空想的交通論
星 新一
(作家)
No.709(昭和45年10月)号

 このたび国際SFシンポジウムなるものを開催した。各国からSF作家を呼び、それぞれの国のSF界の事情を紹介しあった。さらに、討論、親睦など、第一回としてはまあまあの成果をあげることが出来た。なお、SFとは空想科学小説(サイエンス・フィクション)のことである。
 9月2日には名古屋の都ホテルにおいて、「空想的交通論」という主題で公開の討論会をおこなった。いろいろな意味において、名古屋は交通と縁が深い。戦後の都市計画で広い道路を縦横に作り、一時期はべたぼめをされたものだが、いまやそれが裏目にでて、事故の発生数も全国有数である。また、自動車産業の中心地でもある。
 その前日、私たち一行はトヨタ自動車の工場を見学した。研究所では安全車の研究がなされている。衝突と同時に席の前方で風船がふくらみ、そのクッション作用でけがを少なくしようという方法がある。トヨタではそれを小型レーダーと連動するようにし、衝突寸前に風船がふくらむようにし、さらに安全度を高めようとしているのである。英国から来日したブライアン・オールディスというSF作家「いっそのこと、最初から風船をふくらませておけば、もっと安全だ」などと言う。SF作家は冗談が好きなのである。
 車の前面ガラスの研究もなされていた。破片でけがをせぬよう、衝撃にあっても飛び散らず、細かにひび割れが入るだけのガラスである。しかし、そのひび割れで前方が見えなくなっては、これまた困る。いくらかの視界は残さねばならぬ。なるほど、このような点まで気をくばらなければならぬのだなと、私などいささか感心した。
 トヨタの工場も一見の価値があった。何十秒に一台かの割で、ぞくぞくと自動車が完成してゆく。それだけのことならなんということもないが、さまざまな色、さまざまな車種のが、列をなして作られているのである。途中で部品などが混乱しないかと心配だが、コンピューターの管理により、一糸乱れずといった形で進行している。車種や色彩に関する需要者の好みの率が変れば、その情報をコンピューターに加えることにより、すぐ需要の変化に対応できる。コンピューターの威力がしろうとにもわかる光景であり、しかも壮観である。
 そのつぎ一行は、名城大学におもむいた。小沢久之亟教授の研究しておられる超音速滑走体についての知識を得るためである。これを一口にいえば、ロケット列車。実際の映画を見る。まさに驚異のスピード。真空のチューブ内を通過させれば、空気抵抗がないため速力はさらに高まり、ハワイまで40分ほどで行けるという。ソ連からのSF作家たちは「これでモスクワ・シベリア間を結べば、どんなに便利になることか」と非常に興味を示した。オールディスは肩をすくめ「カミカゼ・トレーン」と、ひとこと。空想小説のなかではさかんに登場させていても、現実に実験をやっているのだと知ると、やはり驚きなのである。

 さて、討論会の当日。東京でのシンポジウムは三カ国語の通訳という点でいやに時間をくったが、それはなんとか改善され、一部同時通訳という形で、わりとうまく進行した。
 まず、朝日新聞の岡並木氏が、交通問題がいかに容易ならざるものかについて講演。氏はその分野にくわしく、本来たのしかるべき乗り物が凶器化し、自動車の自己否定現象がおこりつつある傾向を指摘する。交通問題は道路をひろげただけでは解決しない。すなわち、それとともに駐車場をもひろげなければならないのである。そんな解説を聞いていると、いまに人間の住むスペースがなくなるんじゃないかという気になってくる。
 討論会には小沢教授も出席。「だからこそ、地上および空中を人間にとり戻さなければならない。地中あるいは海面下に真空チューブを作り、飛行機の速度を持つ乗り物を走らせる必要がある」と自己の実験の意義を強調された。外国のSF作家は、その経済性をいやに気にしている。「真空チューブを維持するのに大変な費用がかかるのではないか」と。SF作家が費用を気にするなど、なんとなくおかしな気もした。私としては、この乗り物が開発されたらいいと思う。飛行機とくらべて、少なくとも墜落することはないはずだ。また、衝突もハイジャックもおこらないだろう。
 ソ連側の団長はワシリイ・ザハルチエンコ。彼は作家でもあるが「技術青年」という科学雑誌の編集長でもあり、この雑誌は180万部という大変な売行きを示しているものだ。彼は小沢式・超音速滑走体にいやに関心をもち、ソ連で研究中というトンネル掘りの新技法を解説した。それは、地中でロケットの逆噴射をやるといった方式である。超高熱の炎を前方に噴射すると、土壌が気化し、一秒間に数メートルのトンネルを掘るのも可能だという。しかも、掘り進んだ穴の内側は陶器状になるとかで、一石二鳥というべき方法のようだ。
 英国のアーサー・C・クラークは、トンネルを能率よく掘るのにはケミカル・レーザーが未来において利用されるかもしれないと言った。時間がなくてくわしい説明は省略されたが、特殊な化学液を高圧で噴射する方法のようだ。地下交通は騒音問題がおこらず、その点でよいことだともつけ加えた。 クラークは彼のSF作品「太陽系最後の日」や「都市と星」のなかで、地下交通網の発達した未来社会を描いている。彼は作家であるばかりでなく、科学者としても第一級。1945年ごろすでに、人工衛星による全世界放送網の計画を発表しており、アポロ計画のフォン・ブラウン博士への個人的助言者でもある。大変な学識と想像力の持主だ。
 クラークは交通問題解決への動く道路についても言及した。といって、万国博でみなの目にふれたあのたぐいではない。流動的固体といったもので作るのである。川が流れる場合、流れというものは岸に近いところではおそく、中央部では早い。道路をそれで作るのである。人はその上に乗るだけでいい。中央部では早く進み、目的地が近づけば、岸のほうへ寄っておりればいい。問題は人を乗せ高速で流れるという、そのような流動的固体の物質が開発できるかどうかである。
 ソ連のエレメイ・バルノフもやはり科学者にしてSF作家。超伝導性道路を作り、その上に磁力自動車を走らせたらどうだろうと提案した。すっきりとしていて、いかにもSF的な感じである。くわしい説明の時間はなかったが、道路から電気エネルギーの補給を受けるということで、排気ガスや騒音がぐっとへりそうな未来図である。
 ソ連のユーリー・カガルッキーは気球の交通への利用について触れ、おおらかな印象を聴衆に与えた。ソ連のウクライナ共和国のバジリイ・べレジノイは重力推進の乗り物についての空想をひろげた。深い地下トンネルを利用し、その加速を役立たせようというものである。
 ソ連のザハルチェンコはふたたび発言し、地球改造でベーリング海峡を埋めたて、米ソ間に直通の原子力超音速列車を走らせるという、雄大な構想をのべた。夢のような話だが、彼は科学雑誌の編集長だけあって、海峡の地質の知識をふまえた上での説明なので、説得力もあった。
 アメリカのフレドリック・ポールはなんの前ぶれもなく、「食べられる材質で自動車を作れ」と言い出した。アメリカでは交通問題とともに、古くなった車の捨て場もまた大問題となっているらしく、その解決法である。「いらなくなったらテンプラにして食べられる材質がいい」ともつけ加えた。
 カナダの女流SF作家、ジュデイス・メリルは「そんなことよりなにより、空飛ぶ魔法のジュウタンを開発すれば、ロマンチックでもあるし、すべて一挙に解決よ」とおっしゃる。もっとも、彼女そのものはロマンチックというより、女傑といった容貌である。
 日本側では作家の石原藤夫が「人体を改造して車輪状にし、道をころがせばいい」などと珍説を発表し、イラストレーターの真鍋博は「瞬間冷凍器を開発し、水面を凍らせ、その上を歩けばいい。歩いたあとは氷がとけるから、いわば使い捨て道路。これで川や海がすべて道として利用できる」
 私の発言は「人工衛星からヒモをつるし、それにつかまってターザンの如く移動するのも面白いのではないか」と夢物語りではじめ「地上の乗り物は、ローラースケートにエンジンをつけたものはどうだろう」
 また、私としては、乗り物自体をうんと楽しくするのも一つの方法ではないかと思っている。速力をおそくし、そのかわり車の内部の娯楽性を高めるのである。車内が遊び場。未来社会においてわれわれが豊富に持つもの、あるいは持てあますものは時間である。それをつぎこめば、交通問題も解決するのではなかろうか。つまり脱スピード時代である。
 小松左京は「人間のからだ全部を移動させる必要はない。首だけちょん切って旅行させ、見物させればいい。医学の発達はそれを可能にするだろう」と落語的でユーモラス。
 英国のオールディスは「タイムマシン列車を作ればいい。このスピードはゆっくりなので事故はおこらない。しかし、タイムマシンが付属しているので、時間を逆行させるから、出発と同時に目的地に着く」と、はなはだSF的だ。だが、タイムマシンというと架空のようだが、乗り物の発車時に乗客をなんらかの方法で眠らせ、到着と同時に目ざめさせれば、個人的には乗車中の時間を消したことになり、早く行きたいとのイライラ感はなくなることになる。
 クラーク氏はふたたび教祖的な発言。「いまの自動車は早すぎるし、超音速機はおそすぎる」と逆説めいたもの。しかし、なんとなく実感的でもある。彼はそれを解説し「未来は電話とテレビとコンピューターで用はすべて片づき、通勤は二十世紀の遺物となる。未来の交通機関はレジャーのためのものとなり、そこにおいては自転車とロケットが主役となろう」
 たしかにそうかもしれない。レジャー時代には、観光地に一刻も早く着きたいわけだし、着いたらゆっくりと見物してまわらねば意味がない。いまの自動車や飛行機はどっちつかずのしろものといえよう。

 かくのごとく各人各様、いいたいことを発言し、まさに一種のブレーン・ストーミングとなった。最後に日本側から社会科学者の加藤秀俊がなんとかまとめあげた。クラークの意見に触れ「乗り物におけるスピードとリラックスの並存は矛盾している。スピードをあげれば、乗り心地のすばらしさを味わう時間がへる。そもそもスピードとは、ビジネスマンにとってのみ価値があるもので、脱産業社会にあっては、スピードに対する価値観は変ってくるであろう。自動車は過渡的な乗り物といえよう」
 このシンポジウム、聴衆は中学生高校生たち数百人。現在の交通問題への速効的な役にはあまり立つと思えないが、この若い人たちの頭のどこかに残り、 未来思考に必要な頭の柔軟性を保つ役には立つのではないかと思う。結論としては、はなはだ楽しい集りであった。

  (作家・東大・農・昭23)