国際連盟土産談
新渡戸稲造(貴族院議員)
No.471号(昭和2年6月号)

 ご紹介のお言葉にもあったように、私は満八か年国際連盟の事務局に奉職しておりまして、国際連盟が出来てから満七か年になります。

 創立以前、言わば店開きをしない前から入りました。まず国際連盟なるものは如何なるものなるか、これがどういう働きをしているか、即ちその性質とその活動については中から見聞致しました。私に取っては非常に好機会であり、稀に得る経験を得たのでありました。入る時は大分渋ってみましたけれども、今になって顧みれば、誠に有難い経験を授けてもらったものだと、誰ということなしに感謝をしております。然らばそれ程有難い所を何故、辞してきたかと申しますると、これは時々誤解がありまするから、一身上については何も諸君に詳しいお話をする必要はありませぬが、これには折々風説誤解がありまするから、一言申しておきますが、私自分では年をとったのを主な理由、最大の理由と致しております。というのは、国際連盟の事務局には500人ばかり在勤しいる。40数カ国の人々が500人もいます。その中で一番年長者というのは私なのです。

 総長ドラモンド氏はイギリスであって、年は55歳になります。それから幹部の部長という者が10人ばかりいる。この人たちは平均42歳で、私は66歳になります。もう入る時からして定年を越えておったのであります。定年の規則では幹部には適用しませぬけれども、それにしても大きな廊下を威張って歩いていると、後の方からあれは一番の古い爺だと指差されるような気が致し、不愉快であるから、3年前から度々日本の政府へ誰か好い人を推薦して私を辞めさしてくれとお頼みしたのであります。

 加ふるに連盟の仕事は段々緻密になっていき、私のような頭の粗雑な者は世界共同の理想とか何とか空なことを言っている時代が過ぎたのであると信ずるから、若い事務家の手腕を要する時代が来たと私は観察したのであります。そこで外務省の役人で長くフランスにおった杉村陽太郎君はフランス語が堪能であり、今まで度々国際連盟の色々な会合に出席されて、事務局内外のことにも国際連盟の全体の事業についても趣味もあり経験もある人が来られたので、それで私も実に安心して今度ご免を蒙った訳であります。

 それに日本にとって目出度いことは、もう少し説明せんと分かりますまいが、杉村君が事務局次長のほかに政治部長というものを兼任される事で、日本のために非常に利益であり、日本に位置を大いに高めたわけであります。そういうような点から見ても、今度杉村君の任命は邦家のために誠に賀すべきことである。

 私は非常な満足をもってジュネーブを去ってまいりました。中には職を辞すると或は無能のために免職されたというような考えを起こしたり、或は誰かと衝突して辞めたというような、或は甚だしきは外務省に対して反感があったとか、何とか想像を逞しくしやすいが、全然我輩にとってはそういうことはない。自分の任務だけは尽くして、後任者に立派な人が出たために満足して帰ってきた訳でありまして、自分ではこれほど愉快なことは無い位に感じております。

 さて国際連盟というのは何だ。ちょっと見渡すところ、国際連盟に玄人の方も大勢ここにおられる。それらの方には多分退屈でありましょうが、連盟の名は聞いているけれども、内容のことは何もわからぬという御方もあるようです。玄人の方々には暫くご免を蒙って概略からお話申し上げます。

 一体国際連盟というのは即ち日本の翻訳であって、原語というのは(世界のことですから世界の原語というものは無いのですが)、先ず英語ととフランス語、この2ヶ国語は国際連盟で実際用いているものであります。従来はご承知のとおり、国際問題に関すると兎角フランス語のみを使ったのを、ヴェルサイユの平和会議の時から英語を併用することになって、連盟においても英仏語をもって用語とするに決した。「オフィシャル・ランゲージ」と言うのでないのです。これは西洋の人でもよく間違っている。第一回総会においてイタリア語をこの中に入れるという論議が出た。そうするとそれはいかぬ、イタリア語などは数の知れたものである。イタリア語を入れる位ならば、スペイン語も入れなければならぬ。何故ならば南米では皆、スペイン語を使っている。こう言ったところが、例の4億人一点ばり支那語も使ったら良かろうという話もあったようだが、そんなことになると限りが無い。各国の言語でやると字引を拵えるようなもので金がかかる。通訳の費用も大金だ。そういうことは実際において出来ぬから、スペイン語でもドン・キホーテみたような文学、イタリアではダンテのような立派なものがあるけれども、実用には算盤が合わないから、今のところでは英仏語に限って貰いたいという、ほとんど嘆願的にしたのであります。その結果、「オフィシャル」という言葉は使わなくなった。「オフィシャル」と言うと如何にも公認というように聞こえるから、それでただただ実用に充てる国語というので、難しい意味でなくした。

 それで私が前に原語と申したのは、英仏語の意味である。国際連盟というものは即ち英国の「リーグ・オフ・ネイションズ」、日本で連盟と訳したのは、寧ろ英国を根本にしてやったからであろう。フランス語のほうでは「リーグ」とは言わない。「ソシエティ・デ・ナッション」。もしアメリカ人が入ったならば、或は「アソシエーション・オブ・ネーションズ」と言ったかもしれない。フランス語のソシエティと英語のリーグというのとは、大分そこに隔たりがあるように思う。けれどもそこは好い加減にしておきましょう。また一歩進んで、英語で言うネーションズという字と、フランス語のナッションという字が同じかと言えば、語源こそ同じなれ用法は大分違う。国際公法などにおいては、これが近いものと認めているかどうか。これは山田(三良)博士(第2代学士会理事長・編集部注)にでも伺わぬと分かりませぬけれども、少なくとも普通の用法でも大分違いがある。文字争いは止めて、ただ名称の出所を申しますと、右のような次第であります。

 連盟の目的は二つある。根本的の目的は戦が生んだ事業であるから、勢い戦に直接の関係がある。従ってその目的とする所も戦争防止である。その目的を遂行するにはどうするか、色々やり方がある。戦の始まりそうになった時分に、相談会を開いてこれを止めることもあろうがそれでは物足らぬ。日頃国と国との間の交際を近くして置かねばならない。そこに第二の目的が起こる。即ち国際的協力である。この二つの目的は国際連盟の憲法とでも申しますか、所謂規約の初めにある。その規約ということも普通に言う条約だとか、即ちトリーティーとかコンベンションだとか、或はアグリーメントだとか言う国際的常用語を避けて、変った字を用いている。フランス語ではこれをパクトと言い、幾分か政治法律ばなれの道徳的意味が含んでいる。これが英語のカヴェナントという字に一層明かに現れている。悪口でもありませんが、ウィルソン氏がこれを主張した時に、彼の父はキリストの牧師であるピューリタン系統であったが為、この規約は唯法律的の約束ではない。神前の誓なりとの意味を豊かに含めた意を示したものだという。この憲法、規約は簡単なもので僅か26か条から成り立っている。一番初めには唯今申し上げた戦争の防止、それから国際的の協力を掲げて目的としてあります。何故こういうことが起こったかと言うと、言う迄もなく大戦争の結果こりごりした。二度と戦争があれば西洋文明は忽ち破壊される。

 故に戦の害を最も痛く感じた国が最も熱心したのである。イギリス・フランスがそうである。私はアメリカが入らないのは、一つに戦争の苦しみを十分に味わわなかったからだと思う。ベルギー・フランス等の古戦場、古の字は付いても新しい古戦場、行って見る者は悲惨な感じがする。これを見ないでただ戦争は名誉を得る唯一の機関のように思っている者はなかなか平和に関して熱心が起こらぬ。ある人が言ったことにも、短い戦争をして成功した国民ほど不幸な国民はない。これは暗に日本を当て付けた言葉であります。日清戦争なり、日露戦争なり、二年も経たぬ内に連戦連勝を経験したから、戦争は恐ろしくない、寧ろ好いものだ、算盤弾いて得なりと信ずる。それに反して長い戦をして悲惨な経験を経た国は、どうかして何かの方法によって戦いを止めなければならぬという根底から戦争を廃する念が起こって来た。即ち国際連盟はその結果である。

 それで彼のベルサイユ講和会議の時でも、これを条約の中に入れるとか入れぬとかいう議論があった。この時に頑張ったのはウィルソンで、どこまでもやろうといったから面白い。ウィルソンもこの考えを元からもっておったのではない。大戦争が始まる10年ばかり前から、アメリカのかの有名な法律家のエリヒユ・ルート氏だの、あるいは一時大統領をしたタフトだの、日本のために尽力してジャパン・ソサイティの会長を長くしておって、今ではある大学の総長をしておりますホルトなんていう人たちが、例のアメリカの実際理想主義者であって戦争防止運動を開いた。

 ところが、その運動にはウィルソンは加入していない。故にベルサイユの講和会議に出席のため、ウィルソンが出発する前に、しばしばこの団体からウィルソンに申し込んだ。君が行くならば是非この機を外さずして、あれをやってもらえぬか、「アソシエーション・オブ・ネーションズ」というものを主張するようにしてくれとウィルソンに迫った。しか、ウィルソンはパリに向かって出発するまでに受け合わなかった。然るに彼がパリに行って非常に感ずることがあったと見えて、アソシエーション・オブ・ネーションズの強い主張者と急になったのである。

 また内輪話をしますと、イギリスでもやはりこの国際連盟に彷彿たる運動が戦争前におこった。オックスフォードのギリシャ文学の教授ギルバート・マレイという人は、なかなか理想家で、学問ができるばかりでない、サイキックな力のある人です。 何といいますか、透視家─見えないところを見たりする力を持った妙な人です。この人だの、政治家の中にはかの有名なセシル卿の如きは、頻繁に各国連盟を力説した。併しこれも興論を起こすというだけで、実行する考えはなかったのである。それだから戦の最中に、今度この戦争がすんだならば、国際連盟を講和の相談に持ち出してくれということをイギリスの有志がセシル卿に訴えた時に、セシル卿は「まあ含んでおきましょう。理想としては誠に結構だ。ただ100年を見越した話しです。議論としては私も主張する」と言った。

 ところが、いよいよパリに来て、講和会議の席にて段々話しが進む間に、そっちの方へ引き継いでいったのです。いわば短期間の間に彼の考えが非常に変わってしまったのである。ところがイギリスから来ているロイド・ジョージなどは、「そんなバカなことを」と言ってさらに乗る気がなかった。それから講和会議でも最も勢力のあったクレマンソーの如きは、虎というあだ名をとった位激しい人だから、そんなおとなしいことに易く同意しない。講和条約の一部として連盟規約を入れたのは、どうしてもウィルソンの力と言わねばならぬ。

 1919年の夏頃、講和条約の批准を待っている間、連盟事務局は仮の事務所を開いた。私の任命はちょうど9月です。まだ各国の批准がまわってこない前であるから、公に店を開く事ができない時である。 ロンドンに事務所を設けて、ほんの少数の50人ばかりの者が任命された。ところが、その翌年、すなわち1920年の1月20日に公然成立した。それで何をしたか。まず国際連盟というものの機関は、第一に「アッセンブリー」、総会である。これは世界の議会みたいなものです。 国際連盟加入国から、一人または二人の代表者を総会にだす。総会は毎年9月に開かれる。現今のところでは56カ国、スペイン・ブラジルも入れて56カ国。もっともスペイン、ブラジルは脱会したい趣を申し出たけれども、その通知があってから2年過ぎなければ脱会ができない規定である。 まだ加入していない国はアメリカとロシア。あとは微々たる寧ろ二流三流の国で、メキシコ・エクアドル・エジプト・トルコ・アフガニスタンというようなところである。最少国は加入を申し込みましたけれども断ったのである。例えばモナコ・アンドーラ・リヒテンスタインの如きは、国家とはいえ、顕微鏡的な国家で、各国に公使を送っていなければ、それで自分の郵便も持っていないという、リヒテンスタインの如きは殆どスイッツルランドの一部で、アンドラ・モナコはご承知の通りフランスの領土の如きものである。 これらの国は独立主権ありと称するも加入を容さぬ。しかしやや大きいルクセンブルク大公国が入っている。その他、戦後建設した小国エストニア・ラトビア、みな入っている。

 さて各国より代表3名ずつ出すほかに、書記官あるいは参事官というような人がついてきます。故に大概総会には大国から近頃はまず書記も何もすっかり入れると、60人くらいやってきましょう。初めの第一の総会には、日本から170人がきました。人によっては大変笑ったのである。何と日本という国は大袈裟にやるのだと笑った。しかし日本びいきのものは、日本はさすがに偉い。こういう世界政治の檜舞台に若い役人を見学のためによこすというのは、最も策を得たやり方だといって褒めた。そうでしょう、日本は両方である。見学もさせたい、けれどもどんなことだかわけが分からぬから、多数の人をよこした。近頃はイギリス・フランスなどは70人位で、日本も段々慣れてやはり70人くらいしか来なくなった。まあ、総会では色々な問題が議せられるから、専門家を連れて行く必要があります。

 アヘン問題といえば、外務省の役人だけでは足らない。アヘン通の医学士輩も必要であるが、これがヨーロッパならば電話か電報一つ打てば、ロンドンから一昼夜で呼び寄せるけれども、日本はそうはいかぬ。皆それぞれの大家を率いて行かなければならぬという、非常に不便な位置にいるにも関わらず、他の国と同数位で用を足すのは、我々の誇りとするところである。 しかもイギリス、フランスは自国語を用いるが、日本ではいちいち翻訳する。それにも関わらず、同数で間に合わすのは見上げたものだ。外国人もこの点については初め嘲笑ったけれども、今は感服している。

 それで各国から大勢の人が来る。議席に座る者はまあ400人ばかりです。そうして席順は皆エー・ビー・シーで定める。初めはこの席順の争いがあったのです。1640年頃に、ウィリアム・ペンという人が国際会議を企てたことがある。その方法をただ理想的に編み出したものがある。彼は第一席順に苦心した。国際的会合があると、とかく席順の争いがある。ペンが色々苦心した結果、テーブルを丸くしてし上下の区別を廃した。然るに戸に近いところは席が下のように思え、戸から遠いところは席が高く見えるから、部屋まで丸く拵え、多数の戸を設けてどこからも入れるような工夫をした。 席順はそれ程重大な問題であるが、連盟おいては国名のエー・ビー・シーの順にした。しかし英語とフランス語によって国名が異なる。日本ならば「ジャッパン」を「ヤッポン」、発音だけ違うが、スペインの如きは英語では「スペーン」でSだから、大分下の方だ。しかしフランス語にすれば「エスパン」となってE字だからずっと上の方になる。それで国名はフランス語とした。一番上席は南アフリカである。 総会に臨む人はいかなる人かと質せば、近頃は大臣格の人が増えてきた。第一の総会には大学の学者が比較的多かったのです。だからセシル卿とマレリー博士が同じ議場に座っておりまして、セシル卿がずっと見回して、教授連が多過ぎると書いて渡した。するとマレリー氏はプロフェッサーという字を消して、政治屋プロテシアンという字を書いて返したことがありました。 私は見ていて笑っておったが、よくよくこれはなぜかというと、新設国でまだ大臣もろくろく定まっていないような国があった。それで初めの内閣は、知識階級なる学者連である。まだしっかり国を成していないのだから、外国にまで聞えている人は学者のみであったから、勢いプロフェッサーの肩書きのある人が多く出たのであるが、近頃になっては、大別して学者と外交官が多い。 日本からは始終石井氏、安達氏、松田氏、永井氏とかいう外交官で間に合わせているから、総理大臣なり外務大臣が自ら出馬したことがない。 道が遠いからできない。他の国でもそうです。 南米から来る人は、大概パリかロンドンに駐在の大使である。然るにヨーロッパ諸国から近頃来る人には外務大臣が大分増えた。総理大臣自ら出馬することもしばしばある。去年の会議の時には総理大臣格の人が確か5・6人、外務大臣格の人がかれこれ20人位はきたように思う。

 総会は申さば議会のようなものである。総会の他に理事会というものがあって、一年に3・4回開く。これは今14カ国より成っておりますが、その内5カ国は常任理事国である。常任というのは英・仏・独・伊・日本である。他の理事国は年々あるいは2年ごと、3年ごとに改選になるのである。それで理事会は一寸言うと内閣みたようなものである。日本を代表する人は石井大使である。それでここで決議したことを実施するところを事務局、あるいは書記局、インターナショナル・セクリタリアートという。 ここには総長が一人いる。これはイギリス人。次長というものが今は4人いる。ドイツ人、フランス人、イタリア人、日本人、その下に部長というものが10人ばかりいる。経済部、交通部、法務部、衛生部というようなものがある。即ち幹部というのは総長、次長と部長で毎週1回会議をしますが、集まる人を見ると、イギリス人、フランス人、ドイツ人、スペイン人、カナダ人、イタリア人それから日本人。そのほか、ポーランド人、ノルウェー人、オランダ人。そういう人とするのにも英語とフランス語で、ちょっと英語でやってみて、苦しくなるとフランス語に変える。フランス語で苦しくなると英語でやったりして、事務との連絡を取っている。 部長の下に言わば高等官とでも称すべき役員は60から70名あって、他は書記である。私の部下にはポーランド人でワルシャワ大学の教授、ルーマニア人でこれもルーマニア大学の教授のほかにスイス人1名、雑務をやるためにイギリス人で女性の秘書二人。フィンランドの矢張り大学の助教授である女性一人、フランス人で女性一人。そういう風ですから、同国の人を同じ部屋に置かないというのが主義です。 執務時間は朝9時から5時まで。右の如く総会、理事会、事務局のほかに、専門知識を要する問題については専門家を頼んで委員会を拵えます。 例えば、アヘンについては世界のアヘン通を選んでその方に頼む。経済問題の中にも二重税に関することを調べようと思えば、その道の大家を頼むという風に、今、かれこれ40からの委員会がある。そこには各国の大家を無代価で用いることになっている。私の最も関係の近い委員会の例を取ってみても分かる。私は学芸委員会に関係をしたが、その委員は哲学者のベルグソン、理学者のアインシュタインとキューリー夫人だとかいう大家を頼んで月給は上げられない、ただ、実費、旅費、しかも鉄道切符を渡す。宿賃も僅かなものです。日本の勅任者の旅費にも当るまい。1日、70フラン即ち28円の日当である。しかし、これを栄誉として来てくれるから、とても他で得られないような便宜を有しております。総会と理事会と事務局と各種の委員会をもって、国際連盟の組織としてあります。

 その仕事の範囲と言えば、どこまでも今後広がると思うのでこれについてある人は心配までしている。提議されて問題が解決しない内に、徒に他問題に移るのは宜しくない。尤もそういう恐れは現にあるのである。例えば衛生のこと、ここには林先生などもいらっしゃるが、私よりその方にお詳しくいらっしゃるが、ある問題に付いてちゃんと極める。 それが済んでしまった後でまた新問題を取立てるのでない。済まない内に片方に手を着ける。その外に幾らでも手を広げる。ところが今は衛生の問題になると、金の出所があるから出来るが、他の問題はそうはいかぬ。連盟の費用は各国の政府の分担で始末する。全部の費用が僅に千万円。その内日本でも今八十万円も出しているが、イギリスが一番沢山出している。ドイツとフランスは同額、日本は三番目である。この分担金は人口・面積・収入・貿易額・その他種々なる点から計算して定める。支那の如きは四年間も出していない。それで出さない国には、どういう制裁を加えるかという事は、殆ど未決になっております。この額を増やすことは何国も喜ばぬのである。だからして仕事をするのに金の為に抑えられてしまうのである。けれども衛生の事とか人道のことならばアメリカは加盟国ではないがアメリカの民間から、例えばロックフェラー財団だとか、カーネギー財団というものが喜んで寄付をしてくれる。現に国際連盟の衛生事業の費用の大部分はアメリカから出ている。人道的事業は好いことに違いないが、まだ国際連盟の立場から言えば仕事の末であってその大目的は戦争防止である。この事に就いては少なくとも四度位は戦を止めている。現にポーランドとリトアニアで戦をしていた最中に国際連盟から電報を打って、とにかくも両方とも代表者をここへ寄越せというので、その時から戦が止まった。鉄砲を撃つことだけは止めた。 しかしながら両国の平和・和睦の条約は未だ出来ていない。だから国際公法の見地から言うたならば或は戦争の状態にいると言ってもよいだろうと思う。けれども戦はしないでいる。それから大変面白かったのでは、二年前だったかギリシャとブルガリアとの境に番兵がおったが一寸した間違いから発砲を始め、ギリシャの境を守るという名の下に、二里も三里も国境内まで入り込んだ。それでブルガリアが電報を我々の事務所に寄越した。 これが月曜日の朝六時であった。それから事務総長のドラモンド卿が、すぐにその時の理事会の議長に、議長と言うのは始終変わって行きますが、その時の理事会の議長のフランスのブリアンに、直ぐに電話を掛けて「すぐに理事会を開いてください」。「宜しい、承知した。」理事会員でも遠方の人はスウェーデンから来なければならぬから、金曜日に理事会を招集する電報を打った。スウェーデンの外務大臣は、特別の飛行機でやって来た。金曜日に開いて土曜日には済んでしまった。それから両方の代表者が出て講和条約、ギリシャからブルガリアに損害の賠償を払う事となり、初めから終わりまで十日掛かった。この話は一段落を告げた。この事は国際連盟の誇りとしておりますけれども、一方にはそれはブルガリアとギリシャだからで、フランスとイギリスではそうはいかぬと疑う人もある。一応もっともであるが、疑うというものは限りがない。疑いあるからとてやらぬ訳にも行かぬ。とにかく出たものだけを解決したというだけは確かな事実である。医師が小さな癌を治したと言って、必ずしも大癌を治すとは断言しまい。断言しまいけれども、とにかくさしあたった小患を治したと言うのは一つの誇りである。

 そのほか実際、戦いをやっている間に入り込んだことが4度もある。まさに戦になりかけたのを防止したのが2度、その他、戦防止ではないがオーストリアが財政困難をしてまさに破産せんとする時に、時の宰相にサイテルという豪傑があって、これが自国を救うために何百年間敵と見なしておったイタリアに国を挙げて救いを求めた。オーストリア6000万の大帝国であったのを、戦のためにほとんど10分の1になり、独立の生活は出来ない。そんな貧乏世帯は御免だと言って断られ、一方国の経済が持てないというのは、大国なりし時分におった高官が何百人、有爵の歴歴が何百人おった。それが皆、地方からウィーン市に群集して来て食らう奴ばかり多くなった。そして農業地というものはユーゴズラビアに取られるし、
製造地はチェコスロバキアにも取られたから、生産地が無くなって、消費者ばかり集まってきたから、到底算盤が合わない。どこでも金を貸さないから連盟に頼んできた。

 当時彼国の通貨クローネの相場がどんどん下がりつつあったが、連盟国が連帯責任を持って外債を募ることを承諾した。その瞬間から下落が止まった。それから此国の財政が安定を見るに至った。ハンガリーも同じ事をして財政上救われた。

 国際連盟の実績を申せば沢山有りますが、今後やるべき事は沢山ある。ただ未だやらぬことをもってその価値を判断してはならぬ。支那の動乱はどうするのだ、連盟は何もしないじゃないか。なるほど何もしない。連盟をもって万病を治す妙薬とは言はない。
殊に支那の動乱は国内の事であるから、連盟はこれに関しない。それで連盟の金に限りがあるし、一兵卒をも有しない。警察官さえ持たない。僅か総会の時分に門番を頼む位のものだ。それが関の山で連盟に一兵卒もなくして、世界の平和を守ろうと言うのだから、まだ足らぬことは沢山あります。けれども今までの成功によっても、我々は大なる希望を託している。私はこれより外に今日の世界に望みはないとまで思う。これが唯一の望みだと思っております。

 今、申し上げたのは、甚だ雑駁であるが、要するにその組織と事跡の大要と運用の概略を述べたのであります。(拍手)

※本稿は昭和2年3月20日、学士会館で開催された茶話会における講演の要旨であります)
(貴族院議員・北大・法博・農博・明14)