「時刻表」とのつきあい
宮脇俊三(元中央公論社常務) No743号(昭和54年4月号)

 紳士録などを見ると、各人物の項の末尾に「趣味」とあって、読書、ゴルフ、といったことが記されている。収載されている人物の多彩さにくらべると趣味のほうは意外に変化に乏しく、大別すれば10種類ぐらいしかないようである。

 縁談の身上書や入社試験の履歴書を見ても、読書、スポーツ、旅行、音楽等に集中しており、女性の場合はこのほかに手芸、生花、茶などが加わるが、これまた多彩ではなく、小じんまりとまとまっている。

 かく言う私も、趣味は何かと間われれば、「旅行」と答えることにしている。あまり正確ではないのだが、うそではないし、なにより無難なのがいい。そんなもののどこがおもしろいのかと追及されるおそれがない。「結構なご趣味ですな」で済んでしまう。

 多種多様な人間がいるにかかわらず、趣味となると変哲がなくなるかに見える裏には、あたりさわりのないようにしておこうとの心理がはたらくからではないかと思う。だから、暇さえあれば麻雀ばかりやっている人でも、趣味は読書であったりする。趣味にも市民権のあるのとないのとがあるようだ。

 私の場合にしても、「旅行」だからまず穏便である。しかし、大項目主義をとっているものはすべてそうであろうが、そのなかをいくつかに分けてみると、別の事項として扱ったほうがいいと思われるものが多い。

 だから、「旅行」と答えただけでは済まず、いかなる種類の旅行であるか、と種分けされると、私などもういけない。
「やっぱり外国へいらっしゃることが多いんでしょう」
「いいえ、日本国内ばかりです」
「なるほど。日本をよく見るというのはいいことですな」
「そういうつもりもありませんが、ある程度は見えますね。 ちょいちょいでかけますから」
「うらやましいですな。ほとんど毎月ですか」
「もうちょっと多いです」
「それじゃあ、日本じゅうの名所や温泉など、もうみんなご存知でしょう」
「いいえ、ほとんど知りません。なにしろ汽車に乗ってるだけですから」
「そうはいっても、終点に着けばその付近の温泉に泊まった りするんでしょう」
「いいえ、すぐ引き返します」
「……」

 モンタージュすると、だいたいこのような会話になるが、このあたりで相手の私を見る目つきが変ってくる。人間を見る眼でなくなってくる。

 

 鉄道ファンの人口はかなり多い。特に蒸気機関車の消滅直前から急激に増え、現在はブルートレインその他に人気が移って漸増をつづけているらしい。鉄道自体は経営に苦しんでいても、鉄道趣味雑誌の発行部数は増加しているのである。

 もっとも、それらの読者の大半は中学や高校の男の子で、私のように50を過ぎたのは皆無にひとしいらしい。

 鉄道趣味にも分類があって、車両、模型、時刻表の3つとされるが、そのうち断然多いのが車両ファンだという。私のは時刻表で、小学校1年のときからなじんでおり、どうしたわけかおとなになっても興味は衰えず、今日に至っている。毎月の新刊、これほど変りばえのしない月刊誌は他にあるまいと思われるが、その発売日の夜は2、3時間は読む。ふだんの日も平均3O分は読む。何年かに1度おこなわれる「白紙改正」つまり全面改正のときなど連日何時間も読む。

 こうなると、私の趣味は「旅行」なのか「読書」なのか判然としなくなってくる。

 あんなもののどこがそんなに面白いのか、と誰にも訊ねられる。そこには「いい齢をして……」という響きがあるから、こちらは腹がふくれる。だから、
「時刻表は、そこらの本とちがって何事も主張してないでしょう、私はこう思うとか、かくあるべきだとか。それでいて1日2万8千本もの列車を走らせているのですよ。不言実行、桃李言わざれども下自ら蹊を成す。面白くないはずはないでしょう」
と居直る。腹のふくれ具合によっては、
「しかし数字に弱いと、あの面白さはわからないでしょうけれど」
などと付け加えて相手を傷つける。

 親切丁寧に説明しかけるときもある。まず時刻表を開いて、普通急行が鈍行列車をどの駅で抜くかを指し示す。これは非常にやさしい。鈍行は各駅の発車時刻が載っているから、駅間の所要時間が他の鈍行列車にくらべて長すぎるところを探せばよい。長すぎる時間が急行に抜かれるための待避時間である。つぎに、その急行が特急に抜かれる駅を探す。これはちょっとむずかしい。抜くほうも抜かれるほうも通過印ばかりだからである。しかし走りながら抜かれるわけではないので、急行の運転停車駅を探す。「運転停車」とは運転上の都合によって停車することで、客扱いをしないから時刻表では「通過」となっている。これを前後の時刻と距離とを材料に引き算と割り算を暗算でやりながら探す。

 つぎに、普通乗車券のみでグリーン車に正当に乗れる列車があるので、その見つけ方など説明する。そのほかにもいろいろとやる。

 入門講座が終ると、もう相手はうんざりしているけれど、かまわず過去の時刻表を持ちだしてきて現在のと対比する。交通公社から時刻表の復刻版が戦前編6冊、戦後編4冊出ているので重宝である。

 言うまでもないことだが、列車ダイヤは旅客や貨物の流れに応じて設定される。市販の時刻表には貨物列車はほとんど掲載されていないが、旅客の動きに関しては新旧を対比すればその変遷が歴然とする。紀伊勝浦温泉の発展と参宮線の退潮、大都市のシュプロール現象と遠距離通勤電車の増発、高校の増加による通学列車の新設等々はすぐわかるし、石炭産業の衰頽など眼をおおうものがある。また、電化や複線化による運転上の変化も如実にあらわれている。

 私などずいぶん長年月にわたって時刻表とつき合ってきているが、まだまだほんの一部しか読み取れないほど時刻表に秘められた内容は深い。その私でさえ1冊の本ぐらいは書けそうである。

 私の話相手はとっくに退屈しているし、興味は私の説明内容を離れて、そういう何の役にも立たないことを一生懸命に説明し1人相撲をとっている私のほうに移っているようなので、適当なところで切り上げ、
「どうですか、時刻表って案外面白いものでしょう」
ときいてみる。
「どんなことでも、熱中できるものがあるというのはいいこ とですな。うらやましいですよ」
などと相手は言う。

  たしかにそうかもしれぬとも思う。私など昼間気に障ることがあっても、家に帰って時刻表を開いていればあっさり気が霽れてしまうし、気にかかることがあっても眠れないことなどない。ノイローゼの経験などまったくなく過ごしてきたのは、生来の神経の問題ではあろうが時刻表の効験によるところが多いと思っている。

 

 ところで、時刻表に読み耽るのは異常なことであっても、愛読していれば実際に列車に乗ってみたくなる。これは正常なことであろう。だから私は時刻表を携えては汽車に乗りに行き、すれちがう列車がダイヤ通りに走っているかどうかを実地見聞して楽しんでいた。北海道から九州まで、そういう妙な旅行を暇をつくりだしてはやっていた。

 15年ほど前、いったい自分は国鉄にどれくらい乗ったのかと思い、計算してみた。1万キロをすこし越えていた。それは当時の国鉄全線のほぼ半分であった。ずいぶんあちこち乗りまくったつもりなのにまだ半分にしかならないのかと私は思ったので、それからは未乗線区に乗ろうと心掛けるようになった。もちろん全線くまなく乗るというような、そんな馬鹿げたことは考えなかった。

 ところが、一応の目標としていた1万5千キロに達すると、もっと乗りたくなった。1万8千キロまで来ると、先きが見えたような気持になり、いっそ全線に乗ってしまおうと思うようになった。

 残りはわずか2700キロぐらいではあったが、じつはそこからが厄介であった。乗り残した線区のほとんどは短い盲腸線で、それが12O個所も全国に散らばっているのである。しかも1日の運転本数の非常にすくない線区が多い。清水港線などは1日1往復しかなく、1日2往復が3線区、通勤通学者しか乗らないので昼間運転のまったくない線区も多い。会津に「日中(にっちゅう)線」というのがあるが、これなども朝1往復、夕方2往復で、線名に反して日中は1本も走らない。

 こういう線区に乗ろうとすると、距離は問題の外となり、もっぱら接続時間の効率をいかによくするかに関心が移る。時刻表と格闘した結果、1日3線区を消化する案などできると、これはもう上出来で、ひとりで莞爾とする。そして、満足できる案が4つ5つ溜まると、みどりの窓口へ行き、寝台券の入手できた方角へでかけたりした。1回の日程は金曜日の夜から月曜日の朝まで、というのがほとんどであった。5日ぐらいまとまると一気にはかどるのだが、勤め人なのでそれはできなかった。

 したがって能率はわるく、最後の2700キロのために日帰りを含めて約40回でかけ、3年余を要した。

 一昨年の5月、足尾線に乗り残していた足尾ー間藤(まとう)間1.3キロを最後に、すべて終った。私は虚無感におそわれ、それを紛らすために本を書いた。

 本が出ると、新聞社の人やテープレコーダーを持った人が、つぎつぎに訪ねてきた。テレビ局へつれて行かれたりもした。みんな、このせちがらい世の中に何の得にもならぬことを営々とやったのは珍重すべきことである、と言ってくれたが、要するにいい齢をして児戯に類したことをやった男、として私に関心を持ったようであった。ある女性記者は「どんな人か見たくて」と言った。「お会いしたくて」とは言わなかった。私は著者ではなく珍なる動物であった。


 しかし、人口1億人以上の国となると変な人もかなりいるようで、私についての記事が刺戟になったのか、自分も国鉄全線に乗ったと名乗り出る人が続々と現われ、集計すると31人に及んだ。

 奇特な人がいて「国鉄全線完乗者名簿」を作成し、私に送ってくれた。31人の年齢を見ると、危倶したとおり51歳の私が最年長であった。「学士会報」743号への寄稿の栄誉を担う者として、おそらく最年少と思われる私なのであるが。

 (元中央公論社常務・東大・文・昭26)