伝わらざるアフガニスタン
─バーミヤン石仏破壊に思う─
 
中村 哲 (ペシャワール会ジャパン院長) No.832(平成13年7月)号

バーミヤンにて

 抜けるような紺碧の空とまばゆい雪の峰に囲まれるバーミヤン盆地は、不気味なほど静かだった。無数の石窟中で一際大きく、右半身を留める巨大な大仏さまがすっくと立っておられる。何を思うて地上を見下ろしておられるのだろうか。
  ソ連崩壊のきっかけを作ったアフガン戦争以来久しく忘れ去られていた「アフガニスタン」は、図らずも今年二月の「バーミヤン大仏の破壊」で世界を沸かせた。2001年3月19日朝、タリバンによる仏像の破壊が世界中で取りざたされる頃、私は偶然現地にいた。巨大石仏の破壊は半分終わったところだったが、周囲では散発的な戦闘が続いていた。タリバン兵士とハザラの軍民だけが居る状態で、大方の村落はもぬけの殻であった。大部分の人々はカブールの親族や知友を頼って、逃げ出した後であった。だが私たちは、実は仏跡に興味があって来たのではなかった。私たちPMS(ペシャワール会医療サービス)が二月下旬、カブールへの緊急支援を決定し、直ちに同市内の避難民が居住すると思われる地区に五つの診療所を開設し、その一環として、最も避難民が多かったハザラ族の国=バーミヤンへ救援の可能性を探りに来たのだった。

 

大旱魃とペシャワール会の活動

 二年続きの旱魃で、アフガニスタン国家が倒壊するか否かのせとぎわである。既に前年の夏の段階で、国連機関は「1000万人が被災、予想される餓死者百万人以上」と、世界に警告を発し続けていた。ペシャワール会=PMSは、現地で17年活動を続けてきた医療団体である。アフガニスタン東部に三つの診療所を運営してきたが、そのうちの一つ、ダラエ・ヌール診療所周辺で、飲料水欠乏で赤痢が大流行するのを知って、容易ならざる状況に気づいた。これに追い討ちをかけたのが内戦である。診療所をはさんで同地の争奪がタリバンとマスード軍閥との間で戦われ、一時は一万数千名が下手のジャララバードやペシャワールへと逃れた。
  私たちは事態を深刻に受け止め、PMSが医療団体であるにもかかわらず、飲料水源確保を緊急の至上課題としたのである。以来、この八ヶ月というもの、アフガン東部一帯の旱魃地帯に展開して地元民と協力、必死の作業を続けてきた。四月現在、PMS病院職員150名とは別に、水計画の職員73名、作業員600名を新たに抱え、作業地479ヶ所、そのうち377ヶ所で水源を確保、56ヶ村で約20数万名の離村をかろうじて防ぐという、ペシャワール会始まって以来、最大規模の活動となった。
  特にダラエ・ヌールという地域では、カナート(地下水路)31を復旧させ、いったん砂漠化した同地を再び緑化、難民化した全村民が帰るという奇跡的な結果を生んだ。昨年夏の修羅場をかろうじて切り抜けたものの、活動地は更に拡大を続けている。
  今年二月に至っては、ペシャワールの基地病院で難民患者が激増する事態に遭遇、まず「難民を出さぬ活動」を掲げて、アフガニスタンの首都カブールに大規模な診療活動を計画した。これは、既に一つのNGOとしての規模をはるかに超えるものであった。しかも、続々と外国NGOが撤退または活動休止する中でPMSの活動が行われた。私たちとしては、「これが現地活動の最後になるやも知れぬ」という危機感で、組織の命運をかけて全力投球せざる得なかったのである。

 

「人類の文化遺産」とは

──およそこのような中での、国連制裁であり、それに次ぐ仏跡破壊問題であった。私たちと旱魃にあえぐ殆どの人々にとって、これがどのように映っただろうか。カブールに多数の医療職員を送り込んだのは丁度仏跡問題が最も熱を帯びていた頃である。一通の手紙がアフガン人職員から届けられた。
「(破壊は)遺憾です。職員一同、全イスラム教徒に代わって謝罪します。他人の信仰を冒とくするのはわれわれの気持ちではありません。日本がアフガン人を誤解せぬよう望みます」と述べてあった。私は朝礼で以下の訓辞を以て彼らの厚意に応えた。
「今世界中で仏跡問題が盛んに取りざたされているが、PMSは非難の合唱に加わらない。餓死者が百万人といわれるこの地獄のような状態の中で、今石仏の議論をする暇はないと思う。暴を以て暴に報いるのは我々のやり方ではない。平和が日本の国是である。少なくとも吾がペシャワール会は、その精神を守り、建設的な相互支援を忍耐を以て続ける。そして、長い間には日本国民の誤解も解ける日が来るであろう。われわれは諸君を見捨てない。人類の文化とは何か。人類の文明とは何か。考える機会を与えてくれた神に感謝する。真の『人類共通の文化遺産』とは、平和・相互扶助の精神でなくて何であろう。それは我々の心の中に築かれ、子々孫々伝えられるべきものである。」

 その数日後、バーミヤンで半身を留めた大仏を見たとき、何故かいたわしい姿が、ひとつの啓示を与えるようであった。「本当は誰が私を壊すのか」。その巌の沈黙は、よし無数の岩石塊と成り果てても、全ての人間の愚かさを一身に背負って逝き、万人に宿る仏性を呼び起こそうとする意志である。それが神々しく思えた。騒々しい人の世に超然と、確かな何ものかを指し示しているようでもあった。

 

政治手段となった仏像

 自分は一人のキリスト教信徒であって、イスラム教徒でも仏教徒でもない。しかし、石仏の破壊は、偶然とはいえ、21世紀の初頭を飾る象徴的な事件のような気がしてならない。タリバン側は「偶像破壊による民心の浄化」を唱え、国際社会は「人類の文化遺産保護」を掲げて火花を散らした。両者の奇妙な類似性は、旱魃で痛めつけられた数百万の犠牲など眼中になく、限られた情報による政治戦と自己主張が平行線をたどったことである。もっと事態を冷静に見るならば、異なった対応も考えられたであろう。タリバン政権側について言えば、「偶像崇拝」が人の拝むべからざるものへの拝跪だとすれば、無形の偶像こそが世界を荒廃させ、アフガニスタンを破壊に導くものであることに思いを馳せることができただろう。カネと暴力の崇拝は、誰も破壊しようとしなかったのである。
  いわゆる国際社会の対応も理解に苦しむ。アフガニスタンの内乱は内政問題である。ロシアなどからの反タリバン勢力への武器支援を黙認し、「テロリストを匿うタリバン政権」の孤立と転覆のためなら手段を選ばぬとしか思えぬ節があった。

 

日本人の精神性喪失

 日本の仏跡破壊に反対する動機はもっと感性的なもので、少し異なったものがあったと思う。おそらく最も心理的なダメージを受けたのは日本国民である。日本人の心奥には、「唐・天竺」への憧憬が幾世紀も受け継がれ、「西方の彼方」への郷愁が深くその心性に根を下ろしてきた。バーミヤン石窟寺院と巨大石仏は、その象徴の一つだったからである。なぜ「シルクロード」が人々の心をかきたてたか。それは山道で出くわす小さな野仏地蔵に親しみを覚え、心を和ませる感性と共通している。
  戦後、日本の伝統は占領軍によって一挙に断絶させられた。「封建的、非民主的、好戦的」と西欧人に受け取られたものは、烙印を押されて意図的に抹殺された。それはバーミヤンをはるかに上回る組織的で大規模な破壊であった。今かしましい「教育」は、その最も有効な手段の一つであった。これによって受けた恩恵もあろうが、喪失した精神性がいかに大きかったかは、最近の青少年犯罪や怪しげな新興宗教の流行を見るまでもなかろう。それだけに、我々はバーミヤン石仏破壊で、また一つ拠り所を失ったような一抹の寂しさを拭いきれなかったのである。
  日本の報道関係者にそれだけの洞察があっただろうか。脚下照顧という。アフガニスタンから見える日本は、その同一性を失い、次第に内部から腐食してゆく奇怪な社会だと述べれば、言い過ぎかも知れぬ。だが、われわれが本当に失ってはならぬものは何か。それこそ「歴史的」課題のような気がしてならない。
  今、複雑な気持ちで石仏の姿を回顧している。
   (PMS〔ペシャワール会ジャパン・医療サービス〕院長・九大・医・昭48)

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