訪英旅行と女王さま  
朝永 振一郎(東京教育大学名誉教授) No.718(昭和48年1月)号

 
 一昨年春訪英したとき、エリザベス女王さまに申しわけないことを2つばかりしてしまった。
  その前の年、ロンドン・ロイヤル・ソサイテの代表団が訪日された。そのとき日本学士院は天皇陛下と代表団としばしのお話がなされるよう日程を作った。そのお返しの意味か、訪英したわれら一団も女王さまにお目にかかる光栄を有した。
  ちょうどバッキンガム宮殿前でおひるの衛兵交代の式が終り、それを見物していた群集たちがなお去りやらず御門まえの大噴水のわきにむらがっているころ、われら一行は車をつらねて宮殿に着いた。御車よせで舎人たちがうやうやしく車の戸をあけると、古風でみやびやかな装いの式部官のかたが、上品に、にこやかにわれらをむかえられ、われらは謁見の間に導かれた。
  案内されたのは古い絵画や、映画の場面で見たことのあるような美しいお部屋で、かざりだなの中には、由ありげな品のかずかずがかざられており、その中に日本製の陶器がいくつかならべられているのが目を引いた。お部屋の前には、テラスをへだてて青青とした芝生がひろがり、芽ぶきしたばかりの大きな樹樹をおもむきある風ぜいに配したイギリス風庭園がそこに静かにひろがっていた。
  そのうちに、向うの壁のどっしりした扉が開かれ、女王さまがお出ましになった。今日の謁見は全く非公式に、ということで、われらも平服であったが、女王さまも、ピンクがかった簡素なスーツをお召しになり、こちらの方に軽やかに歩んでこられる。そのとき手にハンドバックをさげておられたことが、なぜかしらぬが、妙に印象に残っている。

 女王さまは、一列にならんだわれらの前に来られ、われらと同行された湯川駐英大使から一人一人の名前をお聞きになると、イギリスは初めてですか、とか、どういう御専門ですか、などとおたずねになる。なかでも、われわれ一行の一人、木原先生が講演のために用意していた「植物の右きき左きき」という題目を知っておられ、ことのほかそれに興味をお感じになったらしく、このお話をなさるのはどなたですか、などとおたずねになり、木原先生が、それはわたくしでございます、とお答えし、しばしそれが話題になったりした。
  そのようなことがあってのち、女王さまは順ぐりにまわってこられ、いよいよわたくしの番になった。女王さまは型のごとく、イギリスは初めてですか、とお聞きになったので、いいえ、1943年にバーミンガムで核物理の学会があったとき10日ばかり滞在したことがございます、と申し上げると、おお核物理、とてもむつかしいことをやっておられますね、とおっしゃり、ちょっと話のつぎほをさがして居られるようであった。それに気がついたのか、たしか水島先生が、よせばよいのに、トモナガ教授はノーベル物理学賞の受賞者でございます、と横から女王さまに申し上げてしまった。
  そうなると女王さまはいろいろとおたずねになる。何年度の受賞ですか、とお聞きになるから、それは1965年でございます、と申し上げると、それはすばらしい、何でも、授賞式もバンケットもたいへん立派で、賞は王さまみずからお手渡しになるということですが、そうですか、とおっしゃる。「実はわたくしは事故で怪我をいたしまして……」と、のどのところまで出かかったとき、わたくしの中のもう一人のわたくしがそれをさえぎった。そんなことを申し上げると女王さまはきっと、おお、それはたいへんでした、車でしたか、とおっしゃるぞ、そうすると、いいえ、そうではございません、めいていして風呂場でころびまして、と言わねばならぬことになるぞ、それでもよいのか、とわたくしの中のもう一人のわたくしはいう……。
  そんなわけで、わたくしは小さな声で女王さまの御質問には「はいそのとうりでござます」とつぎほのないお答えをしただけであとは口ごもってしまった。

 おそらく女王さまは妙な男だと思われたにちがいない。それとも、この男は英語がよくしゃべれないのか、と思われたのかもしれない。そんなわけで女王さまは次にうつって行かれた。

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 このできごとは、それからあとの旅行中、しょっちゅうわたくしの心のどこかにひっかかっていた。おまえは女王さまに嘘をついたのだぞ、とわたくしの中のもう一人のわたくしはいう。いや、うそは申し上げていない、ただほんとうのことを申し上げなかっただけだ、とわたくしはいう。すると、もう一人のわたくしはいう。おまえがほんとうのことを申し上げなかったので女王さまはおまえが授賞式に出たと思っておられるぞ、おまえは結果において女王さまをおだまし申したのだぞ……。
  日程は、ロンドン、ケンブリッジ、オックスフォード……とイングランドをめぐり、いろんなところを見学し、いろんな学者先生がたにお目にかかった。イングランドの田園風景は、中学生のころ見た英語のリーダーのさしえや、贈りものハンケチの入っている紙箱のふたに金のふちどりなどして、よく、はりつけられていた色ずりの西洋風景の絵などを思い出させた。どのあたりであったか、ゆるく波うつ牧場のところどころに、まだ裸のままで立っている大きな大木に、その主はたぶん鴉であろうところの、大きな巣が枯枝をあつめていくつも作られているのが目を引いた。
  そういうイングランドの旅を、それの古い保養地、イギリス海峡をはさんでフランスに相対している町、ブライトンで終り、われわれの旅路はスコットランドに移った。

 飛行機から見たスコットランドにはまだところどころ雪が残っていた。ロンドンではすでに連翹(フオルサイジア)や扁桃(アルモンド)の花が、黄色に、桃色に、広場や公園をはなやかに色どっていたが、エディンバラに着いてみると、そこではまだ花には早かった。しかし城山につづく岩山の路辺には、ところどころ、えにしだに似た灌木が、うす黄色のつぼみをつけ、もうすぐ咲くぞ、といっているようなふぜいであった。
  スコットランドはこのエディンバラで、エディンバラ・ロイヤル・ソサイテのパーティーがあった。
  エディンバラは古いおもむきをそのまま残している町である。お城のある岩山の下、詩人スコットのモニュメントのある広場からほど遠くない町の一角に、このエディンバラ・ロイヤル・ソサイテの建物はある。それは由緒ありげにどっしりとした建物であったが、ロンドン・ロイヤル・ソサイテのそれのように広大なものではなく、たちならんだほかの家家にまじって、目だたない、親しみやすいたたずまいをしていた。
  建物がそうであったように、ここのパーティーに集まってこられた当地学界の耆宿たちも、何となく、今までイングランド各地でお目にかかったかたがたより、より近づきやすいような感じがした。またわれわれ一行も、旅路の終りに近づいたという思いで、いくらかリラックスした気分になっており、パーティーには、はじめから、今までにないくつろいだ空気がただよっていた。
  しかもここはスコッチの本場である。パーティーの席はだんだんと楽しいふんいきになってきた。特に、われわれの訪英に関して裏方さんの立場でいろいろお骨おり下さり、このスコットランドの旅ではわれわれと行を共にしてくださったロンドン・ロイヤル・ソサイテの事務総長デービッド・マルティン氏は、当地の御出身とかで、いままではどちらかというと無口なかたであったのが、ふるさとでのこの会合ではたいへん陽気になられた。
  一人一人何かしゃべるべし、という動議が出たようで、それがいつの間にか成立してしまったようで、一人一人からおもしろいジョークやアネクドートが出た。そしてわたくしの番になった。
  わたくしは外国語のおしゃべりは苦手であるので、学士院で訪英団に加わるよう南原院長に言われたとき、1つの条件をつけた。それは、専門の講演以外のスピーチは日本語でしかやらぬこと、そのときは水島先生に通訳をおねがいすること。
  だからわたくしはわたくしの番になってもあわてなかった。そしてわたくしは水島先生に目くばせして始めた。
「日本は明治のはじめに、300年にわたる鎖国をとき、西欧諸国に国を開き、いろいろ新しい文明に接することになりました……」
ここで水島先生の訳が入る。
「そして、学問にしても芸術にしても、またそのほかの事にしても、いろいろなものを西欧から学びました……」
  ここで水島先生の訳が入る。
「これらいろいろなものは、もちろん大部分よいものでしたが、正直に申しますと、中に悪いものもないわけではありませんでした……」
ここで水島先生の訳が入る。
「よいものとは、例えば皆さまがた、およびわたくしたちが専門とする科学、それは中でも最もよいものでありましょう……」
  ここで水島先生の訳がはいる。
「次に悪いものは……」
  ここで水島先生の訳がはいる。
「それは、ごちそうとお酒を目の前にしながら、スピーチをしなければならないという習慣であります」
  ここで水島先生の訳が入ると、皆で大笑いになった。わたくしはさらに続けた。
「しかし、ローマにてはローマ人の如くせよ、ということわざがあります。だからわたくしも1つお話をいたしましょう……」
  ところが、水島先生御愛用の補聴器にこのとき雑音でも入ったのか、ローマにては云云のところがお聞きとりにくかったらしく、そこをとばして「しかしわたくしも1つお話をいたしましょう」というところだけを訳された。
  そこでわたくしは水島先生に向かってもう一度「ローマにてはローマ人の如くせよ、というところを訳して下さいませんか」とお願いしたとき、突如としてマルティン氏が立ちあがり
「In Rome Do as Romans do.」
と言われた。これには日本がわ一同驚き、また主人がわの皆さんもびっくりされたらしく「ブラボー、デービッドはいつ日本語を勉強したのか」といった声があちらこちらから聞こえた。
  それはそれとして、そのあとわたくしのした話は、エリザベス女王さまに真実を語らなかったことの告白、それをいままでかくしてきたことの苦しさ、そして、この告白とざんげによってその罪がゆるされるであろうか、という訴えである。
  この会合が終ってホテルに帰るとき、マルティン氏は玄関でわたくしのところによって来られ、
「女王さまのことは、わたしからよく申し上げておくよ」と言われた。

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 こんなことがあって再びロンドンに戻り、最後の夜は、テレビ塔の上にある回転レストランで、くつろいだお別れのパーティーがあった。そこでわたくしはもう一度、今度はイングランドのかたがたに告白とざんげをした。ここでも一座はだんだんと陽気になり、わたくしはほっとした気もちで、窓の外にあらわれては去り、去ってはまたあらわれるロンドンの町の夜景のくりかえしを、席のざわめきを聞きながらぼんやりといつまでもながめていた。

 もう1つの申しわけないことについても告白しなければならない。
  バッキンガム宮殿では、実は、謁見の間に入る前に、お手洗いに行ったのである。そこで鏡の前でネクタイをなおしたり、肩にぬけ毛がついていないかしらべたりして、最後に手を洗い、そなえてある手ふき紙で手をぬぐった。そのときふとこの手ふきを見ると、点点、点点、点点、と2つずつ並んだ小さな孔の対が紙一面に小紋ようの模様をなして美しく配列されているのに気がついた。
  このときである。事が起こったのは。すなわち、これは珍しい紙だ、と思った瞬間、この手ふきを1枚、記念のため日本にいただいて帰り、日本の友人たちに見せびらかしたい、という出来心が起った。そして1枚をていねいに折りたたんで手帳にはさみこみ、それをポケットにおさめたのである。
  謁見の間に行く前にお手洗いに行ったのは確かにわたくし1人ではなかった。わたくしの記憶に誤りがなければ、そのうちの2人の先生がたがわたくしと共にお手洗いに入り、そしてやはり1枚ずつ紙をおもち帰りになったはずである。しかしここでそのおふたりの名前をいうつもりはない。わたくしはただわたくしのこのおこないを皆さまがたに告白しざんげするのである。お2人はわたくしのまねをされただけであって、この悪いことを最初に考え出したのは、疑う余地もなく、わたくしであったのだから。

(日本学士院会員・東京教育大学名誉教授・京大・理博・昭4)