数物連携宇宙研究機構(IPMU)
村山斉
(東京大学数物連携宇宙研究機構機構長)
No.875(平成21年2月)号

 数物連携宇宙研究機構(Institute for the Physics and Mathematics of the Universe、略称IPMU)は数学と理論物理、実験物理と天文学を融合し、宇宙についての根源的な謎に迫ろうとする新しい研究機構です。英語を公用語とし、3割以上の研究者が外国人で、真の国際拠点になることを目指します。東京大学から文部科学省の新しい世界トップレベル国際研究拠点形成推進プログラム(World Premier International Research Center Initiative Program、略称WPIプログラム)に提案し、審査の結果全国5拠点の1つとして選ばれ、2007年10月に発足、満1才になったばかりです。東京大学の柏キャンパス(最寄り駅まで秋葉原から電車で30分)に本拠を置き、神岡にもサテライトを設置しています。この小文ではIPMUで目指すサイエンス、WPIプログラム、IPMUの現状についてご紹介したいと思います。

目指すサイエンス
 IPMUで目指すのは数学と理論物理、実験物理と天文学の研究者を集め、人類誕生以来の宇宙の謎に迫ることです。
 (1)宇宙はどうやって始まったのか?
 (2)宇宙は何でできているのか?
 (3)宇宙はこれからどうなるのか?
 (4)宇宙の基本法則は何か?
 (5)宇宙にどうして我々が存在しているのか?
こうした疑問は何千年もの間、哲学・神学の領域でしたが、近年の実験技術・理論の進歩で徐々に自然科学の対象になってきました。これを更に推し進めるのがIPMUの目的です。
 私たちの宇宙像はここ5~10年で革命的な変革を遂げました。「万物は原子で出来ている」というのは全くの大ウソで、原子は宇宙全体の5%にも及びません。物質のほとんどは暗黒物質と呼ばれる未知の物質で、百億分の一秒にも満たないビッグバン初期に出来た未発見の素粒子であると考えられています。これが宇宙の約23%を占めています。残り約73%は暗黒エネルギーと呼ばれ、宇宙の膨張に伴ってエネルギーを増やし、その結果宇宙膨張を加速して宇宙を引き裂いています。暗黒エネルギーは暗黒物質以上に正体不明です。これが「宇宙は何で出来ているのか?」という問題です。(図1)
図1
 更に「宇宙はこれからどうなるのか?」という問いは暗黒エネルギーの性質にかかっています。宇宙が膨張し続けて冷たくなってしまうのはビッグバン宇宙の避けられない予言ですが、その具体的な内容は大きく違ってきます。暗黒エネルギーは宇宙膨張に伴ってエネルギーを増やしていると前述しましたが、増え具合がそれほど速くなければ宇宙の加速膨張が永遠に続きます。この場合、遠くの銀河はどんどん視野を超えて見えなくなりますが、ローカル・グループと呼ばれる天の川銀河周辺の銀河の集まりは互いの重力で引き合ってそのまま視野に残ります。つまり夜空の見かけは大きくは変わらず、天の川銀河の天文学は続きますが、観測論的宇宙論はいずれ不可能になります。一方エネルギーの増え具合がとても速いと、いずれは銀河どころか原子ですら加速膨張に引き裂かれてバラバラになってしまいます。膨張の速度が無限大になって、宇宙は終わってしまうのです。
 また、宇宙には原子はあるものの、その反物質はありません。宇宙初期に遡れば反物質も作られたと考えられるので、反物質10億に対して物質10億1が対消滅してごくわずかの物質(10-9)が残ったことになります。このわずかなアンバランスが無ければ物質と反物質は全て対消滅して宇宙は殆ど空っぽになったはずです。どうしてこのわずかなアンバランスが生まれたのかは分かっていません。これが「宇宙にどうして我々が存在しているのか?」という問題です。
 一方ビッグバンはアインシュタインの重力理論を使う限り密度が無限大の「特異点」となり、現在の物理法則は全て破綻してその性質・起源を議論することが出来ません。この特異点を解消する新しい理論を築くことが必要です。また、ビッグバン直後にインフレーションという時期があり、生まれたばかりのミクロの宇宙を現在見られるようなマクロの宇宙に引き延ばし、その際量子論的な揺らぎが引き延ばされて現在見られる宇宙の構造の種になったと考えられていますが、まだその直接的な証拠はありません。「宇宙はどうやって始まったのか?」というのはこれらの問題を指しています。
 そしてビッグバン特異点の解消等の問題を解決する為には明らかに「宇宙の基本法則は何か?」という問題に行き着きます。現在の物理法則では全ての物質は点状の素粒子で出来ていると考えていますが、実は小さい輪ゴムのようなものであると主張するひも理論が特異点の解消に役立つと考えられており、それに密接に関わって発展している幾何、代数、解析やひいては数論にまたがる数学の進歩が必要になってきます。
 こうして数学と物理学・天文学を融合した新しい形の研究組織が必要になってきています。IPMUでは数学者、理論物理学者(ひも理論、数理物理論、素粒子現象論、宇宙物理論)、実験物理学者(加速器実験、地下実験)、天文学者を揃えて互いに刺激を受け合い、自由に議論して新しいアイディアが生まれるような環境を作ろうとしています。

WPIプログラム
 文科省のWPIプログラムは今までの大学・研究関係予算とは違う新しい資金に基づくプログラムです。小泉内閣時代に松田岩夫科学技術政策担当大臣を中心に閣議決定され、総合科学技術会議で構想を練り、文部科学省の科学技術・学術戦略官を中心に具体化して、日本学術振興会が運営しています。日本学術振興会のウェブサイトでは「本プログラムは、高いレベルの研究者を中核とした世界トップレベルの研究拠点の形成を目指す構想に対し集中的な支援を行い、システム改革の導入等の自主的な取組を促すことにより、研究水準の一層の向上を図るとともに、世界第一線の研究者が是非そこで研究したいとして集まってくるような、優れた研究環境と極めて高い研究水準を誇る『目に見える拠点』の形成を目指します。」と記述されています。
 研究者が研究に専念できる環境を作る為に、教育の義務は無く、教授会や教室会議のようなものを避けて拠点の運営は拠点長による「トップダウン的な意思決定システム」によることになっています。また、外国の研究者を招聘できるように「能力に応じた俸給システム」を導入することになっています。こうした従来の日本の国立大学に無いシステムを導入することによって、政府は大学自体の制度改革につながることを狙っています。
 このプログラムには幾つかの大きな特徴があります。まず第一に国際拠点であること。そのために公用語は英語と定められています。また、研究者の3割以上が外国人であることとされています。第二に規模が世界的に「目に見える」だけの大きさがあること。ガイドラインとしては事務・サポートスタッフを含めて200人以上、とされています。第三にWPIの補助金は研究者が「物理的に集結」するためのものであり、実験プロジェクト等に使う資金ではないということです。実際、マッチングファンドとして拠点は補助金と「同程度以上のリソース」を独自に確保することが求められています。
 WPIプログラムは5拠点全部で年間約70億円の予算で実施されます。各拠点は毎年度5~20億の予算を申請し、各拠点の状況を調査するワーキンググループ、更にその結果を受けて5拠点全部を評価するプログラム委員会を経て、各拠点への交付額が決定されます。5拠点平均で約14億円の予算になります。
 また、WPIプログラムは9年半の時限付きです。最初の5年間の進展を見て審査され、計画の変更や中止等の見直しを求められることもあります。そして10年後には更に厳しい審査があり、高い評価を受けた拠点は、5年間補助期間が延長される可能性もあります。延長の如何に拘わらず、拠点が実績を上げていればこれだけの組織を完全に解消することは考え難いので、何らかの形で継続されることを期待しています。機構としても自力で継続する為の資金集めを心掛けています。

組織
 こうした目的の為には研究者が従来の大学のしがらみに縛られず、また年齢や身分にも囚われずに、自由に研究出来る環境作りが大事です。その為IPMUでは特に若い研究者がのびのびと仕事が出来ることに配慮して組織作りをしています。
 従来の日本の大学組織では講座制が元になっており、教授が特定の分野を代表した講座を持ち、その下に准教授、助教を配置し、学生を指導してその分野の発展を図る形になっています。一方、IPMUでは分野融合ですから特定の分野を代表する人の必要は無く、講座制はむしろ邪魔になります。そこで教授・准教授・助教の間には基本的には区別が無く、分野間に垣根の無い、「フラットな組織」になっています。運営の責任は機構長、副機構長2名、事務部門長からなる運営会議が担います。
 一方、機構自身が時限付きなので、終身雇用は出来ません。特に退職金が無いことは若い教官には大きなデメリットになりかねません。また、外国の研究機関と競争して優秀な研究者を雇用するには、給与・保険・年金・研究費等の面で有利な条件を提示する必要があります。
 そのため、IPMUでは経済的に不利にならず、外国の研究機関とも競争出来るだけの給与体系を設定しています。アメリカの大学では、個人の業績に応じて、同じ経歴・身分でも3倍以上の給与の開きがあります。私がよく知っているカリフォルニア大学では教官の給与は州民の税金で賄われますが、市場原理に基づいてきちんと説明責任が果たせる範囲で対応しています。公的資金ですので、根拠の無いむやみなことは勿論出来ません。個々の例に応じて、文書化出来る理由を提示し、大学本部の了承を得て待遇を設定しているのです。

現状
 IPMUは10月1日の発足時点では申請の中心となった主任研究者20名だけでした。しかも全員それぞれの機関に属していたので、IPMU専属は1人もいませんでした。発足後直ぐにメンバーの募集を始め、世界公募を掛けました。その結果600通以上の応募があり、内450通近くが外国人でした。その中から選考を進め、待遇の交渉を経て、現在専任の研究者は教授7名、准教授8名、助教3名、ポストドクター18名が着任しています。これに学生3名を加え、外国人は22名、全体の6割弱です。そして他部局・機関との併任を加えて国内外の研究者が常に出入りしているダイナミックな組織を狙います。(図2)
図2
 発足後間も無くから早速国際会議を行い、昨年12月の初めまでに416人のビジターが訪れ(内225人が国外から)、活発な活動が始まりました。研究会の持ち方も議論を活発に行えるように工夫しています。Focus week と名付けた形式では、基本的に一時間の講演を一日に2つか3つだけ、残りの時間を自由な議論に当てるようにします。多数の参加を促す為、週のうち一日だけ従来のような20分程度の講演で構成した日を含めます。
 人の集まり具合が予想以上に早く、プレハブも建てましたが、この秋には居室も足りなくなりそうです。来年の秋には東京大学の予算で新研究棟が建つ予定です。分野融合を進める為に従来のオフィスビルとは違った新しいコンセプトの建築で、3,4,5階が吹き抜けになり、その周りをオフィスが螺旋状に囲みます。吹き抜けの底の部分には大きな交流スペースを設け、テーブル、椅子、黒板をちりばめて、研究者が自然と集まり議論が始まるような空間を作ります。(写真1)
写真1
 一般の方へも季刊の IPMU News の発行、一般講演会等を通じて科学に親しんで頂き、特に青少年に科学・数学への興味を持ってもらえたらとアウトリーチ活動を行っています。ウェブサイトに過去の講演のビデオ、今後のイベント情報を満載していますので、一度ぜひご覧頂ければと思います。

(東京大学数物連携宇宙研究機構機構長・東大・理・昭61)