「私は負け戦には乗りません」 これは、小説『華麗なる一族』をTBS開局五五周年記念特別企画として連続ドラマ化したいと思い、原作者の山崎豊子先生に初めて会いに行った時、山崎先生が最初におっしゃった言葉である。
主人公の 万俵大介 は万俵財閥の総帥で、グループの要と言える全国第一〇位の都市銀行・阪神銀行の頭取でもある。非常に優秀な銀行家で、金融業界に再編・合併の嵐が吹き荒れることをいち早く察知。自らの銀行の、ひいては万俵一族の生き残りをかけて、壮絶な戦いを繰り広げていく。 当時タブー視されていた金融業界を徹底的に取材して描いた力作で、“金融小説”として緻密に練り込まれた作品であると同時に、長男の出生の疑惑に端を発した父と子の確執、一族内の苦悩と愛憎などを描いた人間ドラマとしても評価の高い作品である。 一九七四年に映画化、及び連続ドラマ化されたこの作品を、三十数年ぶりに再び連続ドラマ化したいと思い、山崎先生に会いに行ったのは二〇〇四年初頭のことだった。
この“華麗”という言葉は大変やっかいで、活字で書いてある世界を映像化するためには、キャスティングはもちろんのこと、ロケ地や美術のセット・装飾品、さらには衣裳や持ち道具に至るまで、すべてにおいて高いハードルを要求されてしまう。そもそも、“昭和の時代劇”は一番再現するのが難しいとされている。それは、世の人々の記憶に残っているにも拘らず、建築物などはほとんど現存していないからだ。“華麗”な世界の再現となれば、尚更である。
予想外の提案に戸惑いつつも、「現代に置き換えた方が、ロケ地は探しやすいし予算的にも助かるかもしれない」「話題のIT長者に置き換えても、“華麗なる”一族たり得ない。世界観を表現できる他業種は、どんなものなのか」等々、三ヶ月間、必死になって色々な業種をリサーチ、取材し、あらゆる可能性を追求してみた。その結果、我々が行き着いた結論は……「原作通り、当時のまま金融業界を舞台に描かなければ“華麗なる一族”は成立しない」ということだった。 再度、山崎先生宅を訪れ、その旨を申し上げたところ、山崎先生はひと言、こうおっしゃった。 まるで、お釈迦様の手のひらで翻弄された孫悟空の心境である。しかし、後に振り返ってみると、この三ヶ月間は、その後、三年がかりで一大プロジェクトを推進していく上で、とても貴重な時間だった。(山崎先生は、もしかしたらそこまで計算ずくだったのかもしれないが……)「自分達が誰よりも“華麗なる一族”のことを知り尽くしている」という自信に繋がったのはもちろんだが、制作が具体化していく中で予算が逼迫し「現代に置き換えられないのか」とか「グレードやスケールをもう少し縮小して描いたら」などといった数々の意見が内外から寄せられても、「それでは“華麗なる一族”にならない。どうしてもそうしろと言うなら、制作しない方が良い」と胸を張って言い切れたし、キャスティングを進めていく上でも、我々の目指す世界観と志がはっきりしているため賛同を得やすく、不可能と思われた“華麗なる”キャスティングが見事に成立したのである。 そして何より最大の収穫は、今回リメイクするにあたって「新しい切り口」を発見できたことにある。 過去に映像化された作品にトライする時、決して同じままでは制作せず、必ず何かしら新しい切り口を見出し、自分達なりのメッセージを込める、これは私のポリシーでもあり、“今”その作品を制作する意義とも言える。 この我々の大胆な提案に対して、山崎先生は「面白いところに目を付けた!」と快く了承して下さった。
目線を置き換えた上で、壮大な物語を全一〇話(合計一一時間)にまとめ上げていく作業は並大抵のことではない。途中の話まで準備稿として台本を作った所で、伏線の張り方を再検討し、前の回にフィードバックしていく。第一話を決定稿にするのに二〇稿以上書き直してもらった程で、脚本家の橋本裕志氏には、最終的に全一〇話を決定稿として仕上げるのに、一年がかりで実に延べ二〇〇稿以上もの台本を書いてもらった。 そんな中、「鉄平目線で」と台本を作り始めたものの、当初は我々にも「とは言え、原作は大介が主人公だから」といった遠慮がどこかにあった。しかし、第五話の第一稿を作って山崎先生にお届けした時、先生はこうおっしゃってくれた。 原作者という立場の大半の方が「このシーンは原作にはない」とか「原作だと○○はこんなセリフは言わない」と言って、原作以外の要素を拒絶することが多い。しかし、あれほど偉大な原作者である山崎豊子先生が原作に遠慮するな、二〇〇七年テレビドラマ版の『華麗なる一族』としてベストのものを目指せ、と言って下さる。この客観的視点と懐の深さこそ、超一流の原作者たる所以なのかもしれない。そして何より先生の励ましは、その後の台本作成において、我々に大いなる自信を与えてくれた。
先生のOKを頂くには、それに匹敵するだけの勉強量と取材量、及びそれを踏まえた上での内容の理解力を求められるので、毎回リアクションを頂く時は、自分達が試されているようで、気が気ではない。 終盤の父と子の裁判劇にまつわる話は、その象徴的なエピソードである。 原作では、長男・鉄平が父・大介を告訴しようとするが、大介の策略により、すんでのところで裁判が取り下げられてしまう。 しかし、今回、鉄平目線で物語を描く上では、実際に裁判を起こして対決させた方が、父と子の対立軸をより鮮明に打ち出すことができる。その旨を、山崎先生に相談したところ、 よりによって、取材の鬼の山崎先生が今一番興味を持っているエリアで勝負することになろうとは……言葉を失うとは正にこのことである。しかし、怯むわけにもいかない。 その後、我々は、銀行業務に詳しい方、企業買収に詳しい方、当時の裁判に詳しい方、などなど、あらゆる専門の弁護士さん達のご協力を得て、三ヶ月がかりでその話の台本作りに挑み、最終的には何とか先生のOKを頂けた。
ここに記したことは氷山の一角に過ぎず、途中で何十回と企画が頓挫しそうになった。山崎先生に「もう止めましょう」と言われて、アポなしで押しかけて、何とか説得したこともある。 (「諦めが悪いこと」は、プロデューサーとして、欠かせない条件の一つと言えるかもしれない)
テレビドラマというものを通じて、超一流の作家・山崎豊子先生と真正面から向き合って、作品を作り上げることができたのは、作り手としてとても貴重な経験であり、至福の時間であった。そのやり取りの一つ一つが、かけがえのない財産である。
お時間がある方はぜひ劇場に足を運んで頂き、私がこの作品に込めた思いを感じ取って頂けたら、と思う。 (TBSテレビ プロデューサー・東大・経・平8))
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