グッド・カンパニーをめざして
樋口廣太郎
(アサヒビール社長)
No.786(平成2年1月号) 

 社長に就任して4年目を迎えた。銀行マンからビール会社へ、わが人生最大の転機であった。今はおかげさまで業績も急上昇し、毎日感謝の日々を送らさせていただいている。そして昨年はたいへん恵まれた状況の中で創業百周年を迎えることができ、非常に感慨深い1年でもあった。新しい年を迎えて新たな意欲が沸々と湧き上がり、燃えるような情熱で心が満々としている。

 就任した当時、会社の業績は創業以来最悪の状況であった。ビール業界は昭和50年代に入って著しく成長は鈍化していた。とりわけ末期は焼酎ブームといわれる中、業界競争は容器戦争と称され、容器のデザインや細工に汲々としていた。そういった中で唯一の救いだったのは、業績が低迷しているわりには社内の雰囲気が明るく、3年後に控えた創業百周年に向けて新たな挑戦を開始していこうとする意欲に満ちあふれていることであった。

 そのとき私は、最初に習った経済原論の中での哲学者スプランガーの言葉を頭に浮かべていた。それは「人生や企業を哲学的に言い尽くすことはできない。これらは音楽のようなものだ」というものだった。わかりやすく言えば、人生とか企業とかいうものは音の高低あるいは強弱で音楽として譜面に書いてみることはできるけれども、哲学的にこういうものだとは言えないのではないかということである。

 しかし現実に経営の任に当たる以上、具体的に事を成していかなければならない。そのためには何が必要なのか、何をベースにもっていくべきなのかを考えていくことが必要だった。それは結局は自らの熱意以外の何者でもない、ということであった。強い熱意は必ずエネルギーにつながる。そしてそのエネルギーが会社全体に広がってくると会社そのものが強い運勢をもつようになる。こう確信して仕事をすすめたことを思い出す。

 ポール・ケネディーの著した『大国の興亡』という本の中に、“大国の興亡はすベて時の流れに漂っていて、それをつくりだすことも支配することもできない。多少の手腕と経験をたよりに舵をとることができるだけなのだ”と書かれていた。多少の手腕と経験をたよりに舵をとる、そしてそこに熱意があれば必ず道は開けるということを改めて感じた次第だった。

 また、マックス・ウェーバーは『職業としての学問』の中で、学者はひとつのことに集中していけばよい、そうすれば立派な学問ができると書いている。しかし企業家はそれに加えて知恵がなければならない、そして知恵よりも大事なのは情熱と霊感と度胸だとも書いている。この度胸というのは単にエイヤーとやることではない。これも信念、情熱をいかにもっているかが勝負の分かれ目となる。言い換えれば“チャンスは貯金できない”、チャンスは延ばすことができないものであるからこそ、度胸で一気にやらなければならないことがあるのである。

 昭和62年3月、わが国初の辛口生ビール“アサヒスーパードライ”を新発売した。今日、日本のビール市場の約3分の1を占める主流商品に成長し、世界の11カ国で38の銘柄が発売され世界的ブームとなっているドライビールだが、その誕生に至るにはいろいろなことがあった。開発段階で提案する側は、前例がないからこそやりたいと言う。一方の側は、前例がないものは危険だ、やるべきではないと言う。最初は黙って聞いていたのだが、そのうちに腹が立ってきた。それは一番大切な商品を前にすることなく議論のみが交錯していることだった。私は双方に議論ばかりしていても仕方がない、実際に商品をつくり、お客様に何回も飲んでいただいて、それが本当に満足いただけるものであれば発売していこうではないかと指示を出した。その後、数カ月を経てスーパードライが経営会議にもちこまれた。飲んでみてこれはいけると直感的に感じた。そして消費者調査の結果も極めて高い評価であった。

 考えてみれば所得水準の向上によって食生活は確実に変化している。にもかかわらずビールの味は明治時代から数年前までほとんど改良されていなかった。たしかに最近までのビール業界では、お客様は味がわからない、だからメーカーが味をリードすればよいという認識が支配的であった。しかし現代のお客様は味でしっかりと飲み分けておられる、しかも求められている味は確実に変化している。5,000人の消費者の方々を対象とした嗜好調査でもそのことが裏付けられた。この新たな味のニーズに応えていくことこそメーカーの使命であるといえる。私はこれを「メーカー役者論」と言っている。メーカーは役者、それも大根役者であり、流通業者の方々が演出家、そしてお客様が監督である、ということである。スーパードライはこういった発想のもとで誕生したのだった。

 さらに私は新商品の開発に当たっては3つのことを言っている。1つは本物をつくる、一番おいしいビール、世界一のビールをつくるということである。そのためには原材料に金を惜しまない、世界で一番いい原材料を使うことである。2つ目は人の物真似はしないということである。やはり新商品は独創的なものでなければお客様からは評価されない。そして3番目は健康志向でなければならないということである。

 昨年、縁があって、パリの3つ星レストランであるルキャ・キャルトンの全株式を取得した。ここに厨房の哲人といわれるアラン・サンドランスという名シェフがいる。彼に、あなたはピレネー山脈の奥深い田舎から出てきて、なぜこのように有名になれたのかと聞いたことがある。彼は即座に、材料に金を惜しまない、人真似はしない、健康志向の3点の答を出した。それを聞いてまさにこれだと感じた。

 今や超ヒット商品、主流商品として大きく育ったスーパードライであるが、ここに至るまですべて順風満帆であったわけではない。発売当時、他社からは一過性の商品である、夏場は売れても秋になったら売れなくなる等々、散々な言われ方もした。だが確実にいけるとの判断のもと思い切った営業投資と設備投資を断行した。スーパードライが味で高い評価を頂戴でき、ヒットにつながったわけだが、積極果敢な設備投資がその裏にあったことも事実である。いかにお客様に高い評価をいただいても、買っていただける商品が供給できなければ、残念ながらヒット商品とはなり得ないのである。

 また私は情報を最重要視している。情報はいくらお金をかけても集めてくるものだというのが基本的な考えである。そこでまず情報が集まってくるシステムが必要となる。しかしそれ以上に大切なことは集めてくる情報の中身である。そして何が重要かといえば、バッド・インフォメーション、つまり自分にとって不利な情報をいかに集めるかということである。要するにバッド・インフォメーションを集めるしっかりとした集音装置をもつことが必要なのである。企業や組織の中で消音装置をつくることはたやすい。これは放っておいても簡単にできてしまう。今、アサヒビールでは約2,500人におよぶマーケットレディを全国に配置している。彼女たちの主な仕事は市場のバッド・インフォメーションを集めてくることである。営業ノルマなどは一切課していない。そしてこの情報が本社に吸い上げられ改善されていく。こういった活動を通してお客様との距離を縮め、変化の徴候をつかむことが重要であると考えている。

 かつて住友銀行時代に、名頭取といわれた堀田庄三氏に仕えたことがある。お供でよく名医の先生を訪ねた。ところがこの先生は患者の身体にまったくふれられない。それを不思議に思い尋ねたことがある。先生は、正常値に対していちいち神経を使うのは無駄なことだ、異常値が出たときに適切な対策を組むのが医者というものであると仰しゃられた。また、自分は名医といわれているかもしれないが、それでも誤診率は2割ぐらいあると思う、と言われる。だからこそそれぞれ専門の医師にまかせて、検査の結果を十分チェックし、異常値が出ていればそれを追求する方法をとっておられるということであった。

 われわれが情報を集める場合も同様である。ともすれば正常値の情報に安住しがちである。情報が入ってくること自体はありがたいし感謝もする。しかし問題は異常値、それも悪い情報が入ったときにそれをどう攻め、どう直していくかが大切なのである。そこにはじめて向上というものが出てくるのではなかろうか。

 第一次世界大戦のときのバルト派の従軍牧師の祈りの言葉に「神よ、今できることを確実にやる勇気を、今できないことを我慢する忍耐と知性を下さい」というのがある。私自身もこのことを常に心がけている。しかし、忍耐というのはなかなか難しい。例えば野球でいえば、自分のチームに長島選手とか王選手がいればいいなと望む。しかし、長島や王は現役選手としてはいない。ないものねだりをしてもしょうがないのである。結局は自分たちで強い選手を育て上げなければならないのである。ないものに耐える忍耐と、一方で自ら育て上げていく知恵が必要なのである。その意味で私はどんなことでも最低3年間はものを変えずに育てることに力を入れるようにしている。商品しかり、宣伝しかり、イベントしかりである。

 新しい年を迎えての私の夢は、ますますおいしいビールをつくること、世界一のビールをつくることの一点に尽きる。そして、めざすベきはビッグ・カンパニーでもなければナンバーワン企業でもない。お客様がおいしいと喜んで下さり、望むべくは私自身を含めて社員が謙虚で礼儀正しいグッド・カンパニーになりたいと願っている。念ずれば花開くという言葉がある。目標をイメージすることによって創造が生まれる。生き生きと明るく、クリエイティブな仕事をやっていきたい。今年もアサヒビールにとって素晴らしい年にしていきたいと念じる年明けである。

(アサヒビール社長・京大・経・昭24)