二十一世紀と大学
益川 敏英
(京都大学基礎物理研究所教授)
No.835(平成14年4月)号

 今、日本の大学が大きく変容しようとしている。大学の現状や明治以来の百年の実績を分析し、有るべき姿に思いを馳せながら、ここをこう変えようという議論からではない。1990年の初頭に言われだした産業界からの声、「益々激しくなる国際競争、生き残るための技術開発競争」に大学の資源“人と機能”を参加させたいが、大学は思うようには対応してくれない、との声が初めにあった。それが大学を改革する必要があるに変わっていった。もう一つは18才人口の減少による私学の経営問題に関係して「国立大学は多すぎる」の声であった。これにバブルの崩壊による国家財政破綻が絡んできた。財政問題は大変重要な問題ではあるが、大学の活動をどれほどの規模で行うか、優先順位をどうするかの問題であり、大学のアクティビティーが何処にあるべきか、如何にあるべきかとは関係は薄いのでここでは取り上げない(物事はこれほど単純に進んでいるわけではないことは知っている)。

 昨今の「大学独法化」の議論は国家財政的観点からのみの議論で、競争させれば成果は上がるという競争原理が有るのみである。数十年後に日本がおかしくなったのは二十一世紀初頭に行った大学の独法化に起因している、と語られるようになると思う。大学の制度をいじって、その影響が卓越したものとして姿をあらわすのは、その制度で育った後継者たちが、次の世代の主力になった時にである。しかし今や何をいっても詮ないほどに物事は進んでいる。後で当時の大学人は何を考えていたのであろうかと言われたときの参考までに、今日大学に居て独法化を憂慮しつつ、大学の片隅で生活している一研究者の“大学は斯くあるべし”と言う思いを綴っておきたい。

 現代の大学のルーツは中世の終わりのヨーロッパ社会において、都市国家が現れた頃、多少余裕のある農家の二男坊三男坊が職を求めて自由都市ローマやパリに集まってきた。目的は教会法を勉強して、それを武器に教会に雇ってもらうためである。当時の教会法は土地の権利が入り乱れ錯綜して大変複雑であったらしい。その内に一対一で家庭教師に付くのは授業料が嵩み不経済であるとして、教師集団が学生を集め、受講生を募ったタイプのものと学生が主体となり知識のある人に講義をさせて聞くタイプのものが現れた。これがカレッジとユニバーシティーの始まりであったと聞く。基本的には就職のため知識や技術を習得する場所であったし、この例からも分かるように法学が始めであった。その後哲学・文学、理学、工学、経済学等が加わってきた。

 その後産業革命とともに科学・技術の進展速度も加速化し、これらの知識のある人がその知識を切売りしている程度では済まなくなってきた。教える傍らで研究し新しい知識を取り込む必要が生じた。また研究は始めると人を夢中にさせる。夜寝るのも忘れ、時計を見て「もうこんな時間か、寝ておかないと明日シンドイから寝よ」、と寝る時間も惜しむ程に教官の心を捉え、大学の機能に研究が加わり日常化した。しかし国家が大学の重要な活動として研究を位置づけるのは更にもう少し時間を要した。私自身が聞いた話であるが、1970年代の初めにある国立の地方大学に赴任した友人が研究論文を書き、それを公表しようとして費用を自分の持っている講座費から支出しようとして事務方に頼んだら、「論文は先生の趣味でお書きになったのでしょ」と言われた。大大学ではこの様なことは私が研究活動を始めた頃には無かったが、それでもそれらは交渉の結果であって、今日のように研究成果をどれだけ公表したかとの調査が文部科学省または関係団体から来る時代から見ると隔世の感がある。

 しかしこの様な時代になってこそ大学で行わなくてはならない研究活動とは何かをもう一度考え直してみる必要がある。大学は後継者養成が第一の目的である。今分かっている研究目標やプロジェクト研究の様なものは、それが国家の存立に関わるようなものであっても基本的には一過性のものであり、まさしくプロジェクト的研究である。あとで詳しく論ずるが大学は二十年三十年先を見通して後継者を養成しているし、またそうあらねばならない。財政的資源が問題になっているときに大学の機能をこれもあれもと広げるべきでない。十年二十年先にも意味のある課題意識に立脚した研究に責任を持つのが大学と明確に位置づけるべきである。

 それでは十年二十年先を見通してと言うがそれは口で言う程易しい話ではないが、過去の事例を見て類推するしか方法はない。そこで私の専門である物理学を例にとり、他の紙面でも論じたことのある問題であるが、ここでも考察を試みよう。

 十九世紀の終わり、産業革命が進行し鉄鋼が大量に必要になった。溶鉱炉も大型化した。ここで問題が生じた。溶鉱炉の温度の問題である。職人の長年の経験は通用しない。温度設定を少しでも誤ると大量に製品がオシャカになってしまう。職人芸でなく科学的に溶鉱炉の温度を知りたいという要求が社会に生じたのである。産業界から当時の物理学会にこの問題を研究して欲しいという申し入れがなされたわけではないであろうが、社会に黒体輻射の問題が生じれば、それは物理の世界にも伝わり、これを研究する人が出てくる。現代の物理学者であれば誰でもご存じのようにこれは古典力学では答えのだせない問題であることはよく知っているが、十九世紀の物理学者もチャレンジングな問題であるとして色々の人々が関心を持ち研究した。

 ウィーンとレイリー・ジーンズは独立に全く異なる考えに基づき二つの公式を導いた。前者は高振動側で合い後者は低振動側で合っていた。この二つの互いに否定し合う考えに基づいた二つの式を無理やり一つの式にしてみると、すなわち高温側と低音側の実験によく合う二つの式の内挿公式を無理やり作ってみると、全体的によく合う式が得られた。実際に後から見ると正しい式であった。これで社会の要請に応えるという意味では終わっている。黒体輻射の正しい式を得たのであるから。

 しかし物理学者としてははなはだ気分が悪い。竹に木を接いだような式では満足ができない。その後の経緯は皆さんの方が良くご存知なように七転八倒の苦しみを経験しながら最終的には二十数年を経てハイゼンベルグとシュレディンガーに依り量子力学にたどり着く。これはミクロの世界ではマクロの世界の法則と全く異質の法則が自然界を支配していることを明らかにしていた。実験技術の進歩と相俟ってその後のミクロの世界の解明は驚くべきものであった。学問的にはミクロの世界の姿が次々に明らかにされていった。しかし実世界との関わりとして量子力学が前面に現れ花咲くにはさらに数十年の歳月が必要であった。最初はハイゼンベルグを始めとする人達の磁性の研究であろう。これで磁石とはいかなるメカニズムで機能するかを理解する糸口ができた。最近のモーターが小型で大変パワフルなのには皆さんも驚かれるであろう。昔の馬蹄型磁石は百ガウス程の磁場を作るのがやっとであった。最近のフェライトは優に数十倍の磁場を作っている。磁場を作りだすメカニズムとそれを可能にする物質を作ることが意識的に出来る、すなわち自然法則の意識的適用が出来るようになったからである。

 しかし量子力学なしにこの世に姿を見せなかったものとしては半導体が挙げられよう。固体物質中での電子の振る舞い、特に電子の伝導に関わるバンド理論抜きには電子デバイスのことは語れないであろう。伝導電子のバンド構造やトンネル現象等の電子の量子力学的振る舞いの十分な理解なしには何も語れない。であるがこれらはバンド電子という限られた世界での話である。

 真に量子力学の世界が工学的に前面的に花咲き始めるのは1980年代後半からであろう。超伝導・超流動も発見は二十世紀前半であるがそれが実社会で使われだしたのはこの頃からである。ジョセフソン素子を始めとする量子デバイス、トンネル現象を利用した電子顕微鏡、もっと本質的な利用としては量子コンピューターの話題も事欠かない。

 原理的な興味からまたは理解に苦しむ珍現象から研究者が関心を持ち研究を始めそれが社会に役立つようになるには百年単位の年月を要する。黒体輻射の例からも分かるように本当に何の役に立つかは、研究者の研究が進みその世界に対する全面的理解が可能になってからのことである。早急な成果の要求は赤子を湯船の湯と同時に流してしまうロシアの譬え話の二の舞になる。この息の長い何段かのステップを経る、基礎科学研究から人々の役に立つ科学への道程の内、始めの90%は研究者の内的動機、研究者の止むに止まれぬ好奇心に頼るしか方法はなく、新しいイノベーションを望むなら基礎科学の、研究者の内なる声につき動かされた研究に頼るしか方法がない。

 もう一つのキーワードは大規模化である。ここでも例を挙げそれに即して考察を進めよう。私が学部学生の頃、1961年頃の話であるが、学生実験で真空管一本と針金を巻いただけのコイルを渡され、これで原子核の四重極磁気能率を測定せよというのが課題であった。磁場を時間的に変化させてやると、特定の周期の時に強く吸収が起きる。共鳴という現象である。この共鳴周波数を測定すれば、原子核の磁気効率に対する情報が得られる。これは大変精度の良いもので周波数を少し変えるともう共鳴は起きない。しかしこれだけでは原子核集団に対して一つの情報が得られるだけである。これでは画像情報は得られない。

 これを大規模化し且つ巧妙な操作を組み合わせるのである。一定の磁場に場所的に変化している弱い補助的な磁場を重ねるのである。すると非常に狭い二次元的な領域のみが共鳴の条件を満たすことになる。共鳴はこの狭い領域内にある共鳴に参加できる物質の総量についての情報が得られることになる。補助的な磁場がこのままでは特定の局所的な場所の情報は得られない。そこで傾斜磁場の強さを変化させていけば共鳴条件を満たす場所が変わり、積分量ではあるが一次元分の情報が得られる。そして磁場の方向を振らせてやれば更に二次元分の情報は加わる。ある特定の局所的な領域の情報は、これらのデータの組の中に入っている組も入っていない組もある。ここで一定磁場の方向を変えてやれば更に二次元分の情報が加わる。

 こうして得られた情報はある領域について加え併せた(積分量)情報であるが、その領域の種類が三次元分ある。そこで色々の領域について足したり引いたりしていけば、その計算量は大変な数になるが、最終的には局所的な場所についての情報が得られると言うわけである。原理は簡単であるが結果を得るためには膨大な計算量を必要とするので計算機が必要となる。

 二十一世紀の技術は基本的にはこのタイプのものが大半であろう。それだけに現実のものは“基本原理は斯々”だけで話は済まない。それだけにこのボタンを押せば結果は出てきます。あとは知りません。この器械は所定の目的が得られるように作られています、的なことになる。原理はこうだからこの様なことは決して起こらない、の様な大筋を追った議論が弱くなる。こうなると、超能力であろうが何であろうが、“有りの世界”になってしまう。原理的におかしい、自然法則に反する、の議論が通用しなくなってしまう。昨今のテレビの風潮にその兆候が既に現れている。

 科学が発展すればするほど市民から分かりにくい遠い存在になっていくことを、私は科学疎外と呼んでいるが二十一世紀にはこれが更に進行して行くであろう。二十一世紀は科学疎外の世紀と言われるかも知れない。ではこれに対処するには如何にすれば良いのであろうか? これに対処するのは原理的にはそれ程難しくない。一点突破とアナロジーの方法と私は呼んでいる。磁気共鳴画像化法は私の専門から随分遠い分野の話であるが、磁気共鳴の原理は磁気能率と加えた磁場で磁気共鳴の周波数が決まること。複雑な波形も波長の違う波の重ね合わせで表せると言う大学初年次で習うフーリエの原理を知っていればそれで十分である。因にフーリエの原理の厳密な証明の理解には専門的な数学の勉強が必要であるが、この原理が何故成り立つのかの感覚的理解だけであれば大学初学年で十分可能である。有限個の離散的“空間”でデモンストレーションして見せれば良い。またフーリエの方法は地震やラジオ電波を取り扱っている初学年向の教科書には使われている。だから私は核磁気共鳴画像法は一度も勉強したことはないがおおよそのことは理解できる。少し具体的なことが知りたければ生協の書籍部に行き立ち読みで済ませられる。

 二十一世紀の益々複雑になる社会、高度化する技術や原理、これらに取り巻かれている大学で必要になるのは、多様さに対応したローカルな“専門的知識”ではなく、逆説的であるがより基本的で汎用性のある知識であろう。  

 (京都大学基礎物理研究所教授・名大・理博・理・昭37)