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社会への貢献

1891年(明治24)10月28日午前6時38分、岐阜・愛知両県を中心に巨大地震が起こりました。震源地は岐阜県本巣郡根尾村(現・本巣市)付近。この「濃尾大地震」はマグニチュード8.0と、内陸直下型地震としては日本で最大級の規模として現在も記録に残されています。死者7273名、全壊建物14万2000棟を超す甚大な被害をもたらしました。名古屋をはじめとした都市部では文明開化の象徴ともいえる洋式の煉瓦建造物などが数多く倒壊し、震源にあたる根尾谷では総延長およそ80kmにおよぶ大きな断層崖が現われました。

濃尾大地震により崩れた長良川鉄橋(明治ニュース辞典)濃尾大地震により崩れた長良川鉄橋(明治ニュース辞典)

学士会は、この地震災害に対して積極的に救援活動を行いました。会の保有資金のうち200円を支出して、震災発生から7日後の11月4日、帝国大学医科大学助手の医員1人と同医科大学4年生12人を現地に派遣し、「学士会救援所」を設けました。この時の医員は丸茂文良氏で、後に済生学舎(明治36年に廃校、現・日本医科大学の前身ともされる)の外科医となり、医学者として世界で初めてレントゲン撮影に成功した人物です。

さらに、これとは別に学士会の会員有志が義捐金を募り、第2陣として医員11人、学生15人を同月13日に送り出しました。義捐金は総額204円50銭となり、薬剤費80円のほか、派遣要員の旅費などに当てられました。

三陸津波におる被害(明治ニュース辞典)三陸津波におる被害(明治ニュース辞典)

また、1896(明治29)年6月15日午後7時32分、東北地方の三陸沖およそ150kmを震源とした地震が発生。その約30分後に最大波高38.2mに達する大津波が、岩手県を中心とした沿岸地域を襲い、死者2万2066人、流出家屋8891棟という激甚災害となりました。

この時も、岩手県知事の要請を受けた学士会は、直ちに100円の寄付を決め、帝国大学から医員や看護手等を被災地に派遣して救援活動に取り組みました。

こうした災害地域への緊急支援のほか、学士会は、創立初期から大学と親密に連携して活動を展開しており、後輩となる現役学生の大学生活へのサポートを続けてきています。

その最初の活動が、1889(明治22)年10月26日に開催された帝国大学運動会での賞品の寄贈です。当時の學士會月報によると、「百ヤード競走」「棒飛」「クリケット」の各競技の賞品として、制服、靴、シャツの合わせて21円50銭相当を贈ったとされています。

それ以降、運動会に賞品代25円を寄付するのが恒例となり、1897(明治30)年に京都帝国大学が設立されて運動会が催されるようになると、同校にも開催のつど25円を寄付。その後、寄付額は増加し、1905(明治38)年度には140円となっていました。

学生のスポーツを奨励する学士会の活動は一度途絶えますが、戦後、7つの旧帝国大学の体育会クラブが様々な種目で競技を繰り広げる「全国七大学総合体育大会(七大戦)」が始まり、学士会は2005(平成17)年からこの七大戦に特別協賛しています。毎年、協賛金700万円を拠出しているほか、優勝校に「学士会トロフィー」を贈呈してその健闘を称えています。

第47回七大戦競技画像第47回七大戦競技画像

第47回七大戦トロフィー第47回七大戦トロフィー

また、1896(明治29)年2月の月報に、国文学者で日本の図書館学の分野を切り拓いた和田万吉氏が、欧米露諸国の大学についてその蔵書数を調査した内容を発表しました。それは、トップであるドイツのストラスブルグ大学図書館が70万冊なのに対して、帝国大学図書館の蔵書数は21万2000冊で、調査した33大学の中で29番目と非常に低水準であることを憂慮し、会員に著書の寄贈を呼びかける内容でした。

これを読んだ会員らが、帝大図書館の充実運動を始めました。同年度の会員総数はまだ1878人と少なかったのですが、3カ月ほどの時点で和漢書や洋書、小冊子など約250点が集まりました。その後にどれほどの数になったかについては明らかではありませんが、これを契機に自著を含む図書の寄贈の機運が高まったと言えます。

神保町ブックフェスティバル(2005年)神保町ブックフェスティバル
(2005年)

この会員による献本の活動は、現在も受け継がれており、学士会は2005年から、現在の学士会館からほど近い東京・神保町の書店などによって開催される「神保町ブックフェスティバル」に参加。会員から寄せられたおよそ3000冊の本をチャリティ販売して、世界で紛争や災害などに苦しんでいる子どもたちをはじめとした難民らの支援のために、売上金全額を国際人道支援団体に寄付していました(現在、「神保町フェスティバル」には参加していません)。

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