夢分析
河合隼雄(京都大学教授) No.774 (昭和62年1月)号

 夢の分析を専門にしている、と言っても、最近ではあまり不思議そうな顔をされなくなったが、筆者が1965年にスイスのユング研究所から帰国してきた頃は、夢分析などということは、うっかりアカデミックな集まりでは言えないような雰囲気があった。それはあまりに非科学的である、すなわち、学問的でない、という感じであった。従って、筆者も夢分析のことを日本に導入するのには、極めて慎重にしてきた。しかし、現在では心理療法を行う人たちの間では、夢分析が有効であることは相当に受けいれられている、と言うことができる。学会誌に夢分析に関する研究なども発表されるようになった。

 筆者自身も1959年に渡米して、そこでユング派の精神分析を学ぶことになり、夢分析をすると知り大いに驚いたものである。当時は、夢判断などは迷信の類であると思っていたからである。ところが実際に自分が受けてみると、それは「蛇の夢を見ると金を拾う」類のことを、分析家が告げてくれるなどというのとはまったく異なっていることがわかった。はじめはどうしても「分析家」が分析してくれると期待するのだが、夢についていろいろと考えるのは、自分自身で行わねばならないのである。どこかの道を歩いていてお金を拾う夢を見たとすると、その道はどんな道か、そこから何を連想するかを聞かれる。お金について、お金を拾うということについて連想を聞かれる。それらについていろいろと連想を重ねていると、それらの結合によって、新しい考えや思いつきが浮んできて、自分にとって、なるほどと腑に落ちることが生じてくるのである。これは簡単そうに見えて、なかなかエネルギーのいる仕事であり、分析家はそのような仕事をやり抜く間、そこにつきそっていてくれる、と言っていいだろう。
「××を見れば○○」式の一対一対応型の夢判断などということはないのである。あくまでその個人が自分自身の経験に照らしつつ探索をすすめるのである。分析家と二人でさんざん考えた末、何も意味あることを考えつかぬこともあるし、数ヶ月も経過してから以前の夢の意味が思いあたるようなこともある。一般的に言って、なかなか簡単には意味がわからぬものである。

 ノイローゼになっている人、あるいは、人生の悩みのなかで動きのとれなくなっている人などがわれわれのところに来談される。しかし、それは一般の常識的な考えによっては解決しない。そんなことであれば、わざわざわれわれのところまで来談されることもない。そこで、われわれはその解決を図るためには、その人が通常意識的に考えているのとは異なる次元において問題を追及することが必要となってくる。そんなときに、夢は思いがけない解決の緒を与えてくれることになるのだ。夢は通常の意識のコントロールの弱まったところにおいて生じる。通常の意識はその結合性を守るために、その結合性を破るような要素は抑圧して意識的に排除している。しかし、眠ったときは意識の制御力が弱まるので、夢の形をとって、通常は排除されている心の内容が意識にのぼってくる。つまり、夢の内容はその人にとって何らかの意味で盲点となっていることと関係しており、夢分析とは自分の盲点を知り、それと取り組んでゆくことを意味している。

 夢は意識によって排除されている心的内容のみならず、むしろ創造の源泉とも言うべき内容も含んでいることを、ユングは強調している。確かに古今の例を調べてみると、夢によって芸術や科学などの手がかりを得たことが多く述べられている。しかし、ここで大切なことは、そのような手がかりを現実に実現可能なものにしてゆく、意識の機能について忘れてはならぬことである。夢が創造の源泉である、ということは、夢を見さえすればよいとか、夢の内容そのものがそのままで価値をもつことを必ずしも意味しているのではない。夢によって得た内容を意識的に検討することが必要である。このような検討を怠ると、夢信者のようになって、夢に見たことはすべて現実に起こるのではないかと考えてみるような誤りを犯すことになる。
さりとて、意識の方に偏りすぎると、夢は単に荒唐無稽のことになってしまって意味をもたなくなる。その両者の中間のところに夢分析の道が存在している。

 ところで、夢はもともと世界の各地において意味あるものとして尊ばれてきたものであったが、西洋近代の啓蒙主義によって急激に価値の低落をきたしたものである。わが国においても古来から夢は大いに尊重されてきており、中世の今昔物語などの物語をみると、多くの夢に関する物語を見出すことができるのである。それらを丹念に見てゆくと、現代における夢分析の本質に通じるようなものもあって極めて興味深い。一見馬鹿げた話のように見えながら、現代人の意識の在り方について根本的反省をうながすように思えるものさえある。そこで、今夏、スイスのアスコナにおいて開かれたエラノス会議において、宇治拾遺物語のなかの夢に関する物語を素材として話をしたら、なかなかよく受けいれられたようであった。エラノス会議は宗教学、深層心理学、哲学などの学際的な集いで長い伝統をもつ会議であるが、そこで、日本の夢物語が評価されたのだから、なかなか愉快なことであった。
それは日本の中世における変わった話を聞くという態度ではなく、西欧の現代人の意識の在り方をまったく異なる視点から考え直してみる機会を与えられた、という態度によって受けとめられたのである。

 日本中世における夢という場合、忘れてならぬのは明恵(1173年─1232年)の『夢記』の存在である。鎌倉時代の名僧、明恵はその生涯にわたって夢の日記をつけている。時代とともにそれらは散逸し、現代はその半分ほどが残っている。このように生涯にわたる夢日記を後世に残したのは、世界でも珍しい例ではないかと思われる。それに、夢そのものの内容が興味深く、明恵は時に自分の夢に対する解釈を記しているが、それは今日の夢分析の立場から見てもまことに素晴らしいものなのである。

 明恵の夢のごく一部も、今夏のエラノス会議において発表したが、これに対しても強い関心が示された。夢分析に関する大家の人たちも参加していたが、おそらくこの年代において、これほどの『夢記』が書かれているのは世界にも例がないのでないか、ということであった。明恵は彼の宗教的体験の基礎に夢をおいており、われわれ分析家が今日において見ても、それは妥当性が高く感嘆させられるものである。

 明恵と同時代に生きた親鸞も、その宗教的洞察の基礎に夢の体験をもったことは、よく知られている事実である。このような点に触発されて、わが国の僧の伝記を読むと、思いの他に、夢が大きい役割を果たしていることを知り驚いてしまった。明恵の夢については、長年かかって一冊の本を書き、やっと脱稿したばかりであるが、わが国の名僧たちと夢について、今後とも研究を続けたいと思っている。そのことは、わが国の仏教の本質について、異なる観点から発言することになろうと思われる。僧たちのなかには、夢を現実のことと取り違えて、少しも当たらないなどと嘆いているような素朴なのもあり、夢の受けとり方にもさまざまの態度があったことを知ることができる。

 このようにわが国の昔の夢について研究することは、単に昔のことを知るのみでなく、現代人の生き方についても反省をもたらすものとして、大いに研究を続けてゆきたいと思っている。

(京都大学教授・京大・教育博・理・昭27)