「進学生への挨拶」から ─ 東大法学部事情 ─  
渡辺 浩(東京大学法学部長) No.831(平成13年4月)号

 
【以下は、昨年4月4日に、東京大学の2年次までの全ての学生が在学する教養学部から、法学部に進学して来た新3年次学生(及び少数の学士入学学生)に向けて、法学部長として述べた挨拶の一部(約3分の2)を、若干補訂したものです。性質上、かなり内輪褒め的なところがあって大変恐縮ですが、日本の大学の多様な実情を知って頂く一助にもなろうかと思い、学士会から原稿の御依頼を受けたこの機会を利用させて頂く次第です。】

 

 東京大学法学部への進学、おめでとうございます。本学部の教授・助教授、そして事務職員一同を代表して、皆さんに心からのお祝いを申し上げ、歓迎致します。今日は、これから、皆さんに愉快で実り多い学生生活を送って頂くために、大きく3点についてお話したいと思います。


第一点


 今日からあなた方は東大法学部の学生です。そして、この東大法学部は、普通の所ではありません。それは、現在の日本で「日本の大学とはこんな所だ」として時々言われるようなことの多くが、少なくともここには当てはまらない、という意味です。
  例えば、新聞報道等によると、現在の日本の大学の中には、授業中に学生が私語をする所もあるそうです。しかし、ここでは、そのようなことは全く経験したことも、聞いたこともありません。
  また、教授・助教授も極めて教育熱心です。講義・演習の準備には多くの時間をかけ、渾身の力を込めて授業にあたっています。実際、私は、これまでに2度、ここの先生が「私は授業に命をかけていますから」と真顔で言われたのを耳にしたことがあります。私自身は、「命をかけている」とまで言う自信はありませんが…。皆さんの中には、一種のシニシズムなのか、「どうせ教授たちにとっては、学生相手の授業など、本当はやりたくない雑用の一種なんでしょう?」などと思いこんでいる人がいるかもしれません。しかし、それは違います。シニシズムは必ずしもリアリズムではありません。マスメディアや政府の審議会等でも活躍している人も含めて、我々にとっては授業こそが晴れ舞台です。本業中の本業です。だからこそ、様様な資料も用意し、種々の機器も利用して、工夫を凝らしているのです。だからこそ、当然ながら時間通りに教室に現れ(「法学部定刻主義」という言葉があります)、さらには休み時間に教室に来て黒板にも書けることはすべて書いておき、秒針が定刻になると同時に話し始める人さえいるわけです。
  かつて、私の指導教官でいらした丸山眞男先生は、「法学部の講義の前の晩に寝たことはない」とおっしゃっていました。現在、東京大学出版会から刊行中の『丸山眞男講義録』全7冊を御覧になれば、それが偽りでないことを実感されるでありましょう。ここの授業は、本気で集中して聞くに値します。

 また、例えば「日本の大学は入るのは難しくても、あとは遊んでいても卒業できる。欧米の大学とは大違いだ」などと言う人がいます。あるいは、数ある日本の大学の中にはそういう所も、もしかすると、あるのかもしれません。しかし、ここは違います。期末試験は、それぞれに考え抜かれた問題で、各科目120分行われます。過去の問題集が学内の売店で販売されていますから御覧下さい。解答用紙は8頁の冊子体、そして極めて厳格な成績評価が行われます。 その結果、例えばこの3月には、卒業を希望しながら卒業できなかった学生が80名近くいました。1学年の学生数との比を考えてみて下さい。その多くは就職も決まっていたでありましょう。色々困った事態にも陥ったでありましょう。しかし、止むを得ません。学士号を授与するということは、国内のみならず世界に向けて、ある品質保証をするということです。
  現に、ここの学士号を前提として海外の大学院に行く人も、多数いるわけですから。保証できるだけの勉学をしていないと判定されれば、卒業できないのは当然のことです。
  ここは、しっかり勉強しなければ卒業できない所です。
  したがって、試験における不正行為に対しても、峻厳な態度をもって当たります。不正行為は教師に対する裏切りであるだけでなく、何よりも、厳しい試験において公平に扱われる権利を持つ学友への裏切りだからです。皆さんは、教養学部に進出して講義された法学部の科目を受験した際、執拗に「不正を犯した学生には一律に退学を求める」という警告を目にし、耳にされたことでありましょう。あれは、退学させたいから言っている訳ではありません。させたくないから、懸命に事前に注意しているのです。未然に不正の発生を防止したいからこそ、あのように多数の監督者で厳重な監視をしているのです。つまらない出来心で、たった一度の人生の航路を誤らないよう、強く忠告致します。
  要するに、ここは、授業をなめてかかり、試験をなめてかかり、つまりは学問をなめているかのような、現在の日本で時に言われるような大学――本当にそんな大学があるのか、私は直接には知りませんが――ではないのです。


第二点


 この法学部の提供する人的・制度的・施設的サービスを、存分に利用してください。
  例えば、是非、演習を履修して下さい。ここでは、演習参加を義務化してはいませんが――それにも弊害がありますので――、しかし、演習を一度でもとるかとらないかで、学生生活も大きく変わります。小さなクラスの制度の無い法学部においては、演習がその代わりの機能を果たしているからです。
  実際、これまでに実施した法学部生対象のアンケート調査によると、演習に参加したか否かで学生生活への満足度がはっきり違います。私の演習ですと、これまでに演習参加者同士の結婚が少なくとも2組ありますから、その場合の満足度はさぞかし高かっただろうと思います。別にけしかける訳ではありませんが……。
  演習は、基本的に教授・助教授全員が開設しています。各学期、大体50、つまり年で約100の、様々な主題の演習があります。実に多彩です。中には、演習での学生たちの研究結果を、通常の学術書として毎年刊行している演習もあります。毎学期、違う演習に参加することも可能です。演習で、教授たちと直接に議論し、似た関心を持つ優秀な学友の前で発言し、報告し、検討する――そういう少し晴れがましい緊張と楽しみとを味わって下さい。そうして、報告の準備の仕方、報告の仕方、質問の仕方、答え方、討論の仕方等をも実地で学んで下さい。

 また、法学部へ進学して最初の学期は、必修科目が多く展開されていることもあって、大教室での講義が多いですが、時間割を見れば明らかなように、その後は中小の教室での講義が主になっていきます。是非、それぞれの関心に従って、それらにも積極的に出て下さい(3年次、4年次の学生のための講義は、年間、80科目を超えます)。出席学生数がいかに少なかろうと、その分野の研究に生涯を賭けている教師にとっては、先ほど申したように、それが晴れ舞台なんですから。とりわけ中小の教室で、時には先生とやりとりしながら、現在進行中の先端的な学問状況の話を聞かれる時、「ああ、この学部に来てよかったなあ」と感じられるだろうと思います。また、無論、他の学部の授業にも関心があれば、どんどん出てください。この大学のどの授業にも出られるというのは、素晴らしく贅沢な特権ですよ。

 また、法学部では頻繁に種々の講演会も開かれます。色々な方をお呼びします。それらにも、どうぞ出かけてみてください。

 さらに、あなた方は、あの巨大な総合図書館だけでなく、所蔵55万冊を超える法学部の図書室・3000タイトル以上の雑誌を受け入れている「継続資料室」・7万近い点数を誇る「外国法文献センター」・明治時代の新聞雑誌を網羅的に収集している日本近代史の宝庫「明治新聞雑誌文庫」等も、所定の手続きを踏めば、利用できます。
  学生のための、個人用ロッカーも、自習室も、談話室も、いずれも昔はなかったものですが、今は(量的に充分とは言えないものの)あります。無論、インターネットにつながる端末も用意してあります。
  そして、もし勉強の仕方や個人的な悩みがあったら、「法学部学習相談室」もあります。ここの大学院出の先輩と、カウンセリングの専門家が、優しい笑顔で待っています。学部でこのような施設を設けたのは、全国でも稀だと聞いています。これからも気軽に利用して下さい。
  どうかこれから、これらの制度設備等の全てを存分に利用して、自分の関心に応じて、勉学の内容を広め、深めて行って下さいますように。

 この中には、司法試験・国家公務員試験等の国家試験合格を目指している人も多いだろうと思います。そういう人の中には、あるいは、「この学部長は、立場上そんなきれい事を言うのだろう。でも、大学でそんな試験に関係ない勉強を色々していたら受からないよ。試験予備校に通って、ひたすら『論点』ごとの設問例と解答例を暗記する外は無いんだよ。それが現実なんだよ。」などとお思いの人もいるかもしれません。
  しかし、とりわけ司法試験受験者に、あまりにそのような人が増えてきて、答案は千篇一律、自主的思考力は伺えず、したがって弁護士・判事・検察官となっても種々問題がある、このままでは日本の司法はとんでもないことになりかねない――そういう危機感を持つ人が増えてきたということが、司法試験制度自体を含めて、大規模な司法改革へのうねりの背後にあるように思います。それが現実です。
  また、いずれにせよ弁護士の数は増加していきます。数が増えれば、その中での競争が起き、誰が真の実力のある弁護士なのか、厳しく問われるようになっていきます。それが現実です。
  さらに、日本経済・日本社会の状況から言っても、司法の出番は一層多くなって行くと予想されます。これからは、欧米の腕利きの弁護士とも丁々発止と渡り合える、視野の広い、実力のある法律家が、多数必要になってきます。それが、正に現実です。
  何が本当に現実的な行動なのか、胸に手を当ててよく考えてみて下さい。今求められているのは、本当の実力ある法律家です。もしかすると、いつか、「あの頃は、あんな勉強とも言えない安直な受験勉強だけをして、形だけ法律家になった人が結構いたよね。あの辺の世代だよね。なるほど、駄目なのがいるねえ。」などと陰口をたたかれることになるかもしれません。しかし、本当の実力を付けていれば、制度がどう変わろうと、ちゃんとやっていけるはずです。
  それはいわゆる「即戦力」としての、「実践的」乃至「実戦的」知識を身につけるということではありません。その時その時のさしあたりの状況にべったりと寄り添った「即戦力」は、状況が変われば即座に非「戦力」と化します。暗記で済むような、理論なき「実践(戦)的」知識は、安易に陳腐化します。なすべきは、法の――哲学的基礎から歴史、そして政治的背景までをも含む――体系的な理解、それを支える深く広い教養、そしてそれら全てを活かした思考力・想像力・判断力・説得力です。あなた方がそれを目指さないで、どうするのですか。

 折角、皆さんはここの学生になられたのです。その素晴らしい特権を、たった一度の短い人生の中のこの貴重な数年間を、充分に活かして下さい。そして、今から、(順調なら)2年後の、あるいは(1年留年して)3年後の、あるいは(さらにもう1年留年してぎりぎりの)4年後の卒業式の日に、美しく芽吹こうとしている銀杏の並木を眺めながら、「ああ、ここで勉強して本当によかった、自分はここで知的・精神的な意味で成人した」――そのようにしみじみと感じられるようにして下さい。そのための人的・制度的条件は、物理的条件の不十分さにもかかわらず、かなり揃っているはずですから。(以下略)

(東京大学法学部長・東大・法・昭44)