「川奈会談」と今後の日露関係
木村汎
(国際日本文化研究センター教授)

No.821(平成10年10月)号

先頃の川奈会談の詳細につきましては、マスコミ各社が既に十分報道し尽くしておりますので、本日はそのことには敢えて触れずに、日露関係について、次の三つの観点からお話ししてみたいと思います。

そもそも長い間低迷を続けていた日露関係が、なぜ久し振りに活発化してきたのか。昨年のクラスノヤルスク会談を経て今度の川奈会談にいたる経緯の中で、これら隣り合う二国が急接近し関係改善の気運を生じさせた背景は、一体何なのか。過去の事実関係を振り返りながら、しかも時事解説よりもう少し長いスパンの視点でこれらの疑問を解き明かそうとするのが、第一です。

第二は、日露関係の今後の展望です。七月のキリエンコ首相の訪日、今秋にほぼ実現しそうな橋本首相の訪露、さらに来年のエリツィン大統領再訪日などの一連の過程を経て、クラスノヤルスクや川奈会談で決意表明がなされたように、ニ〇〇〇年までに果たして平和条約が結ばれるのかどうか。余すところあと僅か二年のうちに、いままで停滞していた日露関係が一挙に平和条約締結にまで突き進むことができるのだろうか。二〇〇〇年には何が起こり、どういう結果になるのだろうか。これらのことについて、私なりの未来予測を試みます。

そして最後に、日本側の心構えとして我々が念頭に置いておくべきこと、最近の流行語でいえば、政策提言のようなものにまでも言及してみたいと思います。

日露関係改善をもたらしたもの

昨年十一月一日、二日に、日露両首脳がクラスノヤルスクで非公式に会談し、「二〇〇〇年までに平和条約の締結に両国は全力を尽くす」という合意に到達しました。これは、長年スラヴ研究に携わってきた者にとっては、極端にいえば驚天動地の出来事でした。特に、会談の初日にむしろエリツィン大統領のほうからこのことについて率先して提案がなされたということは、実に信じ難いことでした。

と申しますのも、日本人とロシア人は、ある意味で非常に対照的な国民性の持ち主だからです。日本人が時間や約束を守ることに非常に几帳面であるのに比べ、ロシア人は広大な国土の土地柄を反映したものか、よくも悪くも大雑把でのんびりし、ルーズな国民です。つまり、タイムリミットを設けてその履行を約束することは元来ロシア人が最も不得手とし嫌うことであるのに、そのようなロシア人の典型ともいわれるエリツィン大統領が、自らデッドライン(締切期間)を提案したことは画期的なことに思われました。

そのようなクラスノヤルスク合意が川奈会談で確認されたばかりでなく、「東京宣言の二項に基づいて、北方四島の帰属問題を内容とする真剣な平和条約交渉を加速化していくことが合意された。」このようにテレビカメラを前にして橋本首相が宜言した。その発言を受けて、エリツィン大統領も「外務省の作業が遅れているのは遺憾である」とコメントし、両首脳レベルの信頼関係の深さを内外にアピールする演出までしてくれました。

では、このような日露関係の急速な改善気運がなぜ生まれてきたのか。少々大雑把ですが「近因、中因、遠因」という三つの原因に分けて、私は検討してみたい。「近因」とは、日露関係改善の直接的原因。「遠因」とは、大きな歴史的な流れ。「中因」とは、その真ん中に位置する理由。やや恣意的な分類ですが、これら三つについて説明したい。

まず、直接の原因。トップ指導者としてのエリツィン・橋本両首脳のケミストリー(相性)がピタッと合ったこと。なぜ、そんなことが重要なのか。ロシア政治制度上、エリツィン大統領は、日本の議員内閣制度からは一寸考えられないほど、絶対的な権力を持つ存在で、とくに外交領域において発言権が強い。つい先日も、キリエンコという三十五歳の若手の人物を強引に首相代行に任命し、議会の反対には遭ったものの、結局は同大統領が己れの決定を押し通しました。もし議会が承認しなければ議会を解散しうるという強い大統領権限を持っているからです。

元来、指導者が卓越した存在とされる政治的風土のロシアで、そのように絶大なる権力を握るエリッィンが日本に対して外交対象の照準を合わせてきたということの重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはない。しかも、その日本重視姿勢にちょうど合わせる形で橋本首相が、「中因」として後で述べる戦術をいろいろ編み出して、去年のデンバーサミットあたりの時期から両首脳が急速に「ボリス―リュウ」と親しく呼び合う関係へと発展してきた。――これが、やや月並みながら、私がまず最初に指摘したい近因です。

さて、私の意見はここから少しずつ、他の研究者とは異なってまいります。指導者トップの相性がよかったというだけで日露関係が大きく転換するとは考えられません。国際政治は、ただ単に両方のトップがスポーツが好きで相性が合うというだけで、外交案件の解決を促すような単純なものとは到底思われません。それは必要条件ではあっても、必要十分条件ではありません。そういう訳で、その他に、二つの理由を私は付け加えねばなりません。

歴史の大きな流れ

「遠因」の方から申し上げます。指導者個人の意図、能力、相性を超える歴史的な大きなうねりが、日本とロシアという、ある意味で不幸な隣人ともいうべき両国を、とうとう接近せざるをえなくさせているのではないか。そういう歴史的な流れが基本的に存在すればこそ、橋本首相が対露外交に風穴をあけようとし、エリツィンもそれに呼応する形で動きだしているのではないか。私は、遠因として次の三つを挙げたい。

第一は、いうまでもなく冷戦の終焉です。米ソを二大巨頭とする東西陣営の対立が終了したために、その一方の陣営に属している日本が、アメリカの方をそれほど気にせずにロシアに近づきうる状況が生まれたことです。

歴史的に振り返ってみると、アメリカは日本とソ連が近づくことを好ましく思わず、両国の接近を妨害したこともありました。例えば、ヤルタ会談でルーズベルト大統領が千島をスターリンに引き渡すことに合意したり、戦後もダレス長官が重光全権に対して、もしも北方の二島返還でソ連と妥協するなら沖縄の対日返還をしないとの圧力をかけたりしたことは、事実です。序でながら中国も、一時は北方領土返還を全面的熱狂的に支持するという姿勢をみせるなど、日ソ関係において無視しえない役割を演じました。

ところが冷戦終焉後は、アメリカ、中国をはじめ世界全体が日露両国の接近に敢えて反対を唱えない。いな、それどころか、対露支援努力における自国の負担を軽くしたいとする思惑もあって、経済大国日本がロシアと仲良くしてくれることを歓迎する雰囲気へと変わってきました。

第二は、ロシア外交の路線転換です。ゴルバチョフ以後、一時は「大西洋主義」とでも名づけられる西側一辺倒の外交政策が飽和点に達したこと、そのことに十分こたえてくれない西側に対する失望感もあずかって、ロシア外交は最近急速に「ユーラシア主義」に傾いてきました。つまり、ヨーロッパも大事だが、アジアもまた大事であるとのロシア外交路線の軌道修正の時期に、いまちょうど差しかかっているといえます。この路線転換なしにはロシアが日本に接近してきたことの意味が十分納得いきません。

ゴルバチョフはご存じのように、西側ではとくに人気の高い指導者で、熱狂的なゴルビーブームを巻き起こした。そして、その結果として、幻想に基づくハネムーン時代が生まれました。つまり、ゴルバチョフをトップとする旧ソ連と、アメリカをトップとする西側との間に次のような幻想が発生しました。

まず、西側の幻想。元来自分たちと同じルーツをもち広義においてはヨーロッパの一国に違いないロシアは、たまたま共産主義・社会主義という、我々とは異なる道に足を向けてしまった。しかし今やその道が行き詰まりで誤りだと気づき、我々と同一の民主主義や市場経済の道へと回帰してきてくれた。これは、若気の至りで家出した放蕩息子が悔い改めて戻ってきたようなものだから、温かく家の中に迎え入れるべき。――これが西側におけるヨーロッパ中心主義的な考えです。こういう考え方がゴルバチョフ時代、そしてエリツィン時代初期の二年間を支配しました。

具体的には、西側はIMFや世界銀行を通じてロシアを惜しみなく援助すべきだという考えです。そのような考え方の背後には、旧ソ連が共産主義を放棄してもはや敵国でなくなり、核戦争の危険をも除去してくれたというリアリスティックな計算も働いていたことでしょう。しかし、たしかに初期には一種のロマンチシズムが存在した。また、自分たち西側の方こそが正しかった、このことを確認するためにも、間違った人間の過ちを快く許して正道に戻すことが必要であるとの西側独特の理想主義、あるいは見方を変えれば思い上がった傲慢な感情すら存在しました。

他方、ゴルバチョフのソ連側にしても、ソ連の変化によって西側は今や全面的に核戦争の危険その他から開放されたのだから、ソ連はおんぶに抱っこ式の援助をして貰って当然と考えた。また、自分たちは進む道を間違えはしたものの、今やその誤りにはっきりと気がついた。今度は民主主義、市場経済への道を確固として歩む。そうすれば、非常に短期間かつスムーズに新しい制度へと移行できるはずだ、とシステム転換にかんして楽天的な幻想を抱いた。

当時の典型的なスローガンに、「ヨーロッパ――共通の家」という、今ではほとんど忘れ去られたゴルバチョフの標語があります。これは文字通り、ヨーロッパ諸国は共通の一つ屋根の下に住んでいる。その屋根の下に当然自分たち旧ソ連も入っている。そういう幻想の結果として、ソ連/ロシア外交は西側一辺倒でした。あのいかつい顔のエリツィンが最初のアメリカ訪問を前に寝られないほど興奮し、米国のスーパーマーケットをみては子どものように喜び、西側礼讃を行っている様子が、エリツィンの自伝から容易にうかがえます。エリツィン時代のロシアとなってからも、こういう西側一辺倒の時がまだ二年くらい続きます。

ところが、双方に誤解があったことに次第に気づき始めます。西側は、次のように考える。ロシア人は、どこか自分たちとはひと味違うスラブ民族である。地理的にもヨーロッパから一寸奥まった奥座敷に住まいを構えている。ギリシャ正教の流れをくむ宗教を信じている。ソビエト時代の七〇年間、共産主義を経験したことから生じた違和感が存在する。バルト三国、グルジア、チェチェン共和国を攻撃するなど、西側民主主義が尊重する人権や手続きを守ろうとしない。経済分野では、賄賂、マフィア、闇経済を横行させている。国家財産を平然と略奪化するのが資本主義という誤解をしている。そのようなロシアに対して、西側は初期の幻想を冷ますにいたった。そのようなことはロシア側にも当然敏感に伝わった。西側は自分たちが期待するほどは援助してくれない。彼らは自分たちとの間にどこかで一線を画してそれ以上は奥に入れてくれない。そのようなもどかしさを感じる。このような失望を頂点にいたらせたのが、西側による去年(九七年)のNATO東方拡大決定でした。

西側の考え方によれば、旧ソ連に長年虐げられ植民地扱いを受けてきたハンガリー、チェコ、ポーランドが、NATO(大西洋条約機構)へ加入することは当然なことです。しかし、ロシアの立場からすれば、NATOという少なくともかつての敵対的な軍事機構が己れの足元まで押し寄せてくる。次はウクライナ、バルト三国までも包含するようになるのではないか。外堀、内堀を徐々に埋められ、ロシアは結局、アメリカ一極支配下に立たされるのではないか。そのような危機感を抱いた。

このような幻想を払拭した事実を象徴するかのように、エリツィン時代中期となりロシア外務大臣がコーズリョフからプリマコフに替わります。コーズリョフは西側一辺倒の典型。英語を自在に操る若い外交官。ソ連国連局部長を務めた国連中心主義の人物でした。他方、プリマコフは、中近東、アジアを重視する外交官。この人事転換は、エリツィン時代において「大西洋主義」から「ユーラシア主義」へと外交路線を転換させたことを示す一つの[あか]しと解釈することができます。

「西」側のロシアヘの対応に失望、あるいは西側との関係がもはやこれ以上は発展しないという飽和点に達したことを悟ったエリツィン外交が、では、次に目指す方向は何処か。

地理的に最北に位置するロシアには、もはや「北」進する空間には恵まれていません。「南」には核実験を強行するインド、パキスタン、さらに自らがかつて散々手を焼いたアフガニスタン、カスピ海の石油問題をめぐってロシア離れの傾向を示すアゼルバイジャンやグルジアなど、厄介な国々が行く手をさえぎっている。消去法を用いるまでもなく、残るは「東」ということになる。ロシアの評論家もロシアに残された道は「東」方外交しかないと述べています。

東の諸国の中で主なものは、中国、日本、朝鮮半島、インド。ロシアは、まず中国に接近した。これが「戦略的パートナーシップ」という中露関係の改善につながった。私の知人のロシア知識人たちの中には、最近、中国の将来の台頭を懸念する人が多くなってきている。そのような懸念は、次の五つの理由から十分理解しうる。

第一は、彼我の人口の差。ロシアは三億の旧ソ連邦から一億五千万人と人口を半減させた。対して中国は約十二億。彼我の差は、八倍。とくに極東の人口差はさらに大きい。あの膨大な極東ロシア地域に、ロシア人は僅か七百八十万人、中国人は約一億人で、約十二倍の人口を擁する。ロシア極東に中国人が合法、非合法で消費物資をリュックサックに担いで入ってくるとなると、ロシア人の眼には紛れもなく中国の侵入ないし膨張のように映るのです。

第二は、世界最大の国境線の共有。中国とロシアは、旧ソ連時代には四千八百キロメートル、いまでも依然として四千三百キロメートルにも及ぶ国境線を地上で共有している。このことからセキュリティ上の不安感が常に存在する。

第三は、中ソ抗争の歴史の存在。ダマンスキー島の流血の惨事の記憶も生々しい。

第四は、改革の方向が正反対であること。両国ともに社会主義の限界を感じているものの、現実に採用している改革路線は順序が正反対。中国はまず経済改革を進めようとする。ロシアはゴルバチョフが始めたペレストロイカ、グラスノスチ、デモクラティザーティア(民主化)、その他、政治分野から改革を始め意識改革を行わないかぎり、経済改革も覚束ないと考える。このように両国間には激しい路線対立が存在します。

第五は、将来の中国の成長拡大がロシア人に与える不安感。中国が現在の勢いで成長していけば、一体どうなるか。そのこと自体結構なことには違いない。とはいえ、約十二億の人口の中国人の生活水準が現在のロシア人や日本人のレベルにまで達することは、即物的にいうと、恐ろしい結果をもたらすことになる。世界に食料、エネルギー、燃料、環境上の重大なるインパクトを与えることになる。しかも、その影響をもろに被るのは隣国ロシアということになりかねない。

以上のような五つ、またはそれ以外の理由から、ロシアの知識人の間では、将来の中国に対する脅威感が日増しに高まっています。また、ロシアが中国との間で「戦略的パートナーシップ」関係を結んでいることについても、それがロシアの将来にとり果たして賢明な政策の選択であるかとの疑問が呈されています。モスクワ中央政府は、それを西側に対する外交カードとして活用している。しかし、その実態は弱い者同士が結合して強いアメリカ、ヨーロッパ、日本に対抗しようと目論む“便宜結婚”である。それは、やがては解消する運命にある戦術的なものに過ぎない、とみる見方もあります。

実は、私は昨日までモスクワで、中国人も交える或る国際会議に出席しておりました。それは、中国人とロシア人とが激しく応酬し合っているのを、日本人やアメリカ人が茫然と眺めて、やがて第三者としてなだめ役に入るというような雰囲気の会議でした。兵器売買という実利的な交易を通じた結び付きは当分は続くにしろ、中露の関係は、少なくとも知識人の間では現在すでにかなりコンフリクトを伴うものと化しているとの印象を受けました。

このような状況を背景に、ロシアは今度は中国に対するカードとしても日本に対して急に熱いまなざしを投げてきたように思われます。以上が「遠因」です。尤も、こういったこともまた、ほとんど常識的なことかも知れません。

戦略・戦術の転換

実は、これからが、私の些やかな研究成果として強調したい点です。「近因」として指導者同士のケミストリーが合うということがあって、それに歴史的な流れが日露を近づけつつあるという「遠因」が加わったとしても、それでは今までなぜ、日露接近ムードが発生しなかったのか。それは、なぜ今なのか。要するに、タイミングの問題が解けなかった。そこで、私は近因と遠因の他に、「中因」という第三のファクターを指摘したい。この日本語に熟さない言葉で私が強調したいのは、日露両国における外交の方向性や外交戦略の転換が、右に述べた近因と遠因とを結びつける仲介役を果たしたことです。

(1)ロマンチシズムからエコノミズムへ

まず、ロシア側について。一九八五年のゴルバチョフ登場からすでに十数年。その間のソ連/ロシア外交を三つの時期に分けよう。

第一期は、私がロマンチシズムの時代と名づける時期。ペレストロイカを開始したソ連が明日にでも西側諸国のレベルに到達しうるという夢と希望に満ち溢れていた時代。これには、当然限界が現れてきた。第二期はナショナリズムあるいは愛国主義者の時代。ロシアが外部とくに西側へと志向するのではなく、内側すなわちロシア的なるものの維持を志向しようとする動きを示した時代。ジリノフスキー麾下のロシア自由民主党やジュガーノフが率いる共産党が議会で第一党に躍進を遂げた一九九三年末から九五年末の時期を指す。

ところが、一旦開かれたパンドラの箱は再び閉じることは困難である。西側の豊かな世界をテレビやインターネットで知ったロシア国民は、もはや内側に籠もるだけでは発展がないことを悟った。そういう訳で、第三期としてエコノミズムの時代を迎えます。理念、イデオロギー、主義主張に踊らされ浮かれた第一期、第二期から、経済的合理性や算盤上の損得を重視する第三期への転換です。

指導者の名前を用いて、これら三つの時期の特徴をさらに際立たせてみましょう。

第一期ロマンチシズムの代表は、ゴルバチョフ。第二期のナショナリズムの時代はエリツィン、ジリノフスキー、ジュガーノフ。第三期のエコノミズムの時代は、チェルノムイルジン、チュバイス、ネムツォフ。新首相キリエンコもエコノミストないし経済界出身の典型的なテクノクラートです。今これらの経済人たちは、もはや相互にイデオロギー的な戦いを一切行っていない。むしろ“銀行戦争”といわれる経済利権の奪い合いを行っている。

このようなエコノミズムの時代を迎えて、ロシアの新しい指導層の眼は世界第二の経済大国日本に向けられ、そういった側近たちのアドバイスを受けてエリツィン大統領自身も対日接近を開始したのではないか。

かつてのアメリカ大統領レーガンに似て、政治家エリツィンの特徴は国民大衆の直観を本能的に感じることに長け、それにしたがって自らの立場や政策を風見鶏のように変える点に求められる。同大統領は、いまやロシアには、国民が資本主義だ民主主義だといったイズムや理念に酔うのではなく、きょう明日の経済生活をより重視する傾向にあることを十分感じ取っている。ロシアがウクライナにクリミア半島を渡しても、チェチェン共和国の事実上の独立を認める形でチェチェン戦争に終止符を打った、このような非愛国的な決定に対しても、ロシア国民大衆から何らの反対の声も挙がらない。エリツィン大統領は、そのことを直観的に見抜いて、政策転換を図り、己れの政治生命の延命を狙っていると考えられます。

(2)ゼロサムからボジティブサムゲームへ

他方、日本の方も、対露政策、とくに北方四島返還要求の姿勢を、次の三段階を経て変化させてきたのではないか。つまり第一期は、理念の時代。北方領土はソ連軍によって非合法的に略奪されたものだから、即時無償一括返還されるべきであると拳を空に上げて叫んでいた時期。外交は高度なスキルを要する交渉によって支えられている。しかし、第一期は根室市のいたる所に掲げられている「返せ、北方領土」の立て看板に象徴されるような強い意志や熱情に支えられた時期だった。正しい理念は必ず天に通ずると信じていた竹槍主義の時代だった。

しかし、そのような至誠が必ずしも天に通じない。第二期には、国際政治の規定要因は力であり、力こそが領土を取り戻す原動力であるという極端な方向に進んだ。日本は驚異的な経済成長を遂げ、二度のオイルショックからもみごとに立ち直り、旧ソ連を見下す経済力を身につけるにいたった。その結果、何時しか傲慢で思い上がった対ソ交渉術が採用されるようになった。遂には四島を二百六十~八十億ドルで買い取ろうと、まるで札束で横っ面を引っぱたくような申し出をゴルバチョフ大統領に打診する日本人政治家が出現するにいたった。しかし、そのような交渉法はソ連の国家的威信を傷つけるのみで外交的成功を収めないことが判明した。

交渉には、理念の正しさと力――日本の場合は経済力ですが――。これらに加えて、その二つを媒介するテクニックが必要なのです。政治の世界では、ただの理念だけでは必ずしも人間を動かしえない。力もまた、それだけでは人間を動かしえない。力は理念によって正当化されなければ、政治的に有効な力となりえない。これら二つを媒介する(交渉)戦術こそが大事である。このことが、漸く日本人にも分かってきたのではないか。

私は札幌から京都へ職場を移してから、外交交渉、とくに領土交渉の成功例と失敗例を調べ、そこから何か日本の外交交渉が学ぶ点がないだろうかと模索してまいりました。その研究の一端は、『国際交渉学』(勁草書房)にまとめました。本日は、日露間の領土交渉にかんして、以下の四つの提言をさせていただきます。

第一。外交交渉には、ゼロサムゲームとノンゼロサムゲームの分類がある。領土交渉は、放っておくと、ゼロサムゲーム(相手方の犠牲によってはじめて利益を収める)形になりがちである。交渉の結果、片一方が全部取って相手側はゼロとなってしまう。つまり勝つか負けるかが、まさに領土交渉の真骨頂です。今日、地球上のすべての領土は分割され尽くされてしまっている。北方四島は、世界に一カ所しかありません。ゼロサムゲームになりがち――これが北方領土交渉が五十年以上もの時間を費やしているにもかかわらず未だ合意に達していない理由です。

それに対してノンゼロサムゲームとは、相手の犠牲において一方が全面的に得をするという交渉ではなく、当事者全員が満足する成果を収める交渉です。軍縮交渉が、その好例。軍縮交渉が妥結しますと、ソ連もアメリカも軍事費削減により、予算を国民の教育、福利厚生、医療、環境問題等にまわせることとなり、両当事者がともに満足しうると同時に、第三者のドイツ、日本、開発諸国も核軍事競争の脅威から免れる利益を入手する。このような理由から、軍縮交渉は実はまとめやすい交渉なのです。

ゼロサムゲームになりがちな領土交渉を、ノンゼロサムゲームに変えること――これこそが、領土交渉の要諦です。橋本首相が昨年の経済同友会での講演で、日露関係の交渉には「勝者も敗者もあってはならない」と発言したことが、ロシアを大喜びさせました。このような考え方は、交渉学では至極当然なことです。しかし、日本の首相自らがそのことを明言した点に正に意味があった。ロシアは日本の四島全面返還要求にそのままの形で応じるとすれば、まったくの敗者となり、メンツも失ってしまう。「勝者も敗者もない形で解決したい」という橋本発言が、ロシアの政治家、マスコミ各紙から大歓迎の論調で評価されたのは、当然の成り行きでした。

私の提言の第二は、そのような転換をいかに実現させるかという工夫にかんしてです。まず、交渉学ではパッケージを拡大する工夫を勧めています。つまり、領土問題だけでなく、それ以外のものを平和条約交渉の中に盛り込むことが必要となってくるのです。例えば経済協力、安全保障、技術協カ、文化協定、環境問題といった具合に、考えられる限り多くの諸項目を平和条約の中に盛り込む。そのことによって、平和条約の中で領土問題の比重が相対的に軽いものにみえるように工夫する。これが領土交渉の常識となっています。

川奈でエリッィン大統領が、「平和条約」ではなく「平和友好協力条約」に名称を変えてほしいと要求してきた背景には、平和条約イコール領土問題解決のための条約というイメージを水割りしたい希望があったからに違いありません。橋本首相がその提案を事実上受け入れたのは、日本側の眼目の領土問題や平和条約がきちっと組み込まれさえしておれば日本側の目的は達せられる。後は相手側ロシアのメンツを立てる形にして、何ら困ることはない。という訳で、包括的な形の平和条約の名称提案に事実上賛成しました。

既述のように、日本は従来、経済力を背景にし政治と経済を直接結びつける「政経不可分」政策を貫いてきました。すなわち、ロシアが北方領土問題で日本に譲歩しない限り、ロシアに対して日本は経済援助も協力も行わない。このようなリンケージ政策は、外交の常道であるばかりか、外交の現実(H・キッシンジャー)であります。また、それはパッケージ(抱き合わせ) 政策の一典型でもあった。ところが、その際日本があまりにも政経リンケージ戦術をストレートな形で出し過ぎたために、ロシア議会などでは、金のために島を売るのかという反対政党の反発を招く結果となりました。したがって、私は政治と経済をもう少し緩やかでソフィスティケート(洗練)された形のリンケージにしてはどうかと提言してきました。日本も次第に「重層的アプローチ」を心掛けるようになって、政経不可分政策を緩和する方向に動いてきたと思います。

交渉は、種々の角度から様々な分類がなされています。どういう目的のために行う交渉か。そのような目的の観点からの分類をみてみましょう。すでに分配されたものをもう一度分配し直す、「リディストリビューション(再配分)」交渉がもっともむつかしい交渉とされています。日本は北方領土返還運動と、「返還」という言葉を用いています。ところが、ロシアは一度自分が手に入れたものを返すことを意味するこの言葉に頑迷なこだわりを示しています。現に一九五六年の「日ソ共同宣言」でも歯舞・国後の二島を日本に「返還」するとは決していわずに、「ペレダッチ(手渡す)」という言葉を使っています。それほどまでに敏感なのです。

また、日本とロシアとの間では、北方領土は一度配分されたとはいえません。事実関係の認識が異なります。つまり、スターリン麾下のソ連軍が非合法的に北方四島を占領し、スターリンがソ連領への編入を一方的に宣言したに過ぎない。日本はそのことを承認したわけではなく国際世界も承認していない。にもかかわらず、日本が「返還」という言葉を繰り返すことによって同交渉を「再分配」交渉と位置づけている。そのような認識では、いつになっても解決しないのも当然とすらいわねばなりません。

目的の観点からの交渉の分類のお話しを続けます。第二の種類は、正常化交渉。異常となった関係を正常に戻そうとする「ノーマライゼーション(正常化)」交渉を指します。これも日露間の平和条約交渉には当てはまりません。日本とロシアは、一九五六年の共同宣言によって外交関係を回復させました。シベリアから抑留者は帰国し、日本の国連加盟にソ連は反対しなくなって、相互に大使館を置くようになった。両国関係は一応正常化している。ただし、たしかに領土問題が未確定ですから完全には[・・・・]正常化していません。ロシアにとっては現状維持でいいではないかという気持ちが強いわけですから、日露間交渉を正常化交渉と位置づけることも、日本側にとり必ずしも賢明な戦術ではない。

そういう訳で、日露関係の平和条約交渉を「革新(イノベーション)」交渉と規定してはどうか。これが、私の提言です。同交渉を新しい二国関係を創造していくための交渉と位置づけるならば、ロシアも応じるのではないか。より具体的には、ロシアに向かい次のように訴えてみてはどうか。

二十世紀に日本とロシアとの間に起こった領土紛争を二十一世紀まで持ち込んでは、我々の子孫が負の遺産を背負い相互のいがみ合いを続けることになる。これは、未来の世代に対して決して責任ある態度ではない。この困難な問題を我々現世代が解決して二十一世紀には新しい関係の地平を開くべきではないか。

新しい二国関係の創造にとり四つの島の問題が大きな障害となっている。たしかに、それは小さい問題なので、ロシア側にとっても日本側にとっても両国関係を大きく阻害する程度のものではないかも知れない。とはいえ、それを未解決にしておいてゴルバチョフのいう「血の通った(ポルノクローブヌイエ)日露関係」を築くことにはほど遠い。それどころか、それはいつまでも放っておくと、やがては両国間のガンにさえ発展する危険な可能性ももっている。したがって、それを取り除いておくことが未来の世代に対する我々の世代の責務であろう。

また、ロシアがアジア・太平洋地域との関係を深めることに、日本が全面的にバックアップすることを約束しよう。日本が率先してロシアのAPEC加入を推薦したように、今後も諸々の協力を続けよう。他方、ロシア側も日本の国民感情を斟酌して、日本国民に納得いく外交姿勢を示すべきであろう。日露両国は、二十一世紀に向けて新しい世界をつくるために共に手を携えて協力して歩もう。

このように提案することこそが、ゼロサムゲームをポジティブサムゲームヘ転換させる有力な方法だと思われます。

平和条約締結へのシナリオ

果たして日露両国間における平和条約締結が二〇〇〇年までに実現するのだろうか。その筋道は、どうなるのか。そのシナリオ如何によって、単に両国間のみならず、北東アジア、あるいは世界にどのような影響をもたらすのか。最後に、この重大問題の検討に移りたいと思います。

まず、未来予測を行うに際して慎重を期さねばならないのは、往々にして予測不可能なハプニングが発生する可能性を排除しえないことです。例えば、ゴルバチョフが登場した時点においては、彼自身全くソ連の崩壊を予測していたわけではありませんでした。にもかかわらず、ベルリンの壁の崩壊を契機にソ連邦までもが一気に崩壊してしまうという一種のドミノ現象が起こりました。歴史は、一人や二人の指導者の意図で動くものではなく、それらを超えた次元でいろいろなことが発生し、それらが相乗的に作用し合って展開していくものである。このようにみることができます。

では、現在の日露関係の不確定要因とは、何か。まず第一に考えられる不確定要因は、エリツィン大統領(そして橋本首相)というトップが一体いつまで政権の座に坐っているか。トップ指導者の交代、つまり、私のいう「近因」における変化がどれくらいのインパクトを今後の日露関係に与えるか。この問いを常に念頭に置いておくことが肝要です。

第二は、紀元二〇〇〇年までに領土問題を解決して平和条約が締結される可能性が非常に少ないこと。私は昨日までモスクワにいてロシアの知識人や政治家たちと意見交換していましたが、可能性としては一パーセント程度でしかないというのが彼らの間のほぼ一致した見方でした。私が日本人であることを十分意識して彼らが駆け引きのためにシビアな見方を伝えようとしている側面を差し引くとしても、この見通しは妥当なもののように思われます。

第三に、では二〇〇〇年までに平和条約締結が実現しない場合、我々は一体どうするのか、という問題です。北方領土問題が解決していない限り、そのような内容の平和条約に日本側のどの首相も調印しないでしょうし、また万一調印したとしても国会を通過せず批准されないでしょう。

日本が島の数にかんして一貫してオール(四島)・オア・ナッシングの立場を取っているのは、第一に、法律的にはサンフランシスコ平和条約に調印していない旧ソ連、現ロシアに対して、日本は南樺太および全千島を交渉の対象とする権利が一応あるにもかかわらず、自主的に四島にまで要求を削減している。四島は、ミニマムの要求である。取引でいえば、これ以上の値引きはできないという正札戦法で交渉にあたっている。

第二は、歴史的事実として、一九五六年の日ソ共同宣言の折に、ロシア側から二島の引き渡しについての提案がなされ、同宣言中にも明記されている。つまり、二島で妥協するなら、日本はほとんど何時でもそれをなしうる立場にある。しかし四十年間、それでは満足しない立場を貫いてきた。したがって、日本としては、今さら四十年前においてすら可能だった立場に戻りえない。

第三は、経済上の観点からみて、四島が相互に密接不可分の関係にあること。四つの島は、水産加工を中心として、経済的に有機的な一体を構成している。学者や政治家がテーブルの上で決定しさえすれば、それで十分というような考え方は、当地の住民意思を無視する机上の空論である。

第四は、右との関連で、ロシア系島民の中には島を日本に早く移管したほうが良いという気持ちが生まれつつある。万一の場合、四島のうち残されることになる島の住民が日本移管となる島の住民に対してジェラシーを感じるだろうという予想さえ行われている。

第五は、仮に日露が平和条約を結んだとしても、それが日本が二島とか三島で妥協したやり方で行われる場合には、日本人の心に対露親近感は決して生まれない。値切られた、してやられた、だまされたという感情が、しこりとなって残る。そこで協力関係は終わってしまう。

私は領土問題に関して、「フォー・バット・α」であるべきだと思っております。つまり、飽くまでも四島返還が原則ではある。しかし、そこに住んでいるロシア系現住民の立場を考慮して、返還の時期とその態様にかんしてはフレキシブルな対応を行うべきという意味で「α(アルファ)」を付けています。二十一世紀に本当の意味の新しい日露関係を拓くためにも、日本側としては島の数は譲れないのです。

では、ロシア側はなぜ返還に同意しないのか。ロシア人独特の領土観が、人間元来の所有欲と結びついた。あるいは、ソビエト時代の教育によって、長年の間、同地域はロシアの領土であると教えられてきた。あるいは、エリツィン大統領の脆弱な権力基盤。あるいは、ロシア人はその領土が次々と小さくなり、深刻なアイデンティティー・クライシスに直面している。さらに日本に領土を奪われたり返したりすることにはもう耐えられない心理的な理由。――これらの複合的な諸理由の総合として初めて説明可能と、私個人は考えております。

では、日露関係一般、とくに北方領土問題を含む平和条約交渉は、今後は、一体どのシナリオになるのか。

一般論として、外交政策の規定要因は無限に存在します。今後のロシア経済の危機がどの程度に深刻化するのか。ロシアとアメリカ、中国との国際関係はどうなってゆくのか。これらの要因によって変わってくる。したがって、日露関係のシナリオは、多元的連立方程式のようなものです。あらゆる状況を考慮に入れなければ解けません。

まず一つの重要な要因としては、私はエリツィン個人のファクターが大きいと思います。「現在のロシア外交は、ひとえにロシアの国[]政策にかかっている、その国内政策は専ら、エリツィンの内臓[・・]にかかっている。」このようなジョークがささやかれるくらいに、エリツィンの心臓がどこまでもつかという大統領の健康状態によって、ロシア外交一般や日露関係が大きく変わってくるといわれております。尤も、大統領の健康状態は、医者ならぬ我々には到底正確に分かる術はありません。

具体的には、エリツィン大統領の三選出馬があるかどうかが問題の一つです。仮に出馬する場合には、反対派に言質を取られ攻撃されないようにするために、対日本に恐らく領土を譲らないだろうという結論になる。いまエリツィン人気は、地に墜ちています。たしかに、彼はいざという危機に迫られると、グングン人気を盛り返してくるタイプの政治家ではあります。しかし、果たして今度はそういくかどうか。レベジ、ルイシコフ、チェルノムイルジン、その他の対立候補も手強く、実業界が果たしてどのくらいエリツィンを支持するか、未知数です。一つだけいえることは、彼が大統領選挙に出るとすれば、いまは前回の一九九六年時に比べさらに人気を落としているがために、北方領土問題にかんして彼が敢えて火中の栗を拾うような危険な賭には出ないだろうと予想されることです。

ところが他方、健康上その他の理由で三選を断念するとなれば、最後の花道として日本との関係改善を図り、歴史に名を残す大統領になってノーベル平和賞を貰おうという野心が出てくるかも知れません。しかしながら、ロシアは水に落ちた犬は徹底的に叩くお国柄です。権力を失って以後のゴルバチョフ・元ソ連大統領の無力かつ惨めな現状をみるにつけ、果たしてエリツィン・現ロシア大統領がソ連邦を崩壊させ、共産主義を解散させた張本人として、花道引退を遂げ、その後平凡な一市民として無事に生活していけるかどうか。そこに彼一人のみならず、一族郎党の浮沈もかかっている。そう考えてくると、日露間に平和条約が結ばれない可能性が現実的には十分ありえます。

紀元二〇〇〇年までに平和条約が締結されず、かつ領土問題も解決されない場合、日本人としては、今度は期待が大きかっただけに失望もまた大きいものでしょう。日本人は、これまで四度のチャンスを裏切られてきております。一度目は、五六年の鳩山さんの時代。二度目は、七三年の田中角栄さんの時代。三度目は、九一年の海部さんの時代のゴルバチョフ大統領の来日時。四度目は、九三年の細川さんの時代のエリツィン大統領の来日時。今度の五度目のチャンスにまた裏切られるとなれば、どうでしょうか。クラスノヤルスクや川奈会談がいっそなかった方が、夢をみることもなく失望感もなく却ってよかった。ひょっとすると日本人の多くがそのように考え、その結果として日露関係が以前よりも冷え込む可能性があることすら予測しておくべきでしょう。

しかしまた見方を変えれば、次のようなこともいえましょう。確かに「近因」や「中因」だけをみると日露関係に突破口を開くことは困難のようにみえるが、「遠因」をみれば、歴史は確実に日露関係を接近させるように動いている。たとえ二〇〇〇年でなくても二〇〇一年とか二〇〇二年、二〇〇三年は、どうか。少々時期が遅れることはあってもこの二国関係は改善する方向に向かっている。もしそうであれば、二〇〇〇年は一つの努力目標に過ぎないと考えればよい。丁度二〇〇〇年である必要はない。相手方のある交渉事に、日本人の几帳面さをそこまで厳密に発揮することはない。そういうおおらかな考え方もありうる。

最後に、それでは何をなすべきか。

十九世紀のロシア文学を彩るトルストイやドストエフスキーの小説に登場する主人公たちの多くは、人生いかに生くべきかを真摯に考える国民性の持ち主です。日本人はその姿勢に打たれて、本来はロシア贔屓な筈です。チャイコフスキーもリムスキー・コルサコフも、日本人は好きなのです。十九世紀の思想家チェルニシェフスキーが、その後の革命家の座右の書となった『シトー・ジェーラッチ(何をなすべきか)』という書物を書いています。常に何をなすべきかということを考えるのが、ロシア人の生真面目なところで、それがまた日本人の琴線に触れるわけですね。レーニンも『シトー・ジェーラッチ』と題する、全く同名のパンフレットを執筆しロシア革命を起こし、成功した。

私の分類中の近因、中因、遠因論の観点から申しますと、「遠因」としての長い歴史のうねりの観点からみると、日本はもっと自信を持っていい。歴史的な流れは日本側に有利に動いてきています。二、三日前の「イズベスチャ」に、ボービンという有名な同紙論説委員も、書いています。法律的にはロシアの立場は正しいが、二十一世紀に向けて四島は返さなければいけない。そうでなければ、ロシアは孤立するからである。自分は、四島の対日返還の日がくることを信じている。前半の論述とは矛盾する結論を導いています。大きな歴史の流れの中で、四島が日本に返ってくることはほぼ間違いない。それは二〇〇〇年ではないかも知れません。物事をそのような長いスパンでみて、私はマスコミ報道に一喜一憂する必要は禁物と考えています。

二番目の「中因」、つまり戦術、ないし戦略にかんしていえば、いまロシア人は、自らが次から次へと一流国から滑り落ちる諸事件に遭遇し、心に傷を負っている。彼らはアイデンティティー・クライシスに悩み、幻滅の時代を迎えている。そういう国民相手に島を取り戻す。そのためには、彼らロシア人が未来に何か明るい希望を持てるような形を提示する配慮が是非とも必要だと思われます。日本に協力することで得をする、生活が良くなりプラスとなる。そういうイメージやビジョンを希求している。たとえそれが幻想でもよいから、何か明るい未来を信じたいと思っている。そういうイメージを醸成する。そして、まさに勝者も敗者もない形で交渉を決着させる。一種の魔法のような妙手を考案すべきではないか。私個人もそのような妙手を考え出して、間接的にでも外交交渉のお役に立ちたいものと希望しております。

最後に「近因」としては、やはりトップの指導者であるエリツィン大統領への働きかけしか有効な方法はないと思います。昨日までの取材旅行で私が受けた感触では、エリツィン大統領はまだ、島の返還の是非にかんし、そのどちらとも決めかねている。大統領は、元々がその日暮らし的で、むつかしいことは逃げるタイプの人です。日露間の平和条約の問題にかんしても、二〇〇〇年までには結びたいが、領土は返したくないというのが本音でしょう。しかしそれでは通らないことも、承知している。G8バーミンガム会議でもそのように考えている旨洩らしていたと聞いております。大統領は、いままさにハムレットのように揺れ動いている。そのようなエリツィン大統領を、何とか日本側に引き寄せる手立てを考える必要があります。

エリツィンに向かい、「大統領さえ決断すれば大した反対はない筈だ」とアドバイスすれば、「私が調印しても、議会が批准を拒む」と彼は逃げを打つに違いありません。そこで「アメリカとSTART2(第二次戦略核兵器削減交渉)を調印したものの、下院の反対に遭っている。にもかかわらず、米露両国はそれの規定にしたがって、粛々と軍縮を実行している例が現に存在するではないか」、と畳みかける。したがって、「まず日本との間でも平和条約を結んだという実績を作り、時間をかけて世論の変化を待ち、批准へと持ち込めばよい」と提案する。たとえ平和条約の批准が少々遅延することになっても、日露関係は既に五六年の日ソ共同宣言でほぼ完全に正常化しているので何ら格別の支障はない。批准は議会に下駄を預ける。その間に、日本はロシアに対して実行出来ることを行えば、ロシアの世論も議会の雰囲気も次第に変化していくことでしょう。このような戦略でロシア側を間接的に追い込んでいけばよいのではないか。――これが私の考えている提案でございます。

本日は、近因、中因、遠因の分類にしたがってお話しさせていただきました。結論としては、この問題は両国首脳がクラスノヤルスクや川奈で約束した時期よりも多少時間はずれるにせよ、結局のところ近い将来解決するプロセスにあるのではないかと考えております。

どうもご清聴ありがとうございました。

(国際日本文化研究センター教授・京大・法修・法・昭35・哲学博〔コロンビア大〕)
(本稿は平成10年6月10日夕食会における講演の要旨であります)