訪中印象三則  
吉川 幸次郎 No.728(昭和50年7月)号

  一、道徳国家

 久しぶりに中国を訪れての何よりの印象は、大へんお行儀のよろしい国だということである。おそらく世界第一の道徳国家であろう。

  北京飯店をはじめ、西安の人民大厦、桂林の榕湖飯店、上海の錦江飯店、いずれも西洋式の設備のととのったホテルであるが、部屋の鍵は、むしろ形式としてあり、おろす必要はなかった。盗難と暴力のおそれがないからである。いずれも専ら外国の賓客のためのホテルではある。また私どもは日本政府派遣の使節団であった。しかし事がらは他の空間でもほぼ同じであるらしく、別の訪中団の一員である知人と、上海のホテルで偶然に出あったときの話に、百貨店に案内されたとき、通訳の中国の人から、ここには思想のおくれた人がいるかも知れないから、ショウルダー・バックのふたをしめるようにと、注意されたという。そのように犯罪が絶無なわけではもとよりあるまいが、国交正常化以前、香港との国境から送り出されるとき、ここからさきは泥棒がいますから、お気をおつけ下さいといわれたというのは、また別の人の話である。そもそもむこうの新聞には、三面記事の頁がない。われわれが日本でも読み得る「人民日報」「光明日報」、いずれもそれがないのはもとより、「北京日報」その他の地方紙は、むこうでも外国人では入手不可能だが、それにもなさそうである。

  不注意な遺留品が必ず届けられると聞いていたのも、その通りであり、私が上海のホテルで忘れた靴下一足は、ちゃんと洗濯して、北京のホテルに届けられた。ニューヨークのホテルの部屋の壁に、支配人からの達しとして、旅客よ、必ず錠を二重に掛けよとあったのを、思いおこさざるを得ない。

  各地でお招きをうけた盛宴は、八時には終る。それ以後の時間に訪れるべき場所は、外国人にとっても、中国人にとっても、ない。料理屋も、劇場も、私は単独にそれらをおとずれる機会をもたなかったけれども、その時間には閉鎖されるよしである。

  この清潔さは、昔の中国にいたいわゆる支那通諸氏には、驚異であるらしい。私にはさしたる驚異でない。大多数の中国の人人が、誠実に勤勉であるのは、昔からのことである。少なくとも、四十何年前、北京に留学して接触した人人はそうであり、 老百姓 [ ラオバイシン ] はことにそうであった。そうして今は老百姓、すなわち今の言葉でいえば人民が、国のあるじであることが宣言されているのである。蝿がいなくなったと感心するにはあたらない。半世紀前の北京の下宿でも、蝿を見ることは稀であった。また教授たちとその家族たちにとり、日沒が休息の時間の開始であることを、私はかつて雑文に書いた。筑摩版私の全集十七巻「支那の夜」。旧支那通諸氏は、当時の中国の不潔な面ばかりと接触するのに熱心であったのであり、そのゆえの驚異ではないか。

  そうはいうものの、国内にいろいろ問題をかかえる日本の老人としては、はねあがりの息子むすめをもつ家庭の家長が、しつけのよい家庭にうかがって、よくまあこれだけ立派にお育てになりましたねと、感心する気持ちも、ないではなかった。そうしてお行儀がよすぎると感ずる点もあった。

  北京、上海、町の人通りの多さは、地大物博の国であることを示してあまりあり、朝夕のラッシュ・アワーは自転車の洪水である。しかし騒音はない。北京の空に満ちた鳩笛、ブーンブーンと大きな鋏を鳴らして町町をめぐる散髪屋、カンカンと何かを叩いて歩く故紙回収、まだその季節でないがチャランチャランと町角の 酸梅湯 [ ソアスメイタン ] 売り、今やみな沈黙している。日本の労働人民が浪花節をうなる以上の比率で、随所で聞かれた 四郎探母 [ スランタヌム ] 空城計 [ コンチエンヂ ] 、それも沈黙している。それに代る現代京劇が、まだそこまで一般化していないせいか。

  不潔から清潔への転移、それは歴史の必然であり、われわれの歴史も、その線に沿っているとすれば、むやみにひけ目を感ずることはない。公務員が公務を弁ずるについての手数料、簡単にいえば賄賂を、人民からもらうのは、清朝時代の中国、徳川時代の日本、人人が是認する風習であった。日本でそれが是認されなくなったのは、明治維新のせいである。私は二十年近く、大学の公務員であったけれども、人さまから金をもらったこともなければ、総長にも文部大臣にも、物をとどける必要はなかった。清朝や徳川時代にあっては、非常識な行為であったろう。近ごろの日本のホテルは、中国のホテルと同じく、ティップをとらない。最近の日本でときどきクリーンがさけばれるのも、清潔への方向が歴史の必然だからである。ただし方向が時に過度の結果をもたらすことは、百年前の明治維新がそうであった。中国のみを怪しむにはあたらない。

  二、文化大革命

  プロレタリア文化大革命ということ、迂闊な私は、日本にいて「人民日報」を読み「紅旗」を読むだけでは、よくわからなかったのが、むこうへ行って、はじめてだいぶわかったと感ずる。特権階級としての知識人の存在を否定し、その再発生を防ぐのがその趣旨であると見うける。

  知識人のみが、人類の選手として、政治と文化と倫理の担当者であるというのが、過去二千年以上にわたって、この国の社会体制であったこと、それについての私の見解は、筑摩版全集一巻「中国文学とその社会」、また二巻「二つの中国―中国の都市と農村」同「士人の生活と心理」などを見られたいが、この体制の絶滅を、この革命は目ざそう。

  北京にむかう日航機が、さいしょに寄港した上海空港をはじめ、各地の空港で歓迎の列の鄭重なお出迎えをうけたうち、列の先頭にいられるのは、その土地土地の革命委員会の首脳の方方であった。革命委員会とは、すなわちもとの省政府、市政府であり、行政は永久革命の不断の実践であるとしての改称であることも、迂闊な私はこのたびはじめて知ったのであるが、それら地方革命委員会の首脳として私と握手された方方は、あるいは八路軍新四軍歴戦の勇士であり、あるいは農民労働者の出身であり、あるいはこのあいだまで学生であった人人と見うけ、かねてからの官僚のようでなかった。

  また北京大学その他の大学の事情は、くわしく聞きただしたわけでなく、想像をまじえるが、大学を運営するのも、それぞれの大学の革命委員会である。党の代表、労働者の代表、農民の代表、人民解放軍の代表、それと教職員の代表、学生の代表、それらによって組織された委員会が、日本の大学の本部あるいは評議会に相当すると見えた。また北京図書館の館長は、新四軍歴戦の方であり、副館長が図書館学の専門家であった。

  教育の制度も詳しく聞いたわけでないが、小学五年、中学五年のあとは、二年間、工場か農村か軍隊に服務し、それらの推薦によって大学に進学する。大学入学後も、一年のある期間は、工場か農村で労働する。すべては労働者としての体験と意識をもたない知識人の発生を防ぐためである。

  過去の体制のごとく、知識ないしは文明が国民の一部にのみ偏在するのを、もはやすまないとする思想が、そこにある。文学創作の面においても、職業的作家は後退し、労農兵の作品が重視される。北京大学の講義は、まず講義案を工場や農村の人人に示し、その討議を経るとも聞いた。その成果の一つであろう、三世紀の曹操の詩文、八世紀の柳宗元の「封建論」、それら古典の注釈も、工場労働者と専門国文学者との協力によって書かれたのが、出版されている。そこにはまた労働人民の純粋な知恵は、専門家の技術的な知恵にまさるとする思想がある。

  北京大学革命委員会において自然科学系教授の委員である周培源氏は、世界的な物理学者と聞く。西安、桂林、上海と、われわれ一行の地方の旅に、ずっとつきそって下さったが、旅のはじまりとして、北京のホテルから空港までの小一時間、私は氏と同車して、述懐をきいた。革命の初期、われわれは手さぐりであり、すべてをソ聯に学ぼうとした。しかしソ聯の方法は、ふたたび特権階級を発生させることを毛主席の指導によってさとり、手を切った。云云。ソ聯修正主義への嫌悪はそのことを中心とすると、私はさとった。

  以上のような文化大革命による諸現象も、私にはさして驚異でない。中国の歴史がいつかはもつ必然という予想ないし予感が、私にあった。知識ないしは文明を一部の人人が独占するという体制は、その精緻さにおいて世界無比の文明を生むとともに、病弊をも積み重ねた。病弊は、一九四九年の革命後も、復活の気はいがあった。過去の文物のすべてが民族の文化遺産として、中華民国時代よりも尊重され、古典の復刻ないしは注釈の出版が、洪水のごとくであった。「全上古三代漢三国六朝文」「文苑英華」その他、巨大な体積と数十万円の価をもつ木版本しかなかったのが、数万円ないしは数千円の冊子に縮印された。古典文学研究者としての私は、その恩恵に感謝するとともに、いささか首をかしげもした。文化大革命の起爆剤の一つとなったある歴史家の著書「三家村札記」は、人人のめったに読まない本を読む人が、それをひけらかして、われわれ普通の本しか読まない平凡な研究者をからかうように見えた。そのうち何かがおこるという予感が私にあり、予感はあたったようである。むろん私は、同じことを同じ形で、日本でもやれというのでは、毛頭ない。

  またこれは新しい運動として革命を遂行中の中国の人人を、かえって喜ばせないであろうか、人民の知恵は知識人にまさるという思考は、古典にもあると私は思う。「中庸」にはいう、「君子の道は、費にして隠。夫婦の愚も以って [ アズカ ] り知る可し。その至れるものに及びては、聖人と雖も亦た知らざる所有り」。「書経」の「五子の歌」篇にはいう、「匹夫匹婦も、一とえに能く我れに勝る」。いずれも「君子」すなわち支配者がわの立言であり、且つまた今の中国が排撃これつとめつつある 孔老二 [ コンラオアル ] 、すなわち孔子系統の文献であるけれども。

  三、自力更生

  現在の中国のスローガンの一つは、自力更生である。 中国科学院に伺ったときの呉有詞副院長のお話に、ソ聯の技術者が全部さっさと引きあげたあと、しばらくわれわれは全く困った。中央から電子計算機を作れといわれたときなど、途方にくれた。しかし自力更生の信念によって、困難を克服した。云云。

  町にあふれる自転車はもとより、「紅旗」「上海」などを名とする自動車、ラジオ、テレビ、すべて国産である。飛行機はまだ国産でないが、そのうちソ聯製が残存するのは、安全率が低いとして、パイロットがいやがるよし。それ以外の舶来品をこの国で見ることはむつかしい。輸入タバコを見かけないのはもとより、葡萄酒、 威斯基 [ ウイスキ ] 白蘭帝 [ ブランデイ ] 、みな国産のもののみが、ホテルのバアにある。

  自力更生は、思想の選択にも見られる。各地の新華書店の中央の棚を大きく占めるのが、毛沢東氏の諸著作であることは、いうまでもない。ついで棚にならぶのは、 馬克思 [ マルクス ] 恩格斯 [ エンゲルス ] 列寧 [ レーニン ] 斯大林 [ スターリン ] の選集であって、それ以外の外国思想家の書物は見かけない。そうして自国の尊重さるべき思想家として、商鞅、荀子、韓非子、漢の王充、唐の柳宗元、宋の沈括、王安石、明の李贄らの著述の新印本、もしくはその解説と、「史記」以下の自国の「正史」群の新しい、校訂本とが、それ以外、棚にならんでいる。

  文学書についても、外国文学の翻訳は、日本文学をも含めて、ほとんど見かけない。新華書店の棚にあるのは「三国」「水滸」「西遊記」「紅楼夢」の新印本とその解説である。ここでの自力更生の現われは、国粋主義である。事がらは、外国語の教育にも及んでいる。われわれの団員の一人である佐伯彰一君が六月号「諸君」で報告しているように、英語の教科書の第一課は Long live, Chairman Mao 毛主席万歳、ではじまる。以下ずっと、現代の中国の文献の英訳であり、英米人による英文は、詩も散文も原則として採用されていない。日本語、フランス語、ドイツ語、その他の外国語の教科書、みな同じ編集法であろう。北京大学で参観した日本語の授業は、先生も学生も、すばらしい能力であったが、文法練習の方法として、師弟が交す会話、これまた全部日本語であるが、その話題の一つは、戦時中の延安にあった抗日軍政大学に関するものであった。

  自力更生、私はその意気を壮とするとともに、それが偏狭な国粋主義、中華思想におもむかないことを、切望したい。

(一九七五・五・二三)
(京都大学名誉教授・日本芸術院会員・京大・文博・大15)