家族についての霊長類学的覚え書き
河合雅雄
(前京都大学霊長類研究所教授)

No.788(平成2年7月)号

   一、家族とは何か

人類は今や、高度な科学技術に支えられた物質文明の世界を作りあげた。過剰に豊かな物と渦巻く情報の氾濫によって、社会制度や社会のあり方の基礎さえ揺り動かされている。その中で、とくに私が強い関心を払っているのは、家族の問題である。

わが国は、戦前までは長子相続に基づいた、世界でも有数の堅固な父系家族制度をとっていた。しかし、戦後それは一変し、一夫一妻制だけは厳守しなければならないが、自由な家族作りが可能になった。とくに、急速に核家族化が進んだことが注目に値する。しかも、それに附随して少産になったことが、重大な問題を孕むことになった。それは伝統的な出産、育児、教育のシステムを変貌させ、労働人口減少による高齢化社会への対応を困難にさせるなど、大きな社会変動を強いている。

とりわけ気になるのは、日本の社会構造そのものを変革させる重大な底流となっていることである。わが国の土俗的社会構造は、血縁、地縁、社縁の三つの縁が柱になって構築されているが、核家族少産は血縁構造を崩壊させる強い要因として起動している。厚生省の発表では、一人の女性が一生に産む子どもの数は、平均一・六六人、つまり、一人子が半数近いということである。一人子と一人子が結婚し、その夫婦もまた一人子を持つとすると、その子にとっての身近な血縁は両親と祖父母だけで、きょうだい、おじ、おば、いとこもなく、血縁的には孤立した存在になってしまう。このような血縁的に孤立した人が、これからの日本には半数近くを占めることになり、その結果従来の血縁構造は解体されていくだろう。

一方、都市化の進行により、地縁構造は弱体化の一途をたどりつつある。そして、社縁だけがますます肥大化する。血縁と地縁構造の基本的土台がゆらいで弱体化し、逆に社縁だけが過度に強化されるという事態は異常である。核家族少産という人工的家族がもたらす重大な変革に対する対策を、今から準備しなければ思わぬ方向に突っ走る危険がある。

高度な文明社会の出現により、婚姻関係や家族のあり方は大きく変化しつつあるが、それによって最も深刻な被害を蒙っているのは子どもであろう。例えば離婚率の上昇。アメリカではそれは五〇パーセント近いが、そのことによる子どもの非行化、発達障害は、きわめて深刻な状況にある。アメリカの精神科医であるシンシア・R・フェファーによると、思春期から青年期初期の自殺率は、全死因の一八・八パーセント、第三位を占め、また、一四歳以下の子どもの自殺は、全死亡因の第七位になるという。その多くの原因が家族関係の悪化と異常な状態にある。子どもの自殺は一九六〇年より増加しているが、それは明らかに物質文明の高度な発達と、それに並行した離婚率の増加、家族のあり方の変容と相関している。

家族とはいったい何なのか。そして将来どのように変容していくのか、また、どうあるべきなのか。こうした問題を現状の認識の上に立って深く検討する必要があろう。家族の問題は、従来文化人類学、法学、社会学、文学など、専ら文系の学問分野の問題として扱われてきた。だが、自然科学の分野からも、この種の問題にアプローチすることが可能になった。それは生物社会学という新しい学問分野の樹立によってである。

生物社会学は、今西錦司氏によって創出された学問である。それは戦後、京都大学を中心に発展した霊長類学において開花した。今では高校の教科書にも「動物社会」という言葉が見られるが、昭和二〇年代には、社会は人間界にだけ見られる現象であり、人間界においてのみ使われる概念だというのが学界の一般的風潮であって、動物界に社会を認めるという立場は、異端以外の何ものでもなかった。それは人間は動物とは全く別の存在であるという人間優位主義と、高等動物の社会生活の研究がほとんどなかったことに基因している。

霊長類学は戦後日本において、世界に先駆けて新たな装いの下に出発した。個体識別法、歴史的方法、共感法といった独自の方法論を武器にして、野生ニホンザルの群れ社会の全貌が明らかにされるに及んで、動物社会学は一般に認知されるようになると共に、世界の学界にも大きな影響を与え、霊長類学の世界的な興隆に寄与することになったのは周知のことである。

霊長類学は、広い意味での人間学の一分野である。ヒトはサル類から進化した動物の一種であることは、すでにC・ダーウィンによって明らかにされた事実であるが、どのような過程を経て、いつどこでヒトが誕生したのかは定かではない。人類の進化の過程を究明し、それを基礎にして人間の生物的基礎を明らかにする学問が霊長類学である。霊長類の行動、社会、生態の研究から始まったこの学問は、その後、形態、心理、遺伝、生化学、生理、系統などの諸学問分野に拡大し、人類学を支える根柱の一つとしての地位を今や確実なものとしている。

霊長類社会学においては、当然家族とは何か、という設問が重要視されてきた。当然とは言ったが、これは日本においてそうなのであって、諸外国では家族起原論に強い関心をもつ学者は少なく、動物社会学を創出し体系化を進めてきたわが国の研究者の独自の発想といってよいだろう。

最初に、家族の起原について霊長類学的接近を行ったのは、今西錦司氏である。一九六一年のことだが、そのころはまだ世界の霊長類学の夜明けであって、今西氏の先見性は一〇年以上先を見越していたことになる。今西氏は人間家族が成立するために、四つの条件をあげた。

一、インセストタブー(近親相姦の禁忌)が存在すること。
 二、外婚制が存在すること。
 三、コミュニティーが存在すること。
 四、配偶者間に分業が存在すること。

この四条件を満足する集団を「家族」と呼ぶという仮説を提唱した。

今西氏がこの仮説を提出した当時は、ニホンザルやサバンナヒヒなど少数の種の社会が解明されていたにすぎず、ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどの類人猿社会はまだ謎のヴェールに包まれたままであったから、実に大胆な仮説の提出であった。しかし、その後の研究の進展によって、この仮説の大筋は正しく、四番目の条件を「経済的分業」と変更する以外に大きな変更はない。

その後三〇年間に、霊長類の主だった種について、行動、社会、生態の全容がほぼ明らかにされた。野外研究というのは短時日ではほとんど成果が上がらない。野生チンパンジーは、日本とイギリス・アメリカチームが三〇年間おのおのの対象集団を連続観察することによって、はじめて確固たる成果をあげえたわけで、それに投入したエネルギーは莫大なものである。

サル類は現在約二〇〇種が、主として熱帯地方に生息しており、それぞれが独自の社会を作っている。それらを比較検討した結果、サル類の社会には家族といえる集団がないことがわかった。ということは、家族という社会単位は、人類社会にのみ存在する社会型だということなのである。ヒト化(ホミニゼーション)の過程にのせてこの事実を考えるならば、ヒトとは家族という基本的社会単位をもつ霊長類だ、ということができる。つまり、サル類の進化過程において、おそらく五〇〇万~六〇〇万年前に家族という社会的単位集団を持つ高等なサルが現れた。それがヒトと名づけられる霊長類だということである。

もっとも、これは霊長類の社会進化を舞台にしてのヒトの定義である。ヒトを定義する場合、他に直立二足歩行するサルといった形態学からの要請もある。それで私は(一)、直立二足歩行 (二)、家族 (三)、コトバ(音声言語)の三つの条件を満足する霊長類をヒトと定義すればどうかと考えている。

   二、解体する家族像

霊長類の社会進化からみた家族起原論は、とうていこの小論で述べることができないので、ここでは家族の現在状況と近未来への指向について、霊長類社会学の立場からメモを書きとめておきたい。

総ての種の社会は、それを成立させる社会的単位がある。最も単純な社会は、社会を構成する単位が個体の場合である。それ故、この社会は集団を作らない。例えば、オランウータン社会。この社会では雄も雌も一頭ずつが単独で暮している。もちろん繁殖のためには雄と雌が交尾をしなければならず、その場合は一時的に雄と雌が接近して共存するが、交尾が終れば離れ、別々に暮す。こういう社会を社会型として分類するならば、Iの単独生活社会型と呼ぶ。この社会型をとるサルは原猿類に多い。

真猿類は一般的に集団生活をする。集団の社会型は、おとなの雄とおとなの雌の構成のありようによって分類される。それはのような組み合わせになる。

表

Ⅱ ペア型社会型 おとなの雄一頭とおとなの雌(以下たんに雄、雌と表示する)によって構成される集団で、人間社会流に言えば一夫一妻型の集団である。テナガザル七種がこの社会型の典型である。

Ⅲ 単雄群社会型 一頭の雄と複数の雌より成る集団で、いわば一夫多妻型といえる。ゴリラがこの社会型をとる。他にグエノン類、コロブス類など、樹上性の多くの種がこの社会型をとる。

Ⅳ 複雄群社会型 雄も雌も複数で構成される集団で、チンパンジー、ニホンザルなどのマカカ属、ヒヒ類などがこの社会型をとる。この社会型をもつ集団は大型で、二〇〇頭に達することもある。特定の雄と雌の性関係はないので、乱婚型とでもいえようか。

Ⅴ 単雌群社会型 雌一頭に複数の雄という構成の集団をもつ種はない。ただし、新世界ザルのマーモセット科のいくつかの種では、Ⅳの社会型だが交尾権においては一妻多夫型という特異な現象が見られる。面白いことには、哺乳類全体の社会を通覧しても、一妻多夫型はない。鳥類にはこの社会型をとる種(例えばタマシギ)があるから、哺乳類は原則として一妻多夫型社会を作りえないといってよい。それは出産と育児が雌の仕事だという、哺乳類の属性によるものであろう。サル類はこの社会型に楔を打ち込んだ特異なタクソンとして注目される。

VIの重層社会型はマントヒヒとゲラダヒヒの二種だけに見られる特殊な社会型であるが、複雑なので省略する。

次に、サル社会と人間社会を比べてみよう。現在の人間社会は原則として一夫一妻か一夫多妻の二つの婚姻形態に限られており、サル類のように多彩な社会型はない。たいていの人は一夫一妻制が正常であり、大部分の民族がこの婚姻形態を採用していると思っているが、実際はそうではない。現在地球上には約三、〇〇〇の民族(異なった言語を持つポピュレーション)が認められるが、一夫一妻制を採用している民族は二〇パーセント強である。八〇パーセント弱は一夫多妻制で、この方が普通である。一妻多夫型は、典型的なものはないが、チベット族、インドのナヤール族など数民族に変形した形で見られる。変形というのは複数の男が兄弟で、常にどちらかが働きに出ているといった条件つきだからである。それはともかく、哺乳動物全体の中で見られない一妻多夫の領域に、人間が開拓の足を踏み入れた事実が注目される。

現代は性関係が開放的に向かう傾向があり、男女の結びつきも従来の枠組を越えて発展しつつある。先進国で採用している一夫一妻制も、内実的には崩れかけており、将来はさまざまな男女関係が出現するであろう。現実にシングル指向の若者が増加している。学生に将来の家族はどうなるかと問うてみたところ、シングルが増加すると答えた者が多かった。若い人はそのことを身近に感じとっているのであろう。一夫多妻が先進国において制度として採用されるのはなかなかのことだろうが、制度外の現象としてはかなり自由に行われるのではないだろうか。

では、サル社会に多くみられる複雄群社会型はどうだろうか。アメリカでは、拡大家族、複合家族、共同家族といった新しい家族形態が模索されている。これはいわばサル社会における複雄群社会を原型にしたようなものだ。こうして、人間社会は将来サル社会がもつ四つの社会型を実現することになりそうである。

最後の牙城、一妻多夫型でも、チベット族とは異なった次元での展開がみられるであろう。現今、女性の進出は目覚ましいものがあり、男性の特権的領域や地位に進入を果たしているが、ますます強固な経済的実力を持ち自立する女性が増えてくるであろう。一夫多妻的現象と性的自由さが公認されるようになれば、一妻多夫的な現象を実現する女性が現れてくると考えても、あながち無理ではあるまい。

では、サル社会に多くみられる複雄群社会型はどうだろうか。アメリカでは、拡大家族、複合家族、共同家族といった新しい家族形態が模索されている。これはいわばサル社会における複雄群社会を原型にしたようなものだ。こうして、人間社会は将来サル社会がもつ四つの社会型を実現することになりそうである。

最後の方は紙数の関係で突っ走ってしまったが、いいか悪いかは別問題として、今の状況が進めば、文明の爛熟と共に上記のような婚姻関係の多様化の傾向は認めざるをえない。しかし、そのことは非常に重大な問題を孕んでいる。それは人間社会からサル社会への退行であり、家族の崩壊につながるものだからである。初めに戻って考えれば、人類の出現は家族をもつことに基づいていた。しからば、家族を解体させることは、人間存在の基礎をこわすことであり、人間であることの放棄である。家族のあり方は文明の進歩とともに、今後も大きな変動に直面するであろう。しかし、高度な文明社会に即した新しい家族像を築きあげることが、人類社会における重要な課題である。

(前京都大学霊長類研究所教授・京大・理博・昭27)