非常勤講師体験記
黒井千次(作家) No.776(昭和62年7月)号

 昨春から今年の3月までの1年間、久しぶりに大学というものといささかの関係を結んだ。仕事の上での知人であり、東京のある私立大学の教授をつとめるW氏から、週1回、非常勤の講師として話をしに来ないか、と誘われたためである。
  学部、学年に関係なく、興味を抱く学生なら誰でも聴講出来るオープンな雰囲気の講座である故、気軽に出かけて来て好きな話をしてくれればよい、という。
  好きな話といわれても、こちらには小説をめぐる問題くらいしかしゃべれることはない。それでも、これも勉強かと考えて、講師を引き受けることにした。講義のタイトルが必要だと求められたので、どんな内容でも差し支えのないよう、「現代小説論」と漠然たる名前をつけた。

 たまに学園祭の折などに講演を頼まれて門をくぐる機会はこれまでも幾度かあったけれど、規則的に大学に足を運んだことなど、卒業以来絶えてない。まして、私立大学についてはほとんど知識がない。
  今更驚くのも愚かなのだろうが、まず女子学生の多さにはびっくりした。そして男の学生に比して、彼女達が一様に小柄に見えてならなかった。
  教室にはいって目新しかったのは、教壇に椅子が置いてある光景だった。こちらは三十数年前の大学しか知らないが、あの頃、教壇に椅子があった記憶はない。折角用意されているのだから、と試しに坐って話してみたものの、なんとも身体に力がはいらず、調子が出ないので一度で止めてしまった。
  大学の人に聞いたところでは、古い先生は立って講義をするが、若い先生には坐って話す人もいる様子である。
  駒場の学生時代、原書購読のS教授は、少人数のせいもあるが、よく教壇を降りて教室の中ほどの席に腰をおろし、横を向いて学生達に講義をされた。これは先生のお人柄にもよるが、とりわけ親しみのある落ち着いた空気を生み出していた。しかし教壇の上で椅子にかけるのでは、そのような感じを醸し出すのはむずかしいだろう。

 もう一つ珍しかったことに、教師の鞄がある。自分が大学にはいって最初の頃、どの先生も教室に重たげな革鞄を提げて現れるのが不思議でならなかった。中には、書類鞄というより、ボストンバッグと呼びたいほど大型のものさえあった。実際の講義には、そこから1、2冊の本かノートしか取り出さないのだから、教室で使うものを運ぶというより、大切な書類や資料を肌身離さず持っていたいのだろう、と想像したものだった。いずれにしても、先生の持つ重そうな鞄は、学問というものの象徴であるかのように感じられた(あれは国立大学特有の風習だったのか)。
  ともかく、今回通った大学で見た限りでは、かつての如く重そうな鞄を提げて教室に出向く人の姿はほとんどなかった。多くの教師は教科書かノートを剥き出しで持ち、時には2、3本の白墨をつまんで講義にのぞむ。つまり、高校の場合とあまり違わないのである。
  一人の若い助教授は必ず鞄を持って出かけていたが、これがショルダーバッグだった。チャックのついた上質のショルダーには違いないが、材質が革ではなくて合成繊維風のものであったため、どことなくスポーティーな印象を受け、不思議に新鮮な思いを味わった。われわれの日常生活の細部が三十数年前とは大きく異なっているのだから、大学の風景が変っているのも当然なのだ、とあらためて教えられる思いだった。

 100人をこえる学生がいたために、マイクを使うように、と告げられた。あまり気はすすまなかったが、後ろの方まで声が届かぬと困るので使用することにした。
  黒板に字を書いたり、あちこちに動き廻ったりするのだからハンドマイクでも掴んで話すのかと想像していたのだが、どうも当方はかなり時代遅れであるらしい。黒板の下に設けられた小さなボックスの鍵穴にキイを差し込んでスイッチを入れ、10本入りの煙草の箱より小型の黒い箱をポケットに収め、ネクタイピン程度のワイヤレスマイクを服の襟にとめれば、それで声はスピーカーから流れる仕掛けになっている。便利になったものだ、と感心しながら講義を続けたが、やはり最後までマイクを好きにはなれなかった。

 ところで肝心の学生の方は、となると、またこれが奇妙に出席するのである。本当に興味を持っている少数の学生だけに小説のことを語ればよい、と考えて、第一日に講義の進め方に関して3つの点を強調した。

一、 出席はとらない。
二、 試験はしない。
三、 レポートを提出してもらうが、課題は教室での話とは関係ない。

この3条件をよく考えれば、教室に出ずとも単位は取れる、との結論に達する筈だ。そうすれば、こちらの話を熱心に聴こうとする者だけが集まるだろう、と想像したのだ。
  ところが、受講届を出した学生は多く(そのことは覚悟していたが)、しかも出席者の数が容易に減らないのである。
  しかも困ったことに、出席する者が真面目にこちらの話に耳を傾けるのか、というと決してそうではない。私語する学生、途中で教室を出入する者、ぼんやりあらぬ方を眺めている顔、と様々であり、講義に集中しているとは到底思えぬ人間の数がかなりある。そこが一番不可解だった。
  つまらなければ出て来なければいいのに(単位はとれるのだから)、と思うのに、なぜか教室に出現する。これではただ出席するだけのための出席であり、しかも講師は出欠を調べないのだから、いわば無償の行為だとしかいいようがない。
  ある時、学内誌の編集部員である学生と会う機会があったので、こういう条件を明示して講義をしているのに、さして熱心ではない人達がどうして教室に来るのだろう、と訊ねてみた。
  小さい時から塾通いなどをしつけているために、授業に出ていないとなんとなく不安なのでしょうかね、というのが首を傾げながらの彼の答えだった。それが習性になっているのだとしたら仕方ないが、不安の内容が、もし良い成績をとれなかったら、という心配であるとすれば、どこか寂しいような気もする。
  一般に、成績に関しては敏感であり、自分自身をも対象に含む疑心暗鬼めいた状態が作り出されているのかもしれない。良い点をとらないと希望する進学が実現しない、との焦りは、おそらく子供の頃から彼等、彼女等の心の内に育まれている。それが大学にまで続き、「優」や「A」の数が就職の条件に見えていたとしても不思議はない。

 こんなこともあった。

 教室でこちらから質問しても、学生はなかなか答えない。後ろの壁を背にして坐っているあたりに向けて、話している声は聞こえるか、と訊ねてさえ、一度ではかばかしい反応はない。
  机の間に降りていって一人ずつ名指しで質問するとそれなりの答えは出て来るのに、手を挙げて積極的に意見を述べる姿勢に欠けている。
  あまり反応が乏しいので、アンケートをとってみることにした。その時、学部、学年と性別は明記してもらいたいが、名前は書く必要がない、とつけ加えた。数が多いため、名前を書かれたとしても意味はない、と考えたからだった。
  アンケートの内容は変化に富み、活発な意見がみられて面白かった。あの語ろうとしない学生達がこんなことを感じ、こんなふうに考えているのか、と興味をもって一通一通読んだ。
  ところが、後になって学生の側から個人的に教えられたことがある。アンケートに名前を書かせないのは大切なポイントなのだそうである。なぜなら、出席をとらないといいながら、記名のアンケートを集めてそれを出欠の資料とする先生がいるからだ、という。
  そんなこともあるのか、感心はしたものの、どちらの側ももっと大らかにやれないものか、との思いも禁じ得なかった。もしアンケートについてもその種の警戒心を学生が抱いているとしたら、ぼくの教室に出ていた学生達は、折角出席しているのに記名のアンケートではないことを残念がったかもしれない。事実(といっていいかどうかはわからないが)、名前は不必要と念を押したにもかかわらず、記名の回答が幾つか見られた。

 期末になって、レポートの採点をするのがなんとも苦痛だった。受講届を出した数は400名近かったが、日頃教室に出ている学生はその半数以下であったし、終りの頃には更に減って来たので、せいぜい200名前後のレポートを読めばいいかと考えていたところ、最終的には400篇近くのレポートが集まってしまった。
  考えてみればそれも当然だ。出欠なし、試験なし、レポートは講義と直接関係なし、と明言して始めた以上、レポートのみ提出して単位をとろうとする学生が多数いたとしてもおかしくはない。むしろ、教室には出てもこちらの話を聴こうとしない学生より、レポートのみ提出する学生の方がより健全であるともいえる。
  ただ困ったのは、レポートは縦書き400字詰の原稿用紙を使用すること、という条件を無視するものがあまりに多いことだった。しかしこれも止むを得ない。なぜなら、提出条件を強調したのは出席している学生達に対してであり、姿の見えないレポート提出派にまでその注意は届かないからだ。一応の掲示は出してもらったものの、レポートの形式までは徹底しない模様だった。
  ぼやきながらもようやく400篇近いレポートを読み終え、なんとか採点した結果を教務課に届けた。
  これで一年間のお勤めをようやく果たした、とほっとしていると、4月にはいって大学から手紙が来た。レポートを提出したのに採点されていないという学生からの申し出が2件あるので調べてもらいたい、との問合わせである。
  そのうち1件は記憶にあった。提出期限をはるかに遅れて自宅に速達で郵送されたが、既に採点後であったので受付けないことにした。
  問題は後の1件である。袋にいれてとってあったレポートをとり出し、全部ひっくりかえしてみた。すると驚いたことに、その中から当のレポートが出て来たのである。読んだ証拠に、原稿用紙の肩に自分で採点を書き込んでいる。それを所定の成績カードに転記する段階で落してしまったらしい。明らかにミスである。
  その旨を認め、陳謝して成績を連絡した。学期が終って成績がついてしまった後のこのようなケースの処置はどうなるのだろう、と心配だった。しかし以降大学からの便りはないので、なんらかの方法で訂正が行なわれるのであろう。
  学ぶところ多い非常勤講師の1年間ではあったが、慣れぬことはするものではない、と最後に深く自戒した。          

(作家・東大・経・昭30)