文化財建造物みてあるき① 自由学園明日館
内田 祥哉
(東京大学名誉教授・金沢美術工芸大学客員教授)

No.839(平成15年3月)号

文化財というと、触れない、使えない、復元を強いられる、という重苦しい評判があるので、手始めとしては、誰もが触れて、使える気楽な文化財を選んでみた。

東京山手線の池袋駅を東武鉄道側に出て、メトロポリタンプラザから歩いて四~五分。木造平屋一部三階建ての明日館中央棟は、左右に東西教室棟を伴い、近代建築に興味を持つ人なら、一目で、フランク・ロイド・ライトの作品とわかる外観である。

ライトはアメリカの生んだ建築家の巨匠。アメリカには多くの作品が、残されているが、日本では芦屋市にある旧山邑(やまむら)邸(重文)などがある他、有名だった帝国ホテルは、その一部が明治村に再現されている。

明日館で最初の教室が完成したのは一九二一年。当時帝国ホテルの設計のために来日中だったライトに、自由学園の創立者羽仁夫妻が建築家遠藤新(あらた)を通じて設計を委嘱したとされている。遠藤新はライトの信奉者であり、ライトの設計を手伝うかたわら、自らもライト風の作家として多数の建築作品を残している。当時ニューヨークを羽織袴で闊歩したという噂のあるように、信念を持った熱血漢である。

明日館の細部について、何処までがライトの指示によってできたかは建築史家の研究に任せるとして、二人の連携が明日館にとって、かけがえのないものであったことは疑いない。

食堂の三方に拡張されている小食堂は、竣工後まもない、遠藤新の手による増築と言われ、ここには増築のために撤去した当初の窓が転用され保存されている。

道を隔ててある明日館講堂は、ライトの息のかからない遠藤新の作品である。内部は彼が得意とした三枚おろしという構成で、左右両翼の天井高を低く押さえ、各部にライト風を感じさせる空間である。

今回の修理は専ら中央棟と西教室棟で、そこで話題になったのが軒先の色である。ライトが緑に塗るはずがないという研究者たちの意見が取り入れられないで、修理の結果緑色になったのは、当初は緑であったという証拠が、解体調査で報告されたからである。しかし、ライトの意志に反して塗られたのでは? とか、それは下地の色だったのでは? というたぐいの推理は時代の霞のかなたで消しきれない。

教室棟では柱を支える土台が地表面以下にあったので、泥にまみれて腐食していた。これは、教室の床を地表面と平らにするためだったというが、ライトの設計が日本建築の常識を無視したためというのが、大方の意見である。修理は、維持管理責任のある所有者の立場を考え、材質を代えないために位置を高くするか、形を変えないために材質を変えるかで、歴史家の意見が激しく分かれた。

明日館では、保存修理について改めて考えさせられることが多い。元々この建物は伝統的日本建築とは違って、柱も細く外壁を支える壁下地が粗末だから、雨水の浸入で骨組みの腐食が甚だしかった。また仕上げの主要な部分はモルタル塗りや漆喰塗りで、これを剥がさなければ骨組みの修理はできない。とは言え、剥がせば外観を構成していた塗り壁は粉となって消失するし、粉となったモルタルは再利用も難しい。誰もが言うように、設計図に従って新築する方が、遙かに簡単で、しっかりした建物ができる。同じ材種で、同じ形に再現するという考えなら、それで良いことになるが、古材そのものを保存しようとすると、はなはだ困難。木造モルタル塗りの文化財という修理経験のない建物だからである。

中央棟の漆喰壁を剥がしているときに、塗り込まれてしまっていた壁画が見つかった。修理委員会は竣工当時を記憶している学園の先輩たちを訪ね、そのイメージを現役の生徒さんたちの手で復元した。

明日館は、動態保存のモデル建築として、活発に利用されている。月曜日を除き見学可能であり。申し込めば小規模の会合に教室も借りられる。また中央の食堂を含めて、結婚式やクラス会にも使われている。交通が便利なこと、使用料が手頃なこと、レッキとした国の重要文化財であることなどで、目下のところ利用者は後を絶たない、建造物は使っていてこそ維持保存ができるという最近の考え方を反映した実例である。

(東京大学名誉教授・金沢美術工芸大学客員教授・東大・エ博・エ・昭22)