心の拠りどころ
石井紫郎 No.799(平成5年4月)号

学士会か学士会館か
 社団法人としての学士会とそのファシリティーとしての学士会館の区別ぐらいは、私とても知らないではない。しかし、学士会そのものやその下部組織の活動は、本誌を通じて窺い知ることはできるものの、ふだんあまり身近でないだけに、学士会と学士会館とはほとんど同義に感じられる、というのが正直なところである。もっぱら、食事をしたり、会合やパーティーに部屋を借りる「会館利用者」に過ぎないからであろう。
 以下、あれこれ書き綴る思い出も、どちらに関係するものなのか、定かではないが、こうした「会館利用者」の「無責任」・「無関心」に免じて、ご海容いただくよう、あらかじめお願いしておきたい。

クリスマス・パーティー
 いまから十数年前、娘の幼少時代は、父が孫(つまり私の娘)のご機嫌をとり結ぶために、毎年学士会館のクリスマス・パーティーに連れていった。たいそう人気があって、予約をとるのが苦労だったらしい。
 私は車で送り迎えすることで勘弁してもらっていたが、それでも、やはりお孫さん可愛さに来ておられた東畑精一先生はじめ、大長老の方々にお目にかかることができて、いまから考えると、貴重な体験ができたと思っている。 娘も、三角帽子をかぶり、歌や人形劇、マジックショウなど、楽しいエンターテインメント・プログラム、ふだん接することのないフルコース料理を満喫して、ご満悦であった。
 いまでもクリスマス・パーティーは開かれているのかどうか、この拙文を書くはめになって、急に気になりだした。私も孫ができれば、安上がりで、それなりにゴージャスな学士会館のパーティーに是非連れていきたい、と思うようになる予感がしたからだろうか。

デコレーションケーキ
 クリスマスついでに、ケーキの思い出をひとつ。 父が学士会理事の末席を汚していたお陰かどうか、私の中学・高校時代、毎年年末にデコレーションケーキ(たしか「ヴィクトリア」の包装紙だった)を学士会(館)から頂戴した。戦後まもなくのこととて、貧り食べたものである。
 しかし、3、4年も続くと飽きがくるもので、だれも食指を動かさなくなる。そこで、学校友達とのスキー旅行に持っていくことにした。リュックサックを背にし、スキーを担いだ恰好で夜行に乗り込む当時のスキー行で、デコレーションケーキを形を崩さず持ち運ぶのは結構むずかしいもので、たいてい開けてみると、ベチャベチャになっていた。
 それでも、スキーで疲れた若者たちは、切り分け方の「公平・不公平」に目をギラギラさせ、最後はジャンケンで取り分をきめた。だがこれも2、3年。
 その後、我が家でケーキをどう「処分」したか、あるいは来なくなったのか、一向に記憶がない。生クリーム全盛の今日、あのこってりしたバタークリームが、なんだか懐かしい。

金色の洋食器
 結婚式や上等の料理の出る会合には、金色燦然たるナイフ、フォーク、スプーンが並ぶのに気が付かれた読者も多いであろう。
 なんでも、戦時中の「供出」の時も、ひそかに隠して持ちこたえたのだという。私が結婚する時、父が、これを使ってくれるように頼んでやるから、是非学士会館で披露宴をやれ、といって勧めてくれたが、時計にしろ、カフスにしろ、金色のものを身に付けるのが嫌いな私は遠慮させてもらった。
 こんなわけで、私が実際にこの金色の洋食器に接したのは、末延・前前学士会副理事長が主催された食事の会がはじめてであった。思ったより品が良く、しっかりした持ち応えがあって、もう一度機会があったら(?)これでやるか、などとひそかに思った。

ポタージュの味
  学士会館の食事で、いつも感心するのは、あのポタージュの味が、常に一定していることである。あれは、美味い・不味いを超越した世界にいる。
 われわれが学士会館を利用するときは、たいていポケットマネーの会で、食事を選ぶにも値段表の上の方(つまり、安い方)から選ぶ。しかし、どれをとっても、あのポタージュが付いてくるのが微笑ましい。
 それにしても、安い料理ばかり取っておいて、味を批評するのはフェアーではあるまい。シェフの能力を引き出すくらいのお値段を払うべきであろう。その点、学士会館の食堂は潜在的な能力において、それなりのレベルにあるのではないか。あのポタージュの味の安定性は並みではない。
 実際かつて私は、あるパーティーの企画でとことん担当者と話し合って、料理と飲み物を決めたことがある。予算を最大限に活かしたものとなって、面目をほどこした。

変化?
 持続力の強い学士会館のなかで、めずらしく顕著に変わった、と感じるのは囲碁・将棋室である。廊下から通りすがりに見るともなしに見ると、以前は煙草の煙でもうもうとしていたが、最近は非常にすっきりしているようだ。換気装置が改善されたのか、禁煙のはり紙が出されたのか。いや、たぶん利用者が遠慮するようになった、というのが主な原因であろう。とすれば、会館が変わったのではなく、利用者が変わったのに過ぎないのかも知れない。
 しかし、この煙草の問題は別にしても、世の中や利用者の変化は直接・間接に会館の変化を促すものである。現に、むかしは冷房装置はなかったはずだから、どこかの時点で設置されたにちがいない。照明も改良されたであろう。
 本館ロビーの椅子が新調されたのは何時であったか。このごろでこそ眼が馴れてしまったが、変わったときは違和感を覚えた記憶が残っている。

再び「会」と「会館」
 「白山通り」の拡幅のあおりで学士会館が建て替えられるらしい、と聞いてから久しい。その噂が本当であったのかどうかさえ怪しいが、建て替えの話はどうなっているのだろうか。
 筋向かいの某会館が建て替えられたことは周知のとおり。この仕事をひっぱってこられた某先生は誇らしげにしておられたが、私は正直いって、寂寥の感を抑えることができなかった。あの「洋館」ふうの建物がなつかしい。オフィスビルの中に呑み込まれたような形になると、「会」のアイデンティティーにも、なにがしかの影響が出てくるのではないだろうか。
 もし、学士会館を建て替えるにしても、この轍だけは踏んでほしくない。「学士会」のアイデンティティーとは何か、といった問題はさておき、「会館」が「会」のアイデンティティーにとって大きな役割を果たしていることだけは確かなのだから。
 関西地区の東大出身者が集まって「関西東大会」という同窓会組織を作って活発な活動をしておられる。私もかつて総会にご招待いただき、最近の大学の動きについて話をしたことがあるが、その時、「学士会館が大阪に分館を作ってくれないか。そういうものがあると、関西東大会の活動もしやすいし、なによりも心の拠りどころになるのだが……」という希望が寄せられた。
 ロンドンに「ハーヴァードクラブ」があるように、関西と言わず、世界主要都市に東大アラムナイのクラブがあれば、どんなに楽しいか。それを「学士会」に期待するのは筋違いだと言われれば、それまでだが。

「持続」のコンセプト
 十年一日の如く見える学士会(館)も、上に述べたように、いろいろな点で時代の流れに応じて微妙に変化している。なかには、もうちょっとましなやり方もあったのではないか、と首をかしげたくなるような「変化」もあったが、「持続」を感じさせる存在は、いまの日本では貴重なものであろう。
 変わりつつ変わらない(変わったようには見せない)――これぞ学士会(館)にこれからも望みたい姿勢である。
 だが、これが存外むずかしいことかも知れないのである。最近、東大の安田講堂が修復された。その際、「復元」を旗印に修復作業が行われたため、あらかじめ学内の叡知を集める手立てがとられなかった。
 その結果、冷暖房なし、スライドの映写設備もなし、天窓のガラス越しに入る光を遮断する装置もないため、場内を暗くすることもできない、等々、学会やシンポジウムを開こうにも不便極まりないものとなってしまい、評判は至って芳しくない。せっかく修復の費用を拠出して下さった「芙蓉グループ」にも申しわけない話である。
 学生数が増えたため、一学年全部の全学学生を一同に集めた入学式・卒業式を安田講堂で開けないのはあらかじめ判っていたことであるから、修復したのち何に使われるか、よく考え、それにはどのような工夫が必要か、十分検討しなければならなかったはずである。
 一般に、「復元」といったところで、博物館展示用の模型作りならいざ知らず、完全な「復元」などそもそもありえないものなのである。現に、安田講堂も「復元」にあたって、椅子のサイズ、間隔を大きくして、現代っ子の体格にフィットするようにしている。その反面、当然のことながら、収容人員数は減った。それならなお一層、きっちりした「復元」のコンセプトが練られるべきであった。
 「復元」にコンセプトが不可欠であるように、「持続」にもコンセプトが必要である。「持続」をわれわれに実感させている今日の学士会(館)あるは、しっかりしたコンセプトあってのことにちがいない。そしてこれからもそうであり続け、何年先かわからないが、私が孫を連れていけるクリスマス・パーティーもまた続いていてほしいと願っている。妄言多謝。

(東京大学教授・東大・法・昭34)