地方分権の推進
西尾 勝
(東京大学教授)

No.810(平成8年1月)号

去る七月三日に総理府に地方分権推進委員会が新設され、私はその委員のひとりに選任されました。そこで、この委員会が設置されるに至った背景についてお話しさせていただきます。

現在、日本の政界では自民党による長期一党支配体制が崩れまして、政界再編に向けた動きが活発でありますが、これと並行して、各界からは戦後日本の政治構造の抜本的な改革を求める声が上がっております。その第一は規制緩和の推進によって政府と民間の関係の改革を求めるものであり、その第二は地方分権の推進によって国と地方公共団体の関係の改革を求めるものです。そして、その第三は政治改革の推進によって政治家と行政官の関係の改革を求めるものです。そして、その第三は政治改革の推進によって政治家と行政官の関係の改革を求めるものです。

これら三つの改革論議は、相互に密接に関連しておりますが、本日はこのうちの第二の地方分権の推進に焦点をしぼって、まずは最近の動向についてご紹介致します。次いで地方分権推進の社会的背景と目的・効果、これをめぐる基本的な争点について解説致します。その上で、最後に現在意図されている改革が戦後日本の中央地方関係の構造に対してもつ意味について、若干の私見を述べることにしたいと存じます。

 

まず最初に、地方分権の推進を求める最近の動向についてでありますが、日本の地方自治制度は第二次世界大戦後の一連の改革、いわゆる戦後改革の一環として、大幅に改革されました。その要点は、①都道府県の完全自治体化、②都道府県・市町村の首長の選任方法の直接公選化、そして③内務省の解体の三点にありました。しかし、新制度は容易に安定しませんで、当初の十数年の間は毎年のように制度の細部に手直しが加えられておりました。新制度がほぼ定着し安定したのは一九六〇年ころからでした。裏返して言えば、これ以降今日に至るおおむね三五年間には、地方自治制度について大きな改革は行われなかったのです。

それが最近になって、地方分権を求める声が広く各界から湧き上がり、久しぶりに「制度改革の時代」を迎えているかのように見えます。地方分権の推進を求める最近の動向は、以下の三つの流れ、すなわち政治改革の流れ、行政改革の流れ、地方制度改革の流れのなかから派生し、合流してきたものです。

第一の政治改革の流れは、選挙制度と政治資金制度の改革に端を発して今のところ政界再編にまで発展してきているのですが、この流れは政界再編をもって止まり得るような性質のものではありませんでした。戦後日本の政治構造は政界・官界・財界の間の一定の相互依存関係の上に成り立っておりまして、政治家・政党・政界の役割認識と行動様式はこの相互依存関係を前提にして形成されてきたものですから、この政治家・政党・政界の役割認識と行動様式まで変え、さらには国会および内閣といった政治機関の役割認識と行動様式まで変えようとすれば、その根底にある相互依存関係そのものを変革しなければならない、と考えられるようになったのです。そのひとつの現れが国会の衆参両院による一九九三年六月の地方分権推進決議でした。

第二の行政改革の流れは、一九八一年に設置された第二次臨時行政調査会以来のものです。これによって三公社の民営化を始めとする数々の改革が実施されてきましたが、政府に行政改革の断行を求めてきた財界筋の認識によれば、改革の成果はまだきわめて不十分なものに止まっています。そこで一九九三年十月に提出された第三次行政改革推進審議会の最終答申は、改めて規制緩和と地方分権の断行を強く求めました。ことに地方分権の推進については、内閣が一九九四年度中にその大綱方針を定めることを要望しました。ときの細川連立政権内閣はこれを受けて、地方分権推進の大網方針を一九九四年中に策定すること、これに続いて地方分権推進基本法の制定をめざすことを公約しました。そしてこの内閣の公約は、その後の羽田連立内閣・村山連立内閣によってそのまま継承されてきたのでした。

第三の地方制度改革の流れとは、行政改革の流れのなかで実施されてきた機関委任事務の団体事務化、福祉関係八法の改正による市町村への事務・権限の移譲、パイロット自治体制度及び中核市制度の創設などのことを指しています。これら一連の改革は主として都道府県レベルから市町村レベルヘの分権をめざしたものでしたので、これによってみずからの事務・権限の空洞化を憂慮した都道府県が従来にもまして国レベルから都道府県レベルヘの事務・権限の移譲を強く期待するようになったのです。

こうした流れを承けて、地方六団体は結束して一九九三年の十二月に地方自治対策会議を組織し、この地方自治対策会議が学職経験者を委員とする地方分権推進委員会を設置して、内閣・国会に向けた意見書づくりに取り組みました。内閣が策定する地方分権推進の大綱方針に地方公共団体側の総意を反映させようと意図したものでした。一方、政府は咋年(一九九四年)の四月に第二四次の地方制度調査会を発足させ、この調査会に対して、①地方分権の推進方策のあり方と、②市町村合併についての考え方の二項目を諮問しました。この②の諮問事項は、現行の時限一〇年の市町村合併特例法が一九九五年三月末日をもって期限切れになることになっておりましたために、この事態にいかに対処すべきか、すなわちこの法律を期限切れにするのか、更新するのか、それとも改正を加えて更新するのか、審議を求めたものでした。

内閣はさらに昨年五月に、内閣の行政改革推進本部に地方分権部会を設置しました。そして、この地方分権部会には、関係閣僚に加えて、外部から地方公共団体の首長を含む八名の専門員が加えられました。

地方制度調査会と行政改革推進本部地方分権部会との任務の分担関係は明確ではありませんでした。しかし、結果から申しますと、以下のような運びになりました。すなわち、まず最初に地方六団体が昨年十月に国会・内閣に意見を具申し、この意見書を基礎にして地方制度調査会が昨年十一月に答申をまとめました。そして、行政改革推進本部地方分権部会専門員が昨年十一月末にとりまとめた意見要旨は地方制度調査会の答申の趣旨をほぼそのまま簡略に要約したものになったのでした。そして、村山内閣は、これら三つの機関から順次に提出された意見書・答申・意見要旨に甚づいて、昨年十二月末に地方分権推進の大綱方針を定めるとともに、本年には市町村合併特例法改正法案と地方分権推進法案を立案して国会に提出したのでした。

そして、これら二法案とも国会を通過成立致しました。そこで新たに制定された地方分権推進法に基づきまして、本年七月三日に総理府に地方分権推進委員会が新設されたのです。

以上がこれまでの経緯ですが、この地方分権推進法は有効期限を五年とする時限法です。したがいまして、今後五年間のうちに、まず地方分権推進委員会から地方分権推進の具体的な指針についての勧告がなされ、政府はこの勧告を尊重して地方分権推進計画を作成し、この計画に甚づいて地方分権を推進していくことが予定されているのです。

しかし、地方分権の推進を求めるこうした一連の動向に対する国の各省庁側の反発には、きわめて根強いものがあります。したがいまして、国の各省庁は地方分権の推進に今後とも強く抵抗し続けるものと思われますので、今後五年間のうちに地方分権が実際にどの程度まで進むことになるのか、現時点で予測することは困難です。

地方分権の推進が政治課題として浮上してくるに至った政治的な経緯については、以上に概説したとおりですが、次には、何故に今の時点になって地方分権が強く求められるようになったのかという点について、ここでもう少し大きな視点、すなわち社会的な背景という視点から考え直してみることにしたいと存じます。

この点につきましては、第二四次地方制度調査会の答申が要領良く簡潔に解説しておりますので、まずこれを紹介することに致しましょう。すなわち、同答申は「地方分権推進の背景」について以下のように述べています。以下は、同答申からの引用です。

「(一)明治以来の我が国の近代化、そして第二次世界大戦後の復興、経済的発展に当たって、全国的な統一性、公平性を重視する中央集権型行政システムが一定の効果を発揮してきたことは否定できないが、今日においては、行政権限の国への過度の偏在をもたらし、行政の非効率化を招いているほか、長年にわたる東京圏への諸機能の一極集中や、経済的、文化的な地域格差の拡大等に見られるような様々な弊害を生じさせている。

成熟化を迎えつつある今日の我が国においては、各地域がそれぞれの歴史、文化、自然条件などの個性を生かした多様で活力あふれる地域づくりを進めることができるよう、分権型行政システムヘの転換が求められる。

(二)一方、歴史的な変革期を迎えている世界の中にあって、我が国としては地球的規模の課題に対応しつつ、責任ある役割を果たすことが求められている。国としては、内政に関する役割は思い切って地方公共団体に委ね、外交、防衛等、国として果たすべき役割を重点的、効果的に担う体制を確立することが急務となっている。」

同答申は、続いて「地方分権推進の目指すもの」について以下のように述べております。

「(一)間近に迫った二一世紀を展望した行政システムとしては、画一性よりも自立性や多様性がより尊重され、住民に直接接する自治の現場にあるものの判断や責任が生かされるよう、住民に身近な行政は身近な地方公共団体が担っていくことを基本とすべきであり、このため地方分権を推進していかなければならない。

(二)地方分権の推進により、住民の立場からみて、具体的には次のような成果が得られるものと考える。

①地方分権の推進は、国・地方を通じた行政全体のあり方を再構築するものであり、行政全体の簡素効率化を進めることができる。

②地域に関する行政は、地方公共団体が自らの判断と責任で処理できる体制を確立することにより、行政の即応性、柔軟性、総合性が増し、住民の期待に応えることができる。

③今日、国民ひとりひとりが生活の豊かさを実感するうえで、多様で活力あふれ、住みやすい地域社会が形成されているかどうかが重要な要素になってきている。

地方公共団体の自主性・自立性を強化し、地域行政の主体としての能力を高めることにより、創意工夫を生かした地域づくりを進めることはもとより、急速に進みつつある高齢社会に対応したきめこまかな地域福祉の展開等のそれぞれの地域における様々な政策課題に責任を持って取り組むことができる。

 

要するに、同答申の言わんとしていることを要約して言えば、こういうことになります。すなわち、現在の日本は国際関係では歴史的な変革期を迎え、また国内的にはある程度の経済成長を遂げ、成熟社会というべき段階に到達した。そこで、この時点で集権型行政システムから分権型行政システムへの転換を図り、国は内政面の役割を整理し国際化への対応に重点的に取り組み、地域に関する行政は主として地方公共団体が担うこととすべきである。そしてそれは、行政の簡素効率化、国土の均衡ある発展に寄与するとともに、高齢社会の行政課題に的確に対応することを可能にする方途でもあるということです。

 

さて、それでは、第三のテーマ、すなわち地方分権の推進をめぐる主要な争点は何かに移ります。まず内閣の大綱方針に謳われている要点を列挙致しました上で、これを手掛かりにしながら、それぞれについての対立点について簡潔に説明していくことに致しましょう。

まず内閣の大綱方針の要点は以下のとおりです。

①現行の都道府県・市町村の二層制の地方自治制度を前提にして分権を進める。ただし、市町村の自主合併を支援する措置を講ずる。

②国から都道府県への分権を最優先課題にし、その上で都道府県から市町村への分権を進める。

③地方分権推進法を制定し、これに甚づいて地方分権推進計画を策定することにするとともに、この推進計画の策定につき内閣に意見を述べその実施状況を監視する権限を持った新しい独自の機関として地方分権推進委員会を創設する。

④国の担うべき役割を極力限定し、内政に係わる事項をできるかぎり広く分権の対象にして、これによって不要になる国の出先機関を整理統合する。

⑤機関委任事務を整理縮小し、この制度のあり方について再検討する。

⑥行政分野ごとに包括的な法改正をおこない、国の法令による地方公共団体への関与を必要最小限なものに改め、事務の執行権だけでなく立法権まで含めて地方公共団体に移譲する。

⑦国庫補助負担金等を大幅に整理縮小し、この特定財源を地方公共団体の一般財源に振り替えるなど、地方税財源を拡充する。

⑧地方公共団体の行政改革を進めるとともに、情報公開・行政手続制度の拡充、住民投票・住民発案制度の導入、外部監査制度の創設など住民自治を拡充する方策を検討する。

 

地方分権の推進をめぐる第一の最大の政治的争点は、国から地方に事務権限を移譲するにしても、この分権の「受け皿」、すなわち受け取り手になるのはどのレベルの政府であることが最善なのか。言い換えれば、現行の四七都道府県と三二〇〇有余の市町村とからなる二層制の地方自治制度をそのままにして分権を推進することがはたして妥当なのであろうか。現在の都道府県・市町村はその管轄区域において狭すぎ、その行財政能力において弱小に過ぎるのではないかという問題でした。

国の各省庁は、従来からこの疑問を一つの論拠にして、都道府県・市町村へのこれ以上の分権に反対してきていました。財界筋には、現行の都道府県に代えて、より広域のリージョンを管轄する新しい地方公共団体として道または州を設置しようという道州制論が昔から根強くありました。また近年は、日本の憲法構造を連邦制に改め、徹底して分権的な憲法構造を再構築すべきだとする大胆な提言さえ登場しています。さらに新進党の幹事長・小沢一郎議員など少数の有力政治家のなかには、三二〇〇有余の市町村を三〇〇程度の市に統合し、都道府県を廃止するという構想もあります。また、広域自治体である都道府県については現状を維持するにしても、せめて基礎自治体である市町村についてはこれを整理統合することが望ましいとする意見は、政界を始め各界に幅広く存在しています。

しかしながら、都道府県の統合または廃止については都道府県関係者はもとよりのこと、地方自治関係者の間に反対意見が強いのです。また市町村合併につきましても町村関係者に警戒心が強いのみならず、全国一斉の大規模な市町村合併の促進論にはその合理性を疑問視する意見が少なくないのです。

要するに、この種の「受け皿」論から論議を始めますと、国民的合意を形成することなど望むべくもない状況でありまして、地方分権の推進は議論倒れに終わること必定と思われたのです。そこで、今回の内閣の大綱方針はこの種の「受け皿」論を当面はすべて棚上げにして、差し当たっては現行の都道府県・市町村の二層制の地方自治制度を前提にして分権を進めると宣言しました。そして、この「受け皿」論の棚上げは、国の各省庁から、かれらが分権を拒む論拠の一つをあらかじめ奪う効果をもつことになりましたが、より抜本的な改革を期待していた急進派を落胆させることにもなっているのです。

第二の主要な争点は、都道府県から市町村への分権を重視するか、国から都道府県への分権を重視するかでありましたが、この点については地方六団体の意見書以来一貫して後者の方針が選択されてきました。しかし、この国から都道府県への分権を最優先課題とする方針に対しては、市町村関係者に不満・批判が少なくないのです。

第三の主要な争点は、地方分権の推進体制のあり方をめぐるものでありました。地方分権の具体策を立案し、これに関係省庁の同意を調達するには、政界による強力な政治指導が不可欠である。そこで、政治的権威の高い推進機関を設置し、この機関が内閣・国会による地方分権の推進を補佐し督励する必要があると考えられ、地方六団体は独立規制委員会形式の推進機関の設置を提案していましたが、地方制度調査会の答申と行政改革推進本部地方分権部会専門委員の意見は審議会形式の推進機関でもやむを得ないとしました。しかしながら、大蔵省・総務庁などはこの審議会形式の推進機関の新設に対しても反対し、地方分権の推進も既設の行政改革委員会の任務の一部に追加すればそれで十分であるとする対案を提示したと伝えられています。この点は首相の直々の指示によって決着し、内閣の大綱方針は独自の推進機関の新設を公約したものになったのです。

第四の主要な争点は、地方分権を推進する手法をめぐるものでありました。地方六団体の意見書には数々の新奇な推進手法が盛り込まれていましたが、これらは地方制度調査会で取捨選択され、内閣の大綱方針にまで辛うじて生き残った主要なものは、①国の役割の限定列挙、②機関委任事務の整理縮小と制度の再検討、③包括的な法改正と立法権の移譲、の三点に止まりました。しかし、これらの三点は、ただ単に新奇な推進手法であるだけでなく、きわめて大きな改革につながる可能性を秘めた推進手法でありましたので、多くの注目を集め、活発な論議の対象になっています。

まず第一の国の役割の限定列挙という考え方は、連邦制国家が連邦政府の権限を定める際に採用している方式に倣ったものです。言い換えれば、この考え方は、単一主権国家の憲法構造を維持しつつ、それでいながら連邦制国家のそれに近い分権体制を実現しようとしているものです。この考え方の真の狙いは次の点にあります。すなわち、従来の事務権限の再配分論議では、この事務権限は地方公共団体に移譲されても何の支障もなく処理することができるだけでなく、その方が国で処理するよりも適切に処理することができるので、地方公共団体に移譲して欲しいと地方公共団体の側が要望し、国の各省庁側がこれに反論するという図式になっておりました。これを今後は逆転させ、この事務権限は国に留保しておかなければ不都合な事態を招くというのであれば、国の各省庁側がそのことを論証せよということなのです。つまり、国の側の弁明に納得がいけば、その事務権限は国に留保することを認めるが、そうでなければすべて分権の対象にするという図式に改めたい。立証責任ないし挙証責任の帰属を逆転させることによって、分権の対象範囲を拡大させようとするものなのです。

第二の機関委任事務の整理縮小と制度の再検討とは何か。日本の地方公共団体が処理している事務権限のなかには、初めから地方公共団体に固有の事務権限とされているものに加え、その事務権限の性質上国の事務権限なのであるがその執行は地方公共団体に委任されている団体委任事務と、同じく国の事務権限なのであるがその執行は「国の機関」でもあるところの地方公共団体の執行機関に委任されている機関委任事務とがあります。そして、このうちの機関委任事務に関しては、地方公共団体の議会は条例を制定することを許されず、国の主務大臣に指揮監督権があるとされ、現に通達通知などによってその執行方法を詳細に規律されています。しかも、この種の機関委任事務が決して例外的な存在ではなく、きわめて広範囲に及んでいるのであります。この点は欧米先進諸国に類例をみない、日本に独特の制度です。

地方六団体の意見書は、この日本の伝統ともいうべき機関委任事務制度の全面廃止を求めました。そして、地方制度調査会の答申もこれに同調しました。しかしながら、これに対する国の各省庁の抵抗はことのほかに強く、内閣の大綱方針ではこの制度の全面廃止を打ち出すことはできず、その整理縮小と制度の再検討を謳うに止められたのです。

第三の包括的な法改正と立法権の移譲とは何か。これは、中央地方関係を規律している行政法令を、土地利用関係・保健福祉関係・文教関係といった行政分野別に総点検し、国の行政法令を必要最小限の基準のみを定めた簡素なものに改め、それ以上に詳細に規律する必要がある場合には、これを都道府県または市町村の議会が定める条例に委ねようとする手法です。言い換えれば、従来の事務権限の再配分の場合のように、事務の執行権だけを地方公共団体またはその執行機関に委任するのでなしに、おおもとの立法権から自治体に移譲させようとするものです。

 

さて、以上で地方分権推進をめぐる基本争点に関する一通りの説明を終えましたので、最後のテーマに移ります。これまでご説明してきたような手法によって地方分権が実際に推進されたとすれば、それは日本の中央地方関係の構造にいかなる変革を加えることになるのでしょうか。

戦前日本の地方自治制度は、ミッテラン大統領による地方制度改革以前のフランスにおけるそれにほぼ類似した集権型の制度でした。戦後には、都道府県を完全自治体に改め、内務省を解体したことによって、大幅に民主化され分権化されまして、その点に関するかぎり英米などアングロ・サクソン系諸国の地方自治制度に一歩近づきました。しかしながら、この戦後改革によって、アングロ・サクソン系諸国に見られるような分権型の地方自治制度に完全に転換したのかと言えば、決してそうではありませんでした。国と地方公共団体の事務権限を明確に分離しようとはせず、両者をあいまいなままに融合させておくという特徴、フランス・ドイツなどのヨーロッパ大陸系諸国とほぼ共通している特徴を維持し続けてきているからです。このことは以下の諸点に現れています。

すなわち、第一に地方公共団体に対する授権は従来どおり制限列挙方式ではなく概括例示方式によっていること。第二に地方公共団体を国の下部機構として活用する方式、なかでもその首長等の執行機関に国の事務権限を委任する機関委任事務制度を、ある意味では戦前以上に広範囲に活用していること。第三に都道府県と市町村の間に上下の指揮監督のヒエラルヒー構造を残していることなどです。

その結果、戦後日本の地方自治制度は、かつてのフランスのような集権型でもなければ英米のような分権型でもない独特の構造のものになりました。この独特の構造の下で地方公共団体には実に広範囲の事務事業の執行が任され、地方公共団体は政府体系全体のなかできわめて大きな比重を占めるに至っています。たとえば、地方公共団体に勤務する地方公務員数は公務員総数の七四%を占め、地方公共団体の支出は全政府支出の七〇%強を占めています。これらの比率は世界各国のなかでも異例に高いのです。

それでは、日本の地方公共団体はこれらの数字から推測されるほどに広範な自治権を享受してきたのかと言えば、決してそうではなかったのです。地方税収入などの自治体の自主財源収入は国税収入の半分の規模しかなく、地方公共団体の歳入と歳出の間には大きなずれがあります。そして、このずれが地方交付税、譲与税、並びに国庫補助負担金など国の支出に依存した財源で埋められているのです。また、多くの事務事業の執行方法が、国の法令・通達で詳細に規律されていて、地方公共団体の裁量権は厳しく制約されているのです。したがって、日本の地方公共団体はことごとに国の各省庁と折衝・協議しその承認を求め、国の各省庁に頻繁に赴き国庫補助負担金の交付を申請しなければ、その任務を達成することができません。

今回の地方分権の推進はこのように必要以上に錯綜した相互依存関係の構造を改め、地方公共団体の自立性を高めようとするもの、その任務に見合うだけの財源と権限を地方公共団体に付与しようとするものです。したがって、このような改革が実現した暁には、日本の地方自治制度はさらにもう一歩アングロ・サクソン系諸国のそれに類似した分権型に近づくことになりましょう。しかしながら、今回の改革案では地方公共団体への授権を制限列挙方式に改めようとはしておりませんし、また都道府県と市町村の上下の指揮監督のヒエラルヒー構造を廃止しようともしていません。そのかぎりでは、依然として大陸系諸国に類似の特徴を維持し続けていくことになるものと思われます。

ご清聴ありがとうございました。

(東京大学教授・東大・法・昭36)

(本稿は平成7年10月11日夕食会における講演の要旨であります)