合を付加する場合は、カルボメタレーションという。
12)福井謙一、ウッドワード、ホフマンが提唱したフロンティア軌道理論に基づき、分子結合を説明している。
13)理論上得ることが可能なその物質の最大量(理論収量)に対する実際に得られたその物質の量(収量)。

(パデュー大学特別教授・東大・工・昭33)

(本稿は平成23年3月7日夕食会における記念講演の要旨であります)