岸田劉生の模倣の説について
高橋 英夫
(文芸評論家)

No.744(昭和54年6月)号

芸術にとって、再現ないし模倣という契機は不可欠のものであるが、それが不可欠である所以をうまく説明するのは、非常に難しい。アリストテレス以来、ミメーシス(模倣)はさまざまに論じられ、美学史の中にいつも咀嚼し切れないで残る問題になってきたように見える。プラトンのように、模倣によって成立する芸術の価値を低くみる立場もあれば、反対に模倣こそ人間的行為であり、人間に普遍性を与える契機にほかならないとする立場もある。アリストテレス以後の美学史はおおよその所、模倣を原理として承認することによって展開してきたと言える。しかし何を模倣と見るかは必ずしも一定しないし、模倣と再現の間にも、微妙な差がはさまっている。また、古典や原型的作品が先行していて、それを模倣する場合と、自然や人間の諸現象を写しとって模倣する場合とでは、美学上の意味が同じではないだろうし、それを別にしても、一般に模倣が価値であるとされるのは、対象の単に忠実な写実的再現についてではなく、対象の内面化あるいは様式化という操作を経由した場合がほとんどであるという点にも考慮を払わなければならないだろう。所詮、模倣とは立場の如何によって、どのようにでも拡張したり圧縮したりできる概念なのだ。

私は美学者ではないので、定義づけのための厳格な方法をとることはできないが、模倣や再現に対しては、美学的な価値を超えたものという意味での興味を抱いている。こういう立場からすれば、模倣慨念はむしろ能うかぎり拡張して考えてみた方が面白いわけで、拡張した結果として仮にその概念が成り立たなくなり、粉々になってしまってもかまわないのではないかという気がする。模倣とか再現というものを通じて、人間の表現に別の可能性が賦与され、賦与された挙句人間の自我が揺さぶられたり、変化したりするなら、その方にどうしても私の眼は向きがちだ。ともあれ、模倣の範囲を厳密に限定して考えるでも、人間の行動はすべて模倣であるというふうに途方もなく拡散させて考えるでもいいというなら、それは模倣という概念が美学の枠の納まり切らない外延を持っているという意味になるのではなかろうか。

そういうことを私が思った最近のきっかけは、歿後五十年に当って催された岸田劉生展であった。これは非常に充実した展示で、会場を一巡して重い圧迫感が体の奥に溜まるような気分と、その重苦しさを鼓舞してくれるような力とが相反しながらまざりあうような不思議な印象をうけた。画集で前から知っていた有名な麗子像のほかに、夥しい麗子像が並んでいるのは圧巻だったが、それらの麗子像の前を移動しながら、私の意識はこれらの作品における模倣とか再現というモチーフに集中してゆくのを避けられなかった。劉生の人間への関心が人並みはずれて熱かったというのはその通りだろう。しかし、人間的とか情熱的といった形容詞は、この場合何も語ったことにならないように思われる。その画面から、名づけがたい神秘的牽引力が放たれていると言えば、幾らかは私の気持に近いが、それにしてもその牽引力とは何であるかを明らかにするのでなければなるまい。

劉生の画には傑出した緻密な写実がある。麗子や村娘於松が着ている毛糸の肩かけの質感であるとか、代々木辺の風景を描いたといわれる「切通しの写生」「冬枯れの道路」といった作品での自然の再現といったものは、そういう写実の顕著な例である。それらは細緻克明をきわめた写実だが、写実が高まりゆくにつれて、何か背後にあるものの重い存在感が増大してくるということも誰でも指摘する。その通りにちがいない。もの[・・]や自然、そして人物の写実的再現が画家的執念になっていたという問題が、まず劉生にはある。しかしそれと共に劉生には歴史上の先行する芸術作品の再現、ないし模倣的再現という要素も強かった。この要素は彼の自然やもの[・・]の再現の意志とどう係わっていたのだろうか。

重要文化財の指定をうけている「麗子微笑」という作品はダヴィンチの「モナ・リザ」の影響を受けているという。影響という以上に、あの画の微妙なほほえみの感じや、果物か何かを持っている右手の保ち方などはたしかに「モナ・リザ」を念頭においての制作と思わせる。しかし、この模倣的再現というのか、感応的模倣というのか、先行作品としての「モナ・リザ」を念裡において麗子像を描く仕事は、劉生の中に揺るがしがたくあった筈の芸術家的独創性の意識や矜恃と何ら牴触するものではなかったという事実に驚かされるのだ。大正リベラリズムと白樺的芸術愛好の雰囲気にたっぷりと浸って芸術の道を歩んだ劉生は、その意識面では、芸術というものは卓越した天オの特権であると信じていたにちがいないし、芸術家の独創性を何の留保もなしに承認していただろう。彼は麗子像に限らず、自分の仕事が芸術であることを自負し、またこれから完成されようとしている作品が芸術たりうるよう、大正教養派のやや甘美な語調でその日記に祈念と感謝の言葉を記すのを止めなかったが、それでいて彼の最高レベルの仕事が、仮に先行作品の模倣を含んでいても、それには何の支障も感じなかったように見えるのだ。しかしこの問題はむしろ軸を一回転させて、劉生は偉大な先行作品の存在を前提的に承認していたがゆえに、「麗子微笑」を彼独自の内面的芸術の域まで押し進めることが可能だったのではないかと想像してみたらどうだろう。冬枯れの道の寒々とした草や、卓上に並んだ林檎は現実の中に先行的存在として位置していると信じられたことが彼の写実を生み、その写実に何か奥があるような神秘感をもたらしたが、それと同じ事情が、芸術としての先行作品と劉生自身の作品のあいだにも介在していたように感じられる。そこに介在していたのが彼にとっての模倣および再現であったのではないか。

「野童女」という題の麗子像は専門家に評判がいいらしいが、着ぶくれてグロテスクな笑いを見せているこの麗子像は模倣から出発した作品である。『劉生絵日記』第一巻、大正十一年三月二十三の項に「……先日来心の中に出来上つてゐる例の顔輝の寒山のグロテスクの味からヒントを得たモティフが、昨日長與たちとそれを見て一層熟したので、とうとうそつちをやつてみたくなり、十五号に布がはつてあるのが丁度いゝから思ひ切つてはじめる。顔輝の画の写真版わきにおいて半分摸して構図をとり、麗子を立たせてかく。大分面白く行きさうだ。神の守りの下によき画の出来上ることを祈つてゐる。」という記載があって、これを読むと、麗子を描くという写実の動機は模倣という先行動機を積極的に必要としていたのではないか、という想像がうかんでくるのである。その他、右手に舞扇をかざして立つ麗子像(「童女舞姿」)は、江戸前期寛文年間の作である肉筆の男女舞屏風のうち、女の舞姿の方をほとんどそっくり模倣している。『劉生絵日記』(大正十二年十月二十八日)では、岩佐又兵衛の筆になる女舞図を見ながら麗子にボーズをつけたようにとれるが、先日(五月六日)NHK教育テレビ「日曜美術館」に出演した劉生長男の岸田鶴之助氏が実物を示しながら語っていたのによれば、劉生が模したのは彼の著『初期肉筆浮世絵』にも載っている作者不祥の「寛文舞屏風」の方らしい。どちらであるにせよ、江戸前期、類型的な舞扇をかざした立姿の作品が幾つも残っているのであり、劉生がこの場合も先行作品の模倣的再現を通じて、自らの芸術的独創意識を研磨していったという事情だけは、明らかなのである。

劉生が大正十五年に岩波書店から上梓した『初期肉筆浮世絵』は、後期の劉生の纏まった美術論として重要な著作と思われるが、その中で劉生は模倣の重要性をくりかえし説いている。ただ、彼のいう「画工」らしい表現の大まかさがあり、美学的には今日のレベルのものではないかも知れないが、彼にとって模倣と再現が本質的課題であったことだけは、たしかにそこから読みとれると言えよう。彼はまず「浮世絵」とは浮世を写した画を意味し、「世態人事への写実」を旨とするものであると規定し、それを「自然物象描写」の作品、つまり自然をはじめとする描写対象が純粋に「形」を生んでいるジャンルの作品と対立させる。浮世絵は「形」を通じて「事象」を感じとるものだ、というのである。

例えば、祭礼を描いたとして、いかにも祭礼らしい気分が出ているとか、個々の情景の「形、色、線、布局」から「形象の美」が湧いて出ているというのもそれなりに価値はあるだろうが、それだけではない何かがある、と劉生は言う。

「即ち絵画の芸術的感銘は、第一に純形象的快感にある事は論をまたないがもう一度よく絵画の持つ所謂『感じ』というものを省察してみる時、其処に純形象的快感以外に吾々の心に投影して来る一味の『感じ』のある事に気づく筈である。即ち絵画が単に純粋な装飾美術でない限り、必ず『写』といふ事、物の形を写すといふ一境がある筈である。〔……〕この『写』といふ事の目的又は究極は、迫真又は如実といふ事にある。その淵源は人間の摸倣本能から出発してゐる。美術は主としてこの摸倣の本能と装飾の本能との様々なる渾一によつて出来てゐるものであつて、他にも要素があるが、先づこの二つが美術の二大要素と見てさしつかへないと思はれる。」

論としてはやや単純であり、不整合をも免れていないが、劉生のように正面切って模倣の価値を口にした人物はなかったのではなかろうか。同時に、劉生の仕事を通じて、模倣行為がその幅を拡げていったことも疑えない。彼は模倣と装飾、ないしは迫真性と美感というように、絵画の二つの要素を弁別したが、実作についてみれば、結局彼はその二つの要素の一致点を模索していたと思えてくる。『初期肉筆浮世絵』には、「摸倣本能は前にも述べた通り事物の美醜に関せず、只その真に迫る事に興味を感じ又其処に一つの快美感を持つのであるが、この本能が装飾の本能と合致して写実の道が生れる」という言葉も見出されるが、これなども劉生のそういう一致点への欲求を言外に洩らしているだろう。おそらく麗子像なら、毛糸の肩掛や赤い縮緬の着物の質感の密度に模倣があり、モナ・リザを写した微笑には別の模倣があったのだが、それだけでは彼の「写実」は完成しなかったのだ。麗子がモナ・リザを模倣するのは、劉生にとっては、彼のいうもう一つの「装飾の本能」と重ね合された行為だったのではないか。とにかく、彼が写実というものの成立について、独特な複合的条件を思いえがいていた点は認めなければならない。彼の別の用語でいえば「神秘感」と「卑近味」、ないし「だらりとした感じ」との対比がどうみても統一困難であるのに、その二要素の一体化を強引に信じえた劉生の内面は、やはり模倣を信じえた劉生とは無関係ではなかった。

しかしここに「二人麗子図」という不思議な画がある。これに触れないでは、劉生の模倣論は終らないと思われる。赤毛氈の上に、赤い着物をきた麗子と、黄と赤の絞りのメリンスの着物をきた麗子がいて、右側の黄の麗子が左側の赤の麗子の髪を結っている。赤の麗子は手鏡で、いま自分の髪に髪飾りめいたものがつけられているのを、映してみている。二人の麗子の顔つきは少し違う。現実にはありえない情景だとはいっても、これをわざわざ超現実主義というレッテルで理解しようとする必要はない。現代はこういう画面をさして違和感なしに理解できるようになっている。飾っている麗子と飾られている麗子がいる。あるいは、見ている麗子と見られている麗子がいる。そして、見られている麗子は手にした鏡を通じて、やはり見ているのである。二人の麗子は明らかに何らかの関係を表わしている。裏返していえば、この画では麗子は関係の承認なしでは存在しえなくなっている。麗子への劉生の愛は二倍に増幅されているが、この増幅は見ること見られることの、飾ることと飾られることの相互性の発見なしでは実現しなかったにちがいない。相互性とは、言い換えれば、あの劉生的な模倣に通じている。見る麗子が見られる麗子を模倣しているのか、それとも見られる麗子が見る麗子を模倣しているのか、この疑問は容易に解けそうにない。その両方の過程が同時に実現しつつあるのだというしかないのかもしれない。しかし劉生のような思いこみの激しい人物と、その優秀な視力が、濃密ではあるがどこか出口のない、息苦しいような「写実」の中に潜入していったとき、彼の視カの本能的な欲求として、もの[・・]もの[・・]を模倣し、麗子が麗子を模倣するという形を生んだことは理解できる成行である。私は「二人麗子図」に、この「画工」の無類の本能と、大きな不幸とを同時に感ずる。この模倣はどうも美学的には解けないものを核に秘めている。こういう世界から、その先どういう模倣と再現の道が新しく開けてゆくのだろうか。それは言い難い。しかしだからといって、劉生の模倣にかけた情熱が無意味だったと言い切る根拠は、少なくとも私にはない。

(文芸評論家・東大・文・昭28)