昭和天皇のヨーロッパ旅行に随行して
福田 赳夫
(衆議院議員)
No.784(平成元年7月号) 

 昭和四十六年夏、内閣改造があり、永らく大蔵大臣であった私に、佐藤総理より外務大臣に就任するようもとめられました。その際総理から、今回の外務大臣は、秋に予定されている天皇・皇后両陛下のご訪欧の首席随員を務めていただくことになるので心得ていてほしいとの話でした。私は即座に、「私には二十数年来抱えている胆石があり、年に一、二回、特に長途の旅行をしている時に決まって暴れ出すのです。もしご旅行のお伴をしている途中に痛みだしたら困るので、この際摘出手術をしなければならないし、それに手術後の静養の時間も計算すると、一ヶ月半位は執務につけませんよ」と申し上げました。すると佐藤総理は、「それで結構、その間は木村俊夫君に代理をさせるから、安心してそうしなさい」とのことでした。そのようなことで、私は手術を終え外務大臣に就任することとなりました。

 その手術のときのことですが、手術をすると小さな石が無数に出てきました。そこで、医師と看護婦との間で、いくつ石があるかの賭けが始まり、勘定したところ何と五三七個もあり、これには正解者がいなかったそうです。又口さがない新聞記者諸君も、この手術が注目の的で、福田の腹から出てくる石は白いか黒いか話題を集めたそうですが、出て来た石は、白くもなく黒くもなく、皆金色でした、さすが大蔵大臣だなあと酒のつまみになったそうです。

 術後、約一ヶ月の療養を終え、九月初め、日本とカナダの閣僚会議に出席のためオタワへ参りました。ご訪欧随行の予行演習のつもりでしたが、多少ふらふらする程度で、旅行に対する自信をつけ無事に帰国し、愈々九月二十七日、天皇・皇后両陛下のご出発にお伴することとなりました。

 陛下は、私の手術のことをいたくご心配下さったようで、機中ではそのことが話題となり、私も記念に撮っておいた胆石の写真をご覧に入れたところ、大変興味深そうにご覧になられ、何かとお質ねがありました。陛下は実に温かいお人柄で、今回の旅行中、フランスとスイスは非公式の訪問であり、日程にも余裕があるから、その際は遠慮なく十分に休養をとるようにと細やかなお気遣いを示され、大変恐縮してしまいました。

 陛下は特に動植物に深いご関心をお持ちでしたので、どこへまいりましても、動物園、植物園ご訪問の日程が組み込まれておりました。動植物についてはとにかくお詳しい方でした。ドイツではボートでライン下りをしている際、そのボートの上で「福田、あのきれいな並木は何の木だ」とのご下問があり、私が「あれはポプラではないでしょうか」と申し上げたところ、侍従から「福田さん、あの答えはだめです。あれはノルウェーのものですか、ということを聞かれておられるのであって、ポプラなんていうことは陛下はご存知ですよ」ということで、私などは、こと動植物の話になると苦手な両陛下でした。

 イギリスのキュー・ガーデンという植物園では、陛下のお手植の行事があり、済んだところで私は同行記者団にとり囲まれてしまいました。いろいろと質問に答えているうちに、ご一行が出発してしまい、記者への応答が済んでみると、私と秘書官だけが一行から取り残されてしまったのです。公園の管理事務所に行き、日本国外務大臣で天皇・皇后両陛下の首席随員である旨を説明したのですが、もうご一行は出発され、あとに残っている者がある筈がないということで、なかなか信用して貰えませんでした。三十分位経ってから、やっと身分が明らかになり、応接間みたいなところで丁重に茶菓のもてなしに与っているところで、一廻りしてきたご一行に合流することができました。首席随員行方不明事件です。

 失敗といえば、バッキンガム宮殿に泊まったときです。宿泊する人数が制限され、両陛下、侍従長、女官長、侍従、女官、それに首席随員ということで、あとの随員は市中のホテルということになったのです。夜遅くエリザベス女王主催の晩さん会が終り、翌日早朝オランダへの出発にそなえ、その夜の中に荷物を全部鞄につめて先に出しますというので、私の秘書官がすっかり荷造りをして出してくれたのです。ところが翌朝洋服を着ているとネクタイがないのです。ネクタイがトランクと共にすでに飛行場だったわけです。大慌てをしていると、丁度大使館の人が迎えに来てくれたので、その人のネクタイを借り、やっと出発に間にあったわけです。その騒ぎを侍従の誰かが陛下にご報告したらしく、その後お目にかかる度に「今日はネクタイをつけてるね」とおからかいになられるのです。

 パリではフォンテンブロー宮殿の庭を散歩されました。たまたまその日は日曜日でしたが、宮庭にきれいな池があり、陛下はその池のほとりにお立ちになり、鯉に餌を投げている時でした。普段はたくさん出てくる鯉がちっとも出て来なかったのです。即座に陛下は「そのうちにディマンシュ」と申されました。そのお帰りに食事をされたのですが、その時に出されたエスカルゴの殻を持ち帰るように侍従に命ぜられました。そこで侍従がいくつ位持ち帰りましょうと申し上げたところ「さんこ」と言われたので、三個包んでもらおうとしたら「君違うよ、 五個 [ サンク ] だよ」。

 国内の儀式などでお目にかかる陛下は、非常に厳かな面ばかりでしたが、お伴をしていて、人間天皇様に直々接すると全く別人のようであられました。

 ご訪欧の両陛下は、行く先先で大変な歓迎を受けられましたが、特に天皇外交の偉大さを痛感いたしました。ヨーロッパでも王制の国、そうでない国とありますが、王制である国の王室の陛下に対する親近感は相当なもので、これは目に鮮やかに感じられました。又王制を敷いていない国では「現人神」来るという感じで、日頃垣間見ることがない故でしょうか、どこへまいりましても沢山の人がどこからともなく出迎えてくれ、いつも日の丸の大波に揺られている感じでした。ベルギーなどは現地の新聞が「日本の天皇、二日間ベルギーを占領」と大々的に報じる程の関心を集めたものです。陛下のご訪欧は、日本の存在を大きくPRし、日本への認識を高める大きな役割を果されたのです。

 戦前は、ヨーロッパはアメリカよりも、わが国とは近い関係でしたが、戦後は一変しました。アメリカは近い国、ヨーロッパの国々はむしろはるか彼方の遠い国になってしまいました。アメリカにばかり偏重していてはわが国の正しい在り方とは申せません。これを正すことは大きな外交課題です。陛下のご訪欧は、この大きな外交課題に言い知れぬ影響を残したと思います。

 とにかく大変楽しい旅をされたご様子で、私はその後のご訪米の首席随員も務めさせていただきましたが、毎年九月末頃になると、当時お伴をした者達に両陛下からお召しがあり、二回の海外旅行の記録映画を見せていただいたり、茶菓のおもてなしを受けたりしながら、「福田はあの時行方不明になったね」とか、「ネクタイは大丈夫か」とか、「誰だったかクツ下をはかずに飛行機に乗った人がいたね」とか皆をお笑わせになり、懐かしく思い出されながら楽しんでおられました。

 陛下ご発病以来そういう機会もなくなり、まことに淋しい限りです。只々ご冥福をお祈り申し上げるのみです。

(衆議院議員・東大・法・昭4)