卆寿の学者の『資本論』
馬場宏二
(東京大学社会科学研究所教授)

No.794(平成4年1月)号

九十歳を超えた碩学が学術書を出版した。これ自体、稀有の壮挙といえるだろう。いくら高齢化時代でも、ここまで体力と知的活力を保つ人は少ないからだ。しかも内容は第一線級であり、ある意味では超先端的である。そしてそこには、著者の還暦後三十年におよぶ『資本論』研究の深化が現れている。ここまでくると、稀有の壮挙どころか未曾有の出来事といってほとんど誤るまい。

渡植[とのうえ]彦太郎『経済合理主義と生活文化』がそれである。

著者は一八九九年日本橋生まれ、高商から東京商大を出た人だから、学士会の会員にはなじみが薄いだろう。学生時代に、左右田喜一郎や天野貞祐について哲学や経済学を学んでいる。京城帝大をふり出しにいくつかの大学に勤めたが、戦後になって福井大学時代に社会学を講じた。これ以上はない晩成型で、わたくしの知る限り還暦を過ぎるまで著書はないのに六十五歳以降現在までに、翻訳一冊と単独著書七冊を出している。いずれも、経済学、哲学、社会学にまたがるものだが、こうした経歴のせいか学界でもさほど知る人がない。

著者には神奈川大学ではじめて御目にかかった。たしか富山大学を停年退職後移られたとかで、初就職のわたくしには形の上では同僚でもはじめから老先生だった。経済社会学といった領域を御担当だったと思うが、研究放棄をした中高年の同僚が多い中で一人だけ学問好きな、人当りは柔らかいにしても時として大変厳しい表情の出る芯の強い人物という印象だった。こちらは大学院を出たての生意気盛りだから、すぐに尊敬したりはしなかったが、好感を抱いたことは事実である。

この老先生から、ある日御下問があった。『資本論』の読み方を教えてくれ、というのである。自分はマルクスに深い尊敬の念を持ってきたが、『資本論』をきちんと読んでいない。量的にも大変だし、カント的論理は読み慣れているがヘーゲル的なものは容易にコナせない。君達は東大で宇野弘蔵さんに『資本論』の読み方を習っているだろう。他にもいろいろな読み方があるらしい。それを教えてくれないか。

これには内心いささか弱った。こちらは大学院といっても応用経済学専攻で、『資本論』学をそれほどやって来たわけではない。カントとヘーゲルなどといわれると、自分で違いがわかるほど読んではいない。だがそこは生意気盛りである。好都合なことに『資本論』という本はとにもかくにも通読しろと教えられて来た。そこでずうずうしくも宇野先生をひきあいに出した。宇野先生も『資本論』を通して読んだのは一回だけで、あとは必要な時に必要な部分を腹が立つほど繰り返して読んだのだそうです。多分『資本論』のような古典には決った読み方とか誰それ流の読み方はないのでしょう。何はともあれ通読することに意味がある。テキストも何語でもかまわないはずです。渡植先生は謙虚にうなづいておられた。この対話には、現在また同僚である山崎広明君も同席していたから、これは一九六六年ごろのことで、渡植先生はまだ翻訳と著書一冊を出しておられただけだったはずである。

その後しばらくして、おそらく夏休みをひとつ越えてから、老先生に呼びとめられた。『資本論』を読み終えた。嬉しいので自分で祝いたい。ついては読み方を教えてくれた君達に御礼に一餐さしあげたいからつき合ってくれないか。むろん異存があろうはずがないから横浜駅へお伴し、鰻がいいかビフテキにするかで鰻を御馳走になった。食事中にうかがった苦心談では、『資本論』のドイツ語版と英訳と邦訳を机上に並べ、原文に飽きたら英訳を、英訳に飽きたら日本語訳をというふうに読みついで、とうとうひととおり読みおえた。君達が、どうでもいいから読み通せと教えてくれたのがはげみになった。この年になって『資本論』を読めて嬉しい。

山崎君もわたくしもすっかり感服してしまった。だいいち、どうでもいいから読み通せなどドヤしたこと自体をあらかた忘れていた。ドイツ語、英語、日本語を並べてとっかえひっかえ読んだ点では、さすが旧制育ちの人の語学力は高いなと、そこは素直に敬服した。ただこれが、内山節氏のいう「学問の遊び人」渡植彦太郎流の一端だということには気付かなかった。

率直にいって、この段階での渡植先生の『資本論』理解は、さほど高水準ではなかった。お祝いの御馳走の席でも、しろうとの勝手読みもある印象を受けた。それまでに先生が神奈川大学の紀要に書かれた論文も同様で、宇野流の科学的経済学を訓練されてきたわたくしなどの目にはただの文明批評、それも、古き良き日本を知る老人が昔はよかったという繰り言を、マルクスの疎外論を借りて文章化したものに見えた。だから合評会の席などでは、先生の議論だと隠者生活をすれば疎外を免れることになるがそれでは社会科学にならないとか、『資本論』になると疎外という語がほとんど消えるのをどう思っているのかとか、ヌケヌケと口外したりもした。

この無礼きわまる挑発が渡植先生の耳にどうひびいたかはわからなかった。ひとつにはわたくしがやがて神奈川大学を去るなどして、その後先生が書かれた諸論文(のち『経済価値の社会学』未来社)に接する機会がなくなったせいもある。だが、とくに知ろうとしなかったのも事実で、このころから先生は宇野説など参照してもっと経済学的に掘り下げた議論を書き進めておられたのだ。はじめに偏見を持ってしまったわたくしの過ちだった。先生が松山商大に移られたことを知り、そこで書かれた論文を集めた『使用価値の社会学』(自費出版)をいただいてからも偏見はなお残った。

そして近年、『仕事は暮らしをこわす』『技術は労働をこわす』『学問は民衆知をこわす』(いずれも農文協)の三部作をいただいてもなお偏見が続き、腰を据えて読むまでせずに済ませてしまった。とはいえ、この三部作にはいささか感ずるところはあった。資本家的生産による使用価値の劣化とか技能や生活文化の破壊とか、著者が昔からこだわってきた論点が、今日の社会問題を剔出する先端的論理になり得ることが見えてきたからである。時代が変わったせいもあろうが、わたくし自身が社会原則だの過剰富裕化だの言い出して、著者の論点を受けとめる感受性を持ちはじめていたせいでもある。しろうとだと思っていた渡植先生は、古き良き日本にこだわりながら古今内外の諸説を検討することで、理論的にもはるか前方を歩いているのかも知れなかった。

その点はこのたびの『経済合理性と生活文化』ではもっとはっきりしている。六章ほどからなる論文集で、いずれも前記三部作上梓後書かれた未発表のものだというが、著者はあいかわらず古き良き日本文化にこだわっている。書道や俳句にも言及があるが、関心は民芸品に収斂してくる。しかもそれが、使用価値論や労働論を掘り下げるバネになる。

商品の使用価値は歴史貫通的だという、ほとんど定説となった命題に、著者は疑問を投げる。同じ労働生産物でも、[]商品と単純商品と資本家的商品とでは異なるのではないか。後のものほど交換価値が目的になる。それゆえ生産に手抜き[、、、]が行われる。手抜きには科学技術の導入もあるが使用価値の質的低下もあり、特定の目的に有効でも他の目的に無効有害なものの供給にもなる。

この議論を、しろうと談義と一笑に付す経済学者はかなり多いだろう。古典派以来使用価値を括弧に入れるのは経済学の伝統になっていたし、しかも著者はこの主張に単純商品時代を知る自分の体験を絡ませてのべているからである。教条主義者ならマルクスの片言をひろい出して渡植説など何ら新しくないと「論証」して見せるかもしれない。しかし渡植使用価値論は、わたくしなら最先端と評する山口重克氏の労働価値説とひびき合うのである。そればかりか、著者が、使用価値と限界効用は同じものではない、限界効用は量化された概念で、資本制生産の目的である交換価値といわば癒着しているのだ、と進めるに及べば、単なるしろうと談義と退けることはむずかしくなる。ちなみに著者には、価値形態論こそマルクス価値論の圧巻とする把握が前からあり、それを左右田経済学とつき合わせて何とか理解しようとする長い思索があったのである。

同じ視点から労働についても豊かな議論が展開される。[]商品のばあい、生産は共同体の生活のために行われ、自分のための使用価値と他人のための使用価値に区別がない。そこでは労働は創造性をもつ生活活動である。無名の職人が民衆の生活のために作った民芸品が名人による芸術品より人を感動させるのはそのためである。単純商品にはこの性格がまだ残っていた。だが資本制商品になると交換価値が目的となり他人のための使用価値になるから、労働疎外が生ずる。マルクスは資本の原始的蓄積を論じたが、それは、一端[いっぱし]の人間を浮浪者と化す過程だった。工場生産は浮浪者を集めて行われる。そこで創造性のない労働つまり疎外が行われるのは当然である。もっとも、著者の労働論には比較文化の視点も加わる。ヨーロッパでは労働は拘束であり辛苦であった。自由とか創造は労働からの解放で生じるものだった。マルクスにもそうした労働を手段とする労働観がある。だが日本の伝統文化には目的と手段を切断せず、労働を目的とし労働を創造の場とする労働観があった。それが技能である。

渡植説が完全だなどというつもりはない。「労働の商品化」を論難するのだが、そこは「労働[]の商品化」というべきだった。「生産手段の使用価値」とのべているのは「商品資本の使用価値」の言いちがいである。マルクスが「他人のための使用価値」といっている点はもっと強く受けとめたほうがよかった。いずれも単に用語の問題でなく、そうしたほうが渡植説を深く正確に展開できるからである。とはいえ、著者が自分の思索の跡を素直に述べているのは魅力のひとつでもある。たとえば、貨幣が労働疎外をひきおこすと論じる時、その貨幣は実は資本としての貨幣であり、著者の認識はほとんどそこにとどいているのだが、にもかかわらず用語としての資本が明確でない。またたとえば、交換と売買を区別せよとこだわりながら、マルクスがW―G―W’とG―W―G’を区別していたことに自分はもっと早く気づくべきだったと反省する。こうした思索過程が、到達点とともに、われわれ後進に豊かな示唆を与えてくれる。わたくし自身の用語をつかえば、渡植使用価値論は社会原則にも過剰富裕化にもつうじ、現代社会の認識を深めるのに役立つ。また渡植労働論は、おそらく著者の意に反して、日本会社主義が世界的存在になった根拠を示す一助となる。

本書にちりばめられた、いささかナマの文明批評も捨て難い。たとえば著者は、専業主婦という言葉ぐらい嫌いな言葉はない、という。家事・育児を金ずくの仕事と同一視しているからである。子育てが金でできるのかという著者の問いに、ウーマンリブはどう答えるのだろうか。また著者は、資本としての貨幣をようやくつかんだ時にいう。江戸っ子は宵越しの金を持たないというが、宵越しの金とは元手つまり資本の始まりである。自分も江戸っ子の生き残りだから資本は性に合わない。この類の放言は他にもいろいろある。キリスト教抜きの日本資本主義の大発展を地下のマックス・ヴェーバーが聞いたらどんな顔をするだろうかとか、俳句や書道を第二芸術扱いした桑原武夫は西欧カブレで、日本では一流の学者でも西欧では彼の仕事は二流だろうとか。既述からおわかりのように、こうした感性が経済学社会学の研鑽をへてひとつの世界を作り出したのが本書なのであるが、それを代表するものに第二章の学問論がある。著者は学問を成果としての学問と行為としての学問、あるいは仕事としての学問と生活活動としての学問に分ける。西欧でもフィロソフィーといって行為あるいは生活活動としての学問の伝統もあったのに、啓蒙思想以後、成果としての学問が主流になった。明治以後西欧に追いつくことのみ志した日本には、成果としての学問のみが横行することになった。これにはコメントは不要であろう。

わたくしは珍しげな話題を提供したつもりなのではない。話題のために自分の不明をさらけ出したりはしない。これはひとつの学問的衝撃である。高齢でも学問が進む実例でもあるが、それ以上に到達点の高さが衝撃的である。今となっては、わたくしの無知のために、論点を充分紹介し切れなかったことを恐れる。通常の本なら、あとは読んでいただきたいといって済ませられるが、著者の謙遜のためかせち辛い出版事情のためか、この『経済合理性と生活文化』は、少部数の自費出版(製作・勁草出版サービスセンター)なのである。今のところ、東京周辺の国公立大学の図書館に著者寄贈で少部数入っているだけだという。何とか所在をつきとめて読んでいただきたい。もっとも、増刷の可能性も皆無ではないときいている。

(東京大学社会科学研究所教授・東大・経博・経・昭32)