日本の課題
根本 二郎
(日本経営者団体連盟会長・日本郵船会長)
No.812(平成8年6月)号

変化の時代への対応
 私の少年時代、山本有三編纂による「少年少女国民文庫」の中に『心に太陽を持て』という作品が収められておりました。これはイギリスの船が難破し、海の中を漂い救助されるまでの間、イギリス人の少女が「心に太陽を持て」という歌を歌ってみんなを元気づけたというお話で、いまでも私の書斎の書架に並ぶ、少年時代の忘れ難い本の一冊となっております。

 少年時代の大部分は戦争という時代でしたが、当時の「よく学びよく遊べ」という教育方針の良い面を受けながら育てられました。しかし、少年の心に教え込まれてきた価値観ともいうべきものが、敗戦を機に大転換してしまい、新しい価値観との差をいかに模索して埋めていくのかが、当時の少年たちの苦悩でありました。そうした中で貪り読んだのが西田幾多郎をはじめ、三木清あるいは河合栄治郎や阿部次郎などの著書でありました。

  激動の少年時代を経て入学した大学は、反帝闘争で相当に荒れておりましたが、私はそこで岡義武先生の薫陶を受け、その薫陶は数年前に先生が亡くなられるまで続きました。先生は人間的には、温かくユーモアに富んだ方であり、ある意味で大変な理想主義者で、「研究者は教育者でなければならない」というのが先生の教えでありました。私も経済界に身を置いて四十年になりますが、会社の経営者としても社員の人格形成に対して非常に重い責任があり、常に「経営者は教育者でなければならない」と思い続けてきました。

  岡先生のゼミでは、特に、わが国の近代化を成し遂げた明治維新の際に輩出した大久保利通、山県有朋、伊藤博文、大正デモクラシーの原敬、昭和の近衛文麿といった指導者をそれぞれ学生に研究させ、その変革の時期に指導者がどう対応したのかということを学びとらせようとしました。この指導者論の研究を通して、先生はご自分が研究者であると同時に教育者であるという思いを非常に強く持っておられることが感じられました。

  それから岡先生は、価値判断を排撃して事実をして語らしめるという、非常に厳しい実証主義をとっておられました。日本の近代政治思想史をアジアあるいは欧米における歴史の流れと連動させて見る、つまり複眼思考をもってものを見ることも教えられました。実証主義と複眼思考とは、ものを見る際に、表面的ではなくあくまでも構造的に観察していく、ある種のサイエンティフィックな方法で対応をしなければならない、ということだと理解しております。

  戦争中のいろいろな動き、そして、戦後の極左の動きのさかんな世の中にあって、先生が掲げたのはあくまでも人間性重視のヒューマニズムでありました。こうした教えをふり返ってみると、結局、変化の時代においては、非常な柔軟性あるいはスピーディな柔軟性が求められるものの、一方においては万古不易の原理原則があってしかるべきで、そういったものをしっかりと把握していく構想力を育成していかなければならない。そのためには歴史意識と国際認識力を充実していく必要がある、ということを学び取ったような感じがいたします。

  歴史というものは過去から現在に至り、そして未来を示唆するもの、もちろん未来は過去の通りには行かないのかもしれません。歴史を以って、必然性の結果である、または、蓋然性の結果であるという人もおり、いずれも正しいと思います。しかし、過去から現在そして未来に至る歴史意識という縦軸と、地球規模でものを考えなければならない現代では、国際関係を絶対に無視することはできないということから、国際関係の横軸とが交差する点に現在の私たちは置かれており、この時点は時間の経過と共に時々刻々として変化していきます。

  それが縦に振れるのか、あるいは横に振れるのかは、その時その時の状況で異なってくるでしょう。しかし、私たちがしっかり見極めなければならないのは、その交差する点にどういう状況で置かれているのか、さらには、どういう社会を未来に実現させていくべきか、という構想力を鍛練する必要があるのではないか、ということであります。

  この構想力の論理に関連しては、高校時代によく読んだ三木清の『構想力の論理』という本があります。そこでは、人間社会における、ロゴス的な要素とパトス的な要素が相互に葛藤し合う問題を、いかにアウフヘーベンして融合させていくか、というギリシャ以来の課題がいろいろと論理展開されておりますが、いまの時代においても基軸になるものは、やはりヒューマニズムであります。人間は何のために生きるのか、人類への貢献はいかにして成し得るのか、といった根本的な課題を基軸において対応していかなければならない、という基本的な考え方に立って、いまの変化の時代に対する認識をどの程度深めていくのかが、非常に大きな問題であると言えます。

  やや言い過ぎかもしれませんが、現在は、世界史的に見れば、一七八九年のフランス革命の時期に匹敵する大変大きな変化の時代だという認識を私はもっております。

  また、現在の日本が置かれている状況も、近代化の始まった明治維新、そして終戦に匹敵する非常に大きな変化の時代であると思います。特に、五五年体制が一九九三年十月の細川連立政権の誕生によって崩れて以来、すでに三年を経ているにもかかわらず、その次に来るべき未来の姿が未だに現れて来ない。とき恰もバブルがはじけて経済界に大きな変動をもたらし、また、世界的には冷戦体制が崩壊する等のいくつかの大きな変化がさまざまに共鳴し合って、わが国を揺るがしているというのが現状であろうかと思います。

日本文明の源流
 私は、岡先生に学んで以来、異なった文明と文明が遭遇した時、古い体制から新しい体制へと移行する時、それまでは異端であると言われたものが正統に転化する時、といった時期が非常に大きな変化の歴史的モーメントだと思い、そういう時期における人間の生きざま、特に指導者がその変化にどのように対応してきたかということについて、大いに興味をもって観察してきました。私は現代史を考える場合でも、日本列島の形成過程を古代史にまで遡って検証してみることが、大いに参考になるのではないかと思っております。

  ご承知の通り、考古学では日本列島に日本人の祖先が生息し始めたのはいまから五十万年前ということになっております。これは北京原人の五十万年前に匹敵しますが、中国の西安近郊の藍田という地帯では、百十五万年ぐらい前からすでに人類が住んでいたと言われております。日本列島には、モンゴロイドの太平洋地域への壮大な拡散の過程で、さらに新しい人たちが移って来たことでありましょう。 

  日本がユーラシア大陸の東のターミナルとすれば、見方によってはヨーロッパ文明もユーラシア大陸の西の辺境で起こったと言えます。従って、東のターミナルに位置する日本と、西の辺境にあるヨーロッパとの中間に、エジプトに始まり、チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河という地域に世界の四大文明が起こり、西と東の両方の世界に影響を与え、わが国文明の形成にも中国を経由して大きな影響をもたらしております。

  最近の青森三内丸山遺跡の発掘からは、一万二千年から一万三千年ぐらい前から縄文文化が始まり、一万年間にわたって縄文の時代が続いたことが裏付けられておりますし、メソポタミアで土器が作られるよりも早く、六千年ぐらい前には、縄文土器が日本列島に存在していたということであります。そして、九州佐賀の吉野ヶ里遺跡に代表されるように渡来人が弥生文明を引っ提げて上陸し、水稲農耕を展開する。おそらく、その時に弥生と縄文の凄惨な戦いがあったのではないか、吉野ヶ里の遺跡から出土した鏃その他を見ても、それは十分に推測されるところであります。

  わが国に対する最初の文明のインパクトは中国文明で、それはわが国に律令国家体制をもたらしました。また儒教が伝わり、インドの仏教が中国経由で入ってきます。さらには南蛮文明・キリスト教、明治期には欧米の制度の影響を受け、次いでマルキシズムが非常に大きな影響を与え、終戦後はアメリカのデモクラシーが日本を席捲する、というように、わが国の文明の形成は、まず第一に、かなり国際的な環境のもとに行われてきたということで、単一の日本民族という視点はいかがなものかというのが私の持論であります。

  第二として、わが国が西側文明の影響を常に受けながら形成されてきた過程において、外からのインパクトに対しては非常に注意深く閉ざす動きと、いいものを選択しながら巧妙に受け入れる開く動きとが何回も繰り返されてきたということが挙げられます。そしてイデオロギー的には、秀吉のキリシタン禁制から始まり、マルクス主義に対する対応その他を考えると、やはり、かなりの鎖国主義と言えます。貿易の面でも御朱印船に代表されるように、管理貿易体制の色合いが強いと言わざるを得ません。そういった特質が歴史的に今日まで色濃く残って、わが国を作り上げてきたということではないかと思います。

  アへン戦争を契機にはじまった欧米列強の帝国主義的な対アジア進出に対し、日本は大変な危機感をもって明治維新という民族革命を成功させ、まれにみる近代国家を作りました。その時の思いは、「死の跳躍に挑戦した」と評される程のもので、この跳躍に失敗したらわが国は衰退するかもしれないという大変な高いハードルに、勇気をもって挑戦したのが日本民族でありました。そうした日本の来し方を、ずっと見てみますと、外部からのいろいろと異なったものを日本化する力が日本の精神文化の底にあるのではないか、つまり、音楽で言うところのバッソオスティナートの如く、執拗に繰り返される通奏低音の響きが、日本人社会の精神的な根底に、歴史的に連綿として存在して、今日の日本国家を形成するまで凝縮されてきたものがあるのではないか、という気がいたします。

国家・社会と教育
 私が日経連の場でもよく申し上げておりますのは、国家なり社会なりを見る場合に、コインの表と裏の関係に想定して考えるべきだということであります。便宜的に表の問題としては、政治・経済・行政等が挙げられ、裏の問題には人の心に関わる教育の問題があります。特に、昨今の日本社会のいろいろな病理的な現象を見るにつけても、日本人の心のあり方が問われており、いかにコインの表の側でビューティフルな改革を試みようとしても、コインの裏側の大問題が同時併行的に解決されていかなければ、わが国の活力は生まれてこないのではないかと思います。

  コインの裏側の問題に関連して、終戦直後、私たちの年代がどのように考えていたかということに遡って、若干お話を申し上げたいと思います。私たち少年にとっての最も大きな問題は、価値観の大転換でありました。日本は何のために戦ったのか、日本はなぜ負けたのか、そして人間の幸せはいかにあるべきか、というような基本的な問題について、根本的に考え直さざるを得ませんでした。当時、『人間』という題の雑誌が改造社から発行されており、その中で作家たちが模索したものは「人間性の回復」というテーマであったと記憶しております。戦争中に左翼的な思想によって大変苦労された椎名麟三、埴谷雄高といった方たちが、あるべき人間像を語られたり、あるいは、大岡昇平さんのように、フィリピンのジャングルでの極限状態における体験を通して人間のあるべき姿を論じられたり、太宰治のような、その中間に位置するというべき生き方等が相当に熱っぽい雰囲気で語られておりました。

  その後、日本は昭和三十五年ぐらいから高度成長期を迎えます。そして政治の面では日本民主党と自由党とが一つになり、社会党の左右が一緒になって自民党に抗する、という五五年体制ができました。ここでもう一つ忘れてならないのは、日本共産党が六全協において、いわゆる武闘主義を放棄して平和路線に転換したという点です。こうした動きは当然のことながら、学生運動にも影響を与えてきました。柴田翔氏(現在は東大名誉教授)の小説『されどわれらが日々―』では、いままで武闘主義に徹してきた学生が、平和路線への転換に大変苦悩したり、一人の女性をめぐってノンポリの学生との間で悩んだりするという物語で、青春に対して、真正面から取り組む若者たちの姿が象徴的に語られておりました。

  その後、日本社会は土地投機に代表されるような物質的な繁栄、つまり非常に変則的な資本主義のありようになってきて、結局、世の中は欲望が正義だというような思いが一部には起き、物事の考え方が残念ながら相対主義的なものになってしまいました。その結果、人間疎外、人間不信というような社会風潮が一部に出てきてしまったということだと思います。その流れがいまだに尾を引いているというのが日本の状況ではないでしょうか。ここからいかにして脱却するかという意味で、私がここに掲げた「日本の課題」の重大なテーマの一つがあるわけです。

  この現象は、日本ばかりではありません。アメリカでも約十年ほど前にシカゴ大学のアラン・ブルーム教授が書いた『アメリカン・マインドの終焉』が七十週間に亙ってベストセラーを続けましたが、こうしたショッキングな本が読まれるということは、アメリカの良心がまだ健全だということではないかと思います。

  この本の中で哲学の教授が指摘しているのは、人間性の問題です。アメリカの大学には、歴史、古典、哲学といった、人間本来の根本的な教養を身につける教養主義(リベラルアーツ)がヨーロッパ文明の一つの伝統としてあるわけですが、そういうものがいまや欠落する一方で、産学共同という名の下にどんどん新しいテクノロジーが出てきている。即ち、それらテクノロジーをコントロールしていくべき人間のありようについて、基本的なものが欠けている。このままではアメリカは大変なことになるから、特に理科系の大学を含めて、教養主義をもっと導入すべきだと指摘しております。これは日本の現在の状況とまったく同じであり、昭和六十一年に出版された村上春樹氏の『ノルウェーの森』のように、暗いノルウェーの森の中に入り込んでしまうような、一種の無気力感、「いま、自分がどこにいるかわからない」と恋人に語る主人公の精神のあり方は、わが国の若い人たちの一部の内面を物語っているような感じがいたします。

  私は中教審のメンバーとして、有馬朗人先生と一緒に答申の作成に携わっている立場からしても、コインの裏側の問題については、相当に思い切った改革を目指さなければならないと考えております。ODAへの巨額の援助もさることながら、日本の教育に投入されている金額は、対GNPの比率ではアメリカと比べてもまだまだ足りません。また教育のあり方も、われわれ経済界にも責任はありますが、依然として学歴社会が全盛で、その結果、没個性的な偏差値教育が教育界を支配し、考えることよりも、暗記して覚えることに重点が置かれる教育内容となっています。このようなことで二十一世紀の日本は果たしてどういうことになるのか、と危倶の念を抱かざるを得ません。

  子供というものは、遊びの名人です。人間性、国際性はもとより、日本人に欠けると言われる独創性をもたらすためには、余裕を与えて山野を跋歩して遊ぶようにする必要があります。そうした経験からさまざまなことを学びとって成長していくのが本来の姿であります。しかし、いまは受験受験で大変で、その費用も勤労者の一番苦労の多い世代の肩の上に大きくのしかかっているのが現実で、こういった問題に真剣に取り組んでいかなければ根本的解決にはつながっては来ないと思います。

低成長時代の政治・経済
 一方、コインの表側の政治問題は、五五年体制は崩壊したものの、依然として改革の歩みは遅いままであります。過去五十年間、わが国における総理大臣の交代の回数は二十四回を数え、吉田、池田、佐藤、中曾根といった方たちは四年とか五年ないし八年務めたものの、その他の方たちは平均一年少々で、短い方の数カ月という任期に至っては政治などできる道理がありません。

  イギリスの元首は五十年の間に十二人で、中でもサッチャーさんは十年に及んでおりますし、ドイツは六人で、現職のコールさんは辞任が伝えられているものの、余人をもって代えがたいということで、再選されるでしょうから、おそらく、彼はビスマルクの任期を超えることになるのではないかと言われております。結局、政治勢力の結集もさることながら、それ以前の問題として、クルクルと指導者が代わったのでは、国民は勿論のこと、国際的に見ても信頼を大きく損なってしまうのは当然でありましょう。

  民間企業の場合は、最低一期二年は責任を果たすのが常識であって、通常は三期六年ぐらい務めるようでなければ、会社をどのように経営していくのかもわかりません。一方、自分がいままで経験したことのないようなセクションの大臣になれば、半年はまったく何もわからないのですから、当然官僚に頼らざるを得ないという悪循環に陥っているのが政治の世界です。従って、ある年限は大臣も総理も代えるべきではない、というのが私の持論であります。

  いずれは選挙によって二大勢力に結集していくのでしょうが、そのプロセスにはいましばらく時間がかかるのではないか。そのスピードについて非常に心配なのは、いまの日本経済の低迷と、変な形で共鳴するようなことにでもなると、日本の二十一世紀に向かってのフェアウェイはますます狭くなるのではないか、という懸念があるからです。

  次に日本経済をふり返ってみると、昭和三十五年から四十六年ぐらいまでのおよそ十年間の日本経済は年率一〇・二%の成長を遂げており、いま、中国を含めアジア諸国の国々がひた走りに走っている状況とほとんど同じ状況でありました。その時の失業率が一・二%、六十万人の失業者ですから、これは農業と自営業を除く就業人口が五千万人ぐらいとすれば、季節的な変動を考慮しても完全雇用の状態が続いたと見るべきでしょう。そして、昭和四十七年からバブルが発生する直前の六十一年ぐらいまでの十五、六年の間を見ると、成長率は約四・二%に落ち、明らかにこの十五年間の成長は中成長に変化しております。

  その一方で、完全失業率は二・三%から二・四%台で、従来の六十万人に百万人がプラスされて、百六十万人の人たちが完全失業の状態になりました。その後、昭和六十二年から平成の初めにかけてバブルが起きて、成長率は四・八%ぐらいに一時戻ったものの、完全失業率はほとんど変わっておりません。そして、バブルが崩壊して四年間、わが国の経済は連続ゼロ成長に落ち込み、失業者も三・三%、二百三十万人から二百四十万人に増大してしまいました。しかも、欧米式の失業率の換算で試算すると、おそらく六%から七%に近い数字になるのではないか。つまり、日本の場合は、わが国特有の雇用慣行によって、過剰人員をそれぞれの企業が抱え込んでおり、この数字は一説に二百万人、あるシンクタンクの調査によると、四百万人とも割り出しているようでありますから、完全失業者二百三十万人に対して、二百万人ぐらいのプラスαがある、ということは、六%近くになり、わが国の失業の現状は、もはやアメリカ並みになっているということであります。

  政府は盛んに景気回復宣言を行っているものの、九〇年代に入っての二回の回復宣言も二度ともひっくり返っております。二度あることは三度あるかもしれません。今年の後半、民間設備投資と消費が果たして期待されるように伸びていくかどうかという問題を抱えております。また実質の伸びが名目のGDPの伸びを上回るという名目と実質との反転は、わが国経済の戦後の歴史において初めてのことであります。これをもってデフレというのであれば、有効需要が減退したから現在のような状況にあるという説明の他に、世界的な大競争時代を迎えて、特にアジアを中心にして、かなり質が良く低廉な商品が滔々としてわが国の市場に入ってきて価格破壊を生じさせているという事実があります。これは今後とも続いていくと考えるべきで、いままで日本経済が直面してきた状況と全く違う局面に立たされていることを認識する必要があります。そしてさらに、金融関係の活性化、いわゆる不良債権問題の是正もまだガタガタしている。為替も現在やや円安ではあるにしても、果たしていまのような百十円台が定着するのかどうか。これらの構造的な要因を調整しなければならない時代に入っております。この構造調整にはおそらく五、六年かかるかもしれません。

  市場経済の動きとして、ミニサイクルは何回かに亙ってめぐってくるのが常道であって、いまの時点は、その大きな構造調整の中でのミニサイクルの回復局面にあるのではないか。このミニサイクルが、再びダウンワードに向かっていく可能性もあるわけですから、手放しで、いまの日本経済の姿を楽観することはできません。おそらく、今年は一・五%からせいぜい二%程度の成長率に止まるのではないかと予測しております。

  コインの表側である経済が、高成長から中成長に、中成長から低成長に変わってきました。過去四年間で六十六兆円という公共投資を行ったにもかかわらず結果的にゼロ成長ですから、もしこれをしなかったら、一体どういうことになっていたか。すなわち、わが国は明らかに欧米型の低成長、高失業の時代に突入したという認識をもって、これからの進路を考えなければならないというのが、大きな前提条件であります。

日本経済の四つの課題
 ところで、G7の中の主な先進国は、一体どういう状況になっているのか。昨年私は、七月にアメリカへ、十月、十一月にはイギリス、ドイツへと、フィールドワークを行い、現地でそれぞれの政府、経済界、労働組合のトップと親しく意見を交換してきました。その際私は、四つの問題意識をもって訪問してきました。

  私は、昨年五月に日経連会長に就任してから一貫して基本的に国家の重要課題は、経済的な側面から見ると四つあると、申し上げてきました。まず最大の課題は雇用の確保であります。かつての戦争、ファシズムの台頭、ソ連型社会主義の台頭のどれを取っても全て雇用の問題に関係しております。ケインズの理論が出てきたのも雇用の問題に端を発しており、いかにして完全雇用を成就するかが何よりも国家の最大義務ではないかと思っております。

  そして、その雇用を確保するためには、経済がマイナス成長になっては実現できず、ある程度の成長を確保していかなければなりません。従って、第二の課題はいかにして、あるレベルまで経済成長を果たし得るかということであります。

  第三の課題は、物価の問題であります。これも、インフレを抑制するということだけではなしに、わが国の場合には内外価格差を是正していかなければなりません。日本の産業構造は二重構造になっており、非常に生産性の高い分野と低い分野があって、その生産性の低い分野の高コストを、国民全部がお互いに背負っているというのが現状であります。これが先ほど申し上げたように大競争時代に入り、滔々として価格破壊の商品が日本に入ってくるとなれば、従来のようなやり方では対応できないということになります。

  賃金問題については、私が繰り返し申し上げているのは、賃金は雇用と物価の関数、つまり、雇用が確保され実質的な物価水準が改善されれば、実質賃金は上がっていく。従って、名目賃金を上げることよりも、いかにして実質賃金を高めるかが重要となります。そのために雇用と物価の安定に真剣に取り組まなければならないと主張し続けているところであります。

  最後の課題は、日本は貿易立国でありますから、輸入、輸出の対外均衡をほどよい水準に保つことによって、日本の為替が購買力平価をはるかに上回るような、過剰な評価を受けないような体制にもっていく必要があるということであります。

  この四つの課題がほどよく調和を保たれている経済社会が最も望ましい国家だと私は思っており、そうした視点からいろいろなフィールドワークを行ってきました。

 まず、アメリカもイギリスもドイツも、この四つの課題が最も重要であるという問題意識については、まったく同感ということでありました。ただ、彼らの場合には、わが国のような異常な内外価格差はありません。また欧米にはわが国のような過大な貿易収支の黒字もありません。従って、彼らの最大の課題は雇用と経済成長であって、日本の経済界での視点とは違っております。

  アメリカでは、一九八〇年代のアメリカと一九九〇年代の日本はまったくそっくりだという指摘を受けました。第一に、為替がかなりドル高であった結果、アメリカの輸出産業は国際競争力を失ってしまった。その後、アメリカは日本やドイツの協力を得て、ドル安の方向に転換していきます。

  第二に、国際競争力を失った結果、空洞化現象が起き、特に日本の車と鉄鋼をはじめとして、アジアからかなり質が良い製品が競争力のある価格で大挙してアメリカの国内市場に侵入してきた、という点です。ピッツバーグをはじめとした鉄鋼業はガタガタになり、中国がその古い工場を丸ごと買って持ち帰り、改良して使うというような状況は、すでにご承知の通りであります。生産の海外移転の比率は、メキシコを中心にしてGDPの約二五%に達してしまったとのことです。わが国は現在、一〇%程度であります。

  それから、第三番目にはバブルが発生したことです。例のS &L(貯蓄貸付組合)の大きなツケとして、公的資金約十一兆円の国民の税金を投入する一方で、経営者の責任をしっかりと追及し、当時の金融機関の責任者は、千百人とか、千二百人がいまだに刑務所の中にいると言われております。また、そこから得た不動産を有効利用するために、日本の住専処理機構に類似するリゾリューション・トラスト・コーポレーション(RTC・整理信託公社)が中心となって、二万五千戸の住宅を、一戸二百五十万円相当で勤労者に分譲し、さらに七万五千室分の集合住宅の部屋を、一室百二十万円ぐらいで分譲しました。わが国から見ると夢のような話で、負の分野の処理だけで終わらせたのではなく、本来あるべき勤労者へのリーズナブルな不動産の提供ということを併行的に果たしていたことが、わが国と大きく違っている点であります。

  アメリカはその過程で、四百万人の失業者の純増が生じたものの、その八割の失業者を情報通信を中心とした新しい分野で吸収しました。残りの二割を健康、福祉そして人材派遣とか斡旋業というかたちで雇用創出を図って吸収したということです。しかし、その過程で、ホワイトカラーを中心にして、勤労者の給与が二~三割下がり、一九六〇年代の水準に戻ってしまいました。アメリカは過去十五年間、毎年実質賃金が下がっているのです。そして、雇用契約期間も極力短くしていくなど、一言で言えば、労働条件の切り下げということを背景にしながら、構造改革を推進してきたとも言えるわけであります。

  サンフランシスコでの二月二十三日の日米財界人会議の折、私は日本の政治・経済についての基調講演を行いましたが、その後で、アメリカの経営者たちはいまのような問題をどう考えるのかという質問をしました。アメリカの場合は、ダウンサイジングで大量レイオフをした会社ほど、ニューヨークの株式市場における株価が上がっていく。その結果、経営者側がストックオプション(自社株購買権)によって非常に高い報酬を受けるという、私どもから見ると「いかがなものか」というような現象になっており、これがアメリカの現実であります。

  アメリカのように非常にフロンティアが広く、特に情報通信等の新しい産業に対して勇断をもって対応していく、そしてその大前提になる労働市場、労働条件が極めて柔軟である、という点は日本も学ばなければなりません。しかしその反面、首切りをどんどん行うことによって経営者が懐を温めるということについては、大変疑問だと言わざるを得ません。

  次にヨーロッパの中でいま一番苦悩しているのは、フランスと同時にドイツであります。ドイツは非常な高福祉、高賃金の国になりました。現在、コール首相の保守系政党ではありますが、EUの基盤を成すのはソーシャル・デモクラシー(社会民主主義)であります。従って、こういう社会保障重視の環境の中で身動きがとれず、ゼロ成長からマイナス成長に転落してしまい、失業率も東ドイツの職業訓練を受けている人たちを入れると、実質は一五%、六百万人の人たちが職がないという大変な社会問題になっております。

  雇用の問題はドイツばかりではなく、EU全体の問題として考えられております。昨年の十月、EUの加盟十五カ国の労使が、フィレンツェに会合して一つの合意に至りました。その合意の標題は、エッセン・エンプロイメント・プロセスというもので、おそらく最初はエッセンで話を始めたのでしょう。EU十五カ国の失業者は約ニ千万人いると言われておりますが、それを二〇〇〇年までに半減するための協調行動を取ろうという運動で、その実現のために経済成長が最大の課題になっているということであります。

  アメリカ、イギリス、ドイツも国家財政が非常に厳しい状態になっているために、従来のように公的資金を投入して経済を刺激し、雇用を創出するということは、もうできない状態になっております。ところが、日本の実態を見ますと、EUの通貨統合に参加するためのいろいろな条件として、単年度の財政赤字がGDPの三%以内とか、政府の累積債務がGDPの六〇%以内というようにいろいろな条件がありますが、それに照らし合わせると、日本はEUコンバージョンの条件を超えており、通貨統合にも入れないという財政状況に陥っております。ですからそのような財政状態では、成長を維持するために、結局はマーケットの力に頼らざるを得ない、具体的には規制を緩和して経済を活性化し、新しい産業を併行的に起こしながら進まなければなりません。失業者の数は減らずに増えていくという状況にあるのは、英米独まったく共通の現象で、わが国もそのような状況に入ってきたと考えるべきでしょう。

  そういう中でも、私はイギリスにやや感心したのですが、サッチャーさんがいち早く、規制緩和ののろしを上げて、その後、労働党側もかなり現実的政策に変化しました。ヨーロッパに進出した日本の企業の半分ぐらいはイギリスで事業展開をしておりますが、そのイギリスはゴルフあるいはサッカー、ラグビー等の発祥国で、フレキシビリティに富み、ソフトのノウハウに強い国です。イギリスは衰退するという見方ではなしに、今度はドイツに代わって、カを徐々に発揮していく可能性もあるわけで、日本は来世紀に向かってイギリスがたどってきた道を、十分に勉強していく必要があると申し上げたいと思います。

  以上のようなフィールドワークの結果、新しい産業を起こし、労働市場を柔軟化していくという点では、やはりアメリカは魅力ある国と言えます。また、いま申し上げたように、英国の可能性にも十分意を注ぐべきです。ドイツについては、残念ながらいま学ぶべき点はあまりないのではないかという気がします。その上で、こういった諸国とは違った日本的モデルを我々は構築しなければならないと思っております。

  また同時にコインの裏側である教育問題にも、コインの表と同じぐらいの力を入れて、国民が努力していく必要があると考えております。いま、日経連はその日本的モデルについて作業を開始しており、今年中に発表にこぎつけられればと思っております。

  対外均衡の面でも、経常収支の黒字がGDPの一・五%程度にならないものかと期待しておりましたが、最近、輸入が非常に増え、輸出も落ちているということもあって、すでに二%台になってきて、かなり理想的な水準に近づきつつあります。問題は、残る雇用と成長と物価の三課題ということになるわけであります。

  政府は新経済五カ年計画で、成長については三%を目標として掲げておりますが、我々経済人として考えなければならないのは、現実に即した立場で、ネガティブな要素も考慮に入れて、わが国が外国から魅力のある、いわばグッド・フィーリングの社会、抑制の効いたハイクオリティの国家・社会を目指すことであります。私は日経連の仕事をしておりますが、財界人という思いよりも一種のボランティア活動といいますか、日本の一市民として、よりよい社会の実現に向けて徴力を尽くしたいという願いを込めて仕事に取り組んでいる次第であります。

  どうもご清聴ありがとうございました。

  (日本経営者団体連盟会長・日本郵船会長・東大・法・昭27])
(本稿は平成8年4月22日午餐会における講演の要旨であります)