裁判に現はれた世相の二三
法學博士・東大教授 穂積重遠

この演題は私の御話する事の全部を現はしてをらぬけれど、先づこれから始めてほんの茶話の心算でとりとめない斷片的な二三の事を申上げたいと思ふ。

刑事裁判には例へば市疑獄事件や満鐵事件などの樣に世相を現はして居るものが頗る多いが、私の申上げるのは民事裁判の方である。其中で純法律的な複雜なものでないのを選んで、比較的新しい大審院判決を六つ七つ擧げて見る。

大正十年六月十三日の判決――或る人が信託會社から金を借りた。而して德義的に返金することにして强制執行はせぬ事にしやうと云ふ約束であつた。所が會社は返金を催促してその人を訴へた。借主は裁判沙汰にするとは約束が違ふと爭つた。大審院はこれは道德問題だから裁判所の取扱ふべき限りでないと云ふので、貸主の請求を却けた。併し强制執行をしないと云ふ約束は必しも權利其ものを抛棄したのではないのみならず、返金と云ふ樣な元來法律問題たるべき義務については、「汝は返金すべき道德上の義務があるぞ」と云ふ判決を裁判所がしてもよいものと私は考へる。

大正十年六月二十八日の判決――ある村の一有力者を全村がボイコツトして所謂村八分(組外し、町省き卽ち共同絕交)にしたのでその男が其主唱者數名を相手取つて不法行爲に因る損害賠償請求の訴を起した。ボイコツトの原因は、村道開設に就きその男のみがどうしてもそれに要する地所を賣らぬので計畫以來八年にもなるに竣功せず其爲郡より出る筈だつた補助費を受取れぬことになつたので、村民が憤慨し、集會決議の上其男を村八分にし、村の冠婚葬祭に與らせず、村の共有財產に加入せしめず村の水車業者にそこの麥をつかせぬなどの事を實行したのである。第一審杵築區裁判所では其男が負け、第二審大分地方裁判所では勝訴して精神上の苦痛の慰籍料として三百圓の損害賠償を村民側が出さねばならぬことになつた。そこで村民側は上告したが大審院では村が負けた。判決理由は、絕交する事は個人々々の勝手だが地域團體の多數人が申合せて共同絕交をするのは不法だと云ふのである。此村八分なる制裁は小作騒動などに關聯して近來濫用されるらしいから、愼重に取扱はれねばならぬが、此事件の如きは私には村八分にされた男の方がどうもよくない樣に思はれる。同じく村八分の事件でも、選擧の際に村民が申合した人に投票しなかつたと云ふので村八分にしたのなどは、確かにした方が惡い。斯う云ふ事件になると、裁判が法律だけでは出來ず道德的判斷が必要だと云ふことが明白である。

大正十年五月七日の判決――一つ村の隣同志の字が水の事で爭ひ事件は大審院迄來たのである。原告四十六人被告五十九人であるが大審院は内容には觸れず、職權を以つて調べた所によれば被告側に二人の未成年者があつて後見人が代つて訴訟に參與して居る、然るに其後見人は右の訴訟行爲について親族會の同意を經て居らぬ、さう云ふ手續上の缺點があるから此裁判は今一度初めから遣り直せ、と判決した。乍然この大審院の判決は如何であらうか。裁判所なるものは Peace-maker でなくてはならぬに、辯護士も氣付かぬ程の小さな形式上の不備をほじり出して地方的の爭議を徒らに永引かせると云ふのは、果して適當な處置であらうか。

大正十年六月十一日の判決――夫婦でない男女間に生れた子が私生子であるが、私生子と父との關係は父が認知しなければ生じない。父が認知を拒めば所謂强制認知又は裁判上の認知と云つて子又は母から認知請求の訴を起すことが出來る。所でこの事件は父親が死んだ後檢事を相手として私生子認知の訴が起されたのである。大審院は民法の規定に基き父の死後は問題にならぬと云うて却下した。これは法律の解釋論としては申分のない判決なのだが、實際上は頗る困つた結果になることがある。それは斯う云ふ場合に父母は事實上は正當な夫婦だが婚姻届が出て居ないので法律上は夫婦と認められず、隨つて子は母の私生子として届出てあつてまだ父の認知の手續が濟んで居ないことがある。其際父が死んでしまふと最早父子關係を法律上認めて貰ふ途はないのであつて、其子は現在其父の子でありながら、然かも事實上は嫡出子でありながら、其父を相續することが出來ない結果になる。これは婚姻制度の根本に遡つての大問題で研究を要する。

大正十年七月二十五日の判決―ある戸主の弟が死んだ。その弟に未亡人と子供があつて共に他地方に生活してをつたのでそこで葬つた。所でその兄は戸主權を以つて生きてをる時でも居處指定權があるのだからとて遺骨引渡しを要求した。第一第二審ともに戸主が負けて上告した。大審院では、生きた體は人であつて物でないから財產の目的物にならぬが、死んで遺骨となれば已に所有權の目的物である。而して其所有權は相續權のある人に屬するのが當然であるから、親の遺骨は子供の所有權に屬する、隨つて戸主と雖も勝手には出來ぬと判決した。結論は正しいが理由が餘りに法律づくめ過ぎる。此事件では子供が一人だからまだよいが、他の同樣な事件の如きでは子供が三人あるので遺產相續として遺骨は三人が平等の持分で共有と云ふ結論となつた。斯う云ふ事件はもつと道德的に取扱はれねばならぬ。

大正九年五月廿八日の判決――ある男がなじみの女に將來妻にしてやるが今は女房があるからそれを出す迄待つて吳れ。それ迄は月々手當をやると云ふ約束をした。所が月々の手當を實行せぬので訴へられた。男の方はその約束は不法な約束だから無效であると主張した。女の方では毎月いくらの手當を與へると云ふ契約の内容其ものは少しも不法なことはないと爭つた。併し大審院は妻があるのに他の女と夫婦約束をして其關係を維持する爲めと云ふ動機に著眼して、此契約を無效と判決した。法律は動機を問はぬなどと云つたものだが、裁判に漸次動機が勘定にはいつて道德的になつて來たのは面白い傾向である。

扨て此等の判決を觀察して見ると、裁判と云ふものは唯だ法律を當嵌めて事件の跡始末をなすに過ぎぬものではなく、法律の缺點を條理で補つて後の事件の解決の標準となるものとして、今迄よりは裁判と云ふものはもつと重大な意義を認むべきではなからうかと思はれる。

皇太子殿下が御渡歐なされた時佛國に於て「日本は佛國に御蔭げを被つてをる。殊にナポレオン法典の御世話になつた」と云ふ御趣意の御挨拶があつたと聞いてをる。日本のみならず世界各國の民法はみな多少このナポレオン法典の御蔭げを被つてをるが、日本でも明治の初めから江藤新平などゝ云ふ急進家が、ナポレオン法典を邦譯させ其文中の佛國とあるを日本と訂正しただけで其儘我國に採用しようと主張した程の次第であつた。勿論それは行はれなかつたが、我國今日の民法典も間接には佛民法典の影響を受けて居る。而して其影響は民法典其ものゝ内容だけでなく、各種の大法典を作ること其事がフランス流なのである。卽ち佛國の好影響は成文法完備である。其代り其反面には惡影響もあつた。それは卽ち成文法萬能の思想である。成文法でなくては法律でないと考へ、成文法の註譯だけが法律學だと考へ、成文法の適用のみが裁判だと考へる思想である。

乍然その本家本元の佛民法典も一八○四年以來のものであつて、既に今日の時勢に合はないのである。佛國は中々英雄崇拜で Code Napoleon の名の爲にこれを棄てやうとせぬが併しその實今日佛國を支配してをるのはナポレオン法典其ものではなくて其成文法が裁判所の判例で刻々に改造されつゝあるものなのである。成文法にはどうしても缺陷があり又生ずることを免がれぬ我國の舊刑法に電氣盜用の規定がなくてまごついたなどは其一例である。現在の民法典も既に廿三年も經つておる。隨つて既に大分缺陷が出來て居る。例へば雇傭契約の如きもたゞ僕婢位のものを對象として規定されて居るので現今の勞働問題を解決するに足りぬ。其缺陷はどうして補ふか。法文を修正增補するのが順當には相違ないが、それは必しも容易でなく又必しも事情に適切な過不及のない改正が出來るとは請合はれぬ。そこへ行くと裁判には法文の形式を其儘にして置いて其實質を事情に適應させて進化させて行く作用がある。裁判は決して事件に法文を適用するを似て能事終れりとするものではなく、裁判は司法であると同時に一種の立法なのである。殊に大審院の判決は自然下の裁判所が見習ふのであるから、それが同時に法律であることが著しい。卽ち裁判所は一種の立法的機關であり、又漸次立法的機關となる傾向が增進する。

これに對する大なる反對は三權分立の憲法論である。しかし元來三權分立なるものは一權力の發動に就いて大體三方面の分擔を決めたに過ぎぬのであつて、その境が互に相容れぬと云う次第ではない。普通には法律があつて而して後裁判が起ると考へるけれど、實際の發達は元來さうではなかつたのである。舊約聖書中にモーゼの『逃遁邑』と云ふ制度のことが數箇所に出て居るが、そこを讀んで見ると法律よりも前に先づ裁判が始まつた實情がわかる。(逃遁邑の話筆記を略す)斯くして判例が積り積つて法律になつたのが所謂判例法で、成文法なるものは寧ろ其後になつて裁判官の自由活動を制限せんが爲めに發達したものである今日では成文法が大に發達完備したが、併し時勢は常に成文法を後に遺して進轉し、永久に判例法を無用ならしめない。我國の今日にも色々の判例法が發生して成文法の缺を補つて居る。所謂婚約違反損害賠償の制度、賣渡擔保の制度などが其例である。

そこで今後の法律學はこの判例に着目せねばならぬ。今までの法律學の樣に法文のみを對象として居てはならぬ。紙の上の法律でなく『活きた法律』を研究せねばならぬ。これが從來の所謂概念法學論理法學から更らに新生面を開かんとする所謂社會法學の一主張である。この法律の科學的研究の材料たるべきものは勿論判例のみではない。併し判例から取りかゝるのが其第一歩なのである。更に法學敎育の方面でも専ら判例を用ゐる所謂「ケースメソツド」が一八七〇年に米國ハーバート大學のラングデール敎授によつて創始され、今では全米を風靡してをる。

而して今日では更に一歩を進めて米國の二三の法學校は legal clinic なるものを始めた。學校に法律相談所を設け、醫科大學で外來患者の診察をする樣なことをするのである。(米國大學聽講談筆記を略す)。我々もどうか法律學をさう云ふ方面に持つて行きたいと思つて、先づ其第一歩として先頃から每週一囘法學部民法研究室で同志數人が民法判例研究會と云ふ仕事をして居る。まだ一向端緒ではあるが、斯うして具體的研究にはいつて行くと、法律學の未開拓の沃野が展開して來るのに見覺めると同時にそこから充分な收獲を得るが爲めには法律學だけでは駄目で、汎く精神科學自然科學の協力を仰がねばならぬと云うふことを痛切に感じる。(以下附録の意味にて英國陪審裁判所傍聽談ありたるも、筆記を省略す)