人生二十年の説
森 毅
(京都大学教授)
No.783(平成元年4月号) 

 ぼくの若いころは戦争があって、とても二十歳まで生きられそうになかったが、ここで言っているのはそのことではない。人間はどうも、二十年程度しか現在の自分と結びつけられそうにないのだ。

 考えてみれば、人間の身体を構成する物質は、二十年もすれば入れかわっている。脳の配線も変わっている。思い出は自分で美化した物語にすぎない。それなのに、一貫した魂などを信ずるのは観念論ではないか。

 世の中のほうも、二十年もすればすっかり変わる。数学のように永遠と思われたものでさえ、その感触は変わる。二十年後の未来が予測しがたかったことは、ちょっと歴史をふりかえればわかる。

 大学にずっといておもしろいことは、自分のことは棚にあげて、学生が研究者になっていくさまを観察できることである。才能が早くから開花しながらそのままのもあれば、これは研究者になるにはあまりにドジと思っていると、十年ほどして大輪の花を咲かせたりする。もっとも、十年すればかならず開花すると言えぬのが、つらいところだ。そして、二十年たって花が咲かねば、たいていだめだ。結局、十年も二十年も先を予測できないということ。逆に考えれば、十年はやってみないとわからん、ということだけれど。

 大学の中のことを言うと、ますます自分に都合が悪くなるのだけれど、あえて言ってしまうと、人間はどうやら、一つのことを考えていると、二十年もするといいアイデアは出つくしてしまうような気がする。

 そこでどうするかと言うと、その分野のリーダーとなって、若者が新しい花を咲かすのを支える道がある。もっとも、これは各分野に一人か二人いればよい。もっと安全なのは、四十までに育てた木を鉢に植えて、毎日水をやって小さな花を楽しむ生き方である。

 少し別の分野に移れば、また別の木が育つこともある。しかし、日本の風土では、これはかなり冒険である。それより、四十までの遺産で食うほうが安全だ。うっかり、よその土地へ行くと、そこにはこの道二十年の人たちがいて、しっかりと白い目で見てくれる。これからは、この点も変わっていきそうだが。

 数学の賞に、国内では最近までは彌永賞と呼ばれたものと、国外ではフィールズ賞とがあって、どちらも四十歳までである。これは、四十を過ぎてからいい仕事をしても、あるいは四十までの仕事があとから価値が認められても、もうダメなところがなかなか粋な賞だと思う。ところが、この二つの賞でコンセプトが違うという噂がある。彌永賞では、将来にその分野のリーダーになることが期待されている。ところがフィールズ賞では、四十までにフィールズ賞をとるほどのことをしていながら、四十を過ぎてもまだその分野にしがみついているとバカにされるという噂がある。たしかにフィールズ賞学者は、そのあと少し違った分野に挑戦する人が多い。

 こんなことは、数学あたりだけかと、人文系の同僚に聞くと、じつはやはりアイデアは四十までで、それをまとめるのに暇がかかるだけだと言うのがいた。京大伝統の中国学ぐらいは、年季がものを言うのだろうと思ったら、年季は年季として、やはりアイデアは二十年と言うのがいた。

 どうも、「この道ひとすじ」があやうくなっているらしい。それも、四十から六十までなら、四十までの遺産で暮らしてもいいが、八十まで生きるのでは長すぎる。

 まあ、大学社会なんてどうでもいい。それに自分がそこにいるので、これは自己をさいなんでいるようなところがあって、マゾっぽい。普通の社会はもっと著しい。

 一生を鉄とか、一生を船とかいうのが、あやうくなっているようだ。鉄鋼会社が情報産業を始めたりする世の中である。会社によっては、子会社へ転戦するほうがエリート、というところが生まれている。四十ぐらいで会社をやめて自分のプロダクションを作ったりするのが出はじめているが、途中で会社をやめて独立するような人間のほうが、四十までに会社に貢献する、なんてことを言いだす経営者まで出てくる始末だ。

 ところが、実際には逆の傾向がある。このごろぼくは、「実質が空洞化すると、幻想は肥大化する」というテーゼを愛用しているのだが、未来の予測が不確定になるほど、六十や八十までの「将来計画」を考えたがる若者が増えている。大学教師として言うなら、この若者がすんなり大学を出て、すんなり会社に入って、そしてその会社が彼が四十歳のとき倒産したら、彼はもう生きていけまいな、といった心配をしてしまう。

 それでぼくは、二十歳あたりの若者には、四十より先のことは考えるな、と言うことにしている。四十から六十までの二十年間に抑圧されて、四十までの人生をダメにするなと。

 この点は、男の子に著しい。「せめて男の子は、よい大学を出て、よい会社に入って、ガキやカミサンを支えて」とプレッシャーが強い。その点で女の子は、女性差別のおかげか、「女の子のことやし、ダメでもともと、カシコければラッキー」と、軽やかである。さしあたりの二十代を思いきり輝いて、挫折したらどこかの男の子をひっかけて、三食昼寝つきになる手もあるし、なんてチャッカリしたのもいる。そして結果的には、そうした女の子のほうが、男の子よりいい仕事をしてしまったりする。

 そこで、人生二十年説である。べつに二十年でなくてもいいのだが、当面の二十年ぐらいを一つの人生と考えて、その人生を輝かすことを考えようというのだ。そして、べつに根拠はないのだが、その二十年の人生を輝いて生きた人間は、次の新しい人生の二十年を輝いて生きられるだろうと信じている。こうして生きれば、八十までなら、人生を四度生きられる。それぞれに新しい人生なのだから、昔の人生にこだわらなくてよいし、次の人生に抑圧されなくてもよい。さしあたりぼくなら、第四の人生の始まったあたりで、これからである。もちろん、うまく八十まで生きられたら、次に第五の人生が待っている。

 第一の人生について言うなら、このごろの子どもは輝いていない、などと言われることが多い。子どもらしい輝きなんてヒューマニズム幻想をぼくは信じないが、二十までの人生が二十からの人生に従属していることは確かだ。今までのように、二十から六十ぐらいを「社会人」とするなら、社会人になるための準備として計画されることによって、抑圧されすぎている。それよりは、最初の人生として、二十までを輝かしたほうがいい。戦争中みたいに二十で死ぬ覚悟なんかしなくてもいいが、それは一つの人生として輝くべきだ。そしてそのほうが、よい社会人になれるとぼくは信じている。

 二十から六十までだって、唯一の人生のつながった山と考えるのが、あまり現代にそぐわないことはすでに論じた。第二の人生と第三の人生と、二度生きるぐらいのほうが、かえってうまくいきそうだ。それが、それぞれに輝けばよい。それに、いくつも人生があると思えば、一つぐらいは失敗してもかまわない。

 さてぼく自身の問題だが、これからの第四の人生をいかに生くべきか。第二の人生や第三の人生の遺産で食うのはいやだ。いままでになにをなしたかなんて、どうでもいい。しかしながら、第二や第三の人生の時代のような条件にないことは明らかだ。老人が壮年ぶるのは、身体的にも精神的にも無理に決まっている。

 少年を壮年の論理が抑圧したように、老年もまた壮年の論理に抑圧されがちだ。壮年の論理が老年を侵略して、老人に仕事をとか、社会参加をとか、言われすぎるのは気にいらない。新しい人生を生きるとは、若ぶろうとしたり、壮年をよそおうことではない。

 どうせ、人生をどう生きるかなんて、自分で考えていくよりないものだから、これから第四の人生の生き方については、その人生を生きながら考えていくことにしよう。

(京都大学教授・東大・理・昭25)