介護保険と介護予防
一番ヶ瀬 康子
(長崎純心大学教授・日本女子大学名誉教授)
No.835(平成14年4月)号

はじめに
 私の学問領域は社会福祉学です。この領域は大変新しい領域ですし、また日本の場合、福祉国家と言われる国々と違い、国立大学にこの領域の専攻がありません。社会福祉学の前身は社会事業学という領域で、私は家政学部を卒業していることになっていますが、これは日本女子大学が日本で最初につくった社会事業学部という1921(大正10)年以来の学部の後裔です。つまり、1921年に社会事業学部という名前で社会事業の専攻コースができたのですが、その後、文部省が「社会」という言葉がけしからん、名前を変えなさいということがあって、名称を変えたといういきさつがあります。

 その後、また社会事業学部になりたいと私ども卒業生は望んでいました。文学部社会福祉学科となりましたが、文学部ではなじめない、ぜひ学部にということで、私の定年最後の仕事は、人間社会学部という社会学部を立ち上げて、そこに社会福祉学科を位置付けることでした。

  この間、いろいろな先生方に助けていただきましたが、とくに社会事業学部の創設時には、戸田貞三先生、我妻栄先生等々の諸先生が率先して非常勤で助けてくださった歴史が残っています。そういう学部の末裔の出身であるということを、最初に申し上げておきたいと思います。

高齢化社会から高齢社会へ
 日本が高齢化社会になったのは1970年です。65歳以上の方が全人口の7%を占めました。この時、当時の厚生省が全人口のうち14%を占める高齢社会になるのはいつだろうかという予測をしました。それによると、おそらく1996年か97年頃に65歳以上の方が14%になるだろうという見通しでした。ところが、日本は予測以上に早く、しかも、すでに高齢化を迎えていたイギリスやフランス、ドイツやスウェーデンといった欧米諸国に比べて、きわめて速いスピードで高齢社会になりました。1994年に14%を超えたのです。

 その間、1970年代くらいまでは、いろいろなところで介護問題の話をしても、「うちは子供がいるから大丈夫」、また「貯金があるから大丈夫」という発言が相次いだくらい、介護の問題は私的に捉えられていたと思います。

  ところが、1980年代の後半になって、だんだん事態が変わってきました。一つは1人暮らしの高齢者の方が増えてきた。さらに、この頃から国際婦人年などをきっかけとして共働きが当然のあり方として増加してきました。そして、最も深刻になったのは、子供も高齢者に近づいて、その子供を当てにして介護を考えていくと共倒れになる家族が出てきたことです。

  このような状況下で介護を単に私的なこととして捉えてすむのかということから、介護の社会化ということが言われ始め、いかに介護の社会化を進めるかという議論が高まってきたわけです。

  1989年頃に、厚生省はようやく日本の介護を社会化していく上で、北欧のような高負担・高福祉ではやりきれない、中負担・中福祉という言い方で進めて いこうと、ゴールドプランを提示しました。

  ところが、そのゴールドプランはどうもその見積もりでは少ない。とくにホームヘルパーの数の見積もりが少ないという指摘が出たため、その後、各地方自治体に計画策定を義務化し、それらを合計して新ゴールドプランができたわけです。

  そして、その新ゴールドプランの財源をどうするかという問題が生じて議論が巻き起こりましたけれども、結局、介護保険というシステムを組み入れる方向に決まりました。細川内閣の頃は、消費税、とくに福祉目的税でという考えを首相自ら持っていたようですが、次の内閣の時には、どうも消費税では推し進められない、あるいは消費税に対する不信感もあるということから、ドイツの介護保険を参考にすることにして、保険という方向へ踏み切りました。

介護保険の導入
 その介護保険をめぐる介護保険法の成立について、いろいろな世論調査や事情聴取の会合、シンポジウムが行われ、1996年12月に介護保険法が成立しました。当時、総務庁の世論調査では8割の国民が賛成していました。反対の人は介護の現場を知っている人、あるいは痴呆老人を抱える家族の会の方々など、そういう人たちであったと思います。

  反対派の意見は、いまのままの状態だと「保険あって介護なし」という事態が必ず生まれるのではないか、あるいは保険料を賄えない人が出てきて国民健康保険の二の舞いになるのではないかというような意見でした。そういう意見はいろいろな会合で強く出ていたのですが、総務庁の世論調査で8割の人が賛成だったことを追い風にして、12月に成立したわけです。

  ところが、いよいよ実際に介護保険が始まることになって、2000年4月にまず保険料の半額徴収、そして今年(2001年)の10月には全額徴収という形で進んできました。その直前の世論調査に、私は非常に興味を持ちました。というのは、共同通信社をはじめ地方紙に記事を送っている、いわゆる通信社が集まってつくっている世論調査のグループのなかで、大変注目すべき傾向が表れていたからです。

  私はその調査結果のコメントを求められましたので今でも覚えているのですが、1996年時点で8割賛成であった世論に対して、直前の世論調査では、本当に賛成というのは2割でした。これは新聞社の調査ということと関係はないと思うのですが、賛成以外の8割は、この制度はよくないという否定的なものから、改善をしていかなければ非常に困ることになるのではないか、あるいはとても不安だというような考えをもっていて、概ね否定的な方が非常に多かったのです。

  私はどうしてだろうと実際に調査をされた方に聞いてみましたら、介護保険は保険なのだから、入りたい人が入ればいいと考えていたり、あるいは、保険証を持って行けばそれで介護が受けられると思っていた、という人もかなりいたということでした。つまり1996年時点での世論調査では内容を十分に理解せずに、8割の人が賛成していたことが明らかになったのです。

  では、どういう点が不安で、どういう点が反対で、どういう点が改善すべきなのかということですが、多くの人が次の3つのことを言っています。

介護保険の課題
 最も多い意見は、これから高齢者が急速に増えていくなかで、痴呆あるいは重介護の人も同じパーセントで増え、数がどんどん多くなっていくだろう。ということは、介護保険料をもっと上げなければならない事態になるという不安を持っている人が多かったのです。この不安はもっともなことだと思います。

  2番目は、介護保険が始まる前後から、かなりの企業、とくに大企業がテレビやその他を通じて、「介護はわが社で」というような宣伝を大々的にしていました。それを見ていた高齢者の方々は、あのような派手なテレビ宣伝費はいったいどこから出るのだろう、かつて自分はいろいろな高齢者向けの営利企業に引っかかって痛い目をした経験がある。そういう点から考えると、このような営利企業が参入してくるのは非常に不安だという意見でした。

  3番目は、保険料が高いという意見です。

  概ねこの3つが主な原因になって、かつて8割賛成だったのが、実態が明らかになるにつれて2割に減ってしまう事態になったのです。

 これが、その後どうなったかということを申し上げておきます。

  ①高額な保険料
 まず、3番目の保険料が高いということから、ご説明いたします。各地方自治体で決めた保険料のなかには、当初、北海道のある村のように月に5千数百円という設定がありましたが、これは厚生労働省で地ならしをして、だいたい月3千円平均という保険料になったと思います。もう一つ、保険料を賄えない人については生活保護法のなかに介護扶助を導入して、そこで対応するということが当初決まったのですが、生活保護法というのは一種のスティグマ(不名誉)があって受けたくない、あるいは受けた人に対して親族や近隣の方が偏見をもって見るといったことがあります。そのため、生活保護を受けている人の倍くらい同じ生活水準の方がいるにもかかわらず、現状では受けていない。したがって、私どもは介護扶助が設けられても、その問題は容易に解決しないと思っていましたが、現在は減免措置をとって努力をするという自治体が139に及んできています。これでは保険原理が崩れるのではないかということで、厚生労働省はあまり積極的に進めないようにという立場をとっていますけれども、私は公的介護保険には「公的」ということが付いているだけに、各自治体の決断で減免措置をとった139の自治体については、むしろ賛成をしています。

  そういう意味で、保険料が高過ぎることへの対応については、現在かなりの地ならし、努力、工夫、あるいは改善が進んできていると言えると思います。

  ②営利企業による介護サービス
 次に、2番目の営利企業が介護サービスに進出することへの不安ですが、介護保険が実施に至って半年くらいの時に、参入していたある大手企業が撤退しました。どうして撤退したかと申しますと、介護サービスを受ける利用者がほとんどない、あるいは少ないということと、もう一つは、こういう介護サービスのような仕事の事業体は人件費が8割を超えるということで、これはもうやっていけないという決断だったようです。

  どうして利用者がそんなに少ないのかということについては、日本経済新聞社の調査によると、たとえば電話をかけてホームヘルパーを依頼する、あるいはケア・マネジメントの結果、企業からホームヘルパーの方が来ることになると、まったく見ず知らずの人が電話一本で我が家に来る。これはやはり不安だということや、ヘルパーの方が本部でつくられたマニュアルを持っていて、たとえば家事援助の最後の30分は靴を履いていなさいというマニュアルがある。もう少し話をしたいとか、あるいはもう少し丁寧にいろいろやってほしいと思っても、きっかり30分前には靴を履いていなさいというマニュアルのもとでは、実際にヘルパーの方にはそれができないということもあるのでしょう。非常に冷たいし、それからまた基本的に何か空しいという声が利用者のなかにあったようです。

  結果的に利用者のかなりの方が、以前から社会福祉協議会がやっていたホームヘルプサービスのヘルパーを選ぶとか、あるいは社会福祉法人や医療法人が始めているサービスのほうが信用できると感じ、さらには生活協同組合や農業協同組合、あるいはボランティア・グループがNPOを立ち上げて介護保険事業として参入をしていたそのヘルパーに頼むようになりました。当初からNPOのグループはありましたが、割合としては十数%で、圧倒的に医療法人、社会福祉法人が多いのですが、こういう非営利グループの介護サービスのほうがどうも温もりがある。あるいは、顔なじみの人が来てくれるし、時間が多少過ぎても丁寧にやってもらえて、マニュアルなどで決まったことではないのに、休日にわざわざ声をかけに来てくれる人もあるというようなことなどが好評でした。結果的にこれらの理由が営利の介護を、福祉事業、とくに介護サービス部門から退けたと言えると思います。

  ③痴呆・重介護者の増大
 最後に、1番目の理由ですが、高齢者の人数が増えるに従って重介護あるいは痴呆の方の人数が右肩上がりに増えていく。そうすると、そういう方々に対する財源として、保険料をもっと上げなければならなくなる、あるいは増やさざるを得ないのではないかといった疑問です。これはかなりの方がそう思っていると思います。

  じつはこの点が介護予防と関係があるのです。介護保険が実施された当初、このまま高齢者が増えていくとして、それに比例させて痴呆の率あるいは重介護の率を右肩上がりに線を引いていくと、重介護の人数が増えていくという宣伝がかなりありましたが、実際にそうなるのかどうかということについては、その後さまざまな議論が出てきました。

  というのは、日本はアメリカやデンマークなどに比べて重介護が非常に多いのです。これも数年前の厚生白書に出ていましたが、いわば病院や特別養護老人ホームなどで寝たきりの方の率が日本の場合は3割くらいですが、アメリカやデンマークはせいぜい4、5%という数字が出ています。どうして日本の高齢者だけが寝たきりになっているのか。以前、デンマークの女性の厚生大臣が来日して、日本の病院や特別養護老人ホームを見学した時に、「これは寝たきりではなく、寝かせきりだ」とおっしゃいまして、大変注目されました。日本では寝たきりの重介護がそのままに放置されて、そして、さらに重介護が増えていく。これは日本の介護にとって非常に心外な状態であると言えると思います。

  それから痴呆の率ですが、これも北欧諸国などに比べると日本は高めです。アルツハイマーはいまだに原因がはっきりしていませんのでやむを得ないとしても、果たして老化による痴呆をこのまま放置しておいていいものかどうか。このまま放置していくと痴呆の方が増えていきます。日本もこれをどうにかしなければいけないという世論が盛り上がってきました。

  こういう点を集中的に考えて努力をしてきた国の一つが、アメリカです。アメリカは「ピープルス・ヘルス2000」という計画で介護予防を積極的に行いました。このままいくと、高齢者の保険医療費で国の財政が圧迫される。したがって高齢者の保険医療費をこれ以上増やさないように、積極的な自立促進、そして介護予防を工夫していく努力をしてきました。結果的に、アメリカは2000年までに当然右肩上がりに線を延ばせばなるであろう額の3割減のところで横ばい状態にしました。これはNHKでも報じられていましたが、そういう状態に持っていけたわけです。

  デンマークも、介護サービスのあり方に対して非常に工夫をして、寝たきり・痴呆をつくらない方向へもっていきました。アクティビティ・ケアという領域を地域で積極的に展開することに力を入れてきたのです。

  結果的に介護予防の問題を介護保険と同時に車の両輪として考えていかないと、介護保験のほうも財源的に破綻をしかねない。そして一方で、要介護が重介護になっていくのをこのまま放置しておいたら、介護を受ける側も不安であり、不幸である。できるだけ自立を促し、重介護にしない、痴呆化を進めないという対策を介護保険とともに努力しないと、日本の介護問題はあまりにも一方に偏っている。こうしたことから、介護保険が実施されてから、次第に介護予防の問題が積極的に論じられるようになってきたのです。

自立や生きがいに向けた介護
 今の介護はよく3大介護と言われるのですが、それは食事・排泄・入浴への介護です。ところが食事・排泄・入浴にしても、ただ機械的に介護されることは誰しもプライドが許さない、あるいは嫌な感じがします。そうではなくて、そのような重介護を受けるにしても受けやすい言葉をかけるとか、あるいはやがて自分で使えるような福祉用具の介入など、いろいろな工夫をもっと積極的に組み入れていかなければいけないのではないかと思っています。

 じつは私は、日本介護福祉学会の会長をしています。どうしてこういう羽目になったかと申しますと、学術会議におりましたのは1980年代の中頃の13期でした。毎期、その期の学術会議のテーマとして何を中心に考えていくかということが議論になるのですが、13期の場合は「高齢化社会に向かっての研究」が大きなテーマになりました。そして、特別委員会ができまして、私はそこに特別委員として参加し、その結果、学術会議では時の総理大臣、中曾根康弘氏に勧告をしました。その勧告は、当時のソ連には国立の高齢者問題に対する研究所がある、アメリカにもある、ところが日本にはない。と同時に、フランスやスウェーデンはかなりの国費を使って高齢者問題についての積極的な研究をしているが日本は大変遅れているし、また総合性に欠けているということで、早急に高齢化問題を考える国立の研究センターをつくってほしいという内容でした。

  結果として、すぐには実現しませんでしたし、その後愛知県で実現したものの、やはり医学中心で、食生活のことを考えると栄養学や家政学も必要だし、福祉サービスのあり方を考えると、私どものように社会福祉学をやってきた者も必要だと思っていましたので、その提案とは程遠いものになってしまったのが残念でした。

  しかし、その時にいろいろな研究連絡委員会が学術会議にありまして、それぞれの委員会で高齢化に向かっての提案をしようということになりました。私はちょうど社会福祉・社会保障研究連絡委員会の委員長でしたので、そこで討議しました。介護の問題が日本ではないがしろにされている。介護は私的にということでしたから当然なのですが、それでも1人暮らしその他で介護を必要とする人に対しては、非常勤で何の資格も教育も訓練もない当時の家庭奉仕員の方が臨時的におやりになる。それも所得の低い人に限られている状態でありましたので、これでいいのかということを議論しました。

  その時に、ドイツとスウェーデンが高齢者の介護問題を含めて専門性を追究していましたので、そこのカリキュラムなどを参考にして、私どもの意見をまとめて時の厚生大臣、斎藤十朗氏に意見書を提出しました。その中身は介護はただやればいいというものではなく、私どもの意見書にもありますが「人権保障の総仕上げとしての介護のあり方」というものを考えると、やはり一定の専門性を持たせ、教育・研究・学習活動を積極的に進めてほしい。そして、その専門の資格を設けてほしいということを意見として提出しました。

  その結果、1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」という法律が制定され、「介護福祉士」という資格が国家資格としてできたわけです。その後、介護福祉の学校も多数創立され、現在、介護福祉士の専門家養成校は全国でほぼ400、そして4年制大学にも介護福祉コースを持つ大学が20を超えるほどになりました。介護を受ける方々の人権保障として介護福祉の中身をより高めて、これを積極的に広げていこうという思いから、私どもは日本介護福祉学会をつくったわけです。今この学会員数は1200人になります。

  以上のようなことから、食事介助、入浴介助、排泄介助の3大介護だけを機械的にやるのではなく、それらをできるかぎり工夫すると同時に、自立や生きがいに向けた介護のあり方を研究して、これをどう実践していくかが大きな課題になりました。

介護保険と予防介護
 ①介護保険内の介護予防
 あらためて介護予防というものを介護保険との関係で考えた時に、私は2つの側面があると思っています。

 一つは、介護保険内での介護予防がもっとなされなければならないということです。具体的には、介護のなかにもっと予防的な要素を組み入れて介護の方法を考えていくというあり方です。

  たとえば日本の特別養護老人ホームはほとんど大部屋ですが、大部屋では介護の質をより高めることは、あるレベル以上はどうしても難しい。と同時に、利用者の方々のストレスや心の状態に非常に暗いものがあります。家族が大部屋に休んでいる人を訪問しても思い切り話もできない。そういう意味で、やはり個室化の問題があります。

  それともう一つ、在宅の場合には自宅における事故が激増しています。どれだけ介護を一生懸命やっても、骨折して寝たきりになれば痴呆はすぐにやってくるわけです。住宅内事故を防ぐための住宅改造なども含めて介護を考えなければならない。

  あるいは食事介助の問題もあります。口のなかにただやたらと押し込むような食事介助では介護を受ける側はおいしくもないし、苦痛でもある。そういうことを考えると、ゆっくりじっくり自分で食事を食べられるような介助のあり方は、結局、福祉用具などが介在しますと、大変な効果があります。

  そういうことも含めた介護のあり方を考えていこうと思ってきたわけですが、こういう点がじつは現在のケア・マネジメントの必要性を判断する人たちのなかで十分理解されていない。あるいは現在のホームヘルパーの方や特別養護老人ホームの施設長、そして職員の方に理解されていない状態が非常に残念なことだと思います。

  たとえば介護保険のなかから住宅改造は上限20万円、福祉用具についても費用が出されています。しかし、実際の現場や住環境との関係をも考慮した介護のあり方についての認識が行き渡らないために、結果的に与える介護・与えられる介護で終わっています。

  そればかりではなく、スウェーデンの例などと比較すると、日本では在宅サービスの場合、かなり重い介護を要する方でも24時間のうちの10%くらいしかホームヘルパーさんの介助を受けていない状態です。スウェーデンの場合は平均30%と言われています。日本よりヘルパーさんのヘルプの時間が長いし、密度も高いと言えるのですが、それでもよくよく考えると、24時間のうちの平均して30%です。あとの時間は自分1人か、もしくは時々インフォーマルな家族や友人のケアを受けている状態なのです。したがって自分1人の時が長く、またインフォーマルなケアもまばらであるのに、どうしてスウェーデンでは事故が起きないのか、あるいは問題が少ないのかという点を見ていきますと、これはやはり住宅の改造と福祉用具の普及が日本と違って非常に行き渡っているからなのです。

  1976年にスウェーデンは住宅基本法のなかで建物を造る時点からすべての建物をバリアフリーにすることを決めています。玄関の広さやお風呂場の広さも車椅子が通れる広さ、冷水・温水が自分の手で出せるように、さらに手すりを付けるなど、その人の障害の状況に応じて地方自治体がさらに建物の改造をするということが決められていました。

  たとえばリウマチなどで手が不自由な方の場合にはカギを開けるのが不自由ですが、開けやすいカギに替えるとか、カギに多少の工夫をして、リウマチの方でも自分で開けることができるようにするとか、いろいろきめ細かな住宅への配慮、福祉用具の普及を行っています。この点が日本の場合は、介護保険の事業予算として、当初厚生省が予測をしていた額の3割くらいしか使われていないほど普及が遅れている状態なのです。

  この点をこれからどうするかということは、私は介護用具の問題と関連して介護保険そのもののサービスのあり方、その充実という意味も含めて、大きな検討事項であろうと思っています。

  以上の介護予防のあり方は介護保険内で可能なことですが、そのためにはケア・マネジャーに、もっと福祉用具や住宅改良のこともしっかりと学習をしていただいてケア・プランをつくってほしい。ホームヘルパーの方にも住宅改善とか福祉用具についてもっと学習を深めてほしいと言って、研修のあり方を考えているわけです。その点を充実させていくことと、もう一つは介護保険外の介護予防の問題をどうするかということが大きな課題であると次第に言われ始めています。

  ②介護保険外の介護予防
 介護保険外の介護予防は、生活支援事業も含めてですが、平成13年度予算額で500億円です。来年(平成14年度)はさらに増える予定ですが、そこで一番大事なことが、まず食事の問題をどうするかということです。北欧もイギリスもドイツも、あるいはオーストラリアなどもそうですが、高齢化を迎えた国々では、それぞれの地域における食事サービスを非常に積極的に推進しました。

  アメリカも同様で、私は国際社会福祉会議で1980年代にアメリカの方が言った言葉を今でもよく覚えています。アメリカは児童手当もありませんし、健康保険も高齢者の方だけのメディケアしかありません。さらに住宅保障も北欧から見ると皆無に等しい。そういうアメリカの社会保障は北欧と比べて足りないところがいっぱいあるけれども、アメリカが最も誇れることは、教会を中心にしてボランティアが食事サービスの普及を盛り上げたことだと、アメリカの代表の方が言っておりました。これは当時非常に注目された発言で、1980年代からすでにアメリカは各教会を中心にボランティアの方がそれぞれ努力しながら会食制をとっていました。会食制というのは皆で一緒に食事をとるのですが、その時に休んだ人がいたら、仲間がお弁当をつくって届ける。そして風邪を引いていたら、そこですぐさまボランティアで援助活動を始めるということで、これが仲間づくりにも波及したという話をアメリカの特徴として、代表の方が話してくれました。日本ではこの食事サービスを介護保険のなかに入れる、入れないで多少議論がありましたが、結局、介護保険のなかからは外したのです。けれども、いまや食事サービスが必要だということがいろいろな点から明らかになってきました。

  どういう点かと言うと、一人暮らしや高齢者所帯で暮らしていた人が、病院あるいは特別養護老人ホームなどに入った時に、そこに前から入っていた人に比べて栄養不足、栄養失調の状態が非常に目立つということが関係者から指摘され始めています。

  もう一つは在宅福祉のホームヘルプ・サービスのなかで家事援助を行うサービスがあるのですが、そのなかで食事援助というのが一番多いのです。これがきわめて難しいという話も一方では出てきました。どうして難しいかと言うと、日本人は食生活が大変贅沢な民族ですが、それもさることながら、じつは各家庭の調理台あるいは調理器がさまざまで、それらに不慣れなヘルパーですと食事をつくる時間だけで家事援助の時間が終わるし、場合によっては食事援助すらできないというヘルパーもかなりいることがわかってきました。

  そういうことから、地域のなかの介護予防事業として食事サービス、配食サービスを積極的に行う必要があるという動きがありまして、そのことを考える研究委員会を立ち上げています。その結果調査をしましたら、積極的に食事援助・食事サービスの必要を感じて政策的に努力をしている自治体は、全国の自治体の21.6%という数字が出てきました。あとはボランティアに任せるか全く何もしていない。そういうことで、この食事サービス・食事援助の問題は、これからの大きな課題だと思っています。

  そのほか、まだ要介護、要支援というほどではないけれど、誘って一緒に出かければ、たとえばデイケア・サービスやデイ・サービスというようなアクティビティ・ケアに積極的に参加できる人もいるのですが、そういう外出支援についても半数の自治体ではまだなされていないという結果が出てきました。

介護予防は食事・運動・生きがい
 私は以前から介護予防の問題に注目していまして、1970年代に高齢化が始まってから、いろいろな先生方と一緒に研究会を開きました。

  一例を挙げますと、1974年頃でしたが、私のところに一人の保健婦OGの方が見えまして、その方はラジオ・ドクターで有名な石垣純二先生のお弟子さんでしたが、こういう要望を出されました。その方がおっしゃるには、石垣純二先生は不運にして亡くなられたけれども、今の高齢化社会が進んでいく様子をご覧になったら、きっと先生は寝たきり・痴呆にならないためのさまざまな生活の工夫をラジオを通じておっしゃったでしょう。それができなくなったのは自分達も残念である。したがって、石垣純二先生のお友達や先輩に当たる方に手紙を出して、その先生方から原稿をお寄せいただき、それを編集する仕事を私にしてほしい。こういうご要望でした。

  私は石垣純二先生にもいろいろ教えていただいていた経緯もあって、また、その保健婦OGの方の熱意にほだされて、とくにその方は自分の持っている田んぼを抵当に入れて自費出版をしてもこれをやるという大変な熱意をお持ちでしたので、それに応じまして、一冊の本をつくりました。それは『ボケ・寝たきり老人にならない知恵』という本です。出版社からではなくて、その方が自費でお出しになって、全国の地域婦人団体を通じてお配りしました。

 その折の石垣純ニ先生の先輩先生方のお名前を今でも覚えているのですが、お一人は有名な、農村医学・高齢医学でご活躍され、現在、長野県佐久総合病院の名誉総長の若月俊一先生でいらっしゃいました。それから、東京慈恵会医科大学の名誉教授で、今なおご活躍の新福尚武先生。先生は痴呆の専門でいらっしゃいました。さらに、栄養の問題に注目して、石垣先生と親しくしておられた女子栄養大学の創設者の香川綾先生。もう一人は昭和20年代後半に日本で最初に老人大学を開いて、ウィーン大学の日本研究所などを通じて紹介をされて世界的に著名になった小林文成という禅宗僧侶の先生。こういう先生方にお願いをしました。私よりもはるかに先輩の先生方でいらっしゃいましたけれども、皆様快く引き受けてくださいまして、かなりの達筆でそれぞれ期限どおりに原稿を収めてくださいました。

  原稿を拝読して私は非常に感動しましたが、そのなかで諸先生が共通しておっしゃっていることが、3点ほどありました。

 一つは、食生活に気を付けること。とりわけ40代からの食生活に気を付けること。具体的な中身はいろいろありますが、簡単に申しますと、たとえばカロリーをとり過ぎないように、とり足りないように。香川先生の表現をお借りすると「赤、青、黄の野菜をたっぷり」、若月先生は「日本人は塩をとり過ぎる、酢をとりなさい」。実際に佐久病院の食堂には醤油やソースとともに必ず酢が置かれていますが、そういうことの紹介もありました。そのほか、ビタミンのとり方、とくに骨粗懸症に対する女性のカルシウムの必要性など、それぞれの先生方は食生活について最も熱心に、そしてさまざまなご見解をお寄せになりました。

  余談として申し上げますと、お酒についてはさまざまな意見があります。若月先生は「酒は百薬の長」とおっしゃいます。若月先生はお酒がとてもお好きで、私どもがお相手しますと、こちらがびっくりするくらい召し上がります。ところが新福尚武先生は「酒はいけない、動脈硬化に影響を与えて痴呆との関係がある」。香川綾先生は「料理がおいしい程度にほどほどに」。これはそれぞれの見解ですので、定説はないようです。ただ、3人ともおっしゃったのは「煙草はいけない」。これはすべての諸先生方が大変厳しくご指摘されました。

  2番目は、とにかく何歳になっても体を動かし続けなさいということです。若月先生もとにかくスポーツをするのがよく、ゲートボールだけがスポーツではないということもご指摘されました。皆さんのご意見を拝見しますと「最も簡単なスポーツは、歩け歩けである」というところに落ち着きます。車社会になって足が弱りがちだけれども、歩くことによって寝たきり・痴呆を防ぐことが可能だということでした。

  3番目は、生きがいを持ちなさいということです。若月先生は「ライフワークを持ちなさい」。小林文成先生は「のぼせるほどに趣味を持ちなさい」ということでした。いずれにしても生きがいの問題を積極的にご指摘されました。

  私はこれを1970年代の前半にまとめて、その直後にたまたまスウェーデンのストックホルム大学の客員研究員として滞在するチャンスがありましたので、1年半ほどストックホルムで生活をしてきました。ちょうどストックホルムでは高齢化率が14%を超えて、スウェーデンもいよいよ高齢化国になったのでホームヘルパーをもっと増やそうということが賑々しく言われていた頃でしたので、老年学への研究を熱心にやっている諸先生とお目にかかるチャンスが多くありました。

  そこで私はこの本のことを紹介しながら、スウェーデンではどのような見解かと伺いましたら、ほぼ完全にと言ってもいいくらい一致しました。つまり食生活の問題、とにかく良質のたんぱく質をとるということで、スウェーデンではその頃豆腐などがとても人気がありました。スポーツについても全身運動である水泳が高齢時においてもいいということで、ストックホルム市のいろいろな地域の公共施設の地下に温水プールを設けて、そこで80歳を過ぎた方が朝から泳いでいる光景を目にしました。

  生きがいについても、いろいろな生きがいを考えていて、福祉事務所に行きますと、日本では福祉事務所は生活保護所帯の問題や、その他障害者の方々の問題などを扱う場面が中心でしたが、スウェーデンの福祉事務所は福祉サービスをやる部門と、もう一つ余暇生活を高めるための部門とがありました。その余暇生活を高めるための部門では、趣味のグループや学習グループ、そのほかスポーツのクラブ活動などを情報化し紹介している。そして、そういう活動がより高まるような場所やリーダーの斡旋も行っていて、同じ福祉事務所といっても日本とはずいぶん違うという印象を強く受けました。

究極の介護予防は生きがい
 生きがいの問題を考えますと、先ほど申しましたように、介護予防あるいは寝たきり・痴呆にならないための最終的なあり方は生きがいだと言われているのですが、生きがいの問題は8割くらいの自治体で自治体主導のもとにいろいろな試みがなされています。しかしその中身は本当に生きがいになっているかという質的な問題が今、問われています。

  私は自治体が全面的に責任をもって生きがい対策をすることよりは、むしろ生きがいについてはその条件整備をやりながら、ボランタリーな活動でそれぞれが自主的自発的、あるいはそれぞれの個性に合った生きがいの問題が盛り上がっていくことのほうが本来だと思うのですが、この点がやや気になるところです。

  ちなみに生きがいにはどういうものがあるかというと、日本人の生きがいのかなりの部分は仕事です。ですから、農村部で農業労働をずっとやり続けている高齢者の方はじつに元気で長寿です。したがって自治体ではおじいさん畑、おばあさん畑を必ず残そうという声が出ているところもあります。

  ところが、猛烈社員で一律一括60歳定年で辞めた方は、痴呆になる率が大変多いという結果も出ています。そういうことを考えると、一律一括定年がいいのかどうかというのが大きな問題になりまして、アメリカの場合は、自分で定年を選べるように定年制を撤廃しました。北欧の場合は一定の年齢から、たとえば3日働けば2日休むとか、いろいろ柔軟な着陸を考えて政策がとられ、3日働いて賃金を受け取り、2日分は年金から受け取る。その人の身体状況に応じてゆっくりと着地するというあり方ですが、日本の場合にはどうしても一律一括定年。しかも平均寿命は世界一であるにもかかわらず、60歳で一律一括定年。これはやはり生きがいを奪うようなものではないかと私は思います。

  それから第2には、学習です。学び続けるのはお互いにとても楽しい。とくに一定の年齢になってからあらためて学ぶ楽しさは、かつての若い時の学びよりも、より味わいのあるものだと多くの方が言っています。この点においては、日本はある種の学問領域に大学の社会人入学がもっと積極的に考えられていいのではないかと思いますし、それから社会教育やその他の学習活動、自主的なグループ活動なども必要であると思います。

  趣味の問題もそうです。諸外国でもボランティア活動が生きがいにつながると言われていますが、これらは1人でやるものではなくて仲間と一緒にやるから楽しいとも言われています。それだけに生きがいづくりのなかで、仲間づくりをどのように捉えていくかということにもなってきます。

  ちなみに、従来は老人クラブが一種のクラブ活動、仲間づくりの場だったわけで、ある面では旅行に行くなど趣味を中心にまとまっていたようですが、最近は衰退気味です。どうしてか。それはどちらかと言うと老人クラブは農村型仲間づくり、農村型趣味活動なのですね。大都市の、しかも大正・昭和一ケタの高学歴の、趣味も多様でさまざまな特徴を持った個性的な高齢者の方には老人クラブはなじまない。従って、そこをどうするかという点が大きな課題になっています。私どもの会はワンダフル・エイジング・クラブという会ですが、そのなかには23O以上のクラブをポイントという名でやっていますし、それから大内力先生がまとめ役になっておられる高齢者生活協同組合などでも、たとえばベートーベンの第九シンフォニー、歓喜の歌のコーラスを毎年暮れになると高齢者の有志の方々が歌う。こういう新しい形の趣味活動や仲間づくりが始まっています。これらがもっと多様に広がると、生きがいがさらに高まるのではなかろうかと思っています。

 ボランティアも同様です。いろいろなボランティアが可能ですが、そういうものへ向かっての新しい流れが徐々に盛り上がりつつあって、自治体が一括して頭から決めつける生きがいだけではない、むしろ生きがいとしては自主的なあり方のなかでの活動をどう盛り上げるかというあたりが大きな課題になっています。それとNPOとの今後のつながりの問題も大きな課題になってきているようです。

  また、男女の問題もとても重要な課題となってきます。男女の問題というのは性の問題ですが、老人ホームで1人になった方が、何も生きがいを感じられなかったのに、恋愛をするととても生きがいを感じて、生き生きとしてくる。ところが、日本の高齢者の場合、諸外国と比べて圧倒的に少ないのは再婚率です。こんなに再婚率の低い国は少ない。どうしてか。せっかく新しいカップルができても子供さんに反対されることが多いのです。つまり、自分のお母さんが苦労して一緒になってつくった財産を後妻さんにあげるなんてことはとんでもない。それなら私たちが受け取るべきだ。これは法律相談などでよく出てくるケースです。

  こうした背景には、ひとつは子供が親の財産を当てにしていいものかという子育ての問題もありますが、一方で年金にも問題があります。たとえばある時離婚をして、別な人と結婚します。そうするとその男性の企業年金は後妻さんにいくわけです。ところが、フランスやドイツでは先妻の期間と後妻の期間で妻の年金権を分けています。妻の年金として15万円の割り当てがあったとすると、先妻さんが3分の2の期間一緒だったら10万円、後妻さんが3分の1の期間を一緒だったら5万円、このように非常に合理的なのです。ところが日本は全部後妻さんのところにいくのです。これは女性解放の問題ともからめて、大いに考えなければならないと思います。

介護保険と介護予防は地方自治体の試金石
 介護保険と介護予防をめぐって、もう一つ申し上げたいことは、地域間格差がきわめて大きいという問題です。

  介護保険自体が地方自治体の試金石と言われるくらい地方自治体を基盤にした保険の仕組みです。なかには自治体独自の介護保険条例を制定したり、あるいは1割負担に関しても自治体が持つという地域も出てくるくらい、自治体の独自性が問われています。それを積極的に行っているところと、そうでないところが非常に目立ってきました。

  たとえば介護保険には苦情処理が制度化されていますが、これを積極的に行う。あるいは痴呆高齢者への権利擁護、成年後見制度その他いろいろありますが、これも自治体が啓発を行う。あるいはオンブズマンや第三者評価も自治体がやるというようなところなど、じつに大きな格差が出ています。自治体が住民あるいは利用者の方々の苦情処理に積極的に取り組んで、制度化しつつあるのはほぼ1割くらいではないかと思われます。まだまだ苦情処理のあり方自体も広報化されていないところも目立ちます。

  これらのあり方や、先ほど申し上げました食事サービスのことなども調べて感じることは、じつに地方自治体によって格差が大きいということと、その格差の原因をつくっている1つの大きな条件は、やはり各自治体の首長さんのリーダーシップであるという点が非常にはっきり出てきています。そして離島とかいわば僻地などでは広域連合というものをやらざるを得ないわけですが、広域連合の場合は制度化するのが非常に難しいということもあって、結果的に独自の工夫がどうしても弱いという面が目立ってきています。

  こうした問題をはじめとして、高齢者の方々のなかで障害を担った場合に――これは一定の年齢以降になるとかなりの方が障害を担ってこられますが、そういう方々の選挙権行使の問題は、今スウェーデンやオランダなどでも大きな課題となっています。どうしたらその方々が選挙する行為を実践できるのか。いろいろな工夫が世界的にも注目されつつありますが、この点においても日本の研究は大変遅れています。代理投票や郵送など、いろいろな試みが一時はありましたが、結果的に棄権が多いのです。

 そういう問題も考え合わせると、今後の高齢社会での介護保険のあり方を含めて――介護保険は2005年に大幅な見直しを試みるということですが、少子高齢社会のなかでの高齢者対応が政治課題に、あるいは制度的な整備の問題になってきている今日、参政権が行使できないことは大きな課題であると思います。

おわりに
 介護の問題をはじめ福祉サービスにおいては、私どもは常々学生に、「熱い胸と冷たい頭とたくましい腕(かいな)、この3つを持ちなさい」と言っています。「熱い胸と冷たい頭」というのは、アルフレッド・マーシャルというイギリスの経済学者が言った言葉ですが、マーシャル自身、イギリスの社会事業教育で初めて社会事業の学校の校長をなさったというほど熱心な方で、その言葉は学生に向けても使われたのではないかと思っています。「たくましい腕」というのは、山室軍平先生が付け加えられた言葉です。この3つを揃えた学生を育てたいというのが私どもの夢です。

 もうひとつ申し上げたいのは、高齢者の方の生きがいは、家族の問題もとても大きいということです。高齢者の方々はどんなにいいヘルパーさんが来られても、心のなかではやはり家族への思いはどなたも持っておられます。その場合に家族の方々、とりわけ高齢女性の方は息子との接触や息子との話がとても楽しみなのです。また高齢男性の方は娘あるいは妻の介護が非常に大事になってきます。それはできるだけ精神的な意味で大事にしていただきたい。

  私どもは専門家の人によく言うのですが、やれることはやる。でも精神的な肝心なところについては家族の方々に出番があるのだということを考える。家族の方々にもそれを申し上げているわけです。

  こういうさまざまな関わりを含みながら、日本の介護保険と介護予防の問題は、むしろこれからの課題として私どもの大変重要な問題ではないかと思い、今日は敢えてこのテーマを選ばせていただきました。

  ご清聴ありがとうございました。

(長崎純心大学教授・日本女子大学名誉教授・経博)
(本稿は平成13年12月10日夕食会における講演の要旨であります)