長編を読む  
高田 宏 No.792(平成3年7月)号

 このごろ昔の長い小説を読んでいる。老人と呼ばれるにはまだすこし早いのだが、還暦が近づいてきて、一つには新しい小説に興味が持てなくなり当今のものを退屈しながら読むくらいなら前に読んで重い手応えのあったものを再読したいという気持ちになったためであり、もう一つには長大な作品を書いてゆくなかで作者が成熟してゆくのを見るのが面白くなったためである。

 『カラマーゾフの兄弟』『レ・ミゼラブル』『戦争と平和』『魔の山』などを再読(三読四読のものもある)して、それぞれの作品に若いときには見過ごしていたものを見つけた。とりわけ『レ・ミゼラブル』は、物語の筋から離れた大量の余談がユゴーという作家であり政治家でもあった巨人の渦巻く熱情と深い洞察とを見せてくれて、読みながら私は次第に襟を正し、読む速度をことさらゆっくりにしていったものだ。何年か先、今よりも暇ができたら、もっと時間をかけてゆっくり読みたいと思っている。これまでは翻訳で読んできたが、そのときはユゴー自身のフランス文で読みたい。

 書いてゆく長い年月のなかで作者が成熟してゆくのをまざまざと見せてくれたのは、『大菩薩峠』と『チボー家の人々』だった。中里介山は大正二年(一九一三年)、二十八歳のときにこの長編小説を書きはじめ、昭和十六年(一九四一年)まで二十八年間にわたって書きつづけている。『大菩薩峠』を書き終えたとき(未完とされているが私の目では完結している)介山は五十六歳になっていた。ロジェ・マルタン・デュ・ガールが『チボー家の人々』に着手したのは第一次大戦の戦場から帰還してしばらく経った一九二〇年、三十九歳のことで、その後二十年この長編小説の制作に没頭、一九四〇年、五十九歳で全八部の大作を完結させている。それぞれの作家がその長い年月のあいだに、当然のことながら自らを成長させている。同じ一人の人間が根底から変わってしまうことはないけれども、年齢を加えるにしたがって若年の目とは違ったまなざしが加わってゆく。若い作家には若さのゆえの鋭さのあることを否定できないけれども、いくつとは言えないが或る年齢を超えてゆくと、作家自身に自分の晩年と死が見えてくるものである。生と死を凝視するその目が、彼の書くものに浸透してゆく。

 中里介山の『大菩薩峠』は剣士机龍之助によって知られているが、その人物が主人公と見えているのは、ごくはじめの部分だけである。作者自身、書きだした頃は机龍之助を主人公とする時代小説のつもりであったようで、のちに芝居や映画につくられるのもその部分である。だが、その部分はこの長編全体からみれば十分の一に足りない。

 介山は途中から、この作品を「大乗小説」と自称するようになる。机龍之助の影がうすくなってゆき、誰が主人公ということなく、人間界と自然界の諸相がゆったりと描き出され、桑原武夫が指摘しているように、その根は日本文化の近代層から封建層を突きぬけて、「ドロドロとよどんだ、規定しがたい、古代から神社崇拝といった形でつたわるような、シャーマニズム的なものを含む地層」にまで達してゆく。

 その根は縄文時代にも旧石器時代にも届いているかも知れない。日本近代文学史のどこにも、これだけ深い根を張った作品は見当らないだろう。私にとりわけ興味ぶかいのは、多くの登場人物のうちでも清澄の茂太郎という少年と、弁信という盲目の小坊主である。茂太郎はヘビやオオカミなどと交感できる少年であり、弁信は一種のテレパシー能力を持つ盲目少年である。介山がつくりだす幾多の人物はそのほとんどが実直な実生活から浮遊してしまった、いわばアウトロー群像であり、さまざまの男女が定住を離れて旅を日常にしてゆくのだが、この二人の少年がそれら諸人物の根をつないでいるように見える。二少年が登場するのは『大菩薩峠』が四分の一ばかり進んだ「安房の国の巻」からである。このあたりまで読む人は少ないようだ。机龍之助に目を注いで読んできた人には、このあたりではすでに退屈さを感じるからだろう。介山と同時代の読者もそうであったようで、介山はときには目立たない発表の場までもとめて書きつづけ、「読者は [ ] むとも作者は倦まない、精力の自信も変らない」と宣言するのだが、その自信を支えているのは作者自身の成熟の自覚であっただろう。

 私は『大菩薩峠』を、やはり冒頭、机龍之助が中心となっている部分しか読んでいなかった。そのへんだけで、かなり面白い時代小説だと納得していた。だが、今度全巻を通読してみて、不明を恥じた。茫然としてしまった。机龍之助が背景に影のようにしりぞいてゆくあたりから、私は一ヶ月ばかり、家にいても旅先にいても、暇をみつけては『大菩薩峠』に読みふけった。雪の月山へ行く途中、雨の降りしきるバス待合所でも読んでいた。つぎのバスまでの二時間あまりがあっという間だった。巻を追うごとに作者が大きくなってゆく。それが、作者の死んだ年齢(五十九歳)とほぼ近いところにいる私にありありと見えていた。『大菩薩峠』はいつかもう一度読むつもりだ。この大作と共に生きて死んだ中里介山を、そこにじっくりと読みとりたい。

 マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』を学生時代に読んだとき、私の目はジャック・チボーやその友人のダニエル・フォンタナンを見ていた。ジャックとダニエルには青年のヒロイズムとロマンチシズムを満足させるものがある。第一次大戦初期、最後の反戦運動で死んでゆくジャックは悲劇の英雄であった。また、それ以上に、ヨーロッパが蟻地獄に吸い込まれるように大戦に巻き込まれてゆく動きを描いた第七部『一九一四年夏』に目を奪われたものだった。作者はこの第七部によって一九三七年のノーベル文学賞を受けている。

 ほぼ四十年ぶりにこの大河小説を再読してみて、正直なところ、はじめは退屈だった。ジャックもダニエルも、老年にさしかかっている私には、どうも薄っぺらく見える。ジャックの死は、むしろ滑稽にさえ感じられる。『一九一四年夏』も、歴史の解説としてはそれなりに面白いのだが、それ以上ではなかった。最近の湾岸戦争と重ね合わせて読むような興味も私には持てない。

 それよりも、アントワーヌだった。最後の第八部『エピローグ』に、ジャックの兄のアントワーヌ・チボーの最後の日々が描かれている。大戦に軍医として加わったアントワーヌが、前線で毒ガスを吸い、確実にやってくる死を見つめながら日記を書く。第八部の中心になっていて、それで大作が終わっている「アントワーヌの日記」の章が、私をぐいぐい引き込んだ。パリのブルジョワ家庭に生まれ育って、弟ジャックと違い平凡に生きてきたアントワーヌが、死を目前にして、みずから平凡人であることを確認しながら、生と死を凝視する。そこにはたしかに、作者の年齢がある。作者自身にも平凡人の自覚と、その自覚を土台とした死生観が生まれていたと感じられる。

 二十年間書きつづけた『チボー家の人々』は、ジャックにいわば肩入れして書かれてきたと思われるのだが、ノーベル賞受賞後に書かれた『エピローグ』では、作者は次第にアントワーヌに引き寄せられてゆく。アントワーヌの最後の日々を描きながら、間接にではあるがジャックを批判する形にならざるを得なかったようだ。この大河小説は、だから最後で破綻しているとも言えるのだが、もしも『エピローグ』がなかったならば、作品そのものが凡作に止まったのではないだろうか。

 私は『チボー家の人々』をもう一度通読する気はない。読み返すなら、第八部『エピローグ』だけだ。マルタン・デュ・ガールの作品は親交のあったアンドレ・ジッドから、平凡と呼ばれている。「平凡、それにちがいない」と。ただし、そのあとに、「だが、きわめて意味ある平凡さだ」という言葉がつづく。この評言がもっともよくあてはまるのが、『エピローグ』であり、そのなかの「アントワーヌの日記」だ。そこには、きわめて意味ぶかい平凡さが、平凡の自覚と共に描き出されている。

 医師であるアントワーヌは、父オスカール・チボーを安楽死させ、みずからも最後に安楽死をえらぶ。この問題もまた、『チボー家の人々』が差し出している一つの重いテーマなのだが、今はそこには踏み込まない。

 『大菩薩峠』も『チボー家の人々』も、私には年齢の勝利と見える。もしも両作者がそれぞれの作品をもっと若いときに書き終えていたら、作品は別のものになっていただろう。それは、私たちがいま読む厚みを持たなかっただろう。いくぶんか、その厚みは減っていたにちがいない。

 若くして死んだ作家たちの残した作品も多い。たしかにそこには、きらきらしたものがある。だが、彼らには『大菩薩峠』や『チボー家の人々』は残せなかった。六十歳の手前を老年とは呼びにくいけれども、みずからの死と晩年とを視界に入れる年齢ではあるだろう。老いることは一つの勝利なのだ。ただし、老いるための才能が必要であることもまた、たしかだ。

(作家・日本ペンクラブ常務理事・京大・文・昭30)