二〇一二年ロンドン五輪に何故野球がないのか
岡野 俊一郎 (日本サッカー協会名誉会長) No.871(平成20年7月)号


 本日、この講演のために地下鉄神保町駅から歩いて来ましたら、学士会館の入口にボールを握った大きなブロンズ像があって、「日本野球発祥の地」と書いてありました。アメリカから招聘したホーレス・ウィルソン(一八四三~一九二七)が一八七二年に、第一大学区第一番中学校(東京大学の前身)で生徒に野球を教えたという史実は知っていましたが、学士会館がその野球発祥の地であったことを、私は初めて知りました。今日の演題に、日本で一番盛んな野球が、どうしてロンドン・オリンピックで消えてしまうのか、という話を選んでよかったなと思った次第です。

IOCについて
 ご承知のとおり、本年、北京オリンピックが開催されます。二〇〇八年八月八日午後八時八分、北京の鳥の巣競技場で開会式が始まります。この大会では野球もソフトボールも行われますが、残念ながら、次の二〇一二年のロンドン大会ではどちらも姿を消してしまいます。何故そうなったかという話の前に、IOC(国際オリンピック委員会=International Olympic Committee)について、かいつまんで説明をしておきます。IOCの委員は定員が一一五人ですが、その内訳はIF(国際競技連盟=International Federation)から選ばれた委員が一五人、NOC(各国オリンピック委員会=National Olympic Committee)から選ばれた委員が一五人、アスリート・コミッション(選手委員会)から選ばれた委員が一五人で合計四五人に、私のような個人で選ばれた七〇人を加えて一一五人で組織されています。しかしながら、現在IOCに加盟している国および地域のオリンピック委員会は二〇五あって、日本のように私とスキーの猪谷千春氏と二人が出ている国や、場合によっては三人出ている国もあります。ということは、世界ではIOC委員のいない国のほうが多いということになります。

 オリンピックでは今、プロもアマチュアも一緒に競技をします。これはロンドン・オリンピックを招致したセバスチャン・コーという最高責任者(八〇〇mと一五〇〇mの世界記録をつくった名選手)が、「私が陸上で八〇〇mを走ると、五万人を超える人が見に来てくれる。彼らをがっかりさせないためには、すばらしい演奏家と同様に毎日の練習が必要だ。しかし、アマチュアでいたら練習時間がない。とすれば、スポーツ選手もアーティストと同じである」という意見を発表したところ、サマランチ前IOC会長がこれに賛同して、プロもアマチュアも一緒ということになりました。しかし、既に前々会長のロード・キラニンの時から、オリンピック憲章(Olympic Charter)には「アマチュア」という言葉はなくなり、すべて「アスリート」になっています。

 また、IOCは世界のスポーツをコントロールしているように思われがちですが、オリンピックに関して接点があるだけで、国際サッカー連盟、国際陸上競技連盟、国際水泳連盟等と同列の組織です。日本でも、日本体育協会や日本オリンピック委員会は、日本アマチュア野球連盟、日本サッカー協会等と同列です。

 一つの例に、国際サッカー連盟(FIFA=Fédération Internationale de Football Association)を挙げます。FIFAでは一七歳、二〇歳、二三歳以下のオリンピック、そして年齢制限なしと、年齢別にワールドカップ(世界選手権)を開催していますが、四年毎のワールドカップの開催の間に年齢制限のないオリンピックを入れると、代表チームは二年に一度の大会とその予選のために、自分のクラブでプレーする時間がなくなります。そのために、「オリンピックのサッカー選手は、二三歳以下」という年齢制限を設けております。多少の妥協をして、本大会は三名まで二三歳以上の主力選手を入れて観客動員を考えるとしていますが、「オリンピックは世界最大、最高水準の大会であるべきだ」と主張するIOCとしては非常に不満でした。国際サッカー連盟は協議の結果、「IOCが二三歳以下という基準を呑まないなら、サッカーはIOCから脱退し、我々は独自に二三歳以下の世界選手権を開催する」との見解を出しました。というのは、今やテレビの放映権等を含めて、国際サッカー連盟のほうがIOCより収入が多いと言われています。加盟も、IOCの二〇五の国と地域に対してサッカーは二〇七の国と地域が加盟しています。お互いに意地を張っていて、FIFAはIOCから見ると嫌な競技団体という感じですが、これなどはIOCと他のスポーツ団体とが同列であることを示す好例だと思います。

 IOCで行われる競技はどのように決められるかというと、大会の翌年にプログラム委員会(Olympic programme Commission)を開いて全競技について検討をします。そして、提出された報告をIOCの理事会で検討し、その結果が総会にかけられるわけですが、私はこのプログラム委員会のメンバーですが、野球をオリンピック種目に入れるために、IOC委員に就任する前の一九八〇年代から水面下で努力をしてきました。

野球が日本で愛された理由
さて、野球の話に入りますが、一八七二年に日本に入った野球は旧制第一高等学校が非常に強く、それに早稲田、慶応と続き、早稲田では安部磯雄氏をリーダーとしてアメリカ遠征も行っています。私は日本で一番普及した競技は、野球である思っています。私自身も小学校から帰ると、ランドセルを放り出して下町の横丁で三角べースで遊びました。このゲームはベースが三つしかなく、またボールをゴロで転がして手で打つといった規則は正規のルールブックのどこにも書いていないし、しかも、セーフ・アウトも仲間同士で決めるという、誰でも出来る遊びです。これは日本人が創り出した素晴らしいスポーツ文化だと思います。

 何故、野球が日本人にこれほど愛されたのか。ウィルソンが日本に野球を紹介した一年後の一八七三年に、英国海軍のアーチボルド・ダグラス少佐がサッカーを日本に紹介しました。紹介したのは一年しか違いませんが、その後の普及度には天と地の差があります。それは野球がアメリカから日本に入ってきたという事実が大きく影響していると思います。日本で発行する世界地図は日本が真ん中にあるのに対して、世界地図の九七%はヨーロッパが真ん中にある。つまり、ヨーロッパは昔から「世界の中心はヨーロッパ」と思っているわけです。地図を見ても分かるように、日本からヨーロッパヘ行くのは大変です。今は飛行機で行けますが、ベルリン大会当時はシベリア鉄道を使いました。船で行けば、マルセイユを通らなければなりません。ところが、太平洋を渡ればすぐそこがアメリカです。関東大震災の時に、復興に一番支援をしてくれたのもアメリカですし、そういう意味も含めて、日本はアメリカに対してお隣意識のような親近感を根底にもっているのでないかと思います。

 と同時に、野球が盛んになったもう一つの理由に、チームゲームでありながら一対一の戦いが非常にアピールするということがあると思います。野球を観戦する時は、「ピッチャーは次は何を投げるのだろう。バッターはどう打つかな」と想像します。そして観客の緊張が高まり、ピッチャーが球を投げる。バッターが空振り、あるいは打つことで緊張がとける。サッカーのようにプレーの連続ではなく、観客が息を呑む瞬間と、ほっと息を吐く瞬間が交互に展開されます。ですから、試合中に生ビールが売れるということもあるのです。

 日本人は一対一に対する興味が非常に強い民族だと思います。巌流島の決闘然り、日本人の好きな囲碁・将棋も一対一です。野球はチームゲームでありながら一対一の状況が局面に端的に出ており、何勝したとか、打率何割という個人成績の数字が出てくる。日本人は個人の能力が出るものに比較的魅かれる傾向があって、草野球や子供たちの三角べースにまで浸透していったと思うのです。

 残念ながら今日の日本では、モータリゼーションの影響で、子供が道路で遊べなくなってしまいました。私は子供にとっての遊び場は大変重要であると思っております。私は一九八一年(昭和五六年)の文部省(当時)の第一三期中央教育審議会の委員を務めましたが、委員として二年が終わった時に、当時の中曽根康弘総理から、「教育こそ日本の将来の最大の問題であるから、総理直轄で第三回臨時教育審議会を開催する。スポーツ界を代表して出るように」と任命されました。臨時教育審議会としては、明治初頭の日本に学制を敷く時の第一回、終戦直後の学制改革の第二回に続いて、これが第三回目になります。私は三年間、総理直属の臨時教育審議会の委員を務め、その後また第一四期中央教育審議会の委員を、そしてその後は、生涯学習審議会の委員を務めてまいりました。そのようなことで、私は教育の仕事のなかで、常にスポーツの重要性を強調してまいりました。

 野球とオリンピックの問題では、山本英一郎さん(故人)という国際野球連盟(IBAF=International Baseball Federation)の副会長を務めた方と二人でよく、本郷の料理屋で一杯飲みながら、どうすれば野球をオリンピック競技にできるかを考えたり、またその実現のためにいろいろな調査も行いました。

 そこで分かったことは、野球には世界の統一機構がないということでした。日本にも、セ・リーグ、パ・リーグ、全日本実業団野球連盟、全日本大学野球協会、日本高等学校野球連盟を統括する団体はありません。スイスにある国際野球連盟は四年に一回のワールドカップを開催していますが、これはアマチュアの大会です。二〇〇六年に第一回大会が行われ、日本が優勝したワールド・ベースボール・クラシックは、国際野球連盟とはまったく別組織のアメリカ大リーグ選手会が主催したものなのです。

 残念なことに、国際野球連盟に加入している国と地域は一一八です。さらに世界的にみると、日本とアメリカを除き、新聞その他の露出度が極めて少ない。こういう事実だけを集めて、IOC理事会に報告書を提出するわけです。

 私が最初に山本英一郎さんに頼んだのは、統括団体をつくってほしいということでした。山本英一郎さんは苦労して日本アマチュア野球連盟をつくって、形だけは実業団と大学が一緒になりました。統括団体でないと、日本オリンピック委員会は加盟を認めず、選手をオリンピックに派遣できません。それでも、IOCはなかなか正式競技として承諾してくれませんでした。何故なら、日本のように日本アマチュア野球連盟と日本ソフトボール協会が分かれている国は、ほとんどありません。世界のほとんどの国は、ナショナル・ベースボール・アンド・ソフトボール・フェデレーションですから、両方一緒なのです。ですから、これをどちらに数えるかは非常に難しいわけです。今、ソフトボールは野球より多い、一二〇カ国が加盟しています。

 もう一つ、何故、野球が正式競技になるのが難しいのか、と言うと用具にお金がかかるからです。グラブが要る、バットが要る、ヘルメットが要る、スパイクが要る、ベースが要る。小さなボールを打ってどこかに飛んでいってしまったのを補充するのは、豊かな国でなければできません。用具にお金のかかるスポーツは、残念ながらまだ世界に普及していないのです。加えて、ルールが難し過ぎます。野球のルールブックはとても厚く、つまりそれだけ規則が多いわけです。一例として、サッカーはルールブックが薄く、一七条しかありません。しかもサッカーで一番大事なのは、一八条という書かれてないルールで、それは常識です。常識がすべてを決めるとするのがサッカーではルールの考え方です。したがって、アフリカでもアジアの貧しいところでも、審判ができます。ところが、難しいルールですと、すぐには審判ができません。ということで、残念ながら野球はまだまだ世界で普及していないのです。

 しかし、野球をなんとかオリンピックの正式競技に入れようと努力を重ねた結果、一九九二年のバルセロナ大会で正式競技になりました。当時、国際野球連盟の会長はボブ・スミスというアメリカ人で、私は彼とも以前から一緒に努力をしていましたが、この時私は既にIOC委員でしたから、バルセロナの野球場へ参りました。ボブが、「おまえ、ファーストピッチ・セレモニー(始球式)をやれ」と言うのですよ。私が見に行ったのは準決勝ですから、「ファーストピッチ・セレモニーは開幕戦だけじゃないか」と聞くと、「とんでもない、いつやったっていいんだよ」と。こういうところが、いかにもアメリカ的ですね。

 私は一五歳からサッカーを始めたのですが、戦争前は野球をやっていましたから、グラブを借りてボールを持ってみました。硬球は重いですよ。ワンバウンドはみっともないし、暴投も困る。私はボブに、「二、三球投げさせてくれよ」と言いました。「ノー。ファーストピッチだから、ファーストピッチ・セレモニーだ」と、笑って取り合ってくれません。仕方がないので、本番のセレモニーで始球を投げました。日本対アメリカの試合でしたが、アメリカ・チームのキャッチャーがジャンプして取ってくれました。ワンバウンドにならなくて、まだよかった。もっとも四年前のアテネ大会でソフトボールの始球式をしたときは、ワンバウンドでした。その後、国際ソフトボール連盟のドン・ポーター会長から、私が投げた直後のカラー写真を送ってきましたが、それに手紙がついていて、「シュン、君のファーストピッチは、パーフェクトストライクと記録してある」と書かれていました。ワンバウンドですよ、彼一流のジョークですね。

東京オリンピックの実現を
 バルセロナ大会の四年後の一九九六年、アトランタ大会からソフトボールが正式競技になりました。現在、夏のオリンピックは競技数が二八ありますが、大会後に毎回それらの競技すべてのイベント(種目)、ディシプリン(種別)、スポーツ(競技)の三つについてIOCで検討します。スポーツについては総会で、ディシプリンとイベントについては理事会で決定しますが、アテネ大会後も報告書を出しました。ローザンヌのIOC本部に二日間缶詰になって、競技人口が何人で、年間どういう大会を開催して、スポンサーはどこで、国際連盟に何カ国加盟しているか等々、二八競技すべてについて調べて、理事会に報告書を提出します。理事会は、それをもとに案を作成して総会に諮り、競技については投票で決定します。

 その結果、残念ながら野球とソフトボールは継続不可という投票結果になりました。この二競技をはずすと、競技数は二六になるので、それを埋めるためにゴルフ、スカッシュ、七人制ラグビー、ローラースポーツ、空手の五競技が候補に挙がりました。しかし、この五競技とも投票の結果、採用されなかったので、ロンドン大会では野球とソフトボールを除く二六競技が行われます。日本にとって野球とソフトボールは、出場すればメダルは確実です。日本では、メダルを取らないとメディアにも載らないし予算もつきません。そのメダル候補二つが消えてしまうのは、非常に残念なことです。山本英一郎さんの後の国際野球連盟の副会長はJR東日本の社長・会長を務められた松田昌士さんが、会長はアメリカのハービー・シラーさんが務めており、私は今もって野球連盟とはおつきあいをさせていただいておりますが、日本人が得意なスポーツは何としても残しておきたいと思うのは、日本人として自然の心情です。

 補欠として用意された五つの競技、七人制ラグビー、スカッシュ、ゴルフ、ローラースポーツ、空手のうち、最初の三つはコモンウェルス(英連邦)で盛んなスポーツです。空手は日本ですが、ローラースポーツもヨーロッパです。つまり、アメリカのスポーツが二つ無くなり、補充候補は主としてヨーロッパのスポーツで占められています。今IOC委員は一一〇人で、五名の欠員がありますが、そのうち半数近くの四九人がヨーロッパ出身の委員からなっています。さらに、コモンウェルスが二三人いますので、それらが一緒になれば、委員の過半数を占めるのが、IOCの現状です。

 余談ですが、アジアの委員は一八人です。アジアにはアラブ諸国が入っており、アラブのIOC委員は全員プリンスです。サウジアラビアのプリンス・ナワフは、サッカー協会会長でオリンピック委員会委員長でもあります。カタールのプリンス・アルタニも、NOCの会長でありサッカー協会会長です。一躍有名になったハンドボールのシェイク・アハマドは私の親友で、クウェート国王の甥です。彼らはだいたい二十代でIOC委員になっていますが、そこで少し気になるのは、メンバーがこれまでも立派なメンバーであったヨーロッパの王室の方々に加え、さらにアラブの王族の参加が多くなると、かつてのIOCのようになるのではないかと思います。私のような菓子屋(「岡埜栄泉」)はおりません。

 そのようなわけで、スポーツはヨーロッパが中心ですが、日本はアメリカを仲間だと思っているので、「歴史もあるし、日本人の気質にも合う野球を」と思うのですが、世界ではマイナーなスポーツです。加えて、用具の問題や競技施設の問題があります。競技人口が少ないわけですから、野球場をつくっても後に使う人がいない。しかも真ん中にマウンドがあるため、他のスポーツができません。オリンピックの後、使えないような施設に無駄なお金を使うのはいやだというのも、二〇一二年のロンドン大会で、外された理由の一つです。

 野球を復活させるためにも、二〇一六年の東京開催に向けて今、石原慎太郎東京都知事が頑張っておられますが、皆さま方のご協力を仰がなければ、招致はかなり難しいと思います。今、東京の他に南米からリオデジャネイロ、アメリカからシカゴ、ヨーロッパからマドリッド、プラハ、バクー(アゼルバイジャン)、アジアからドーハ(カタール)の七都市が立候補を表明しています。二〇〇八年六月四日に、これを絞り込んだ発表がありますが、IOCとしては三つ乃至五つに絞り込みたいわけです。日本の世論調査の結果では、現在七三%の国民が応援してくれていますが、IOC評価委員会は独自の機関を使って極秘裡に調査をしますので、ここで支持率がガクンと落ちると、招致は難しくなります。

 リオデジャネイロは南米大陸では初めてのオリンピック開催となります。ご存じのように、オリンピックの五輪はヨーロッパ、アフリカ、アジア、オセアニア、アメリカの五大陸を意味しており、南北アメリカ大陸を一つに数えていたために、今までアメリカでのオリンピックの南限はメキシコまででした。そのようなこともあって、リオデジャネイロは招致に相当力を入れており、設備も非常に整っています。また、IOC委員のなかにも、ロンドンの次が、マドリッド、プラハ、バクーですと、「またヨーロッパか」という思いがあります。しかしながら、マドリッドはサマランチ前会長の後押しがありますから、入る可能性は大きい。リオデジャネイロ、シカゴ、マドリッド、東京の四候補に絞られてほしいのですが、ドーハが入って五つになるとアジアの票が割かれる可能性があります。イスラムの力はアラブ地域だけでなくアフリカにも強くありますから、なかなか手強い。二〇〇九年一〇月二日にコペンハーゲンのIOC総会で結果が出ますが、その前の二〇〇八年六月四日に、幾つに絞られるかが問題です。その後は堂々と招致活動ができるようになり、二〇〇九年一〇月二日までの一年四カ月が最後の決戦になりますが、なんとかして東京に招致したいと思っています。

 私が東京開催を切望するのは、野球やソフトボールの問題だけではなく、オリンピックは一種の平和運動だからです。四年に一度の夏と、四年に一度の冬に世界の若者を集めて、相互理解を深め、世界の平和に貢献するのがオリンピック・ムーヴメントです。さらに、日本の子供、若者が世界のトップ・アスリートを身近に見て、「スポーツは素晴らしい」と刺激を受けて欲しいし、これを機会に都市とスポーツをもう一度、考える機会にもしたいのです。何故なら、私は今の子供たちの心身の健康がとても心配なのです。今、IOCが中心となり、「三つのスクリーンの危険」を訴え始めました。すなわち、テレビのスクリーン、パソコンのスクリーン、モバイルフォンのスクリーンです。この三つはすべて、座ったまま、独りでできます。仲間と一緒にする必要がないし、汗を流すこともありません。日本の今の中学生の平均身長は一七四センチメートルにまで伸びました。しかし、身長に比例して、骨が太く、筋肉が増え、心臓や肺臓の動きが大きくなっているかというと、それらは身長に追いついていません。オーバーな表現かもしれませんが、体は多少大型自動車並みになったけれど、積載エンジンとしての心臓や肺臓は小型車のままで、フレームとしての骨は軽自動車並みで、転ぶとすぐに骨折する。運転系統である神経は発達不十分です。このようなことになるのは、生活のなかに遊びがないからです。さらに、昔は赤ちゃんが畳の上で這い這いをしていたので、首を上げることによって背筋が鍛えられましたが、今はフローリングに絨毯を敷いている家庭が多いので、埃を気にして這い這いをさせないで、すぐ椅子に座らせますので、筋力が育ちません。

 また、現代はインフォメーションとコミュニケーションが混在しています。メールはコミュニケートしているのではなく一方的な伝達です。相手の声の抑揚、顔の表情から相手を理解するのがコミュニケートです。コミュニケーションは、フランス語のコミューン=心を伝えるという言葉から由来しています。インフォメーションは形のなかに入れる、つまり伝達です。伝達と心を通わせることとは違いますが、パソコンやモバイルフォンなどすべて、一方通行な伝達にもかかわらず、コミュニケートしたと思い込んでいます。これは恐ろしいことですね。ですから、最近の子供たちの恐ろしい犯罪までもが、マスコミに出ることになってしまいます。

 かつてはよく歩きました。今は車に乗り、エレベータやエスカレータを使い、電気掃除機、電気洗濯機等を使って家事をします。ですから、体を使わなくなりました。便利になって余暇が生まれたのはとてもいいことで、陽の当たる部分と言えましょう。しかし、陽が当たれば必ず影ができます。影とは、生活のなかに自然にあった身体的刺激が失われていくために、発達・発育が十分に行われないことです。影の部分を補うのは、楽しく汗を流し、仲間と一緒に動くことなのです。

 文明社会は分業の社会です。我々は、皆の協力のなかで生きています。ですから、チームでスポーツを楽しみながら汗を流し、「つらいかもしれないけれど、仲間のために努力するのだ」という心を育てるうえでも、スポーツの役割があると思います。もう一度、若者や子供たちが身近に、トップレベルのスポーツ選手のパフォーマンスを見て、「スポーツもいいな、私もやってみようかな」という気持ちを起こしてもらいたいのです。と同時に、できるだけ都市のなかにスポーツができる環境を身近につくって、高齢者がスポーツを楽しむ。若者や子供はスポーツをするなかから「人間は仲間と生きている、一緒に汗を流している、一緒に何かをつくり上げている」ことを理解し、健やかな心が育つ。スポーツは、高齢者の呆けや寝たきりの防止、子供たちや若者の心の荒廃の抑制にもなります。

 私は東京にもう一度、オリンピックを招致して、身近なところでスポーツを考えると同時に、野球とソフトボールを復活させたいと考えて今、努力をしております。ご清聴有難うございました。

(日本サッカー協会名誉会長・東大・文・昭32)
(本稿は平成20年3月10日夕食会における講演の要旨であります)