これからの日本経済
三重野 康
(前日本銀行総裁)
No.819(平成10年4月)号

 今、日本は大変に元気がない。新聞の見出しだけみていると、日本国は沈没寸前のようだ。といって窮乏の、どん底にいるわけでもない。そのせいか、閉塞感を打ち破ろうという迫力とか積極性も余り感じられない。ではどうすればよいのか。このことを、目前のこととしてではなく、中長期的な観点から考えてみたい。

   3つの底流
 なにはともあれ、まず日本経済に活力を取り戻さなければならない。たしかに現在、日本経済はすこぶる元気がない。なぜであろうか。それは日本経済の底に、3つの底流が流れており、それがいずれも日本経済に大きなデフレ・プレッシャーをかけているからである。3つの流れとは、第1はストック調整、第2はバランスシート調整。この2つはバブルの後遺症。第3は内外の環境変化に伴う構造調整である。

    (ストック調整)
 ストック調整とはどういうことか。バブル時代、投資や消費が爆発的に増え、年5%を超える高い成長が実現したが、同時にそれは、その後の投資や消費を先食いしてしまったことを意味する。その結果、企業の資本設備は大きく積み上がって設備過剰に、商業ビルも建て過ぎ。家計も、たとえば自動車は、バブル以前は毎年300万台、バブルの3年間は毎年400万台も売れた。そうなると、バブルがはじけた後は、ある程度の期間、設備投資は減少し、商業ビルの建設は見送られ、個人消費の落ちるのは当然である。このように、積み上がったストックがノーマルな状態に戻るまでの調整をストック調整という。
    (バランスシート調整)
 バランスシート調整とはどういうことか。これはバブル時の信用膨張の後遺症。土地、株の価格下落により、資金の貸し手、借り手双方のバランスシートは深い傷を残すことになった。  一般企業の多くは、バブル時代に財テクに走り、その後の資産価格の下落はバランスシートを大幅に悪化させた。そのため「リストラ」に取り組まざるを得なくなり、新規の投資を抑え、人件費の圧縮を図り、バランスシートの改善に努力することに追い込まれた。  金融機関は土地融資にのめり込み、結果として、バランスシート上に大きな不良債権を抱えて、その処理が喫緊の課題となった。これがバランスシート調整。
 結局、バブルの後遺症は、ストックの山が高かっただけに、その後の谷は深くなり、バランスシートの傷が深かっただけに、それを直すのに時間がかかっている。
    (構造調整)
 内外の環境変化に伴う構造調整とはどういうことか。日本経済は明治維新以来、先進国に追いつけ追いこせと遮二無二努力、ようやく追いついた。追いついたということは、日本経済が成熟化して、新しい段階を迎え、それへの対応を図らねばならないということ。丁度その時バブルが発生、ここにきて改めてそれへの対応が迫られている。
 その間、世界経済にも大きな変化が生じた。グローバル化という大きな うねり [ 、、、 ] の下、アジア諸国の市場化、工業化の急速な進展、旧共産圏諸国での計画経済から市場経済化への踏み出し、情報通信技術の目覚ましい発展があった。
 これらは、わが国に対して国際競争の激化と伝統的産業の競争力低下をもたらした。そして、その間の円相場の上昇による合理化圧力と相まって、わが国産業に構造改革と一層の効率化を迫ることになった。たとえば、非常に単純化して言うと、国際競争の激化は、まず労働集約部門に現れる。この面では労賃の安いところが有利、従ってその部門の生産はアジア等新興国に譲り、わが国はより付加価値の高い財・サービスを提供する。もっとも、最近は新興国でも技術水準が上昇、一部の国ではハイテク産業が育ちつつあり、国際分業もより高度かつ複雑な水平分業が生まれつつある。いずれにせよ、これらの動きはわが国産業に高度化を迫っている。
 このような内外の環境変化が、わが国産業の高度化を促している。これが構造調整。
    (3底流の現況)
 これからの日本経済を考えるためには、この3底流の現況を把握する必要がある。
 第1のストック調整は、ほぼ終了している。資本ストック循環という観点からは、既に設備投資が増加しやすい局面になっている。

 第2のバランスシート調整はどうか。一般企業はリストラの進捗により、ようやく収益の出せるところまで漕ぎつけたが、まだ調整圧力は残っている。それに業種によりかなりのばらつきがある。特に不動産、建設業はまだ見通しが立っていない。大企業製造業はまずまずの進捗。大企業非製造業や中小企業製造業は、ある程度進捗、中小企業非製造業が最も悪い。もちろん、同じ業種の中でも企業によりかなりのばらつきがある。
 金融機関のバランスシート調整はどうか。昨年11月の大型金融機関の相次ぐ破綻により、日本の金融システムに対する内外の不信は、眼を蔽うばかりとなった。このため政府は重い腰を上げ、預金者保護と金融システム強化のため公的資金を投入することを表明することになった。
 金融機関は、当初地価や株価がいずれ回復してくるのではないかと期待していたこともあって、抜本的対策を講ずる姿勢が希薄であった。しかし、そのような姿勢に対して、主として海外の投資家、あるいは格付機関がきびしい態度をとり、その結果ジャパン・プレミアムといって日本の銀行が海外で借入れる際、普通より高い金利を支払わなければならなくなった。またこのままだと、国際化、自由化が急速に進んでいる世界の大勢に取り残されることになるとして、94年度ごろから、ようやく赤字決算をしてでも償却・引当てを急ぐ積極的態度に転じた。大手の金融機関の大部分は、本年3月期で不良債権の会計上の処理に目途がつくところまできている。ただ、傷が深く自力で更生できない向きが、先送り先送りでここまできたが、遂に表面化したということである。 まだ幾つかの地雷はあるが、公的資金の投入もあり、金融システム全体に影響を及ぼすことは回避できよう。
 もっとも、金融機関にとって不良債権処理という後向きの仕事が片付いたとしても、もっと大変な仕事が残っている。グローバル化した金融市場で生き残ることにこれから全力をあげなければならない。
 最後に、構造調整はどうなっているか。日本経済は既に構造調整の道を歩き始めている。その度合いを定量的に示すことはできないが、バランスシート調整にばらつきが出始めているということは、その現れとみることもできよう。
 しかし、構造調整はこれからが本番である。

   当面の日本経済
 日本経済は、現在、3つの底流の上で、循環的にはどのような位置に在るのであろうか。昨年4月に消費税率引上げ、特別減税打切り、加えて公共事業の減少といった財政面からの制約を、折角の景気回復過程がどのようにこなしたかというのがポイント。設備投資や純輸出は引き続き景気を下支えしたが、個人消費の落ち込みに加えて、大型倒産続出による信用不安、金融機関の自衛的信用収縮、株価の低落、アジアの通貨不安(この影響を決して軽視してはならない)、政治のもたつき等が重なり、マインドをすっかり暗くし、それがまた実体を悪くするという事態になっているのが現状である。
 病いは気からと言われるが、景気も気からである。その「気」に対しては、もっと速やかに適切な手を打つ必要がある。この場合、従来の手法による単なる景気支持策ではなく、現在のような構造調整下に相応しい手だてを先送りせず、小出しにせず、思い切って講ずべきである。それでは、日本経済の中長期的な課題とはどういうものであろうか。

   日本経済の課題
 日本経済は単なる景気循環の回復を図るだけではなく、中長期的にみて経済構造の変革を実現しなければならない。そのためにどのようなことを実行すべきか。それを考える場合、どのような視点から考えるかが重要。私は次の3つが重要と思う。

    (3つの視点)
 第1に、外に向かって「開かれた経済」にしていくこと。わが国は「閉ざされた経済」のイメージが強過ぎる。このままでは世界の孤児になる。
 第2に、適度の持続可能な経済成長を実現していくこと。経済構造の変革は、ゼロ成長の下では実現は困難、適度の成長が必要。
 第3は、高齢化社会に備えること。
    (4つの課題)
 以上3つの視点からみて、これからの日本経済が構造改革を進めるに当たり、何に取り組むべきかを考えてみたい。その場合の基本は、市場のメカニズムを活用し、そこから革新の力を引き出すことである。そのためには次の4つが重要である。
 第1は、お [ かみ ] に頼らぬ企業家精神。日本経済の構造変革をなし遂げるのは、プレーヤーである企業、個人である。戦後の発展を振り返っても、イノベーションを具現化し、成長の牽引力となったのはこの精神である。長い繁栄とバブルで少しナマッているが、その底力は失われていないと思いたい。お上が頼りにならない場合、益々この精神が必要である。
 第2は、規制緩和。諸規制の緩和は、「開かれた経済」にとって不可欠である。また、わが国のような成熟度合いに達した経済が、引き続き適度の成長を遂げていくには、どうしても市場の持っている創造力、革新を産み出す力を、市場における競争を通じて最大限に引き出すことが必要。そのためにも規制緩和が必要である。規制緩和は、今となっては少々手垢のついた言葉になったが、今後とも、いくら強調しても強調し過ぎることはない。これなくして日本経済の再生はない。要は実行である。
 第3は、インフラストラクチャーの整備。インフラ整備と言えば、通常は社会資本の整備を連想するであろうが、それも大事であるが、ここでは物的なインフラではなく、ソフトウエアの側面、言い換えれば、経済活動を支え、やり易くするためのフレームワークの整備である。より具体的に言えば、次の通り。
 ①企業経営の実態がより正確に反映するような「会計制度」の改善と、「ディスクロージャー」の充実。これなしに日本経済に対する内外の信頼を回復することはできない。
 ②インセンティブな「税制」の確立。有価証券取引税の廃止、法人税引下げ、個人所得税の累進性の見直し等である。
 ③「行政システム」の改善。マーケット時代の行政に求められる最も大事なことは、市場メカニズムが本来有する機能を阻害しないということ。
 ④「人的資源」の活用。構造変化は、ある部分の失業、新しい部門の雇用増を生ずるが、右から左というわけにはいかない。高齢者や女子の活用、終身雇用制の見直し等全体として労働市場の流動化が必要。
 ⑤「財政再建」。先進国中最悪の状態になっているわが国財政を再建しなければならない。その場合、単に赤字を減少させるだけではなくて、歳入歳出両面で めり張り [ 、、、、 ] を効かせた上でのものでなければならない。単なる機構いじりだけでは行財政改革にはつながらない。
 また、中期的な目標は大事だが、それと同時に適度の成長が必要という要請に対する手当てを怠ってはならない。
 ⑥「金融システムの安定、強化」。前述のごとく、不良債権の処理だけではなく、グローバル化、情報通信技術の発達に伴う新しい金融環境に挑戦しなければならない。いわゆる日本版ビッグバンへの対応である。生易しいことではない。金融機関はもっと肚をすえてかかる必要がある。率直に言って、金融機関の危機意識は、全体としてはまだ足りない。
 第4は、インフレにしないこと。高齢化社会への備えのためにも、適度の持続的成長を図るためにも、インフレにしてはならない。高齢者を含めて社会的弱者の最大の敵はインフレである。また、適度の持続的成長は物価が安定してはじめて可能である。そのためには「インフレにしない」という中央銀行の固い決意と、それに対する国民の支持が非常に重要である。その意味で日銀法改正の意義は大きい。

 これらの諸課題を克服することは生易しいものではない。しかし、日本経済はこれを乗り越えて、新しい発展へ進む底力を持っていると思う。要は実行である。  ただ、3つの底流をくぐり抜けた後の日本経済に誤解があってはならない。成熟経済の成長率は、暫くはせいぜい2%台、3%になれば御の字。それから後は、お上に頼らぬ精神と技術革新の程度による。  また、以前は首をすくめておれば、遅速はあるがほとんどが水面上に浮かび上がったが、今後はそうはいかない。構造調整を乗り切ったものだけが生き残り、次なる発展へ進む。

  (前日本銀行総裁・東大・法・昭22)