2002年ワールドカップについて
石原 俊(2002年ワールドカップ日本招致委員会会長) No.808(平成7年7月)号

 私は1991年6月より2002年ワールドカップ日本招致委員会の会長を務めている。日産横浜マリノスの前身である日産サッカー部が日本リーグや天皇杯で活躍していた頃、日本サッカー協会の方々と顔見知りになった関係から、会長就任を要請されたのである。

 このワールドカップ(W杯)は、国際サッカー連盟(FIFA)が主催するサッカーの世界選手権である。4年に一度、一つの国の十数都市を舞台にして約1ヶ月に渡り開催される。

 当時日本サッカー協会からは「FIFAがW杯を2002年に初めてアジアで行うと言っている。アジアでW杯を開催できるのは日本くらいであり、競争相手はない。ただ世界への顔として座ればよい」と言われていた。
 ところが、一昨年になって、韓国がW杯アメリカ大会のアジア地区代表になったことから、2002年の開催に韓国も積極的になってきた。もともと金泳三大統領も、先の大統領選挙の際に公約の一つとしてW杯招致を掲げており、これを契機に国を挙げての体制づくりを始めた。

 一方、わが日本政府の招致活動への支援は、当時は残念ながら韓国に遅れをとっていた。W杯の開催国決定にあたっては、その招致国の政府保証が必要とされているが、過去日本ではオリンピックやアジア競技会のような総合種目大会では政府保証をしても、W杯サッカーのような一種目の大会のために保証をしたことはなかったのである。ところが、このW杯は今やオリンピック以上の注目を集める規模に成長している。1930年ウルグアイにおいてわずか13カ国が予選もなしに集まり、第一回大会が始まったW杯に、1994年のアメリカ大会では、143カ国がエントリーした。観客動員数は52試合で350万人にのぼり、テレビ視聴者数では、延べ312億人の世界各国の人々が注視するまでになったのである。

 このようにオリンピックを超えたW杯に対する理解を得るため、政府や関係省庁に対する陳情を会長として率先して行うことが必要になった。また、FIFAとの関係づくりも大事であり、機会あるごとにFIFAの理事に対し日本への支持を訴える活動を行った。

 何もしないはずだったのが、いつのまにか結構やるべきことが多くなった。
 村山総理をはじめ、各大臣へ理解や支持を求めての説明も頻繁に行った。また例えば外務省の池田維官房長を訪ね、FIFAの理事を日本大使館の公式行事に招いたり、何かの機会に訪問したりとの対応を、政府保証がなくても実行してもらえるようお願いもした。また昨年7月にはW杯アメリカ大会へ日本開催のPR活動を目的に赴き、FIFAのアベランジェ会長以下の首脳陣と会談、与謝野文部大臣の親書を手渡した。
 さらに、政府保証の閣議の了解を得るために、その前提としてまずは国会議員の支持を獲得しようと、超党派の国会議員連盟結成の運動にも力を注いだ。この議員連盟の支持があれば、関係省庁も動き易くなり、閣議了解まで一気に前進する。

 そこで昨年の夏から初冬にかけての大きな課題は、超党派の議員連盟づくりであった。日本でW杯を開催するにあたっては、その競技会場を15の自治体に分けて実施する。
まず、この15自治体から選出された国会議員による「小会議員招致促進委員会」を昨年11月に立ち挙げ、次にこれに加えて櫻内義雄氏が会長を務めるスポーツ議員連盟に合流してもらい、これらを母体として超党派・47都道府県選出議員の集まりとするという過程を経てきた。この際、日本招致の実行委員会の副会長を務める平松守彦大分県知事や、同じく副会長の高秀秀信横浜市長をはじめとする15自治体の各首長が、根回しに大変尽力された。この方々のお蔭でまとまったようなものである。

 そして、昨年12月1日ようやく「2002年W杯日本招致国会議員連盟」が発足するに至った。会長には、総理大臣の経験があり、国際的に知名度が高く、また開催候補自治体の一つである広島出身の宮澤喜一氏に引き受けて戴いた。しかもこの議員連盟はまさに超党派となり、目下衆参あわせて338人の国会議員が参加している。会長である宮澤氏を支える幹部は、顧問の櫻内義雄スポーツ議員連盟会長、副会長として森喜朗自民党幹事長、小沢一郎新進党幹事長、久保亘社会党書記長という顔ぶれである。このような錚々たるメンバーが同じ傘の下に揃うのは、このサッカーの世界だけであろう。翌12月2日議員連盟より村山総理に対し、政府保証のための閣議了解実現の要請を行った。

 議員連盟発足を契機に、総理府、文部省、外務省など関係省庁の動きも活発になり、閣議了解に向けての審議が頻繁に開催され、着々と準備が進んだ。
 今年2月21日には念願であった日本開催に関する政府保証についての閣議了解を戴いた。そして村山総理からの親書を添えて、2002年への正式立候補の確認書を2月27日FIFA本部へ提出した。これで国を挙げての招致活動という点で韓国と並んだ。

 この正式な立候補の意思表明を行った国は最終的に日本と韓国だけとなり、まさに一騎打ちの感がある。今後は、今年の9月に開催提案書を提出し、その後FIFAによる査定と開催候補地の視察が行われる。そして開催国決定は、当初予定されていた来年6月を早めて、年明け早々のFIFA臨時理事会において行われ、21人の理事の投票により決まる。これからの残された半年余りの招致活動が最も重要である。この6月にはスウェーデン、イギリスで行われるサッカーの国際大会にあわせ、宮澤議員連盟会長を筆頭に、私以下招致委員会役員が訪欧する。そして既に顔馴染みとなったFIFAのアベランジェ会長や理事はもちろんのこと、初顔合わせとなる諸幹部に対して、日本開催をアピールしてくるつもりである。

 FIFAの理事はその出身国の名士揃いである。例えば、香港のヘンリー・フォック理事は60以上の会社を経営または所有する実業家であり、サウジアラビアのアブドュラ・アルダバル理事も建設、保険、不動産など多岐にわたる事業を行うアルダバルグループの会長である。読者諸兄の中で、FIFAの理事を務めている人物をご存知の方がおられるなら、是非とも日本開催への支持を訴えて戴きたい。

 ところで昨年の夏のアメリカ大会では、約2週間滞在し、決勝のブラジル対イタリア戦を含む3戦を観戦してきた。野球やアメリカン・フットボールの国アメリカで、サッカーがあれほど熱烈な歓迎を受け、多くのアメリカ人を興奮させるとは思わなかった。予想以上の熱狂ぶりを目の当たりにし、一段とW杯を日本で開催したいと思った。 このアメリカ大会は24カ国が参加し、全部で52試合が行われたが、次回の1998年フランス大会からは、32カ国、64試合の規模に拡大する。当然2002年も32チーム、64試合である。この32チームが、リーグ戦の予選を実施し、準決勝、決勝と行える競技場を日本全国に用意しなければならない。いま開催候補地として、札幌市、青森県、宮城県、新潟県、茨城県、埼玉県、千葉県、横浜市、静岡県、愛知県、京都府、大阪市、神戸市、広島市、大分県の15自治体が名乗りを上げている。これら15の場所で競技場を用意するのであるが、国際連盟の基準は厳しく、まず収容人員は予選リーグ会場で4万人以上、開幕戦と準決勝・決勝は6万人以上の規模を必要とし、すべてにVIPや報道関係者のために屋根付きの席を備えることから始まり、TV放映に適した照明灯のルクス数まで詳細に決められている。このため、15開催候補地のほとんどが競技場を新設することになる。

 この15の競技場を新設及び一部は改修する費用だけで、およそ4500億円が投資される。これに、交通基盤整備や競技場周辺のインフラ整備などを加えると総投資額は約9000億円が見込まれる。更に、運営費や観客の消費額、そして先の直接投資から誘発される生産額などワールドカップ開催に伴う経済波及効果の総額は約3兆2500億円と推計される。この規模を工業製品出荷額に置き換えてみると、例えば1990年のビール製造業と清酒製造業の合計額(3兆2973億円)に匹敵した規模になる。もちろん、このように大きな経済効果を伴いながら各種のインフラが整備されるだけでなく、地域の活性化にもつながり、多極分散型国土の形成が可能になる。さらに、海外から数多くの観客や報道関係者等を各地で受け入れることにより、国と自治体が一体になった国際交流が図れるなど、経済的だけでなく、社会的、文化的な計り知れない波及効果が期待できる。

 韓国との招致合戦でまず日本が優勢なのは、交通、ホテル、病院等のインフラの充実と運営能力の確かさである。これは、FIFAのアベランジェ会長も大いに評価してくれている。この正月、自民党の小渕副総裁が、ブラジルのカルドーゾ新大統領就任式に政府特使として出席するためブラジルを訪問した。その際、ブラジル人であるアベランジェ会長が自ら小渕氏を訪ねてきて懇談したそうである。この中でアベランジェ氏は日本が特にインフラを充実させていること、そして2002年本大会では400万人の観客動員を予想する中で、この規模を運営できるのは日本以外にないことを明言している。そして日本が開催候補地として決定したならば「失敗だった」ということはないだろう、とまで述べたとのことである。

 このように日本の受け入れ態勢ははるかに韓国をリードしている。ただし中には、そうは言っても過去一度も日本はW杯に出場したことがなく、一方韓国はアメリカ大会も含め4回の出場経験があり、この差は不利に働くのではないかとの見方もある。しかしFIFAは、過去何回出場したかは問題ではない、あくまで運営を成功させられるかどうかが重要なのだと言っている。

 もちろん強いにこしたことはなく、いま日本サッカー界では世界を見据えて若い力を育てている。これには一昨年より始まったJリーグも貢献しているのであるが、Jリーグ運営とともに各チームが小学生向けのサッカースクールからジュニアユース、ユースと一貫した指導を行うようになった。各地の中学、高校でバラバラに指導された選手の中で、目立つ実力の者を引き上げてきた以前のやり方から大きく前進したのである。このため若い層の実力は世界レベルで見て確実に向上している。4月に行われた世界ユース選手権では日本はベスト8進出を果たした。惜しくも四強入りまでには至らなかったものの、ブラジルと善戦もした。また8月に17歳以下の選手で戦われるU-17(アンダー・セブンティーン)選手権では、やはり日本がアジア代表として臨む。
これらの選手の中から、1998年のフランス大会、そして日本で開催できると確信する2002年大会の中心選手が育つのである。

 私自身は日本開催を確信しているが、万一日本招致が実現しなかった場合、わが国の青少年が落胆することを思うと、招致委員会会長として責任は誠に重大であると考えている。アジア初の2002年大会を開催することは、単なるスポーツ振興にとどまらず、ホスト国としてアジアをはじめとする世界の人々との相互理解や信頼関係を深め、世界の平和に貢献するものである。世界のサッカーを目の当たりにできる機会と、サッカーを通して世界の平和に貢献する日本の姿を、ぜひとも青少年に提供したいと願っている。 開催国決定まであとわずかとなったが、最後まで熱意を持って2002年ワールドカップ日本開催に全力を尽くしたいと思う。

(日産自動車相談役・2002年ワールドカップ日本招致委員会会長・東北大・法・昭12)