八王子医療刑務所参観記
團藤 重光
(東京大学教授)
No.708(昭和45年7月)号

 1970年5月某日。八王子医療刑務所は、市の南のはずれに近く、木立の多い高台にある。正面玄関も、どうみても病院といったたたずまいだ。ここは、全国の身体疾患受刑者と東日本の精神障害受刑者を「集禁」して、医療を中心としての矯正処遇をおこなっている施設なのである。
 神奈川県監獄八王子監獄署という古臭くていかめしい名前で開庁したのが1878年で、のち八王子少年刑務所になり、1951年に医療刑務所になった。いまは建物もあたらしく増改築中で、むかし「八王子監獄署」などと呼ばれていたような古いイメージは、まったくなくなっている。
 所長のN医学博士は、薩摩っぽらしい豪快さとともに、この医療刑務所の創立以来、受刑者の医療に情熱をそそいで来ただけの年輪を感じさせる人柄である。このN所長が所内をくまなく案内してくれる。
 高台の斜面に建てられているので、幾棟にも並んでいる病棟は、1棟ごとに高くなっている。いちばん下の2棟は医療棟と看護棟だが、これはもう新築の管理棟に引っ越して空っぽである。同行の矯正局長H氏が、数年前、その古い医療棟の中にあった手術室で、いきなり肺の切除手術の現場をみせられて、きもをつぶした話をしてくれた。つまさき上りの渡り廊下をとおって、次々に、上の病棟に上って行く。次は外科棟で、それに続いて一段高いところに内科棟と伝染病棟があり、最後の2棟が精神病棟になっている。
 内科棟の2階の病室は、八王子の市街を一望のもとにおさめる、すばらしい眺望をもっている。
「こういう刑務所は、全国をさがしても、ほかにはありませんよ」 と、所長がいう。そうだろうとおもう。この病室はいわゆる「大雑居」で、定員24名だそうだが、いまはベッドの半分以上はあいている。看護婦が2人、患者たちの体温をはかっている。鉄格子さえなければ、一流病院の病室の風景である。
 その廊下にいた看守の話では、しかしこういう「大雑居」は困るそうだ。 「定員一杯になったりしたときは、なにしろ20人以上もいるんですから、圧迫感というのか威圧というのか、正直のところ、こわいですよ。大雑居の部屋はなくして、全部、中雑居にしてもらいたいですね。」
 「中雑居」は、5,6名の定員のをいうのだそうだ。「独居」もあるが、現在では、これは手術の前後の者だけのために使っている。
 「中雑居」の部屋もいくつもあるが、そのひとつの前で、所長が、向うの窓際のベッドで雑誌を読んでいる若い受刑者を指さした。
 「あれはYという受刑者なんですが、ついさきごろ、脾臓の摘出手術をしたんですよ。毎日、寝間着を3,40枚もとりかえるくらいひどい汗をかいていたんですが、手術後の経過がよくて、もう汗もほとんどかかなくなりましたよ。これまで、あちらこちらの刑務所をまわされて来たのですが、さっぱり病気がよくならなくて、当局のことをうらんでいたらしいのですが、ここで手術がうまく行ってから、態度がすっかりよくなりました。よかったとおもいますよ。もし、普通の病院で手術を受けたら、40万円はかかるはずですがね。」
 所長は低声でわたくしに説明してくれたのだが、Yは、こちらの話声に気がついたのか、両手でもっていた雑誌をちょっと毛布の上に置いて、こちらを見た。窓外の光線を受けているせいか、Yの血色はよく、表情にあかるさがあった。わたくしは、無言で、Yの幸福を祈ってやった。
 結核患者はずっとすくなくなったようだが、むろんいる。廊下に安静度の注意書が掲示されている。安静度6度までに恢復すると、普通の刑務所にもどす。医療施設のととのっている刑務所へならば、4,5度程度でも戻すとのことである。
 最後が精神病棟である。各棟の入口には、施錠した鉄格子の扉があって、その上に「何々棟」と書いた標札がかかっているのだが、精神病棟だけは、ただ「病棟」という標札になっている。
「精神病棟というと患者に悪い影響があるので、精神という2字を削らせたんですよ」
と、所長は、微笑しながら、わたくしをかえりみた。
 精神病棟でも看護婦が患者を扱っているのには感心した。精神病棟は、1階が独居、2階が雑居になっている。独居で袋はりなどをやらせているのもいるが、なるべく作業場で作業をさせる。作業といっても、ここでは治療作業であって、作業によって治療効果をあげるのである。治療作業場―「デー・ルーム」と呼ばれている―は、構内の別の場所にある。わたくしたちが、2つ目の精神病棟に入ろうとしたとき、ちょうど、治療作業に「出役」していた連中が、2,30人もいたろうか、ともかくも隊列を組んで、病棟に帰って来た。約半数は分裂病の患者だそうだ。無精ひげの目立つ顔が多かった。時計は3時をすこし廻っていた。
 精神病棟を見おわってから、建物の外へ出て、手入れの行きとどいた緑の芝生の斜面を、中央に新築された医療管理棟にむかって降りる。「経理夫」が構内のいたるところで、まめまめしく働いている。「経理夫」というのは、一般の刑務所の成績のよい受刑者を連れて来て、構内の雑用にあたらせているのである。
 下に、コバルト・ブルーの水を満々とたたえたプールがみえる。これも受刑者たちのためのものである。精神障害の人たちにも、治療のために、ドッジ・ボール、バレー・ボール、跳箱、水球など、いろいろのスポーツをやらせる。プールの向うに、さきほど説明できいた治療作業場――「デー・ルーム」――の建物がある。もう大分いたんでいるし、手狭まなようだ。しかし、以前は、作業場がなくて、病棟の廊下で仕事をさせていたのだそうだ。なるべくこうして、外で働かせコミュニケーションをさせるのが、この人たちの社会復帰に役立つのである。
 芝生の斜面を降りきったところが、すなわち、正門の正面の位置にあたり、ここに、まあたらしい5階建てのモダーンな建築がそびえている。「管理棟」と呼ばれていて、管理部と医療施設が、この中にある。われわれは、まずこの管理棟に隣接している、おなじく新築の「炊場」にはいった。「炊場」というのは調理場である。世界のどこの刑務所の炊場にも、ひけをとらないとおもう。ここでも「経理夫」が働いている。夕食ができたところだったので試食する。あまり感心しないが、ニンジンを皮ごときざんで揚げた精進揚げなど、まずまずといったところだろうか。それにしても、1日の「指定菜代」が普通は46円で、いま、わたくしの試食したのは「結核食」なので、それにもう25円が加算されるのだそうである。かんちがいしないでいただきたい。これは1食分ではなく、1日分の副食費なのである。材料を大量に仕入れるのだから、家庭の食費と比較することはできないが、どこの刑務所でも頭痛の種のようだ。
「管理棟」は、さきに書いたように、立派な近代建築である。1平方メートルあたり35,000円、附帯設備ともに56,000円という建築費だときいたが、この予算でよくこれだけの建築ができたものとおもうくらいだ。5階のうち1階と2階は、保安課その他事務系統の部屋や職員の食堂、理髪室、それに倉庫などの類で、特筆するようなこともない。3階と4階とが医療関係である。
 3階の「診療区」には、内科、外科からはじまって、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科などがそろっている。レントゲン室が3室あって断層撮影もできるし、ギプス室の設備も最新のものが完備しているという。
「手術区」は4階にある。婦長さんが看護婦を連れて出て来る。大病院の婦長さんの貫禄がある。一同、手術区専用のスリッパにはきかえさせられる。
「ここでは、われわれも婦長の命令に絶対服従ですよ」
といって、所長がにやりとする。婦長さんもにっこりする。あすは、斜頸の手術―これは大変な手術だろう―があるので、特別に厳格なのだそうである。手術区のいちばん奥に大きな手術室が2室。ボタンを押すと、音もなく扉が左右に開く。手術室のほかに、消毒器械室、男女別の更衣室・浴室、洗滌室、リカバリー室、等々があって、みな大病院なみである。あのYが脾臓の摘出手術を受けたのも、ここでなのだろう。
 この階には、標本室がある。体内から取り出した異物―針金や釘やフォークといったたぐい―などは、世界中どこでも、たいていの医療刑務所にはあるから、おどろくにはあたらない。患者から摘出した臓器のフォルマリン漬けのビンが無数に並んでいる。ガンにおかされた胃壁なども、いくつかある。肥大し変色した種々の臓器もある。それらの臓器の主の中には、元気になって退所した人もあれば、死の転帰をとった人もあれば、退所後の生死をフォローできないままの人もある。犯罪、病気、運命。この標本室だけでも、人生の縮図のようなものである。わたくしは、粛然とした気持になった。
「Yの脾臓はないかね」
と、所長が看護婦にたずねた。看護婦はしばらく標本のガラスビンをあれこれと探していた。わたくしは、
「それには及びません」
といって、探すのをやめてもらった。わたくしは、もう一度心の中で、Yの将来に幸福あれと祈ったことだった。
 それから、管理棟の屋上へ出た。陽は西に傾きかけていたが、5月の空はまぶしいくらいに青かった。町の方を見下ろすと、おもちゃのような家並みのあいだを縫うように車が走っていて、あわただしげな人々のいとなみがある。南の方には遠くまで多摩丘陵が続いていて、野猿峠のあたりが、このごろは木がすくなくなったのか、すこし赤茶けてみえた。

(1970・6・7稿)
(東京大学教授・東大・法博・法・昭10)