フランス人は蛙を食はず  
瀧澤敬一
No.529(昭和7年4月)号

 英語で Frogeater と云へば Frenchman の異名である。自分も昔は吾々がさしみや豆腐を食ふ様に佛國では蛙や蝸牛を家庭の常食にするものと心得て居た。今でもかゝる質問は度々受ける。しかしその本國に渡り住んで見ると旅館や料理店の定食に「蛙」を見たこともなく下宿屋の食膳に上ることもない。二三度内地からの客人の御相伴をしたことはあるがそれは特別な注文であつてやたらに御目に懸れるものではない。
 フランス料理に「蛙」はある。また惡食と云ふ譯でもないがこの國の人では蛙の味を知らぬ方が勿論多からうと思ふ。イタリヤ人のマカロニとは違ふ。バタで煎つた樣子は知らねば小鳥かとも思へる。骨の多いのが疵であるが萬更捨てたものでもない。豚の耳、血の塊、牛の腦味噌、胃壁ほど無氣味ではない。しかし醬油への愛着心が強い日本人には赤蛙の付燒の方が遙に美味である。
 蝸牛は蛙よりも餘計食用に供せられるが食はず嫌の自分には批評は出來ぬ。中身を一旦取り出して洗つて茹で、再び殻に收め草を刻み込んでバタで口を塗りつぶしてある。燒いて食ふので小さな蠑螺の壺燒と思へば差支ない。つぼ燒が日本料理を代表しない様にこれが食道樂の花形役者とは思へない。
 國際料理界を二分すれば東の大關は支那であらう。これが歐米の大都會を風靡して居るに拘らず佛國ではどうも發達して居ないのは、やはり西の大關が頑張つて居る爲で天に二日なきが如しとでも云はれやうか。
 西津料理道の元祖 New York の一角にまでその芳名を留めて居るBrillat-Savarin は其名著“Physiologie du Goût”(一八二六年發刊)の卷頭に左の格言を掲げて居る。“Dis moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es”(食物によつて人を知れ)“L’homme mange; l’homme d’esprit seul peut manger”(凡人は食ひ達人は味ふ)
 今でもl’homme d’espritは佛人だけと自惚れて居る。獨逸人が「住み倒れ」であるならば佛人は確に「食ひ倒れ」である。しかしそれは食事をいかに重要視し且 enjoy するかと云ふことで、これが爲に財布の底をはたいて悔いないとの意味ではない。食を樂しむものは東西の心理相通ずる。フランスの料理屋が歩道にまで食卓を並べるのは支那人が端近で山海の珍味を往來の人に誇示するにも似たりと云はうか。本格のフランス料理は味も見ないのに鹽や胡椒をやたらぶつかけるアングロサクソン相手の palace では求められない。こんなホテルでは背景と銀具とで嚇かして高い金を搾り取るばかりである。交通の發逹旅行の利便につれて料理は國際化し standardize し地方特有の料理はだんだん影が薄くなつて行く。フランスの通人を常得意とする一流料理店に行て家自慢(specialit éde la maison)の一品に舌鼓を打つに非れば西洋料理を語る資格はない。毎年秋には Bourgogne 地方の首府なる Dijon 市に食道樂共進會(La Foire Gastronomique)が開かれるから漫遊の機會ある有志者の立寄られんことを希望する。
 昨今内地の新聞雜誌に紹介されるフランス料理はいかにも複雜高尚で、中流以下の臺所向とは思はれない。いかに講義はわかつても上等な材料が本國の樣に安く手に入らぬ國の貧乏人に應用は出來ない。誰も彼も毎日御馳走を食べるのではないし、家庭の料理は至極簡單なものである。フランス銀行の地下室に何百億の金が呻らうとも一般サラリーマンの收入は日本よりも低い。また假令貧乏でなくとも合理的で甚儉約であるから榮養學の講義を聽かなくとも主婦達は金をかけずに美味な調理をし、胃の腑によつて男を征服して行く。節約合理の一例として、華美好みの巴里人は招待客の數に比して多過ぎる程山海の珍味佳肴を並べて煙に卷くことがあるが、焉ぞ知らん大部分は見せ酒見せ肴手の付かぬ分は臺所を通じて仕出屋に歸つて行くのである。
 フランス人は英米人ほど肉食をしない。しかしサラダと果物を澤山食ふ。野菜が堂々たる一コースをなすのもその料理の特徴であらう。戰前には dinner の menu は實に豐富なもので、スープ、魚、鳥、肉と出た所で sorbet (香氣ある水を氷らしたもの)で中休みをし、再び鳥、肉と繰り返したものであるが現今ではそんな金もなし暇もなしスープ、魚、鳥或は肉、野菜、デザートに盡きて居る。昔も今も變らないのは葡萄酒に對する嗜好であらう。「デザートにチースなきは片目の美人の如し」と云ふ。これは香の物に贅澤を云ふのと似て居る。チースを選む以上夫婦の契の樣にこれと切つても切れぬのは酒である。一體酒と肴とは相凭り相助けつゝ發逹して居るもので、支那飯には老酒、和食には灘の生一本がつきもの、それ故フランス料理と銘打つた以上は夜光の杯は無くともブルゴーニユ(Bourgogne)かボルドー(Bordeaux)の古い赤酒を缺くことは出來ぬ。平野水や三矢サイダーを並べるに至つては沙汰の限りである。酒と肴とは氣候の影響を受ける。又人情風俗にも關係する。これらの諸要素が渾然たる調和を保つ時には飮食の術もまた一の綜合藝術であつて、酒肴女と云ふもこの角度より見る時にはエロ的な不眞面目な意味は消失すると思ふ。
 十九世紀の末までは一日二食の風があつた。それかあらぬか朝飯(Petit déjeuner)は甚手輕である。コーヒー或は白葡萄酒一杯ですます人、又は半熟卵の二つ位追加する人もあるが、普通はコーヒー入り牛乳にバタヂャム又は蜜をつけたパンを食ふ。前晩のスープの殘りを利用しこれに代用する家庭もあるがハム、フライ、ビフテキなどは決して口にしない樣である。
 子供や若い女は十時と四時頃とに間食としてパンとチヨコレートなどをとる。幼稚園や小學校の生徒の下げて通學する袋や籠にはそれが這入つて居る。晝飯には歸宅するか寄宿舎の食堂に居殘るから日本流の辨當は持つて歩かない。
 晝飯(déjeuner)は寧ろ主食(dîner)と呼びたい位である。それは主人が職務上或は遠くに通勤する爲毎晝歸宅の出來ぬ家庭を除きこの時に一番御馳走があるからである。官廳銀行會社學校商店晝は二時間の休があつて皆食事に歸る。野菜肉各一皿デザートにコーヒー、赤酒は水を割る地酒、これが普通の menu であらう。夏はビールも用ゐるが茶は飮まぬ。水だけ飮むのはアメリカ人と蛙だけと云ふ。馬にさへ疲れ休めには赤酒を飮ませる國柄であるから赤ん坊でない限りこれを飲む。肉類では羊と豚とが價高く馬が一番安い。不景氣失業を喞ちつゝもやはり肉屋の店頭は市をなす。フランスで一番早く身代を作るのはこの商賣だと云はれる。
 カトリツク全盛の當國には精進日が多い。精進と云へば魚を食ふことである。四つ足二つ足までは「なまぐさ」であるが鳴聲も立てず足もない魚は生れながらにして神慮に叶つて居るものと見える。魚と云ふとギリシヤ語は頭文字を合せた耶蘇の名に通じて居るのではないか。急進社會黨のはびこる此國に敬神の風は薄らいで行くとは云へ、まだまだ金曜日の精進を守るのは善男善女ばかりではない。昔は料理屋でも此日には menu から肉類を省き家庭で客をするも甚不便であつたと云ふ。フランス人は魚に對する知識も味覺もわれわれ程には發逹してゐない。冷藏庫が廣まり海の幸は山間僻地にまで出廻る樣になり、識者も經濟的理由で魚食を奬勵して居るがさほど需用が增すとも思はれぬ。巴里の有名な「梅の屋」の如く魚料理を名物として居る家は他にもあるが魚專門の料理屋のあるのはまだ耳にしたことがない。魚食の民は多産であると云ふのが眞理ならば少し差し控へて貰ひたい國もあるし、もつとどしどし奬勵したい民もある。フランスの凋落し行く人口を支へて居る唯一の地方は三方海に圍まれ Pierre Loti の「氷島の漁夫」で名高い Bretagne である。鮭や平目は上魚であり鯛は位も質もずつと落ちる、赤よりも黑を尊ぶ。鮪は地中海に産し、鰯は北海から來る。鰻はあるが鰌は見ない。蛸はイタリヤでは食ふがこゝでは料理しない。魚を好かぬものは卵かはんぺん(brochet とも云ふ川魚で造る)を食ふ。肉には赤酒を配し魚には白酒を飮む。精進日でも病氣養生の爲ならば坊さんの許可を得て肉食が出來るがこんな時に賽錢をはずむことは勿論である。「R」のつかぬ五六七八月の夏を除き牡蠣を食つてもあたらぬと云ふ。白葡萄酒のコツプを左手にしレモン汁を搾り込んで海の香を吸ふのは market の立食としては中々しやれたものである。かき用のフオークは一方に齒がついて身を切りとれる樣になつて居る。夕食にかきがつけばスープは省く。
 晝飯を充分ゆつくり味ふフランスに five o’clock tea の風習はない。男は petit verre(リキユールを飮む小さいコツプ)を好み戰後の新婦人はケーキを摘む代りに Porto を飮む。Café の棚を見渡すと五六十種の酒がレツテルの色彩とりどりに美しく並んで居るが一番飮まれるのはビールであらう。昨今は獨逸のビールが侵入してネオンサインの光眩しく發音し難い名を廣告して居る。Café で赤酒を飮むのは野暮の骨頂で御百姓か勞働者に限られる樣である。
 停車場の食堂を除き料理屋には凡そ時間の制限があつて晝は十二時から二時まで、夕は七時前には用意が出來て居ない。ホテル料理屋では夕の menu に御馳走があり價も高いが、家庭では反對に肉類(plat de consistance とよぶ)を省く所も多い。しかしゲルマン系諸國で行はれる樣にコーヒー入り牛乳を晩にも繰り返すといふことは決してない。
 夕飯が遲いから普通は宵張りの鍋燒うどんと云ふ必要もないが夜食(souper)なるものは存在する。芝居(十二時にはねる)の歸途 Cafe で黑ビールの滿を引きつゝ囓るサンドウイツチもこれ、舞踏會の夜半相手の御嬢さんと別室で擧げるシヤンパンの杯と冷肉もそれである。また Christmas Eve と sylvester の夜に催される夜食 Reveillon は家庭では樂しい年中行事の一であり巴里やモンテカルロの觀樂境では千金を惜しまぬ外人連の亂痴氣宴會である。
 フランス人が他の歐洲人に比して目立つて多食するのはパンである。うまいから澤山食ひ餘計に食はれるので技術も種類も發逹したのであらう。惡戲の罰として子供の間食に Pain sec(バタもヂヤムもつけぬたゞのパンを云ふ)を課するが甘味もあり鹽加減もよく燒けたパンは下手な菓子位には食へるから大した苦にはなるまいと思ふ。國境を一歩越すとこの味がぐつと落ちる、Wien のパンは有名であるが當國に及ぶのはその名のみである。昨今ベルギーのパンがフランス北部に侵入し同業者の悲鳴となり、その保護政策が議會の問題とまでなつたのは價が半額以下と云ふ經濟的理由で品質の優劣に基くのではない。料理屋では薪ざつぽ大のを兩手で無造作にちぎつて食ひ放題であるのに、隣國に行くと御丁寧にも一個一個小さな紙の袋に這入って居り、食つた數だけ代金を取られるのは何杯何杯と聞かれる居候の樣で有難くない。旅行者の目には留らないが山間の百姓家で買ひ込む圓い大形のパンは目方にして四五貫一週間十日は乾燥しないのである。以前は田舎では自宅でパンを燒いたものであるが文化生活が行き亘つてこの風はもう殆と見られない。醫者は痩せたい人にパンを禁じるそれで容姿を氣にする婦人はなるべくこれを差控へる。しかし人種のせいであらう四十を越してはどうも細腰は保てないらしい。フランスはコーヒーの愛用國である。コーヒーはその香氣の永く口中に漾ふのを愛でるのであるからその出し方もむづかしい。通人は砂糖も加へない、況や牛乳に於ておや。イタリヤで水をこれに添へて出すのは何故かどうもアイスクリームとコーヒーとを同一に扱ふのは妙に思はれる。フランスで茶と云へば煎茶の如くイギリスでコーヒーは苦い黑汁に過ぎない。どちらも異境の産物でありながら國民の嗜好に應じ商人の努力によりかくも違つて發逹するものか。リプトン茶の包紙には佛文で使用法が細々と説明してあるにも拘わらずフランスの女中はなま溫い湯に茶を投げ込む。
 赤酒は農を主とするフランスの富であり快活機智なる國民性を形造る泉源である。日本にはボルドー及シヤンパーニュ二地方の酒しか知れて居ないが巴里の北英國海峽に面する地方を除き葡萄の美酒は至る所に産する。實に赤酒は百藥の長であつて、禁酒運動の宣傳にさへ「この限に非ず」との特別待遇を受けて居る。日本では病院の強壯劑と化して御醫者の腹を肥しフランスでは勞働者のポケツトに隱れて憂を拂ふ玉箒となる。東西とも御みきあがらぬ神はなくカトリツクの menu に白葡萄酒はつきものであるのも面白い。
 蛙を食はずしてパンを好み茶の代りに赤酒を飯むのが spiritual people であるならば蒲燒を發明し海鼠を酒の肴にし得る國民も勿論同列に加はるべきものと思ふ。
(一九三二年三月十二日稿)