エネルギーの将来
向坊 隆 (東京大学教授)
No.715(昭和47年4月号)

増大するエネルギー需要

 物理学では熱力学の第二法則とよんでおりますが、それによりますと、自然現象というのは決してでたらめの方向におこるのではなく、一定の方向に進んでおります。簡単に申しますとすべてのものが死滅したような状態に向って進むわけです。地球もこれを自然変化にまかしておきますと、月のような状態になってゆく、これが自然変化であります。人間はその変化を、ある場合にはそれにしたがい、ある場合には頭を働かせて逆行させ、人間の都合のよいように利用して生きてきたと思われるのです。自然変化を逆行させるのには一般にエネルギーを必要といたします。人間がその死滅から免かれ、その生活を営んでゆくために、あらゆる面でエネルギーが使われるというのは、物理学の法則から当然なわけであります。実際私どものまわりを見廻してみましても、あらゆる方面でエネルギーを使っております。ある場合にはただ快適に生きるために、しかし、多くの場合には、生きていくために必要なものとしてこれを使っているわけです。そうして人間の生活のアクティビティが盛んになればなるほどそれに平行してエネルギーの使用量が増加するのです。
 さて、人間の生活水準はいろいろな形であらわされますが、かりに国民総生産、GNPをとりますと、GNPののびとエネルギーの使用量はまさに平行的で、日本でも、世界的にもそうなっております。したがって国連などでは、何か生活水準の定量的なものさしが必要な場合、例えば、先進国、中進国、後進国という区別をする場合、屢々エネルギーの消費量を使っております。石炭は最近あまり使いませんが、1960年頃までは人間のエネルギー供給の主力を占めており、国連のその頃使っていた物差しも石炭を使っておりました。一人当り1年に1.5トン以上使う国は先進国、それより少ない国は後進国としていたのです。この物差しで日本が先進国の仲間入りをいたしましたのが1960年でした。この年はエネルギーの面からいろいろな意味を持っております。最近の急速な産業の発展のスタートした年代にもあたり、またこの年をさかいに石油の使用量の方が石炭のを抜いて、はっきり石油時代に転換したことです。
 そこでエネルギーを何から得るかということがこれまた産業全体に相当大きな影響を与えるのです。
 1890年にダイナモが発明され、水力電気が大量に安く得られるようになりました。そうすると電力を使ういろいろな産業が一斉に発展しました。その後石炭火力発電が進歩し、石炭を大量に使うようになると、それと平行して石炭化学工業、すなわち、石炭を蒸留してタールを作り、タールから各種の化学薬品、化学製品を作っていく産業の黄金時代を迎えたわけです。それが1960年頃を契機としてこんどは石油時代に入り、火力発電における石油の使用量が増大すると共に、石油化学工業の全盛時代に入って最近まで続いてきているわけです。
 そこで今後の問題ですが、この10年ほどはご承知のように日本は非常に急速な産業ののびを示しまして、経済大国といわれるほどになったわけですが、この状態がどうなっていくだろうか、私は今が一つの転機になっていると思うのです。ただがむしゃらに成長して来た進み方というものを反省する時機にたっている。これからは環境を守るとか人間性を尊重するとか、その他、社会のひずみを是正しながら発展をしていくわけで、少なくともGNPなり産業なりののびは今迄より寝てくるだろうことは間違いないでしょう。
 しかし日本は最近非常に進歩したように見えますが、アメリカあたりにくらべますとエネルギー消費水準は未だ相当低く、人口一人当りの年使用量は4分の1くらいです。ですから産業も、生活水準もぼつぼつ上ると共に、人口ののびということもあって今後もエネルギー消費量はかなり増加するだろうと思われるのです。
 昨年ジュネーブで国連主催により、原子力の平和利用に関する国際会議が開かれましたが、この会議に国連から紀元2000年のエネルギーという総括論文が提出されました。その論文ではそれぞれの国の状況を分析し、産業ののび、人口増加を推定しまして、紀元2000年のエネルギー使用量を推定したわけです。それによりますと1950年にくらべ6倍位になり、現在にくらべると3倍位です。内容的にいいますと、電力需要が他の形でのエネルギー需要にくらべ増加が大きく、恐らく2000年になりますと、電力の形で使われるのがすべてのエネルギーの半分くらいになり、そのうち半分くらいが原子力でまかなわれるようになるというのです。
 日本の場合は先進国の中で一番のびの速い国ですから、そのエネルギーの需要度は50年との比較ではなく、現在から比較して紀元2000年には約6倍になるということを通産省の総合エネルギー調査会で推定しております。

石油から原子力へ

 さて、エネルギーの使用量が非常に大きくなってくるということ自体にいくつかの大きな問題があります。先ず、最近問題になっております環境汚染、つまり石油なり、石炭なりを燃やしますと灰やガスが出たり、無駄な熱が放出されたりする結果として、環境が汚染される。そういう汚染を抑えながら発展していかなければならない。それには、エネルギーの利用効率を高めるとか、石油や石炭を精製してから使うとか、様々な工夫が必要です。そうすれば文化の水準をあげるに必要なエネルギーはそれ程急速に増加しない。従ってエネルギー所要量の推定値にもいろいろ問題があるわけです。
 ですが一応エネルギー調査会の数字を採用いたしますと、石油の使用量が非常に大きな値になってきます。その総使用量の99%以上は輸入で、その輸入量の90%が中近東から来ます。この石油のになっている役割は日本のエネルギー供給全体の70%をこしております。恐らく年に3億キロリットルにもなるような量で、10万トンタンカーで延3000ぱいもないと運べないという状態です。現在の中近東は必ずしも政情が安定している地域とはいえません。何かの故障があった場合を考えるとストックをしたいわけですが、1ヶ月分のストックでも3000万トンという莫大な量で経済的にも大変なことです。したがって現在の石油にたよっている状態は、エネルギー供給の安定性ということからいいますと非常に危ないわけです。ですがその衝に当っている人は心配していますが、一般的にはそれに無関心でおります。ストックも1ヶ月とか40日しかなく、何らかの理由で輸入がとまったら、日本の全産業がみなストップしてしまいます。こうした状態はだんだんあらためていかなければならないわけです。また石油にたよっているということの問題はそれだけではありませんで、先程申しました環境汚染の点でも最近は深刻になって参りました。石油には多かれ少なかれ硫黄を含んでおります。ですから熱したり燃やしたりしますと、硫黄の酸化物、その他硫黄の化合物が出て大気を汚染する。ですから硫黄を減らさなければいけないが零にすることはとても出来ません。3%くらい入っているのを1%以下に減らすということは、これからはどのような用途についてもやらなければいけない。これは経済的にも大変なことです。しかしもっと大変なことは石油から分離した硫黄をただつんでおくわけにはいかない。硫黄は空気中におきますと自然に燃えて有害ガスになりますから、何らかの形でこれを固定しなければいけないわけです。ですからそこまで心配しますと、石油はこれからは相当困った問題を含んでおると思います。
 そこで今世界では石油を減らすか、或いは石油にかわる何かを求めるということが非常に深刻な課題になっているわけです。石炭に戻れという議論もありますが石炭は石油よりまだ悪いのです。経済的に値段が高いばかりでなく、硫黄も含んでいるしもやして出る灰がいろいろな環境汚染のファクターになるわけです。原子力発電所が放射能を出すといってさわぎますが、最近の西独やアメリカの計算では石炭火力発電所の煙突から出る石炭灰の天然の放射能の方が、原子力発電所の排気よりもはるかに多い計算になっております。
 それから遠洋マグロで水銀や他の重金属で汚染されているのが発見されたが、その原因がなかなかわからない。去年アメリカに行きました時にアメリカの学者の話ではどうも石炭の灰だろうというのですね。石炭の軽い灰が大気にのって大洋までいき、それがマグロを汚染したのではなかろうかと、まあこれは確実ではありませんが、そういうことまでいわれているので石炭に戻ることは好ましくない。そうなりますと新らしいエネルギー源を求めなければならない。或いは今つかっているエネルギーをもっと効率よく使うということは技術者の大きな課題になってきているわけであります。
 エネルギーを効率よく使うということは非常に地味ですが、使う量が何分にも多うございますから、これは非常にやりがいがあるわけで、またやることも沢山あります。例えば自動車などは非常に快適に速く走るのですがエネルギー効率という点になりますと未だ非常に悪いのです。これからは格好のよさやスピードを誇るのでなく是非ともエネルギーの効率をあげなくてはいけない。いま日本では約5000キロワットぐらいの発電所があります。少しちがいますが、1キロワット約1馬力と考えますと、自動車は約2000万台あるとし、1台平均50馬力とみると10億馬力ですから、全電力設備の20倍です。自動車が10億馬力のエンジンで大変なエネルギー効率の悪い使い方で走り廻っていることになります。従って、このエンジンの効率を上げることは大変なエネルギー使用量の節約になるわけです。
 また、電燈について考えて見ますと、タングステン電球と螢光燈をくらべますと同じエネルギーで出せる明るさは、後者の方が2倍から2倍半効率がよい。日本中を考えますと大変なことです。そういう技術的課題は沢山ありますが、現在我々が使っている技術は相当高い水準に達しており、したがってそれを改良するということは容易でなく、時間をかけて少しずつ改良していくということになるわけです。
 エネルギー効率の向上と並んで研究されている新らしいエネルギー源として代表的なものが原子力です。これはいったいどの程度まで現在開発されてきているかと申しますと、最も力の入れられておりますのがご承知の原子力発電です。しかし、現在の新鋭の火力発電所よりも安く電気を出している原子力発電所はまだどこにもありません。もうじき安くなるだろうということでどんどん作られているというちょっと先走った様相を呈しているのが現状です。しかし、ともかく先程申しました石炭や石油の事情から考え、かつエネルギーがとまったら大変だということから、原子力発電の建設のスピードは世界的に大変ないきおいになってきております。日本では先程全発電所が5000万キロワットぐらい動いていると申しましたが、アメリカで1年間に発注される原子力発電所が、1年に2500万キロぐらいで、日本の場合はその10分の1程度といって宜しいと思うのです。今エネルギー調査会あたりの要求で昭和60年に6000万キロぐらい原子力でまかなって欲しいということをいっているのです。これは原子力の側からいうと、経済的にも相当大ごとで、石油価格と競争出来るような値段ではたしてやれるかどうかということがありますが、その他にもいろいろな問題をかかえております。原子力でやれないとは思わないが、やるのが容易ではない。とても大変なことだと思っているわけです。

原子力の問題点

 ではどういう点に問題があるかおもなことを申し上げてみたいと思います。
 第一は原子力施設の安全性であります。原子力発電施設では原子爆発は決しておこりません。どうやっても決しておこらないように出来ております。ですが発電というのは結局熱をとり出すわけですが、それにつれウランが放射性物質に変わってまいります。その大部分は固体の形でとじこめられておりますが、一部はガス状になる。うまくいけばとじ込められた状態でいるのですがこれが洩れる危険がないといえない。そしてあるレベル以上に高い放射能が洩れますと周囲の人に被害を与える可能性がある。そしてその被害を与える濃度が、硫黄とか他の化学的有害物質の濃度にくらべはるかに低い。したがって一度大量に洩らしますと、これは非常に広い範囲に被害を及ぼし、また長年にわたって被害が続く可能性があり、最悪の場合を考えますと遺伝に影響して子々孫々まで続きます。ですから原子力の施設では放射性物質を大量に洩らすということは絶対に出来ないのです。このために、原子力施設では蒸気管の破裂などで、放射性ガスが洩れてもある量以上に出ないような設計が要求されます。また、運転中にも排気ガスを絶えず調べておりまして、被害がおこるよりも遥かに低い濃度で設備を止めるようにしてあるのです。すなわち、施設自体の安全設計のほかに運転の安全性を守るための研究が、必然的に原子炉の技術の発展と平行して行なわれているわけです。今まで米英の軍事施設では人間に被害のおこった事故がありましたが、幸い平和利用の施設で人体に被害を与えるような事故は一つもおこっていません。日本でもおこっていません。そういう状態を完全に守りながらこれから6000万キロまでのばしていくことが要求されるわけで、是非それをやらなくてはならないということが第一の課題です。
 第二の問題点は核燃料の供給です。現在の原子炉の燃料であるウランが日本に出るかといいますと、これは非常に僅かなものです。しかし供給の安定性という点では石油よりまさっております。天然ウランの鉱石を少し精製したものを1万トンぐらい輸入すると石油1億トン分のエネルギーを日本にいれたことになります。備蓄も容易ですし輸送も比較にならない程容易です。また産地も石油とちがて世界の広い範囲に散在する産地からいれることが出来る。そういう意味で供給の安定性ははるかに勝っているといえます。ところが現在の技術で現在の経済性で使えるウランの埋蔵量は西欧世界で100万トン足らずなのです。ところが、日本だけで今のエネルギー需要からいいますと、1980年ぐらいまでに20万トン近く必要とすることになり、アメリカはそれより10倍もつかうのですから、遠からずウランは枯渇してしまうわけです。そうなりますと何んのために原子力をやっているのだということになりますが、非常に面白いことに原子力は技術が進むと資源が非常にふえるという性質をもっております。なぜかと申しますと、ウランの同位元素は235と238がございまして、現在は235という天然ウラン中に0.7%しか入っていないウランを燃やしているわけです。ところが残りの99.3%を占める238の方も原子炉の中にいれておきますとプルトニュウムという元素に変わり、これまた燃やすことが出来る。現在の技術で235しか使えないが、技術が開発され238まで燃やして100%ウランが使えることになりますと資源も一挙に140倍になります。ですから埋蔵量の100万トンはその140倍になり極端にいえば140倍の値段で買っても発電コストは同じになるわけです。ですから現在算盤にあわないような貧鉱まで買っても宜しいことになるわけで、鉱石の品位を落しますと資源の埋蔵量はどんどん上る。原子炉の技術の方が進んである程度238まで利用出来る時代になりますと、海水中に含まれている非常に微量なウランを抽出して使っても算盤に合う計算になります。海水中のウランは人間が飲んでも害のないような非常に薄いものですが、海水の総量が多いのですから埋蔵量も約30億トンとか40億トンとか推定されております。そうすると地上で今算盤に合うと思っている100万トンにくらべけた違いに多いものであるということがおわかりになると思うのです。まあそういう意味で技術が進めば殆んど無限と思われる程度に資源が拡がっていくという楽しみを持っているわけであります。したがって原子力をやっている人達は今の原子炉は過渡期のものと考えている。ウラン238まで使える技術を是非今後10数年のうちにやらなければならないという課題を負っているわけです。ところがそういう原子炉は試験的にはすでに出来ておりますが非常に値段が高いのです。それを安く安全に大規模に動かす技術を完成するということを今世界中で競争してやっているのです。
 そういう原子炉が出来、燃料の方に心配がなくなっても、まだもう一つ大変大きな問題がのこります。廃棄物処理の問題です。原子炉には運転に伴って放射性廃棄物がたまりますから、それを取り出して新らしい燃料ととりかえなければなりません。取出したものは非常に強い放射能を持っておりますから棄てるわけにはいかない。水に薄めて棄てますと、今世紀末には世界中の海全部が放射能に汚染されるという計算になります。したがって出てきた放射性物質はちらばらない固体でしまっておく他はないわけです。現在まで原子炉が最初に出ましてから25年もたっておりますが、強い放射能性の廃棄物は世界中で全部ステンレスのタンクでためており、アメリカではそれが1億ガロン以上もの容積になっているそうです。日本でも10年や20年ぐらいまではステンレスのタンクにためておけばそう心配ないとされておりますが、今世紀の末頃のことまで考えますと莫大な量になり、それを全部ステンレスタンクにためておいて宜しいかという問題になるわけです。アメリカでは岩塩の層にいれようといっていますが、安全に棄てられるかどうか詳細な検討をしているところです。日本でもどうして棄てたらよいか非常に大きな課題をかかえているわけであります。 他にも細かくいうといろいろありましょうが、こういった安全性、それから燃料を効率よく使うための技術開発、放射性物質の廃棄物処理、そういった課題を解決しながら遂次大規模化に向ってゆく。これが原子力開発の現状であります。

拡がる原子力の用途

 なお原子力について発電のことだけを申しましたが、他にも将来各種の用途が開けると期待されています。発電の次に開けております用途は船でございます。船といっても現在は主として軍艦ですが、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、最近は中国もといわれておりますが、これらの国が持つ原子力潜水艦が全体で100隻以上といわれ、それらはもぐったまま、人間が安全に住みながら世界一周出来るといわれています。そういう意味で技術的には完成しているといえましょうが、経済性ではまだとても駄目です。軍艦以外では現在ソ連の砕氷船、アメリカの貨客船、ドイツの鉱石運搬船の3つが動いておりますし、日本でも一隻貨物船を建造中です。どれも採算を無視してやっております。また原子力船については国際航海条約もないので、どこの港にも行けるとはいえない。保険金をつけるための法則もまだないなど普通の商船のように動くという態勢までなかなかいっておりません。
 船以外の将来の用途として、電力用以外の熱源としての原子炉の用途が開かれると考えられております。例えば、地域暖房、これはすでにスエーデンで3万人の都市が原子炉を熱源としてやっております。それから工場用のスチームの供給、或いは化学反応や製鉄をおこなうためにガスをあたためるとか、そういったものをみんな原子炉でやれるに違いないと期待され、そういう原子炉の設計研究も各国で盛んに行なわれております。  たびたび繰り返しますが、原子力開発はこれからのエネルギー需要をまかなう一つのチャンピオンとして行なわれておりますけれども、荷物も沢山しょっておりまして、それを解決するような、膨大な研究開発をやりながら進められているということでございます。

(東京大学教授・東大・工博・昭14)

(本稿は昭和47年3月10日夕食会における講演の速記録であります)