琵琶湖のイサザ  
日髙 敏隆 No.789(平成2年10月)号

 
 琵琶湖にイサザという魚がいる。学名はケノゴビウス・イサザ(Chaenogobius isaza)。ゴビウスということばからも推察できるとおり、ハゼ(goby)の仲間である。
 体長五センチほど。体は一様に淡い黒褐色で、もようもなく、どうということもない魚である。繁殖期になると、卵をもった雌は腹が黄色くなるが、それもべつに目のさめるようなものではない。まことに地味な姿・形の小魚である。
 けれど、イサザは、いろいろな点でなかなか興味ぶかい魚なのである。
 まず、イサザは世界中で琵琶湖にしかいない。ご承知のとおり、琵琶湖では稚鮎を捕えて、全国の河川に送り、放流している。当然、イサザも鮎にまじって送りだされているはずである。しかし、全国どこの川やそれにつながる湖沼にも、イサザが住みついたという報告はない。イサザは琵琶湖で進化しただけでなく、琵琶湖でしか生きてゆけない事情があるらしいのである。
 第二に、イサザはハゼのくせに、きわめてハゼらしからぬ生活をしている。イサザの形は典型的なハゼであり、腹側にはハゼ類の特徴である吸盤ももっている。ところがイサザは、ふつうのハゼが好んで住む沿岸帯の浅いところでなく、琵琶湖の沖合の深い場所に住んでいる。
 琵琶湖の沖部は、いちばん浅いところでも水深三〇メートル、竹生島周辺の最深部では深さ九〇メートルに達する。イサザは昼はこの深い湖底で、おそらくはその点ではハゼらしく、砂にへばりついて生活しているらしいのである。何年か前、琵琶湖最北部の湖底からみつかる考古学的遺物(土器や、瓦、陶器など)の謎を探るため、水中ロボット・テレビカメラによる調査がおこなわれた。私もそれに加わったが、それは湖底の魚を見たかったからであった。深度計には一〇〇メートルと出た最深部の湖底に、イサザがちゃんといて、ロボット・カメラが近づくと、さっと逃げていった。
 これだけなら、イサザは湖底に住むハゼだということになる。ところがイサザは、毎日、夜になると、湖面近くへ泳ぎ上ってくるのである。その深さは季節によって異なるが、湖面から五ないし一〇メートルというあたりまで上昇してくる。深さ三〇メートルの湖底からでも二〇から二五メートル。深さ九〇メートルのところだったら八〇から八五メートル。自分の体長のなんと二千倍近くになる。それをイサザは毎晩泳ぎ上ってきては、表層部の水中に群れるプランクトンを食べ、そして朝までにまた湖底へ戻ってゆくのである。
 では卵もその深い湖底で産むのかというと、そうではない。春先、三月になると、イサザは次々と湖岸へやってくる。そして湖岸沿いに泳いでいって、石のある場所を探す。そして波打ち際すれすれからせいぜい水深一メートルほどの浅い場所にある石の下に卵を産むのである。
 三月末から四月初め、まだ摂氏六度しかない冷たい水に入って石をおこしてみると、雄、雌のイサザが石の下にひそんでいる。水が冷たすぎるのか、彼らの動きは鈍い。
 四月も半ばごろ、水温が急速に上昇して一二度ほどに達すると、イサザたちは活発になる。雄は適当な石をみつけて、その下に巣を作りはじめる。巣ができあがると雌を誘いこみ、二匹で産卵、授精する。まもなく雌は出ていって、残った雄が孵化まで卵の世話をする。こうして五月の半ばごろには、イサザはすべて沖に戻り、産卵場所には一匹もいなくなってしまう。そのころには水温ももっと上がり、六月に入ると、ワタカ、モツゴ、ハスその他さまざまな魚たちが、それぞれに小さな群れをなして、そのあたりを泳ぎまわるようになる。
 つまり、イサザの産卵期はまだ水も冷たい春先の、それもたった一か月の間だけ。この短い期間に、一斉に産卵がおこなわれる。これもまたイサザの変わったところである。
 というのは、ふつうハゼの仲間では、夏も近づいて水温もかなり高くなったころに産卵が始まり、多くは夏の間じゅう産卵がみられるものだからである。イサザはなぜ産卵をそんなに急ぐのだろうか?
 そんなわけで、イサザはぼくにとって不思議な魚だった。いや、ぼくにとってというよりも、当時、京大理学部附属大津臨湖実験所の大学院生として、イサザの生態を研究していた高橋さち子さんにとってであった。ぼくは彼女の話を聞いているうちに、このイサザという不思議な魚にひきこまれていったのである。
 イサザの特異な生き方を理解するには、高橋さんとの数年にわたる共同研究が必要であった。
 はじめは何もわからなかった。いや、どう手をつけてよいか、まったく目途がたたなかった。イサザをぼくら自身で捕らえることは不可能だったから、漁師さんから分けてもらうほかはない。ところが、イサザ漁は、昼、湖底にいるものを底引き網で獲るのがふつうである。そうすると、三気圧から一〇気圧もある湖底からいきなり引き上げられるので、イサザは死んでしまうというわけで、生きたイサザが手に入らないのであった。
 先に述べたとおり、春になると、イサザは浅いところにやってくる。これを飼ってみようということになった。はじめはなかなか飼えなかった。だれに聞いても、イサザは飼えませんという。けれど高橋さんの試行錯誤の努力で、ついに飼えるようになった。
 まず、なぜ他のハゼとちがって、春早く、一斉に卵が熟すのか。そのしくみを知ろうと思った。鮎では、秋に日が短くなると、それをきっかけにして卵の成熟が始まる。イサザでも、十一月末になると一斉に卵の成熟が開始される。しかし、日長をいろいろに変えてみても、目立った反応はみられなかった。そもそもイサザは、明るい間は光のとどかぬ深い水底にいるのだから、日長を手がかりにしているはずがない。
 では水温は? 琵琶湖の平均水温は年間を通して一三度から一四度で、季節とともにきわめて徐々に変化する。これを手がかりにして、季節の推移を知ることは、とうてい不可能であろうと思われた。
 最後にぼくらは、イサザが毎日おこなっている昼夜の垂直移動に思いあたった。湖底の水温は年間を通じて七度である。しかし、湖の表層の水温は、冬の六度から秋のはじめの二三度まで、はげしく変わる。イサザはその間を毎日往復しているのだ。湖底の水温は一定だから、これを基準値にすれば、イサザは表層の水温の季節変化を、敏感にキャッチできるはずである。これが鍵にちがいない、とぼくらは確信した。
 早速、実験にとりかかる。高橋さんは古い電気冷蔵庫の部品を使ったりして、水温が昼は二〇度、夜は一〇度と周期的に変わる装置を作りあげた。そしてこの中でイサザを飼った。
 二〇度―一〇度という温度周期がつづくかぎり、イサザの卵巣成熟は始まらなかった。けれど、琵琶湖では表層水温がまだ二〇度をこす八月の終わりごろ、高温部分の温度を次第に下げてゆくと、それが一七度を切ったときから一か月後、卵の成熟が始まった。自然状態より一か月早い十月の末であった。
 つまりイサザは、毎日、自分の体長の千倍にもなる距離の浮上、沈下をくりかえすことによって、主体的に温度周期を経験し、そこから卵成熟開始の時期をキャッチしているのだ。
 では、なぜこんな苦労してまで、一斉に、しかも春早くに産卵せねばならないのか?
 それはきっと、他の魚、とくに同じハゼの仲間のヨシノボリという魚との競争を避けるためだろう、とぼくらは思った。浅瀬の水温が二〇度近くに上る六月になると、ヨシノボリたちががぜん活発になってくる。そして、イサザの産卵場で、同じ石の下に巣を作り、産卵を始める。そのころ、イサザが産卵するとしたら、当然、両者の間で競争がおこるはずだ。
 実験的に競争させてみたらどうなるか、ぼくらは早速試してみた。
 二月ごろからヨシノボリを暖かい水で飼い、餌をどんどん与える。そうするとヨシノボリはどんどん大きくなり、卵も成熟してきて、イサザの産卵期である四月には、巣作りをして卵を産む状態になっている。そこで、イサザが卵を産もうとしている水槽の中へ、こういうヨシノボリを入れてみた。
 イサザにくらべて、ヨシノボリはどう猛である。せっかく石を確保して巣を作りだしたイサザの雄は、たちまちにしてヨシノボリに叩き出されてしまい、ノイローゼになったように水槽の中をふらついたのち、死んでしまう。
 巣作りを終え、雌とペアになったイサザも、夫婦そろっての防衛も空しく、やはり追いだされる。すでに産んだ卵も、すべてヨシノボリに食われてしまった。
 つまり、ヨシノボリと競争したら、イサザは徹底的に負けるのである。ただし、ヨシノボリと共存しても、水温が低ければ、ヨシノボリは不活発になるので、イサザは卵を産み、孵すことができる。
 こういうわけで、イサザはまったく勝ち目のないヨシノボリとの競争を避けて、まだ水も冷たい春早くに、急いで一斉に産卵し、ヨシノボリが元気づいてくるころには、親子ともども、沖の住み処へ帰ってしまうのである。
 こうしてイサザは、琵琶湖という深い湖に新しい住み場をみつけ、新しい種として確立した。今、彼らはそこで繁栄している。琵琶湖の汚染がこれ以上進まなければ、イサザはこのままそこに生きつづけてゆくだろう。

(京都大学教授・東大・理博・昭27)