戦地稀有の学士会(鴨緑江の大戦後における満州曠原上の会合)
蜷川 新 No197号(明治37年 7月)

 花を眺め月を賞し、美酒佳肴に飽くの學士會は、此れ平和時に於ける通例事、 同窓の健康を祝し、同窓の繁榮を賀す、状は乃ち状なりと雖も、國家振古の大 事變に際し、白刄を履み砲彈を冐し、而して大勝の後、大陸の平野に親しく友 が手を握り、以って同窓相互の武運と健康とを祝するの快に至つては、又他に 例ふ可きものあるを見す、而して此樂しむ可き同窓の會合は、鴨綠江大戰の後、 鳳凰城外に於て催されたるぞ愉快なる!
 第一軍司令部に四人の學士あり、曰く田村醫學士、加福法學士、鶴岡法學士、 蜷川法學士此なり、各々重要の任務を帶び、常に多忙を極むと雖も、一夜右四 氏會合を爲すに際し、戰地學士會開會の議決せられ、蜷川法學士は檄文の起草 者となり、他の學士は、場所撰定其他雜務の委員となり、五月廿九日を以て、 晴雨に拘はらず、鳳凰山下に學士會を開くの準備は整へられ、翌日左の檄文は 三個師團附各學士の中に配付せられたり

▲戰地學士會開會之檄
  時ハコレ東洋未曾有ノ大事件、日露戰争ノ開始中、所ハコレ滿州ノ野、鳳 凰城外鳳凰山下、我等ハ吾カ赤門同窓ノ諸賢ト相會シ、談笑和樂、以テ荒寥タ ル戰時ノ會趣味ヲ慰シ、以テ吾等學士カ干戈ニ従事セルノ記念トナサントス、 來レ吾同窓ノ友!異鄕ニ於ケル樂ハ同國民ト相會スルヨリ快ナルハナク、而ソ 其快ノ快ナルモノハ、同窓ノ友ト相會スルヨリ優レルハナシ、來レ我友!!吾等 ハ當日第一軍司令部附從軍寫眞斑員ノ好意ニヨリ我等ガ會合ノ景況ヲ撮影セシ メ、之ヲ學士會ニ報告シ以テ之ヲ學士會月報ニ掲ケ、永ク日露事件ノ記念トナ サント欲ス、來レ吾同窓ノ友、來リテ而シテ快談放語セヨ
 會塲  鳳凰山下景色好キ所
 會費  金壹圓五十銭内外
 會日  五月二十九日午后二時
 集合  當日午後一時鳳凰城舎營病院前廣場ニ集合シ會塲ニ到ラントス
明治三十七年五月廿六日          於鳳凰城 發起人 第一軍司令部附學士一同

會塲の光景
 此日天晴れ氣和す。午後一時豫て指定の病院門前に集合せる者巳に二十餘氏、 此等の諸氏は此より先、岩田加福の二氏が、河邊の仙境をトしてテントを張り、 食卓を設けんとて進み行ける地點目がけて、散歩的途歩行進をば起し始めぬ、 テントは岩田氏の盡力に依り、戰地定立病院より借り來れるもの、而して食卓 と食事とは、委員が戰地の酒保に命じて調へしめたるもの、去らは仮令峩々鮮 麗なる華屋の備へなきも、又假令窈姚たる美姫の酌みに薦むる美酒佳肴の用意 なきも、名譽の負傷戰士を収容す可き光榮あるテントの下に、戎衣を纏いつゝ、 會合せんとするの光景は亦格別にして、靑、黄及紅、各種の軍帽は打交わりつ ゝ、佩劍に錚々又鏘々の音を與へつゝ、此等二十餘騎の軍人學士は、徐々其歩 を旋して河邊に設けられたるテントの内へとは進み入りぬ、テントは鳳凰山下、 淸流の東より西へと流るゝ邊りに設けられ、仰で峩々たる鳳凰の名山を眺むれ ば例により山骨は稜々、今しも嶺の若葉は炎へ出でて、其綠りいと鮮やかに、 豪繊參射、其景宛然織りなせる綿の如し、此景を眺め此景を賞し、暫くは雑談 に耽りつゝある最後の一刹那、忽ちにして雲、忽ちにして風、而して忽ちにし て驟兩は西方より吾會塲目掛けて襲い來りぬ、斯る時にぞテントは其用を爲す なれ、吾等は直ちにテントの中の人とはなりぬ、和樂談笑、暫くは降り來る豪 雨の鋭鋒を避けつゝありたりしが、小なるテントの中に大の男二十餘人、所謂 立針の餘地たもなかりしぞをかしかりける。
 暫くにして雨は止みぬ、天候は舊に復しぬ、而して酒保のボーイは手早く食 卓に酒を置き、皿を列ね、フォーク、ナイフを列べぬ、學士は田村幹事の愛嬌 ある周旋により食卓に着き、豚、鷄、ソーシテ、牛肉、ソーシテ、ビール。日 頃疎食に戰地を經過し來れる軍士は、舌打ち鳴して甘し甘しと叫びつゝ多くは 手攫みにて喰い始めぬ、此快何んぞ本國同學諸君の能く察し得可き所ならん嗚 呼此日のビールと肉との如何に甘かりし事よ、而して各人は手に手にビールの コップを捧げて、相互の健康を祝しつ且つ飮みぬ、莊嚴、友信、而して雜談は 賑かに繼けられつゝあるの時、忽然、三味の音は、テントの中より響き渡り、 美妙なる春雨の一曲は歌はれ始りぬ
 此日幹事は、軍司令部外交官附(國際法顧問の官名)の人夫中より三味に熟 せるもの一人、他の部より唄に巧みなるもの一人を伴ひ來り、戰地に得難き餘 興を催して、同窓に時ならぬ快感を與へんとはしたるなり、三味の音は、テン トの下を流るゝ淸流の流れと和して自ら淸く、唄手の美音は、雨後の冷風を共 に自ら鮮かなり、是に於てか春雨の一曲は喝采を以て終り、次で獨々逸初まり、 俗謡歌はれ、軍服學士は笑ひ興じて暫くは笑聲と雜談とに時を移しぬ
 此座興的快樂は次で野外的壯勇なる快樂と換へられ、軍人學士は、相互に、 當日或る宿者の乘り來れる駿馬に跨り、河邊の畠中を驅つて互に其技を誇り、 次いで勇壯なる快感を貪れり、如斯は常時に於て到底見出し難きの會合たりと す、次いで同窓は再會を約して解散せしが、此時は正に午後五時に近かりき、 此日撮影の寫眞は實に永久の記念たりとす

明治三十七年六月五日  満州の寓舎にて
第一軍司令部國際法顧問官法學士   蜷 川 新 認

○當日會合の諸學士
 伊藤 獻橘 (醫學士)  岩崎 小四郎(醫學士)  岩田 一  (醫學士)
 本堂 恒次郎(醫學士) 武藤 喜一郎(醫學士)  荒井 元  (醫學士)

 野口 耕一 (醫學士) 牧田 太  (醫學士)   西澤 行藏 (醫學士)
 中川 十全 (醫學士) 深谷 敬一 (醫學士)   鎭目 眞一郎(醫學士) 

 西  直忠 (醫學士)  荒井 榮三郎(醫學士)  鶴岡 永太郎(法學士)
 加福 豊次 (法學士) 佐瀨 恒壽 (醫學士)   大沼 良三 (醫學士)

 田村 俊次 (醫學士) 小山田 謙 (醫學士)  根本 伸之助(醫學士)
 松島 鉉太郎(醫學士) 室谷 高富 (醫學士)  石田 氏幹 (法學士)
 佐 分 利 醫 學 士     蜷 川 法 學 士